2012年05月19日
引きこもりと自殺願望
息子が中学二年生の頃から引きこもりになって30年になっていると言う老女からの相談を受けました。当時は、ユタとシャマーニズムからキリストの信仰に入って間もない時期でしたのでこれまでと同様なやり方、拝み不足を強調するわけにはいかずに少々戸惑いました。キリスト教のカウンセリングはどうやるのかさっぱり分りませんでした。
祈ってから訪問しました。部屋に閉じこもって出てきません。とりあえず、私は、部屋のドアの前で賛美をしてから聖書の朗読をすることにしました。老女には多分、まだるこっしいやり方と思われるかも知れないと思いましたが聖書以外は語ってはいけないと信じ込んでいましたのでそうすることにしました。
毎日、午後12時に時間を合わせて訪問し賛美をして祈って聖書朗読をしました。創世記1章を読んでから注解書を読みました。二か月足らずで部屋のドアが開いて44歳の男性が出て来ました。天の岩戸から天女が出てきたのではありません。私の中に緊張が走りました。恐怖心がありました。何度か引きこもりの人や精神を患った人に殴られそうになったからです。
しかし、彼は、「明日も来てくれるか?」と話しかけてきました。「おたくはいい声をしているね。心にじんとくる声だよね」
翌日からは、彼は部屋から居間に出てくれて母親も一緒に聖書を聞いてくれました。彼は、イエス様が神である事を信じると告白しました。そして、何回かは教会にも行きましたが今は、教会から離れています。
彼の母親が召されてから力が抜けたようです。教会から兄弟が訪問してくれたら彼は教会から離れることはなかったでしょうと思いますけどね・・・今は、時々、訪問して一緒に礼拝をしています。働き人を切望しています。
引きこもりも自殺願望も本当は本人の願望ではないのですね。それは悪霊の騙しなのです。悪霊は思考を縛って人を苦しめます。マイナス思考でがんじがらめにしますがそれは悪霊の罠であって本人の考えではないいのです。引きこもりで自殺願望と戦っている人がいましたらその思考は自分の願望ではないと退けてください。
ご家族の方でも良いですから近くの教会を訪問して祈ってもらって下さると最善がなされると思います。神様の道日がありますようにお祈りしています。
祈ってから訪問しました。部屋に閉じこもって出てきません。とりあえず、私は、部屋のドアの前で賛美をしてから聖書の朗読をすることにしました。老女には多分、まだるこっしいやり方と思われるかも知れないと思いましたが聖書以外は語ってはいけないと信じ込んでいましたのでそうすることにしました。
毎日、午後12時に時間を合わせて訪問し賛美をして祈って聖書朗読をしました。創世記1章を読んでから注解書を読みました。二か月足らずで部屋のドアが開いて44歳の男性が出て来ました。天の岩戸から天女が出てきたのではありません。私の中に緊張が走りました。恐怖心がありました。何度か引きこもりの人や精神を患った人に殴られそうになったからです。
しかし、彼は、「明日も来てくれるか?」と話しかけてきました。「おたくはいい声をしているね。心にじんとくる声だよね」
翌日からは、彼は部屋から居間に出てくれて母親も一緒に聖書を聞いてくれました。彼は、イエス様が神である事を信じると告白しました。そして、何回かは教会にも行きましたが今は、教会から離れています。
彼の母親が召されてから力が抜けたようです。教会から兄弟が訪問してくれたら彼は教会から離れることはなかったでしょうと思いますけどね・・・今は、時々、訪問して一緒に礼拝をしています。働き人を切望しています。
引きこもりも自殺願望も本当は本人の願望ではないのですね。それは悪霊の騙しなのです。悪霊は思考を縛って人を苦しめます。マイナス思考でがんじがらめにしますがそれは悪霊の罠であって本人の考えではないいのです。引きこもりで自殺願望と戦っている人がいましたらその思考は自分の願望ではないと退けてください。
ご家族の方でも良いですから近くの教会を訪問して祈ってもらって下さると最善がなされると思います。神様の道日がありますようにお祈りしています。
2012年05月19日
疎遠は悪魔の罠!
私たちは神は霊ですから神を見ることはできません。悪魔も見ることはできません。でも私たちの行動の中に神と悪魔を見ることは出来ます。「神は愛です」その他には何もありません。神の実態が愛そのものなのです。
神は私たちに物質的な事は何も要求しません。ただ、神が私たちに求めるのは私たちが「心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くし、あなたの神を愛せよ」「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」なのです。
愛の力が生み出すのは無から有です。「初めにことばがあった」「ことばは神とともにあった」「ことばは神であった」。「この方は、初めに神と共におられた」「すべてのものは、この方によって造られた。造られたものでこの方によらずによらずに出来たものは一つもない」「この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった」ヨハネの福音書の1章1~4節です。
聖書にある四福音書の中のヨハネ福音書を拝読した私は、この箇所で大きく目が開かれました。最初に心中事件から私達母子を救けて下さった方が人の形をした光であった事とつながり、そして、憐れみ・慈しみ・慈愛・人が与えることが出来ない慰めをこの時に経験しました。神の慰めは生きる力と勇気と希望が与えられます。
しかし、肉なる者はどこまで行っても肉なのですね。神の慈悲を未信者の時に体験したにも関わらずに決して悟れない、愚かな事を繰り返してばかりです。それでも神は信仰が無くならないように、「悔い改め」に導き、立ち直ったら以前にも増して「神と人」を愛する力を不動のものとして下さるのですね。
佛教も他宗教もある程度は学んできました。身内には宗教家もいます。音楽家もいますから幼いころから神と音楽の世界は重なっていると知っていました。しかし、どの宗教も自分との闘いです。自己啓発の世界です。ありのままではだめなのです。自助努力で頑張って善果の種を巻かなければ神の祝福も恵みもない世界なのです。
キリスト教会に通って初めて「境界線を引く」ことと「疎遠」とは全く違う事、心も含めてです。「境界線」は相手から目を離す事ではありません。相手と自分の立場と違いをしっかり見極めて互いの領域苧侵犯することなく、良い関係を保つことなのですね。相手を切り離して割り切って生きる事とは違うのですよね。
聖書から「疎遠」は悪魔の罠だと知りました。人間関係を疎遠にすれば自然に関係は消滅します。悪魔は苦労することなく、洗脳できますからね。世にあるもの、目に見える物を追いかけさせるだけでよいのですからね。浮世の栄え目を惑わすばかりです。讃美歌に歌われていますね。
聖書と祈りに親しむ時間を持って今、疎遠になっている人が思い浮かんだらその人のために祈りましょう。神が万事を備えて下さいますように・・・お祈りします。
神は私たちに物質的な事は何も要求しません。ただ、神が私たちに求めるのは私たちが「心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くし、あなたの神を愛せよ」「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」なのです。
愛の力が生み出すのは無から有です。「初めにことばがあった」「ことばは神とともにあった」「ことばは神であった」。「この方は、初めに神と共におられた」「すべてのものは、この方によって造られた。造られたものでこの方によらずによらずに出来たものは一つもない」「この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった」ヨハネの福音書の1章1~4節です。
聖書にある四福音書の中のヨハネ福音書を拝読した私は、この箇所で大きく目が開かれました。最初に心中事件から私達母子を救けて下さった方が人の形をした光であった事とつながり、そして、憐れみ・慈しみ・慈愛・人が与えることが出来ない慰めをこの時に経験しました。神の慰めは生きる力と勇気と希望が与えられます。
しかし、肉なる者はどこまで行っても肉なのですね。神の慈悲を未信者の時に体験したにも関わらずに決して悟れない、愚かな事を繰り返してばかりです。それでも神は信仰が無くならないように、「悔い改め」に導き、立ち直ったら以前にも増して「神と人」を愛する力を不動のものとして下さるのですね。
佛教も他宗教もある程度は学んできました。身内には宗教家もいます。音楽家もいますから幼いころから神と音楽の世界は重なっていると知っていました。しかし、どの宗教も自分との闘いです。自己啓発の世界です。ありのままではだめなのです。自助努力で頑張って善果の種を巻かなければ神の祝福も恵みもない世界なのです。
キリスト教会に通って初めて「境界線を引く」ことと「疎遠」とは全く違う事、心も含めてです。「境界線」は相手から目を離す事ではありません。相手と自分の立場と違いをしっかり見極めて互いの領域苧侵犯することなく、良い関係を保つことなのですね。相手を切り離して割り切って生きる事とは違うのですよね。
聖書から「疎遠」は悪魔の罠だと知りました。人間関係を疎遠にすれば自然に関係は消滅します。悪魔は苦労することなく、洗脳できますからね。世にあるもの、目に見える物を追いかけさせるだけでよいのですからね。浮世の栄え目を惑わすばかりです。讃美歌に歌われていますね。
聖書と祈りに親しむ時間を持って今、疎遠になっている人が思い浮かんだらその人のために祈りましょう。神が万事を備えて下さいますように・・・お祈りします。
2012年05月17日
鼻から息するものを信じるな!
