2012年02月13日
うかきぶし(欠けた御星さま)
祖母との食事の中で祖母に出した食器が少しだけ欠けていることに気づいて「おばあちゃん。