イザや25章に「鼻から息をするものを信じるな」と教えがあります。人間社会での問題はすべて人間関係から発しています。人間関係の問題は根が深くて傷つけるのも傷つくのも身近な者によってだと余計に始末におえないです。
孫たちがいじめにあって登校拒否を起こした時期に私が話したのは傷をなめる方法ではなくてこのイザヤ書からの話をしました。人間は元が罪人だから正しい人やまじめな人には共感はするように見えるが逆に妬みも発生するんだよ。
だからどんなに良い事をしてると思ってもそれを正々堂々としてはならないんだよ。少しでもあなたたちの態度に「私はまじめに頑張っていますよ」という高飛車な態度が見られると周囲の人を敵に回してしまうからね。
身を低くして静かに目立たないように善行をしなければね。おばあちゃんも沢山失敗して来たから解かるけれどね。クリスチャンでさえも妬みと戦ってるんだからね。それと自己憐憫も気をつけなさい。自己憐憫も自己愛も自己嫌悪もすべては自己中心の心が根にあるんだよね。そして『蛇のように聡く、鳩のように賢く』『境界線を引く』お付き合いは自分の身を守る方法だからね」と教えました。
子どもたちにそこまで教えるかと思うかもしれませんが今の子供たちは、何が善であるか悪であるかは理解はしているもののしていけない事のブレーキが壊れているのです。悪を止めるブレーキが壊れている子どもたちの事を私は「彼らは、神様を知らないからね。どうしても周りの人に影響されて行動をしてしまうんだよね。
だから神様はご自分の子どもとされた者たちには、鼻から息するものを信じてはいけないよ。って教えられているんだよね。でも、人を疑心暗鬼な心でいるのもいけないよ。人はみんな平等に愛する事は大切だからね。仲良くはしなさい。親友もちゃんと確かめてから親友にするんだよ。『親友ってどんなんか知っているの?親友は秘密を守る人だよ。
だから、今回、あなたたちが親友って思っていたお友達は親友ではなかったんだよ。だからね宣伝されてしまったんだよ。でもね、イエス様だって公の前で裸にされておちんちんまで公開されて恥かいて死なされたんだからね。だからもうあなたたちの恥も痛みもイエス様が先駆けて代わって受けられて十字架にひっかけて持って行ったから赦しなさい。
赦すことがあなたたちの傷が癒されることなんだよ。いつまでも傷を神様にして十字架にかかって下さったイエス様を傷の後ろに持っていくの?傷を拝んでアーメンっていうのかなあ・・・」
孫たちふたりは、突然に我が身に起こった不条理な事、不合理なことで命に危機感を覚えるほどにいじめにあって心を閉ざしていましたが十字架のイエス・キリストの話と聖書の話で心癒されて一週間後には迎えに来てくれたクラス友達と一緒に再び登校することが出来ました。ハレルヤでした。
下記のみことばは偶像礼拝をし、偽りの神々で人々を混乱させているトップの者を恐れないで真理の神の正義に立ちなさいとの事を言っていますが現代のように身の安全を守れない学校や集団生活の中にあっては教訓となるのではと思っています
「鼻で息する人間を頼りにするな。そんな者に、何の値打ちがあろう」イザヤ1:22
孫たちがいじめにあって登校拒否を起こした時期に私が話したのは傷をなめる方法ではなくてこのイザヤ書からの話をしました。人間は元が罪人だから正しい人やまじめな人には共感はするように見えるが逆に妬みも発生するんだよ。
だからどんなに良い事をしてると思ってもそれを正々堂々としてはならないんだよ。少しでもあなたたちの態度に「私はまじめに頑張っていますよ」という高飛車な態度が見られると周囲の人を敵に回してしまうからね。
身を低くして静かに目立たないように善行をしなければね。おばあちゃんも沢山失敗して来たから解かるけれどね。クリスチャンでさえも妬みと戦ってるんだからね。それと自己憐憫も気をつけなさい。自己憐憫も自己愛も自己嫌悪もすべては自己中心の心が根にあるんだよね。そして『蛇のように聡く、鳩のように賢く』『境界線を引く』お付き合いは自分の身を守る方法だからね」と教えました。
子どもたちにそこまで教えるかと思うかもしれませんが今の子供たちは、何が善であるか悪であるかは理解はしているもののしていけない事のブレーキが壊れているのです。悪を止めるブレーキが壊れている子どもたちの事を私は「彼らは、神様を知らないからね。どうしても周りの人に影響されて行動をしてしまうんだよね。
だから神様はご自分の子どもとされた者たちには、鼻から息するものを信じてはいけないよ。って教えられているんだよね。でも、人を疑心暗鬼な心でいるのもいけないよ。人はみんな平等に愛する事は大切だからね。仲良くはしなさい。親友もちゃんと確かめてから親友にするんだよ。『親友ってどんなんか知っているの?親友は秘密を守る人だよ。
だから、今回、あなたたちが親友って思っていたお友達は親友ではなかったんだよ。だからね宣伝されてしまったんだよ。でもね、イエス様だって公の前で裸にされておちんちんまで公開されて恥かいて死なされたんだからね。だからもうあなたたちの恥も痛みもイエス様が先駆けて代わって受けられて十字架にひっかけて持って行ったから赦しなさい。
赦すことがあなたたちの傷が癒されることなんだよ。いつまでも傷を神様にして十字架にかかって下さったイエス様を傷の後ろに持っていくの?傷を拝んでアーメンっていうのかなあ・・・」
孫たちふたりは、突然に我が身に起こった不条理な事、不合理なことで命に危機感を覚えるほどにいじめにあって心を閉ざしていましたが十字架のイエス・キリストの話と聖書の話で心癒されて一週間後には迎えに来てくれたクラス友達と一緒に再び登校することが出来ました。ハレルヤでした。
下記のみことばは偶像礼拝をし、偽りの神々で人々を混乱させているトップの者を恐れないで真理の神の正義に立ちなさいとの事を言っていますが現代のように身の安全を守れない学校や集団生活の中にあっては教訓となるのではと思っています
「鼻で息する人間を頼りにするな。そんな者に、何の値打ちがあろう」イザヤ1:22
2012年05月16日
天使と悪霊の声を聞く?
孫のMちゃんの話です。何かをしようと考えていると天使と悪霊が出てきて戦っている事がある「Mはね、心が少しだけ揺れるけれどいつも天使が勝つんだよ。それでMの心は平安になって神様が喜ぶことを選んですることが出来るんだ。アーメン」明るく屈託なくしゃべる孫たちです。
自分だけでは頑張れないよね。不思議だけど、天使が御言葉で導くんだよね。どうしてなのか解からないけどいつも天使が出てくるけど・・・とつぶやく孫ふたり・・・
学校生活でも家で母親から「お手伝いをしなさい」って言われたとき、心の中で嫌だなあと思うんだよね。そしたら「お母さんのいう事なんか聞かなくても良いんだよって悪魔が言ううの。そしたらすぐに天使が出てきて悪魔を吹き飛ばすの、そしたら心が楽しくなってお母さんのお手伝いが楽しく出来るんだよ。
学校でのいじめで登校拒否になった時に、とても心が痛くて泣いていたけどね。天使が出て来て「苦しいのも心が痛いのも赦せないと思っているからだよ。」って言ったの、そしたら皆の事が赦せる気持ちになって『赦します』って言ったら心が楽になったんだよ。お友達が迎えに来てくれて一緒に学校へ行こうって誘ったから嬉しくなって「ありがとう」の気持ちになって学校へ行けたんだ。
天使は聖書朗読もするらしく孫たちは、他の人と違う感覚の中で生きているのだが周囲の大人たちは心配しています。でも、私は軽くDNAだねと一笑しています。
大人も子どももみんな自分の世界観の中で生きているのですからね。天使がいつも勝利して正義を行わさせてくれると信じているのならその気持ちを大切にキリストの義に少しでも習う者として歩んでくれたらそれもまた恵みと思って感謝しています。アーメンです。
自分だけでは頑張れないよね。不思議だけど、天使が御言葉で導くんだよね。どうしてなのか解からないけどいつも天使が出てくるけど・・・とつぶやく孫ふたり・・・
学校生活でも家で母親から「お手伝いをしなさい」って言われたとき、心の中で嫌だなあと思うんだよね。そしたら「お母さんのいう事なんか聞かなくても良いんだよって悪魔が言ううの。そしたらすぐに天使が出てきて悪魔を吹き飛ばすの、そしたら心が楽しくなってお母さんのお手伝いが楽しく出来るんだよ。
学校でのいじめで登校拒否になった時に、とても心が痛くて泣いていたけどね。天使が出て来て「苦しいのも心が痛いのも赦せないと思っているからだよ。」って言ったの、そしたら皆の事が赦せる気持ちになって『赦します』って言ったら心が楽になったんだよ。お友達が迎えに来てくれて一緒に学校へ行こうって誘ったから嬉しくなって「ありがとう」の気持ちになって学校へ行けたんだ。
天使は聖書朗読もするらしく孫たちは、他の人と違う感覚の中で生きているのだが周囲の大人たちは心配しています。でも、私は軽くDNAだねと一笑しています。
大人も子どももみんな自分の世界観の中で生きているのですからね。天使がいつも勝利して正義を行わさせてくれると信じているのならその気持ちを大切にキリストの義に少しでも習う者として歩んでくれたらそれもまた恵みと思って感謝しています。アーメンです。
2012年05月16日
死んだ蛇のまぼろし
浜比嘉は拝所があるので有名です。108の階段があります。女神の祭られている場所もあります。過去に私たちも何度も拝みに行きました。最初は真っ白な大蛇の夢に誘われて参拝に行きました。多くのサー高生まれの人が白い大蛇を見ているようです。大蛇が108の階段を掃き清めているのを私は、何度も幻で見ました。
ところがいつの頃かわかりませんがその大蛇が私の幻の中に出てくると突然もがき苦しむのです。意味が解りませんでした。拝所に行くと大蛇が姿を消すのです。意味が解らなくなりました。
帰宅の船上で声が入って来たのです。「もう、忌わしい汚れた霊を拝するのを止めなさい。」
私「どなたさまですか?」に対して「ミカエル。全知全能の主がわたしをあなたに遣わされた」でした。
それからすぐに私はイエス・キリストと出会う事になるのですけれど・・・
ミカエルが何者か理解不能でしたので親戚のおじい(宗教博学者)に聞きました。
親戚のおじいは、「お前が今、している事は間違っているかも知れないなあ・・・」暗い表情で言いました。
それから、拝所拝みの日には、私の寝室の隅には死んだ蛇がまぼろしになって現れました。
現実に椅子の上や流し台の中にも死んだ蛇が出てきて私は、恐さを我慢して外のほうへ投げ飛ばしました。
恐さと疑いはありましたが誰にも内緒にしていました。拝みは私の生活の一部だったからです。拝みしか私にはなかったからです。キリストに出会ってから理由が解かり主イエス様に感謝しました。邪悪な霊の世界から引きあげてくれるために気づきを与えられていたのだと・・・
親戚のおじいは「ミカエル」が何者か教えてくれなかったけれどおじいもこの事はどういう事なのかと考えていたのだと思います。おじいは私の両親に「もしかしたら、米子が本当の神に出会っているかも知れないよ。あの子は、もしかしたら偉い子かも知れんよ」偉い子=霊的な子の意味。母は黙っておじいの言葉を心で思いめぐらせていました。
この証は公表したくありませんでした。お偉い先生方から傲慢だとお叱りを受けるようで恐かったのですが沖縄の人が蛇を神の化身のように崇めているので決心して祈って証しします。蛇は悪魔の使いです。干支の巳(蛇)とは全く違いますからね。蛇は聖書に出てくる狡猾な蛇なのです。
動物の蛇でもないけれど地を這う蛇を比喩的に示しているのかなあです。誰か詳しい方がいたら教えてほしいと思います。巳の干支の人がつまづかないためにです。
ところがいつの頃かわかりませんがその大蛇が私の幻の中に出てくると突然もがき苦しむのです。意味が解りませんでした。拝所に行くと大蛇が姿を消すのです。意味が解らなくなりました。
帰宅の船上で声が入って来たのです。「もう、忌わしい汚れた霊を拝するのを止めなさい。」
私「どなたさまですか?」に対して「ミカエル。全知全能の主がわたしをあなたに遣わされた」でした。
それからすぐに私はイエス・キリストと出会う事になるのですけれど・・・
ミカエルが何者か理解不能でしたので親戚のおじい(宗教博学者)に聞きました。
親戚のおじいは、「お前が今、している事は間違っているかも知れないなあ・・・」暗い表情で言いました。
それから、拝所拝みの日には、私の寝室の隅には死んだ蛇がまぼろしになって現れました。
現実に椅子の上や流し台の中にも死んだ蛇が出てきて私は、恐さを我慢して外のほうへ投げ飛ばしました。
恐さと疑いはありましたが誰にも内緒にしていました。拝みは私の生活の一部だったからです。拝みしか私にはなかったからです。キリストに出会ってから理由が解かり主イエス様に感謝しました。邪悪な霊の世界から引きあげてくれるために気づきを与えられていたのだと・・・
親戚のおじいは「ミカエル」が何者か教えてくれなかったけれどおじいもこの事はどういう事なのかと考えていたのだと思います。おじいは私の両親に「もしかしたら、米子が本当の神に出会っているかも知れないよ。あの子は、もしかしたら偉い子かも知れんよ」偉い子=霊的な子の意味。母は黙っておじいの言葉を心で思いめぐらせていました。
この証は公表したくありませんでした。お偉い先生方から傲慢だとお叱りを受けるようで恐かったのですが沖縄の人が蛇を神の化身のように崇めているので決心して祈って証しします。蛇は悪魔の使いです。干支の巳(蛇)とは全く違いますからね。蛇は聖書に出てくる狡猾な蛇なのです。
動物の蛇でもないけれど地を這う蛇を比喩的に示しているのかなあです。誰か詳しい方がいたら教えてほしいと思います。巳の干支の人がつまづかないためにです。
2012年05月15日
あなたにとって禁句は何ですか?
多くの人のカウンセリングの中で気づいた事でした。どうしても実の父親と姉妹が赦せないと親兄弟と15歳の頃から疎遠になっていると言う、明人さん(仮名)で自営業の方でした。
明人さんとは七か月間の縁でしたがなかなかの博学者で話題も多くて楽しい人でしたが職場での人間関係がうまくいかずに何度か職を変えていました。短気が原因で職場でトラぶっているという事でした。そのために生活経済が苦しくて自分を変えたいとの事で知り合ったのですが物分りが良い割には短気ですぐに怒鳴るので何が彼の中にあるのかを探るために祈っていました。
彼は家族の話が嫌いで質問しても話をそらしていましたが心が通うようになったのでしょうか、彼は家族の話をするようになりました。やがて解放されたと思った時に神様の話をして互いに聖書の事に熱中するようになりました。頭が良い人で祈りも聖書人物も理解は早かったのですが祈りで絶対に「父なる神」「天のお父様」と呼びかけません。
彼も私と同じく父に対しての拘束心・縛りがある事を察知していました。私にとっての禁句は「父」だという事は認めていました。お互いに「父なる神」については語らずにイエス・キリストの証だけでした。
一応、そろそろカウンセリングの終盤が近づいたかなと思った私は、冗談交じりで「もう、大丈夫になったから、私に関わらないでいいんじゃない?これからは、私に関わらなくて自立しなさいね」と言いました。
彼は顔面蒼白になり、もの凄い怒りの火の玉が飛んできました。彼は激怒していいました「関わるなとよく言えたもんだな!今まで関わってきたのは何だったんだ。俺が父親を憎んでいるのは、『中学まで行かせたんだから、高校は自分で働いて行け!もう、俺に関わるな!』と言われ進学の道を閉ざされた事だったんだ。くそ親父が関わるなと怒鳴ったんだ」と言ったのでした。その話は確かに私は聞いていました。うかつでした。もう、癒されたと思い込んでいました。
彼は私に「偽善者」と怒鳴って数か月間は彼からの嫌がらせが続きました。人には禁句がある事をしみじみ知り、自分の禁句は何だろうかと胸に手を当てて考えました。息子との心中事件をしたきっかけは父親からの「死ね」でした。そういえば幼いころから私を苦しめている言葉がありました。「あの時、死んでいれば・・・」「お前は生きている値打ちはない、死になさい」でした。
結婚生活が破綻したのも夫の「役立たず死ね!」の暴言でした。男性は短気で怒りにまかせて暴言を吐く者だとは十分知っています。どんな暴言も赦せるけれど「死ね」という言葉は、私の全人格否定です。
沖縄市の主人と別居したのも短気に任せても、折々の感情に任せて、気分によってもすぐに「死ねばいいのに、何で生きているのか?」の言葉に私が幼少時代にバックスライドして恐怖心で不眠症になったからでした。
暴言を吐いた父親や夫を赦せていないからと言えば確かにそうかもしれません。信仰の弱い者ですから・・・でも、それらの事を踏まえてカウンセリングの時には、人それぞれの「禁句」を心に覚えるようになりました。あなたにとっても「禁句」がありますか?主に祈って解放してもらえるようにとお祈りしています。
このブログを見ていると人づてに聞きました。明人さん。本当に心から悔い改めて謝罪しますのでお許しくださいますように。
主が赦されるならいつかお会いして謝罪したいと祈っています。明人さんの信仰生活が祝福されますようにお祈りします。
明人さんとは七か月間の縁でしたがなかなかの博学者で話題も多くて楽しい人でしたが職場での人間関係がうまくいかずに何度か職を変えていました。短気が原因で職場でトラぶっているという事でした。そのために生活経済が苦しくて自分を変えたいとの事で知り合ったのですが物分りが良い割には短気ですぐに怒鳴るので何が彼の中にあるのかを探るために祈っていました。
彼は家族の話が嫌いで質問しても話をそらしていましたが心が通うようになったのでしょうか、彼は家族の話をするようになりました。やがて解放されたと思った時に神様の話をして互いに聖書の事に熱中するようになりました。頭が良い人で祈りも聖書人物も理解は早かったのですが祈りで絶対に「父なる神」「天のお父様」と呼びかけません。
彼も私と同じく父に対しての拘束心・縛りがある事を察知していました。私にとっての禁句は「父」だという事は認めていました。お互いに「父なる神」については語らずにイエス・キリストの証だけでした。
一応、そろそろカウンセリングの終盤が近づいたかなと思った私は、冗談交じりで「もう、大丈夫になったから、私に関わらないでいいんじゃない?これからは、私に関わらなくて自立しなさいね」と言いました。
彼は顔面蒼白になり、もの凄い怒りの火の玉が飛んできました。彼は激怒していいました「関わるなとよく言えたもんだな!今まで関わってきたのは何だったんだ。俺が父親を憎んでいるのは、『中学まで行かせたんだから、高校は自分で働いて行け!もう、俺に関わるな!』と言われ進学の道を閉ざされた事だったんだ。くそ親父が関わるなと怒鳴ったんだ」と言ったのでした。その話は確かに私は聞いていました。うかつでした。もう、癒されたと思い込んでいました。
彼は私に「偽善者」と怒鳴って数か月間は彼からの嫌がらせが続きました。人には禁句がある事をしみじみ知り、自分の禁句は何だろうかと胸に手を当てて考えました。息子との心中事件をしたきっかけは父親からの「死ね」でした。そういえば幼いころから私を苦しめている言葉がありました。「あの時、死んでいれば・・・」「お前は生きている値打ちはない、死になさい」でした。
結婚生活が破綻したのも夫の「役立たず死ね!」の暴言でした。男性は短気で怒りにまかせて暴言を吐く者だとは十分知っています。どんな暴言も赦せるけれど「死ね」という言葉は、私の全人格否定です。
沖縄市の主人と別居したのも短気に任せても、折々の感情に任せて、気分によってもすぐに「死ねばいいのに、何で生きているのか?」の言葉に私が幼少時代にバックスライドして恐怖心で不眠症になったからでした。
暴言を吐いた父親や夫を赦せていないからと言えば確かにそうかもしれません。信仰の弱い者ですから・・・でも、それらの事を踏まえてカウンセリングの時には、人それぞれの「禁句」を心に覚えるようになりました。あなたにとっても「禁句」がありますか?主に祈って解放してもらえるようにとお祈りしています。
このブログを見ていると人づてに聞きました。明人さん。本当に心から悔い改めて謝罪しますのでお許しくださいますように。
主が赦されるならいつかお会いして謝罪したいと祈っています。明人さんの信仰生活が祝福されますようにお祈りします。
2012年05月14日
70代の花嫁
昨日は母の日でした。息子たちからの愛のメッセージがそれぞれの方法でありました。神様に息子たちに息子たちの家族にも大いに感謝しています。一番下の男の子の孫には久しく会えてなかったので嬉しかったです。
神様からの大きなギフトです。私は何一つとして神様を喜ばせる事なんかしていないのに誠実で親切な息子たち家族を与えられたのはアブラハムの祝福です。アブラハムは本妻のサラとの間には「イサク」という息子が一人与えられましたが神様はアブラハムの子孫が空の星のように浜の砂のように増えると約束されました。
その言葉通りイサクの子孫は数えられないほどに全世界に広がっています。妾のハガルとの間にも生まれたのがイシュマエルです。イサクと敵対するイシュマエルにも多くのパレスチナ人(イスラム)の子孫が与えられました。しかし、天国を継承するものは、イサクの子孫と神は契約を履行しました。イシュマエルも祝福すると約束されました。
しかし、第三の御国は継承できません。第一・第二の天国がありますが第三の御国へ入るにはイエス・キリストの印が必要です。私の望みは息子たち家族と第三の御国で再び出会う事です。祈りの課題でもあります。
昨日は10か月間、伝道して共に祈りあってきた70代の女性がバプテスマを受けました。これで神の家族になったことを教会全員が祝福したのでM子姉妹はびっくりしていました。「こんなに何もできいない私を皆さんが喜んでくれるとは」と大喜びでした。天国でもきっとイエス様や御使いや天使たちが大宴会を催したでしょう。
素敵な母の日を感謝して皆様と喜びを分かち合いたいと思います。「聖霊に満たされ続けなさい」聖霊の満たしは教会の兄弟姉妹の交わりを愛で満たします。聖霊によらなければ私たちは正しい人間関係を築くことはできません。正しい男女関係も維持できません。もちろん、神様との正しい関係も聖霊によらなければ保つことはできません。M子さんが御国への階段を昇る日まで共に聖霊に満たされ続けていけますように・・・アーメン。
神様からの大きなギフトです。私は何一つとして神様を喜ばせる事なんかしていないのに誠実で親切な息子たち家族を与えられたのはアブラハムの祝福です。アブラハムは本妻のサラとの間には「イサク」という息子が一人与えられましたが神様はアブラハムの子孫が空の星のように浜の砂のように増えると約束されました。
その言葉通りイサクの子孫は数えられないほどに全世界に広がっています。妾のハガルとの間にも生まれたのがイシュマエルです。イサクと敵対するイシュマエルにも多くのパレスチナ人(イスラム)の子孫が与えられました。しかし、天国を継承するものは、イサクの子孫と神は契約を履行しました。イシュマエルも祝福すると約束されました。
しかし、第三の御国は継承できません。第一・第二の天国がありますが第三の御国へ入るにはイエス・キリストの印が必要です。私の望みは息子たち家族と第三の御国で再び出会う事です。祈りの課題でもあります。
昨日は10か月間、伝道して共に祈りあってきた70代の女性がバプテスマを受けました。これで神の家族になったことを教会全員が祝福したのでM子姉妹はびっくりしていました。「こんなに何もできいない私を皆さんが喜んでくれるとは」と大喜びでした。天国でもきっとイエス様や御使いや天使たちが大宴会を催したでしょう。
素敵な母の日を感謝して皆様と喜びを分かち合いたいと思います。「聖霊に満たされ続けなさい」聖霊の満たしは教会の兄弟姉妹の交わりを愛で満たします。聖霊によらなければ私たちは正しい人間関係を築くことはできません。正しい男女関係も維持できません。もちろん、神様との正しい関係も聖霊によらなければ保つことはできません。M子さんが御国への階段を昇る日まで共に聖霊に満たされ続けていけますように・・・アーメン。
2012年05月14日
逆境に感謝する心こそ幸いと思いなさい。
愛する祖父の言葉です。「逆境に感謝する心を持ちなさい」。祖父は私が母親の代用になって伯母たちの拝みの代表をさせられて沖縄中の拝所を回っていて体調を崩したりしていることを知って憐れんでいました。偶像に支配されている伯母たちには、私が腎炎を患ったのは、拝み不足からだと信じ込んでいる伯母たちの熱心な拝み不足の解消でありましたから(笑い)。
病院へは連れて行かず、拝所周りと拝みだけで癒されると信じたのです。不条理で理不尽な大人たちの中にいても私は、幼い心でその大人たちを赦し、憐れんでいました。母親が小姑である義姉たちに振り回されて苦しむよりも私のほうが振り回されるほうがいいと本気に思っていました。
私の中には神は決して私を見捨てない、見放さないとの確信がありました。父親の仕事の関係でアメリカ食品がストックされていましたので私は近所にいる物乞いをしている人々に家族に黙ってその食料を運んでいました。何度も父親に殴られても私は物乞いをして5・6人の子どもを育てている母と子供たちを見放せませんでした。
母親は「お前は要領が悪い。もっと上手にしなさい。」と言って私のしている事を止めませんでしたが我が家も貧しいのにもう少し考えてほしいと思う気持ちは伝わってきました。「母ちゃん。ごめんね・・・」と心の中で手を合わせてアメリカ兵からの食糧をそのまま物乞いをしている人たちへ運んでいました。
短気な父親のバイオレンスと拝所周り(乗り物酔いがひどかった)は腎炎の私には辛かったです。それでも私は、自分の病には心を止めずに周囲の大人たちの不安定な心で自己中心的な大人たちを憐れんでいました。時折癒されたい心を祖父のもとへ持っていくことで癒されていました。
祖父は私の事情をよく知っていて「自分の生まれを後悔して自分の境遇や親を恨んで自分の精神を殺してはいけないよ。誰のせいでもないんだからね。それは、お前の経験を通して必ずお前がこの地上に生まれてきた意味を教えてくれる神様に出会うことが来るからね。それまではお前は決して死なない。神様がお前を守る。強くしてくれるから大丈夫だよ。」と話をしていました。
祖父自身も傷を負っている人で挫折を経験しているので人の心の痛みや人の愚かさが解かる人で憐れみ深い心の人でした。決して幸いとは言えない生活を強いられていた祖父の言葉は私の心を守り、希望を与え、どんな逆境でも人を愛する行為に力を与えました。
祖父は口癖のように言っていました。「お前を本当に解かって、お前を助けてくれる人は必ず神様からのご褒美があるようにとおじいは念願しているからね。お前の人生を嘲笑したり、踏みつける人は神に呪われるとおじいはずっと念願祈祷してるからね」
逆境は神様を知るための道のりです。すべてに感謝して、乗り越えて、しっかりと立って生きて行けるか、社会や境遇や親や人を恨んで、闇に押しつぶされていくか、、それは二通りに分かれます。
でも、やはり支える人が与えられることは必要です。心ある人からの支え、助言、言葉による励まし、経済的な支えも必要です。沖縄の黄金言葉に「力がしい・ひまがしい・銭がしい・肝がしい・言葉がしい」(力の加勢・時間をささげる・お金をささげる・心を尽くす・言葉で励まし慰める)というのがあります。
私が助けを求めたら「死になさい」という方いましたが「彼らは死んだ霊である」と聖霊のみことばが瞬時に心に入って来た経験がありました。生きている霊をもっている人との交わりをしなさいと言うのが恐らく主は境界線を引いたのだと思いました。
私たちは生きた霊の中にあることが必要です。イエス・キリストは生きて働かれる神です。キリストの憐れみに生かされる者は幸いです。
今現在、押しつぶされそうな中にある方々の上に神様からのお導きが豊かに与えられますようにお祈りします。「主は泣く者・悲しむ者のうちにあい働きてわざを成す」と言われます。
「二つの事をあなたにお願いします。私が死なないうちに、それをかなえてください。不真実と偽りとを私から遠ざけてください。貧しさも富も私に与えず、ただ、私に定められた分の食物で、私を養って下さい。私が食べて飽きて、あなたを否み、「主とはだれだ」と言わないために。、また、私が貧しくて、盗みをし、私の神の御名を汚すことのないために。」箴言30:7~9
病院へは連れて行かず、拝所周りと拝みだけで癒されると信じたのです。不条理で理不尽な大人たちの中にいても私は、幼い心でその大人たちを赦し、憐れんでいました。母親が小姑である義姉たちに振り回されて苦しむよりも私のほうが振り回されるほうがいいと本気に思っていました。
私の中には神は決して私を見捨てない、見放さないとの確信がありました。父親の仕事の関係でアメリカ食品がストックされていましたので私は近所にいる物乞いをしている人々に家族に黙ってその食料を運んでいました。何度も父親に殴られても私は物乞いをして5・6人の子どもを育てている母と子供たちを見放せませんでした。
母親は「お前は要領が悪い。もっと上手にしなさい。」と言って私のしている事を止めませんでしたが我が家も貧しいのにもう少し考えてほしいと思う気持ちは伝わってきました。「母ちゃん。ごめんね・・・」と心の中で手を合わせてアメリカ兵からの食糧をそのまま物乞いをしている人たちへ運んでいました。
短気な父親のバイオレンスと拝所周り(乗り物酔いがひどかった)は腎炎の私には辛かったです。それでも私は、自分の病には心を止めずに周囲の大人たちの不安定な心で自己中心的な大人たちを憐れんでいました。時折癒されたい心を祖父のもとへ持っていくことで癒されていました。
祖父は私の事情をよく知っていて「自分の生まれを後悔して自分の境遇や親を恨んで自分の精神を殺してはいけないよ。誰のせいでもないんだからね。それは、お前の経験を通して必ずお前がこの地上に生まれてきた意味を教えてくれる神様に出会うことが来るからね。それまではお前は決して死なない。神様がお前を守る。強くしてくれるから大丈夫だよ。」と話をしていました。
祖父自身も傷を負っている人で挫折を経験しているので人の心の痛みや人の愚かさが解かる人で憐れみ深い心の人でした。決して幸いとは言えない生活を強いられていた祖父の言葉は私の心を守り、希望を与え、どんな逆境でも人を愛する行為に力を与えました。
祖父は口癖のように言っていました。「お前を本当に解かって、お前を助けてくれる人は必ず神様からのご褒美があるようにとおじいは念願しているからね。お前の人生を嘲笑したり、踏みつける人は神に呪われるとおじいはずっと念願祈祷してるからね」
逆境は神様を知るための道のりです。すべてに感謝して、乗り越えて、しっかりと立って生きて行けるか、社会や境遇や親や人を恨んで、闇に押しつぶされていくか、、それは二通りに分かれます。
でも、やはり支える人が与えられることは必要です。心ある人からの支え、助言、言葉による励まし、経済的な支えも必要です。沖縄の黄金言葉に「力がしい・ひまがしい・銭がしい・肝がしい・言葉がしい」(力の加勢・時間をささげる・お金をささげる・心を尽くす・言葉で励まし慰める)というのがあります。
私が助けを求めたら「死になさい」という方いましたが「彼らは死んだ霊である」と聖霊のみことばが瞬時に心に入って来た経験がありました。生きている霊をもっている人との交わりをしなさいと言うのが恐らく主は境界線を引いたのだと思いました。
私たちは生きた霊の中にあることが必要です。イエス・キリストは生きて働かれる神です。キリストの憐れみに生かされる者は幸いです。
今現在、押しつぶされそうな中にある方々の上に神様からのお導きが豊かに与えられますようにお祈りします。「主は泣く者・悲しむ者のうちにあい働きてわざを成す」と言われます。
「二つの事をあなたにお願いします。私が死なないうちに、それをかなえてください。不真実と偽りとを私から遠ざけてください。貧しさも富も私に与えず、ただ、私に定められた分の食物で、私を養って下さい。私が食べて飽きて、あなたを否み、「主とはだれだ」と言わないために。、また、私が貧しくて、盗みをし、私の神の御名を汚すことのないために。」箴言30:7~9
2012年05月09日
メッセージをを聞くだけ・・・?
御言葉を聴くことに飢え渇いていると言った兄弟がいました。私も同様の思いでしたのでお互いに「あの牧師のメッセージは、この牧師のメッセージは・・・」と話が牧師のメッセージ批判の方向に流れて行きつつあったので心の中で「これはやばい、違うぞ」と思い、話の流れを変えなければと切り出したのが「でもね、『聞き方にも注意しなさい』ってあるけれどねどういうことを神様は示唆しているのかねえ」とやんわり言うと
その兄弟は、「自分に充てはめて聞きなさいという事でしょう?」。そんなことは十分わかっているよと言う口ぶりだったので私は「それもあるけれどね。もう一つ大切な事があるんだよね。聞く事も大切だけれどもっと大切な事は自分自身でも聖書をちゃんと読んで、聖書に聴きなさい、なんだよね。聖書に聴くことが出来れば牧師のメッセージが釈義だけであっても御言葉が微々たるものでもあって牧師自身の証しと世俗批判であれ、自分の信仰は強くなっても揺るがないんだよね。きっとね」でした。
そして、兄弟は「みことばを聞く者だけではなくて実践しなさいってありますよね」と話の流れを変えた事を理解したようでした。「そうだよね、私たちが教会の群れの中に置かれたのは教会を立ち上げるためだからね。」と私は言い悔い改めようと祈ることが出来ました。
教会生活は正直言って「忍耐」だなあと思う事が多いですけど交わりの中で霊的成長をすると示されたのですから喜んで従うしかないのです。「交わりは自我に死んで他者を生かす」事だと聖霊の示しがあったので考えさせられました。自我に死んでいない自分がある事は自他ともに認めるところです。
聖書を読まなくちゃあ・・・御言葉に従えるように祈らくてはと信仰の吟味の一日となりました。
その兄弟は、「自分に充てはめて聞きなさいという事でしょう?」。そんなことは十分わかっているよと言う口ぶりだったので私は「それもあるけれどね。もう一つ大切な事があるんだよね。聞く事も大切だけれどもっと大切な事は自分自身でも聖書をちゃんと読んで、聖書に聴きなさい、なんだよね。聖書に聴くことが出来れば牧師のメッセージが釈義だけであっても御言葉が微々たるものでもあって牧師自身の証しと世俗批判であれ、自分の信仰は強くなっても揺るがないんだよね。きっとね」でした。
そして、兄弟は「みことばを聞く者だけではなくて実践しなさいってありますよね」と話の流れを変えた事を理解したようでした。「そうだよね、私たちが教会の群れの中に置かれたのは教会を立ち上げるためだからね。」と私は言い悔い改めようと祈ることが出来ました。
教会生活は正直言って「忍耐」だなあと思う事が多いですけど交わりの中で霊的成長をすると示されたのですから喜んで従うしかないのです。「交わりは自我に死んで他者を生かす」事だと聖霊の示しがあったので考えさせられました。自我に死んでいない自分がある事は自他ともに認めるところです。
聖書を読まなくちゃあ・・・御言葉に従えるように祈らくてはと信仰の吟味の一日となりました。
2012年05月09日
最大の罪は自己憐憫
私たちを神から遠ざけるのは自己憐憫です。最大の罪は自己憐憫です。自己憐憫は恐ろしいですよ。信仰のつまずきである事を知ってください。
イザヤ書の箇所に「鼻から息するものを信じるな」とあります。どんなに親しくしていても、長い友達ごっこであっても人は心変わりします。同じクリスチャンであっても聖書に忠実でない人もいます。人は自分の都合でしか人を受け入れることはできないのです。自分の意に添わなければ簡単に疎外します。
たとえクリスチャンであっても自分と同じ価値観の者しか受け入れることが出来ない人がいることも理解して下さい人それぞれの信仰です。拒否されていると解かっているなら喜んで境界線を引いてあげて相手を祝福してあげてください。神様はいつも私たちに新しい扉を準備しています。
新しい道を進んでください。あなたが心底キリストを愛し、キリストに倣い、聖書に忠実に生きていきたいと求めるのならあなたの信仰を高嶺にまで引き上げてくれる本当の友を求めてください。本当の信仰者は、着信拒否もしないし、音信不通にもならないし、疎遠は悪魔の罠だと知っていますからね。私たちは一人でも一人じゃあないですよ。
御使いも天使も万軍の守りが背後に備えられているし、イエス様が先駆けてくれているし、何一つとして寂しい事も不足もありませんよ。一人でいるぶんには、天の御使いたちが周りにいます。私は一人でいるときに時々、天使たちの讃美歌がはっきりと聞こえてきますよ。だからちっとも寂しくないです。
それに親友は一人で十分ですよ。生身の人間がいなくても主イエスが友となって下さっているじゃあないですか。
私は、イエス様の生涯を歌った「まぶねのなかに」の歌を歌って賛美する事で自分自身が慰めと励ましを受けていますよ。
「2、、食するひまも,うち忘れて、しいたげられし、人をたずね、友なき者の友となりて、心くだきしこの人を見よ。
3、全てのものを 与えしすえ、死のほかなにも、むくいられで、十字架の上に、あげられつつ、敵を赦しし この人を見よ
4、この人を見よ、この人にぞ、こよなき愛は あらわれたる、この人見よ、この人こそ、人となりたる 活ける神なれ」
友よ。地上の友に捨てられた経験があなたとキリストが真実に一つとなれるのだと思うのです。孤立になる経験をすることも信仰の極みです。主に感謝して下さいますように。自己憐憫の縄目を断ちれるのはあなた自身の心です。お祈りしています。
イザヤ書の箇所に「鼻から息するものを信じるな」とあります。どんなに親しくしていても、長い友達ごっこであっても人は心変わりします。同じクリスチャンであっても聖書に忠実でない人もいます。人は自分の都合でしか人を受け入れることはできないのです。自分の意に添わなければ簡単に疎外します。
たとえクリスチャンであっても自分と同じ価値観の者しか受け入れることが出来ない人がいることも理解して下さい人それぞれの信仰です。拒否されていると解かっているなら喜んで境界線を引いてあげて相手を祝福してあげてください。神様はいつも私たちに新しい扉を準備しています。
新しい道を進んでください。あなたが心底キリストを愛し、キリストに倣い、聖書に忠実に生きていきたいと求めるのならあなたの信仰を高嶺にまで引き上げてくれる本当の友を求めてください。本当の信仰者は、着信拒否もしないし、音信不通にもならないし、疎遠は悪魔の罠だと知っていますからね。私たちは一人でも一人じゃあないですよ。
御使いも天使も万軍の守りが背後に備えられているし、イエス様が先駆けてくれているし、何一つとして寂しい事も不足もありませんよ。一人でいるぶんには、天の御使いたちが周りにいます。私は一人でいるときに時々、天使たちの讃美歌がはっきりと聞こえてきますよ。だからちっとも寂しくないです。
それに親友は一人で十分ですよ。生身の人間がいなくても主イエスが友となって下さっているじゃあないですか。
私は、イエス様の生涯を歌った「まぶねのなかに」の歌を歌って賛美する事で自分自身が慰めと励ましを受けていますよ。
「2、、食するひまも,うち忘れて、しいたげられし、人をたずね、友なき者の友となりて、心くだきしこの人を見よ。
3、全てのものを 与えしすえ、死のほかなにも、むくいられで、十字架の上に、あげられつつ、敵を赦しし この人を見よ
4、この人を見よ、この人にぞ、こよなき愛は あらわれたる、この人見よ、この人こそ、人となりたる 活ける神なれ」
友よ。地上の友に捨てられた経験があなたとキリストが真実に一つとなれるのだと思うのです。孤立になる経験をすることも信仰の極みです。主に感謝して下さいますように。自己憐憫の縄目を断ちれるのはあなた自身の心です。お祈りしています。
2012年05月08日
伝道チーム「劇団やしなみ木」
第三回の「ユタからキリストへ」の公演が決まりました。6月17日の日曜日、午後2時から「ゆいまーる教会」でします。これは、ユタ時代に経験したことを短い劇にしてます。イエス・キリストとの出会いの場所をリアルに再現した芝居です。これから多くの霊的戦いに勝利して来たことの証を芝居にしていきたいと計画中です。
「劇団やしなみ木」のプログラムは、フラダンス、讃美歌、聖歌、民謡賛美、琉球賛美舞踊そして、芝居です。山田恵子姉妹の証があります。アルコール依存症から解放された長男との事を通して神に出会い家族が平和に満たされた証です。
劇団「やしいなみ木」公演
「ユタからキリストへ」
日時:2012年6月17日 (日曜日)
時間:午後2時~3時
場所:ベタニヤゆいまーる教会 糸満市阿波根602-1
電話(FAX):098-992-8881
「劇団やしなみ木」のプログラムは、フラダンス、讃美歌、聖歌、民謡賛美、琉球賛美舞踊そして、芝居です。山田恵子姉妹の証があります。アルコール依存症から解放された長男との事を通して神に出会い家族が平和に満たされた証です。
劇団「やしいなみ木」公演
「ユタからキリストへ」
日時:2012年6月17日 (日曜日)
時間:午後2時~3時
場所:ベタニヤゆいまーる教会 糸満市阿波根602-1
電話(FAX):098-992-8881
2012年05月07日
この苦しみがなかったら・・・
「瞬きの詩人」のみずのげんぞうさんの情報は持っていましたが詳しい事は知りませんでした。私の中では、詩集も書けるほどの知恵があるのなら(うちの息子よりはまだ恵まれている)まだまだ大丈夫じゃあないの?と思っていたのであえて伝記を知ろうとしなかった高慢な者です。
詩集は本土のクリスチャンドクターからのギフトで持っていて目を通してはいました。どこまでも「わたし」「わたし」なんだなあと「わたし」と言う自分がいるのでした。恥ずかしくて悔い改めました。自己憐憫なんですよね。私の息子は、自力で起きていざって何所へでも移動できますが知的障害があり、危険なもの汚物が理解できない、カミソリでも何でもすぐに口に入れてしまう、タンスや押入れを開けて中身を散らかす、一度は押し入れに入って出てこれなくて中で汗をびっしょりかいて泣き疲れて寝ていました。
言語がない事、他人が言っている事を十分理解できないですから毎日が戦争ですので少しでも意思の疎通が出来るなら、自己表現が出来る障碍者を羨ましく思っていました。恥ずかしい事ですね。それこそ自己憐憫の塊でした。
みずのげんぞうさんは神様に出会ってからは180度人が変わったと家族の証がありました。怒り・責任転嫁・自己憐憫・
がすべて消去され、自分の出来ることで神様の御愛を多くの人に伝えたいと心が変えられたそうです。その中で彼が語ったのが「この苦しみがなかったら」キリストの愛が解からなかった。
キリストの十字架での苦しみが解からなかったこの痛みがなかったらキリストの痛みが解からなかった。キリストを十字架にかけろと言う人々の中に「私」もいた。迫害する者の中に「私」がいたという事を語られていました。私たちの罪がキリストを迫害し十字架につけたのだという事は聞いて理解していました。しかし、それはセンチメンタルな心でセンチメンタルな涙でしかなかったことを思い知らされました。
どこまでも肉の思いから離れられずにいる自分を深く恥じ入りました。偽善であった事を思い知らされて、そして悔い改めました。神様は、時を選び霊的な成長をさせて下さることを止めません。もうこれでいいんだと妥協はしません。そのことを思い知らされました。
苦難と悲しみの境遇から逃れられない私の人生に神様は「あなたはもういいからね。何もしなくてもいいんだよ」とは言いません。信仰の高嶺へと導き続けてキリストの器として用いるのですね。この苦しみがなかったら主イエスの十字架の苦しみが解からなかった」。そうです。この苦しみ、理不尽な事、不条理な事が我が身に起こったのも大罪を犯した痛みと刈取りの苦悩もみんな神様を知るためなのです。本当に深く知るためなのです。
キリストを「知る」という事は、キリストの霊と私の霊が混ざって分離しない事、混ざったことが分らぬなり、一つになる事だと聖霊が語られたことがありました。でも意味が解からなかったです(笑)。みずのげんぞうさんの証からその事が理解できました。主の憐れみです。
主がこれほどまでにこの不足な者を心に覚えていて下さっている事を思うと涙が止まりませんでした。心から主に感謝します。私も人様に「慰め」と「励まし」と「希望」を与えることが出来るキリストを伝えていきたいと心底思いました。
「この苦しみがなかったら・・・」そうですね。「わたしにとって苦しみにあったことは幸いでした」は他者にキリストの愛を伝える事が出来る者を言うのですね。感謝な一日を今日も他者に分かち合いたいです。
詩集は本土のクリスチャンドクターからのギフトで持っていて目を通してはいました。どこまでも「わたし」「わたし」なんだなあと「わたし」と言う自分がいるのでした。恥ずかしくて悔い改めました。自己憐憫なんですよね。私の息子は、自力で起きていざって何所へでも移動できますが知的障害があり、危険なもの汚物が理解できない、カミソリでも何でもすぐに口に入れてしまう、タンスや押入れを開けて中身を散らかす、一度は押し入れに入って出てこれなくて中で汗をびっしょりかいて泣き疲れて寝ていました。
言語がない事、他人が言っている事を十分理解できないですから毎日が戦争ですので少しでも意思の疎通が出来るなら、自己表現が出来る障碍者を羨ましく思っていました。恥ずかしい事ですね。それこそ自己憐憫の塊でした。
みずのげんぞうさんは神様に出会ってからは180度人が変わったと家族の証がありました。怒り・責任転嫁・自己憐憫・
がすべて消去され、自分の出来ることで神様の御愛を多くの人に伝えたいと心が変えられたそうです。その中で彼が語ったのが「この苦しみがなかったら」キリストの愛が解からなかった。
キリストの十字架での苦しみが解からなかったこの痛みがなかったらキリストの痛みが解からなかった。キリストを十字架にかけろと言う人々の中に「私」もいた。迫害する者の中に「私」がいたという事を語られていました。私たちの罪がキリストを迫害し十字架につけたのだという事は聞いて理解していました。しかし、それはセンチメンタルな心でセンチメンタルな涙でしかなかったことを思い知らされました。
どこまでも肉の思いから離れられずにいる自分を深く恥じ入りました。偽善であった事を思い知らされて、そして悔い改めました。神様は、時を選び霊的な成長をさせて下さることを止めません。もうこれでいいんだと妥協はしません。そのことを思い知らされました。
苦難と悲しみの境遇から逃れられない私の人生に神様は「あなたはもういいからね。何もしなくてもいいんだよ」とは言いません。信仰の高嶺へと導き続けてキリストの器として用いるのですね。この苦しみがなかったら主イエスの十字架の苦しみが解からなかった」。そうです。この苦しみ、理不尽な事、不条理な事が我が身に起こったのも大罪を犯した痛みと刈取りの苦悩もみんな神様を知るためなのです。本当に深く知るためなのです。
キリストを「知る」という事は、キリストの霊と私の霊が混ざって分離しない事、混ざったことが分らぬなり、一つになる事だと聖霊が語られたことがありました。でも意味が解からなかったです(笑)。みずのげんぞうさんの証からその事が理解できました。主の憐れみです。
主がこれほどまでにこの不足な者を心に覚えていて下さっている事を思うと涙が止まりませんでした。心から主に感謝します。私も人様に「慰め」と「励まし」と「希望」を与えることが出来るキリストを伝えていきたいと心底思いました。
「この苦しみがなかったら・・・」そうですね。「わたしにとって苦しみにあったことは幸いでした」は他者にキリストの愛を伝える事が出来る者を言うのですね。感謝な一日を今日も他者に分かち合いたいです。
2012年05月06日
神の奥義ってなんですか?
私が作詞して具志堅むつこ姉妹が歌っている「賛美口説」の民謡賛美で歌詞の中に「神の奥義という言葉が出てくるけれど聖書の説明があるのですか?」の質問を受けました。
民謡賛美の歌詞はすべて聖霊に示されてつくったものですから聖書にちゃんと説明があります。神の奥義とはエペソ3章6節にあります。
「その奥義とは福音により、キリスト・イエスにあって異邦人もまた共同の相続者となり、ともにひとつのからだに連なり、ともに約束にあずかる者となるということです」エペソ3:6。
(奥義=神に示されるまでは、人間には知り得なかったこと(ローマ16:25・26)。ここでは、特にユダヤ人と異邦人がキリストの体において一つとされ、、共同の相続人となる事を指す。このことは、新約時代の使徒と預言者によって、初めて啓示された。(3:5)。新約聖書に啓示されている他の奥義については、5:32、マタイ13:11、ローマ11:25、Ⅰコリント15:51~52.コロサイ2:2.Ⅰテモテ3:16)にあります。
エペソ3:6
イエス・キリストを信じる者は、異邦人はユダヤ人と(共同相続人)であり、ともに福音によってキリスト・イエスにあってともに約束に預かる者であることである。回心した異邦人は今や、ユダヤ人と同じ権利と特権にあって楽しむことができる。ともに一つの体であり、救われたユダヤ人たちと平等に分配を受ける。彼らは神の相続人であり、子リストとの共同相続人であり、贖われたすべての者たちとの共同相続者である。
教会は、おもに、天にある霊的祝福に関するものである(エペソ1:3)。イスラエルの召しは地上における神の選びの民としてである。教会はキリストの天の花嫁として召されている(黙示録21:2,9)イスラエルは千年王国でキリストの支配下で祝福され(ホセア3:5)教会は主と共に全宇宙をおさめ、その栄光に預かるのである(エペソ1:22、23)。
難しかったでしょうか?うまく言えないのですが主の再臨には、すべての信徒が天の住まいへと引き上げられるという約束が成就するのである。アーメン
民謡賛美の歌詞はすべて聖霊に示されてつくったものですから聖書にちゃんと説明があります。神の奥義とはエペソ3章6節にあります。
「その奥義とは福音により、キリスト・イエスにあって異邦人もまた共同の相続者となり、ともにひとつのからだに連なり、ともに約束にあずかる者となるということです」エペソ3:6。
(奥義=神に示されるまでは、人間には知り得なかったこと(ローマ16:25・26)。ここでは、特にユダヤ人と異邦人がキリストの体において一つとされ、、共同の相続人となる事を指す。このことは、新約時代の使徒と預言者によって、初めて啓示された。(3:5)。新約聖書に啓示されている他の奥義については、5:32、マタイ13:11、ローマ11:25、Ⅰコリント15:51~52.コロサイ2:2.Ⅰテモテ3:16)にあります。
エペソ3:6
イエス・キリストを信じる者は、異邦人はユダヤ人と(共同相続人)であり、ともに福音によってキリスト・イエスにあってともに約束に預かる者であることである。回心した異邦人は今や、ユダヤ人と同じ権利と特権にあって楽しむことができる。ともに一つの体であり、救われたユダヤ人たちと平等に分配を受ける。彼らは神の相続人であり、子リストとの共同相続人であり、贖われたすべての者たちとの共同相続者である。
教会は、おもに、天にある霊的祝福に関するものである(エペソ1:3)。イスラエルの召しは地上における神の選びの民としてである。教会はキリストの天の花嫁として召されている(黙示録21:2,9)イスラエルは千年王国でキリストの支配下で祝福され(ホセア3:5)教会は主と共に全宇宙をおさめ、その栄光に預かるのである(エペソ1:22、23)。
難しかったでしょうか?うまく言えないのですが主の再臨には、すべての信徒が天の住まいへと引き上げられるという約束が成就するのである。アーメン
2012年05月04日
癒しのない国にひと言
S牧師の詐欺事件がマスコミでも騒がれて来ました。S牧師をよく知る人は解かると思いますが真っ正直で人を疑う心が全くない人で自分の仕事に情熱を傾けて貧しい人に心を配って生きている方でした。何度か裁判も傍聴させていただきました。
「弱り目に祟り目」という言葉がありますようにS牧師の詐欺事件が公にされると同業者である聖職者からも非難のメッセージが講壇の上からあったようです。現に近い聖職者からも話を歪曲されて噂が流れました。私自身もその話で心が動揺しましたが真意を確かめる必要を覚え確かめに行きました。
悲しかったです。私に入って来た情報とは全く違っていました。「人の心の内にあるものは限りない悪である」とは良く言ったものです。聖職者であっても真実を歪曲してしまうのだと心痛の思いでした。S先生への妬みから人は無責任な発言をしたのだろうかと思いました。万事を主に委ねて祈るしかありません。
審査委員会へのコメントをS先生がマスコミに出されたことを聞きました。「たとえ、無罪になったとしても失うものが大きい。社会的に葬り去られた」と語られたとの事でした。S先生の心情は如何ほどのものかと思いました。
ずっとそばに寄り添っていてS先生の奥様も一年間は、寝たっきり状態になっていたのを数か月間ほど寄り添って同居していたこともありましたのでS家の混乱と苦悩は私個人のものとして受け取り祈っております。
「マスコミの果たす役割は週刊記事的に人を攻撃して貶めるものではなく、真実を記載し、罪ある人には罪を悔い改めて立ち直って生きる事を助けてあげる。無罪のものを面白おかしく社会を煽って糾弾する「いかにも私達マスコミは正義の使者」だとの看板を振りかざしてペンを取る者であってはならない」
この言葉は私が中学一年生の頃に某新聞会社の社長から聞いた話でした。私は、こんな素晴らしい正義感にあふれ人情味ある人をしかも社長である人を父親に持っている同級生が非常に羨ましかったです。今は、あれ以来、そのようなウチナー人には出会っていません。寂しいけれど・・・
神を信じ、神のみことばである聖書を握って生きている私たちはどうでしょうか?聖書が私たちに命令しているみことばがあります。「心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」「あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい」マタイ22:37・39。です。
自分を愛するように人々を愛し合いなさいですね。そして、またこのような訓えもありますよ「もし、あなた中からくびきを除き、うしろ指を指すことやつまらないおしゃべりを除き、飢えた者に心を配り、悩む者を願いを満足させるならあなたの光は、やみの中に輝き上り、あなたの暗闇は真昼のようになる」イザや58:9・10。
S先生箴言にこのような御言葉があります。「正しい者のくちびるは多くの人養い、愚か者は思慮がないために死ぬ。」つむじ風が去るとき、悪者はいなくなるが正しい者は永遠の礎」箴言10:21・25
このみことばをS先生にささげます。希望は決して絶望では終わらない。お祈りしています。
「弱り目に祟り目」という言葉がありますようにS牧師の詐欺事件が公にされると同業者である聖職者からも非難のメッセージが講壇の上からあったようです。現に近い聖職者からも話を歪曲されて噂が流れました。私自身もその話で心が動揺しましたが真意を確かめる必要を覚え確かめに行きました。
悲しかったです。私に入って来た情報とは全く違っていました。「人の心の内にあるものは限りない悪である」とは良く言ったものです。聖職者であっても真実を歪曲してしまうのだと心痛の思いでした。S先生への妬みから人は無責任な発言をしたのだろうかと思いました。万事を主に委ねて祈るしかありません。
審査委員会へのコメントをS先生がマスコミに出されたことを聞きました。「たとえ、無罪になったとしても失うものが大きい。社会的に葬り去られた」と語られたとの事でした。S先生の心情は如何ほどのものかと思いました。
ずっとそばに寄り添っていてS先生の奥様も一年間は、寝たっきり状態になっていたのを数か月間ほど寄り添って同居していたこともありましたのでS家の混乱と苦悩は私個人のものとして受け取り祈っております。
「マスコミの果たす役割は週刊記事的に人を攻撃して貶めるものではなく、真実を記載し、罪ある人には罪を悔い改めて立ち直って生きる事を助けてあげる。無罪のものを面白おかしく社会を煽って糾弾する「いかにも私達マスコミは正義の使者」だとの看板を振りかざしてペンを取る者であってはならない」
この言葉は私が中学一年生の頃に某新聞会社の社長から聞いた話でした。私は、こんな素晴らしい正義感にあふれ人情味ある人をしかも社長である人を父親に持っている同級生が非常に羨ましかったです。今は、あれ以来、そのようなウチナー人には出会っていません。寂しいけれど・・・
神を信じ、神のみことばである聖書を握って生きている私たちはどうでしょうか?聖書が私たちに命令しているみことばがあります。「心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」「あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい」マタイ22:37・39。です。
自分を愛するように人々を愛し合いなさいですね。そして、またこのような訓えもありますよ「もし、あなた中からくびきを除き、うしろ指を指すことやつまらないおしゃべりを除き、飢えた者に心を配り、悩む者を願いを満足させるならあなたの光は、やみの中に輝き上り、あなたの暗闇は真昼のようになる」イザや58:9・10。
S先生箴言にこのような御言葉があります。「正しい者のくちびるは多くの人養い、愚か者は思慮がないために死ぬ。」つむじ風が去るとき、悪者はいなくなるが正しい者は永遠の礎」箴言10:21・25
このみことばをS先生にささげます。希望は決して絶望では終わらない。お祈りしています。
2012年05月04日
五月の毎週土曜日から
たまんFMに土曜日午後二時から三時まで出演が決まりました。山内良昌牧師とのトークショーです。「ユタかたキリストへ」です。覚えてください。糸満はもちろん豊見城、小緑方面はバッチリ電波が入るそうです。因習について拝み不足の解消など等に切り込んでいきます。
でも、今ドキドキで眠れません。すぐにウチナー口になるので大丈夫かなあです。私のウチナー口はちょっとだけ上品だから聞き分けできる?若者は少ないと思うからです。
多くの人が因習に縛られて戸惑っているかと思います。因習と結婚問題までをトークします。お時間の許せる方は是非耳を傾けてください。
FMたまん。毎週土曜日、午後二時から三時までです。よろしくお願いします。
でも、今ドキドキで眠れません。すぐにウチナー口になるので大丈夫かなあです。私のウチナー口はちょっとだけ上品だから聞き分けできる?若者は少ないと思うからです。
多くの人が因習に縛られて戸惑っているかと思います。因習と結婚問題までをトークします。お時間の許せる方は是非耳を傾けてください。
FMたまん。毎週土曜日、午後二時から三時までです。よろしくお願いします。
2012年05月02日
寛容を持って教え導きなさい
12年伝道を続けた50代の男性Tさんは、アルコール依存症で何か月間も仕事を休んだりの生活をしていました。彼がうつ状態がひどくなると始終電話が鳴り通しでした。
Tさん「米子さん。神様って本当にいるのか?だったらこの俺に神様を見せろよ。出来るのか」
しばらく彼の憤りの言葉を聞いて思いっきり私は勇気を出して言いました。
私「Tさん。あなたはイエス・キリストをずっと見ているし会話もしているよ」
Tさん「そんなバカな、何時よ、どこでか」
私「私にはイエス・キリストの画像を見せることは出来ないけれどTさんは確かにキリストを見ているし、話しもしているよ。Tさんは、私を通してイエス・キリストを見て来たでしょ?私を通して神様と話もしているんだよ」
どんな罵声が飛んでくるか心配で聖霊に助けを求めていました。無言状態が30秒ほど続きました。
Tさん「分かったよ。君がこれまであきらめずに食事を配達してくれたり、ガス料金を支払ってくれたり、一言も神様の事は言わなかったけれど・・・ん~・・・参ったよなあ。本当に参ったよなあ。俺はこれからどうすればいいのか。」
私「教会に行きますか?そうすればお友達も出来るし、生き方も変えられて希望が与えられるよ」
これは先月の話です。今、彼は土曜日はお酒を断つために頑張っています。頑張らなくてもいいのに・・・です。Tさんのお兄さんたちと話し合って教会へ行く段取りをしています。
私が関わっている人のほとんどが家族からも社会からも疎外されている人たちです。彼らにどんなに神様を語っても空腹で飢え渇いていては、絵に描いた餅です。私が出来る事と言えば少しだけ話を聞いてあげる事とカレーを届けることです。
神様はいつも「寛容を持って教え導きなさい」と仰います。心病む人、絶望している人には忍耐と寛容が要求されます。私に重度障がい(重複している。知的、肢体、心疾患、てんかん、パニック障害、自傷行為)の息子が来たことは、そういう意味があったのだと受け入れています。忍耐と体力と寛容がなければ決して世話が出来ない息子です。このことを感謝できるようになったのは老いてきたせいかもしれませんね。
献身の召しを受けた時のみことばです。
「わたしの好む断食は、これではないか。悪のきずなを解き、くびきのなわめをほどき、しいたげられた者たちを自由の身とし、すべてのくびきを砕くことではないか。飢えた者にあなたのパンを分け与え、家のない貧しい人々を家に入れ、裸の人を見て、これに着せ、あなたの肉親の世話をすることではないか。そのとき、暁のようにあなたの光がさしいで、あなたの傷はすみやかに癒される。あなたの義はあなたの前に進み、主の栄光があなたのしんがりとなられる」イザや58:6~8
Tさん「米子さん。神様って本当にいるのか?だったらこの俺に神様を見せろよ。出来るのか」
しばらく彼の憤りの言葉を聞いて思いっきり私は勇気を出して言いました。
私「Tさん。あなたはイエス・キリストをずっと見ているし会話もしているよ」
Tさん「そんなバカな、何時よ、どこでか」
私「私にはイエス・キリストの画像を見せることは出来ないけれどTさんは確かにキリストを見ているし、話しもしているよ。Tさんは、私を通してイエス・キリストを見て来たでしょ?私を通して神様と話もしているんだよ」
どんな罵声が飛んでくるか心配で聖霊に助けを求めていました。無言状態が30秒ほど続きました。
Tさん「分かったよ。君がこれまであきらめずに食事を配達してくれたり、ガス料金を支払ってくれたり、一言も神様の事は言わなかったけれど・・・ん~・・・参ったよなあ。本当に参ったよなあ。俺はこれからどうすればいいのか。」
私「教会に行きますか?そうすればお友達も出来るし、生き方も変えられて希望が与えられるよ」
これは先月の話です。今、彼は土曜日はお酒を断つために頑張っています。頑張らなくてもいいのに・・・です。Tさんのお兄さんたちと話し合って教会へ行く段取りをしています。
私が関わっている人のほとんどが家族からも社会からも疎外されている人たちです。彼らにどんなに神様を語っても空腹で飢え渇いていては、絵に描いた餅です。私が出来る事と言えば少しだけ話を聞いてあげる事とカレーを届けることです。
神様はいつも「寛容を持って教え導きなさい」と仰います。心病む人、絶望している人には忍耐と寛容が要求されます。私に重度障がい(重複している。知的、肢体、心疾患、てんかん、パニック障害、自傷行為)の息子が来たことは、そういう意味があったのだと受け入れています。忍耐と体力と寛容がなければ決して世話が出来ない息子です。このことを感謝できるようになったのは老いてきたせいかもしれませんね。
献身の召しを受けた時のみことばです。
「わたしの好む断食は、これではないか。悪のきずなを解き、くびきのなわめをほどき、しいたげられた者たちを自由の身とし、すべてのくびきを砕くことではないか。飢えた者にあなたのパンを分け与え、家のない貧しい人々を家に入れ、裸の人を見て、これに着せ、あなたの肉親の世話をすることではないか。そのとき、暁のようにあなたの光がさしいで、あなたの傷はすみやかに癒される。あなたの義はあなたの前に進み、主の栄光があなたのしんがりとなられる」イザや58:6~8
2012年05月02日
初心忘るべからず
多くの祈りの友、信仰の友の背後の祈りに支えらえて通信で神学校を卒業できました。主の憐れみです。私のような不信仰な者、無学な者が(中学二年で不良少女で卒業写真にいれて貰えてない)学問や音楽、芸術の基を築いたと言われるキリスト教団の中に入れてもらえたことだけでもありがたい事ですのに聖書学校、伝道学校を経て神学校まで卒業できたことは主の憐れみに心から感謝です。
紆余曲折あり、挫折の中で(これは主の御旨ではないのじゃあないかもと)祈り心ですがる思いで必死に食い下がりました。
末子は気難しくなり、なお一層、手がかかる始末で何度もレポートと参考書本を破られたり、それでも怒ることも出来ずに泣きながら息子を落ち着かせるために抱きしめたりで半年間はラストスパークで必死でした。
でも、初心忘れてはいけません。初めの愛から離れないように、教会生活での戸惑いがあったことも忘れないで親切心で兄弟姉妹に仕えたいと思っております。「仕える心を忘れたら存分に砕いて下さい」と祈っています。
いつも、教会の兄弟姉妹の状況を心にかけている私で肉の思い?でも、私は人間大好きなんです。それは、イエス様と同じ気持ちなんだと聖霊に励まされましたからこれからも私が出来る事で、愛情表現で兄弟姉妹に仕えたいと思っています。
「はしためよ。よくやった」と天国でイエス様に褒められたいです。もう、手を伸ばせば届く距離に天国は近いですからね(笑)
支えて下さいました、お一人お一人を心から主に感謝してこの場をお借りしてご報告させて頂きます。「主に示されました。このことは主の御心です。ぜひ、卒業してください」とわざわざ夜の遅い時間から卒業資金を届けに来てくださいました姉妹に心から感謝します。「私は主に示されたことをしたまでですから私の事は忘れてくださいますように」と連絡を断られましたがこのように信仰に強く立っておられる姉妹に勇気を頂きました。
多方面から支えて下さいました皆様の上に主イエス・キリストの限りない愛と守りと導きが代々限りなくありますように祝祷します。
「主があなたを祝福し、あなたを守られますように。主が御顔をあなたに照らし、あなたを恵まれますように。主が御顔をあなたに向け、あなたに平安を与えられますように」民数記6:24~26
紆余曲折あり、挫折の中で(これは主の御旨ではないのじゃあないかもと)祈り心ですがる思いで必死に食い下がりました。
末子は気難しくなり、なお一層、手がかかる始末で何度もレポートと参考書本を破られたり、それでも怒ることも出来ずに泣きながら息子を落ち着かせるために抱きしめたりで半年間はラストスパークで必死でした。
でも、初心忘れてはいけません。初めの愛から離れないように、教会生活での戸惑いがあったことも忘れないで親切心で兄弟姉妹に仕えたいと思っております。「仕える心を忘れたら存分に砕いて下さい」と祈っています。
いつも、教会の兄弟姉妹の状況を心にかけている私で肉の思い?でも、私は人間大好きなんです。それは、イエス様と同じ気持ちなんだと聖霊に励まされましたからこれからも私が出来る事で、愛情表現で兄弟姉妹に仕えたいと思っています。
「はしためよ。よくやった」と天国でイエス様に褒められたいです。もう、手を伸ばせば届く距離に天国は近いですからね(笑)
支えて下さいました、お一人お一人を心から主に感謝してこの場をお借りしてご報告させて頂きます。「主に示されました。このことは主の御心です。ぜひ、卒業してください」とわざわざ夜の遅い時間から卒業資金を届けに来てくださいました姉妹に心から感謝します。「私は主に示されたことをしたまでですから私の事は忘れてくださいますように」と連絡を断られましたがこのように信仰に強く立っておられる姉妹に勇気を頂きました。
多方面から支えて下さいました皆様の上に主イエス・キリストの限りない愛と守りと導きが代々限りなくありますように祝祷します。
「主があなたを祝福し、あなたを守られますように。主が御顔をあなたに照らし、あなたを恵まれますように。主が御顔をあなたに向け、あなたに平安を与えられますように」民数記6:24~26
2012年05月01日
神の御心が解かれば裁かない
沖縄には、偶像とは知らずに慣習に従っていた人たちがキリスト者に変えられる人が多いと思います。D姉妹からの質問がありました。D姉妹は、数年間は教会生活をしていましたが教会側から冷遇されて仕方なく教会を離れたとの事でした。
何があったのかを聞きました。D姉妹の母親もD姉妹自身も「サー高生まれ」で拝みなどを経験していると言うことで悪霊の支配から救われていないからD姉妹と関わらないほうが良いと言われてDを導いた人もD姉妹を邪険にするようになったとの事でした。D姉妹は心に深い傷を負っていて癒されないままに教会での礼拝に出席できないで数年が過ぎています。
それでも信仰を捨てることが出来ないでいるD姉妹です。私は聖書が理解できればイエス・キリストの御心が解かるはずだと思い悲しくなりました。私自身も初めの頃は教会用語が解からず戸惑いがありました。裁きも偏見も感じていました。
教会の信徒を軌道修正できないでいる牧師を裁いたこともありました。世的に考えれば軌道修正は教育者の仕事だと思うでしょう。しかし、教会は違います。「成長は神がして下さいます」という御言葉がありますので人ではないと分かっているので誰も戒める人はいませんでした。偏見やいじめにあっても泣き寝入りです(笑)
メッセージも解からなくても「聞き方に注意しなさい」で専門用語を誰も教えてくれません。「見て習う・見て覚える」まるで職人養成所のようなのが教会でした。
エペソ6章11節~17節
悪魔の策略に対抗して立つことが出来るように神の武具を身につけなさい。(神の武具とは、みことばです。)
私たちの戦いは血肉を相手にするものではなく(私たちが戦う相手は目に見える人間ではないと言っています)
支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするものなのです(支配意識の強い権威者の傲慢・高慢な者を言います。そして、目で見ることも手に触れることも出来ない悪霊と諸々の霊です。人じゃあありません。)
人は愛する存在であって、裁く対象ではありません。裁きは神のものです。そのことを訓えているのがこのみことばです。ましてや、イエス・キリストを我が神と受け入れた人を愛の限りを尽くすこともなく、教え導く事もせずにサタン付きと言って阻害するなんてもってのほかです。
それこそ、首に石臼をつけられて海の中に沈められますからね(笑)信仰の浅い人や弱い人を躓かせてはいけませんね。
神様は信仰の弱い人をどれほど憐れんでいらっしゃるか先輩クリスチャンは知る必要がありますね。
それに同じクリスチャン同士に向かって霊が違うと言う牧師もいますがあなたはどれだけキリストの御心を知っているのですか?確認したいです。その言葉を真に受ける牧師たちも何のための牧会者なのかと思います。
教会は、必要を満たし、与えるところ、イエス・キリストの御言葉を正確に宣べ伝える場所だと明言し、キリストの愛を徹底してお話し下さいました亡きM牧師を思い起こします。M牧師は、すぐに聖書を開き下記のみことばを語りましたよ。
エペソ4章2節~5節のみことばです。
「謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛を持って互いに忍び合い、平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい。からだは一つ、御霊は一つです。あなたが召されたとき、召しのもたらした望みが一つであったのと同じです。主は一つ、信仰は一つ、バプテスマは一つです」
何があったのかを聞きました。D姉妹の母親もD姉妹自身も「サー高生まれ」で拝みなどを経験していると言うことで悪霊の支配から救われていないからD姉妹と関わらないほうが良いと言われてDを導いた人もD姉妹を邪険にするようになったとの事でした。D姉妹は心に深い傷を負っていて癒されないままに教会での礼拝に出席できないで数年が過ぎています。
それでも信仰を捨てることが出来ないでいるD姉妹です。私は聖書が理解できればイエス・キリストの御心が解かるはずだと思い悲しくなりました。私自身も初めの頃は教会用語が解からず戸惑いがありました。裁きも偏見も感じていました。
教会の信徒を軌道修正できないでいる牧師を裁いたこともありました。世的に考えれば軌道修正は教育者の仕事だと思うでしょう。しかし、教会は違います。「成長は神がして下さいます」という御言葉がありますので人ではないと分かっているので誰も戒める人はいませんでした。偏見やいじめにあっても泣き寝入りです(笑)
メッセージも解からなくても「聞き方に注意しなさい」で専門用語を誰も教えてくれません。「見て習う・見て覚える」まるで職人養成所のようなのが教会でした。
エペソ6章11節~17節
悪魔の策略に対抗して立つことが出来るように神の武具を身につけなさい。(神の武具とは、みことばです。)
私たちの戦いは血肉を相手にするものではなく(私たちが戦う相手は目に見える人間ではないと言っています)
支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするものなのです(支配意識の強い権威者の傲慢・高慢な者を言います。そして、目で見ることも手に触れることも出来ない悪霊と諸々の霊です。人じゃあありません。)
人は愛する存在であって、裁く対象ではありません。裁きは神のものです。そのことを訓えているのがこのみことばです。ましてや、イエス・キリストを我が神と受け入れた人を愛の限りを尽くすこともなく、教え導く事もせずにサタン付きと言って阻害するなんてもってのほかです。
それこそ、首に石臼をつけられて海の中に沈められますからね(笑)信仰の浅い人や弱い人を躓かせてはいけませんね。
神様は信仰の弱い人をどれほど憐れんでいらっしゃるか先輩クリスチャンは知る必要がありますね。
それに同じクリスチャン同士に向かって霊が違うと言う牧師もいますがあなたはどれだけキリストの御心を知っているのですか?確認したいです。その言葉を真に受ける牧師たちも何のための牧会者なのかと思います。
教会は、必要を満たし、与えるところ、イエス・キリストの御言葉を正確に宣べ伝える場所だと明言し、キリストの愛を徹底してお話し下さいました亡きM牧師を思い起こします。M牧師は、すぐに聖書を開き下記のみことばを語りましたよ。
エペソ4章2節~5節のみことばです。
「謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛を持って互いに忍び合い、平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい。からだは一つ、御霊は一つです。あなたが召されたとき、召しのもたらした望みが一つであったのと同じです。主は一つ、信仰は一つ、バプテスマは一つです」
2012年05月01日
弱くても強いクリスチャン
昨日は久ぶりにクリスチャンの集う講演会に出席しました。その場所で久しく会うことが出来なかったM・H姉妹に会うことが出来ました。帽子をかぶっている彼女を見てすぐに察知しました。「辛い道のりを通過中なのかなあ・・・」と私は姉妹の隣に座って近況報告をしました。
M姉妹も非常に苦しい試練を通されて頭の毛が全部抜けて今は、ようやく少しだけれどうぶ毛が生えてきたことを話されました。M姉妹は、二人の愛娘さんを失った経験をしています。第一子の娘さんは、私の末子と同じ年齢で生まれてすぐから同じ病院で一緒でした。再び、最近二人目の娘さんが召されたのです。
それでも信仰を失わないで神様の足台の御前にかしまづいて祈り続けていることを示されていましたのでお元気にしているのかあとの思いでいました。
私たちは互いに神に砕かれた証しをして力が与えられました。神の砕きは言葉にできないほど痛みを覚えます。もう二度と立ち直れないと思うほどの痛みがあります。隠された罪が露わにされます。刈取りの労苦があります。
私もここ数年は、陥れられたこと、不名誉事件で大恥をかき、ストレスから発病し、心と体の痛みに苦しんだ日々の事を証しました。現在もその痛みの中にあるけれども心は平安であること、神はご自分の器とされるためにとげを与えられたことに感謝している事を証しました。
M姉妹も同じ思いで「ただ、神の砕きは神の憐れみだと感謝していますよ。真の悔い改めに導かれるように祈って下さい」と証しました。「真の悔い改め」が出来るようには私が神に願い求めている事でもあります。
私たちが「悩みの日のために」備えが出来るように神様はみことばを蓄えなさいと訓えられています。私たちは世の不信仰者とは違って未来の希望は確実に備えられていることが聖書では預言されています。
恵まれた時間を与えてくださった主イエス様にそして、学びと交わりの場を与えてくださいましたセブンスデーアドベンチストへ心から感謝します。
「いと高く、いと上なる者、とこしえに住む者、その名を聖ととなえられる者がこう言われる、『わたしは高く、聖なるところに住み、また心砕けて、へりくだる者と共に住み、へりくだる者の霊を生かし、砕ける者の心を生かす」イザヤ57:15
M姉妹も非常に苦しい試練を通されて頭の毛が全部抜けて今は、ようやく少しだけれどうぶ毛が生えてきたことを話されました。M姉妹は、二人の愛娘さんを失った経験をしています。第一子の娘さんは、私の末子と同じ年齢で生まれてすぐから同じ病院で一緒でした。再び、最近二人目の娘さんが召されたのです。
それでも信仰を失わないで神様の足台の御前にかしまづいて祈り続けていることを示されていましたのでお元気にしているのかあとの思いでいました。
私たちは互いに神に砕かれた証しをして力が与えられました。神の砕きは言葉にできないほど痛みを覚えます。もう二度と立ち直れないと思うほどの痛みがあります。隠された罪が露わにされます。刈取りの労苦があります。
私もここ数年は、陥れられたこと、不名誉事件で大恥をかき、ストレスから発病し、心と体の痛みに苦しんだ日々の事を証しました。現在もその痛みの中にあるけれども心は平安であること、神はご自分の器とされるためにとげを与えられたことに感謝している事を証しました。
M姉妹も同じ思いで「ただ、神の砕きは神の憐れみだと感謝していますよ。真の悔い改めに導かれるように祈って下さい」と証しました。「真の悔い改め」が出来るようには私が神に願い求めている事でもあります。
私たちが「悩みの日のために」備えが出来るように神様はみことばを蓄えなさいと訓えられています。私たちは世の不信仰者とは違って未来の希望は確実に備えられていることが聖書では預言されています。
恵まれた時間を与えてくださった主イエス様にそして、学びと交わりの場を与えてくださいましたセブンスデーアドベンチストへ心から感謝します。
「いと高く、いと上なる者、とこしえに住む者、その名を聖ととなえられる者がこう言われる、『わたしは高く、聖なるところに住み、また心砕けて、へりくだる者と共に住み、へりくだる者の霊を生かし、砕ける者の心を生かす」イザヤ57:15
2012年04月28日
人類の先祖は?
ノアの洪水と箱舟の話は、知っている人は多いと思います。40日40夜の降り注ぐ雨によってノアの家族以外は全員滅びました。ノアの家族に残されたものは、「罪」でした。ノアの長子にセムがいます。人類が滅びた後は、ノアの息子たちから子孫が地上に増えていきます。全地の民は彼らから出て、広がったのである(9:18-19)とあります。
セムから古代世界で活躍したアッシリヤ、アラビヤ、へブル、アラムなどの民族が彼らから出たのです(創世記10:21-31)箱舟に入って洪水の難を免れた8人の一人で(7:13)、洪水後ノアがぶどう酒を飲んで酔いつぶれていた時、ヤペテと寝ている父に着物をかけた(9:18、23,26-27)。セムとヤペテは、父親の恥を覆ったと言う事でした。
洪水の二年後、セムが百歳の時、アルパクシャデが生まれた(11:10)、ルカ(3:36)。ここにはハムとヤペテの系図が省かれてセムの系図だけが記されています。神の選びがアダムーセツーノアーセムーテラーアブラハムというように、多くのアダムの子孫から、しだいに狭まれていっています。
ヤペテとハムの系統はバベルの塔の事件の折、それぞれ自己の神を追って南北へ地って行ったのです。ところがセムは神のさばきを正当として、神のさばきの焦点の近くに立っていました。バベルの塔に関する人々の多くは神からの礼拝から離れていたと思われます。
その事から分る事は、私たちは(キリスト者)はセツの子孫だと言えます。決してカインの子孫ではないのです。アベルの亡きあとにセツが生まれました。セツからノアに続きます。神はバベルの事件からセムを選び出しセムの子どもたちの中からアルパクサデの子どもたちを選び、アルパセデクの子どもたちの中からシラを選び・・・とあります。
テラは川向こうに住んでいて異教的でした。ところが神はテラを選び、テラの中からアブラハムを選んだのです。この系図はそれを物語っていると思われれます。ここにへブル民族の発生をみます。ここに神の選民の民の歴史を見ることが出来ます。
私たちの先祖崇拝の事を考えれば長い歴史の間に、神崇拝の思想が捻じ曲げられ的はずれになって今日の先祖崇拝になっているように思われます。人は死んで33年忌を終えても絶対に神にはなれない。的外れな神観は根強くなかなか軌道修正できないでいます。
先祖崇拝も、薩摩による侵略によるものであり、それまでは死者崇拝は沖縄にはなかったのです。中国との係わりで龍を神ですとした沖縄、台湾との関連で多くの偶像崇拝が入って来た歴史が沖縄のチャンプルー宗教(混合宗教)の基であり、真実は一つもありません。
M子さん。「カインの子孫だから罪人だから仕方がないよね」ではなくてセツの子孫だから神との正しい関係つくりをするのだと決意して、真理の神に立ち返ることをして下さい。お祈りしています。
セムから古代世界で活躍したアッシリヤ、アラビヤ、へブル、アラムなどの民族が彼らから出たのです(創世記10:21-31)箱舟に入って洪水の難を免れた8人の一人で(7:13)、洪水後ノアがぶどう酒を飲んで酔いつぶれていた時、ヤペテと寝ている父に着物をかけた(9:18、23,26-27)。セムとヤペテは、父親の恥を覆ったと言う事でした。
洪水の二年後、セムが百歳の時、アルパクシャデが生まれた(11:10)、ルカ(3:36)。ここにはハムとヤペテの系図が省かれてセムの系図だけが記されています。神の選びがアダムーセツーノアーセムーテラーアブラハムというように、多くのアダムの子孫から、しだいに狭まれていっています。
ヤペテとハムの系統はバベルの塔の事件の折、それぞれ自己の神を追って南北へ地って行ったのです。ところがセムは神のさばきを正当として、神のさばきの焦点の近くに立っていました。バベルの塔に関する人々の多くは神からの礼拝から離れていたと思われます。
その事から分る事は、私たちは(キリスト者)はセツの子孫だと言えます。決してカインの子孫ではないのです。アベルの亡きあとにセツが生まれました。セツからノアに続きます。神はバベルの事件からセムを選び出しセムの子どもたちの中からアルパクサデの子どもたちを選び、アルパセデクの子どもたちの中からシラを選び・・・とあります。
テラは川向こうに住んでいて異教的でした。ところが神はテラを選び、テラの中からアブラハムを選んだのです。この系図はそれを物語っていると思われれます。ここにへブル民族の発生をみます。ここに神の選民の民の歴史を見ることが出来ます。
私たちの先祖崇拝の事を考えれば長い歴史の間に、神崇拝の思想が捻じ曲げられ的はずれになって今日の先祖崇拝になっているように思われます。人は死んで33年忌を終えても絶対に神にはなれない。的外れな神観は根強くなかなか軌道修正できないでいます。
先祖崇拝も、薩摩による侵略によるものであり、それまでは死者崇拝は沖縄にはなかったのです。中国との係わりで龍を神ですとした沖縄、台湾との関連で多くの偶像崇拝が入って来た歴史が沖縄のチャンプルー宗教(混合宗教)の基であり、真実は一つもありません。
M子さん。「カインの子孫だから罪人だから仕方がないよね」ではなくてセツの子孫だから神との正しい関係つくりをするのだと決意して、真理の神に立ち返ることをして下さい。お祈りしています。

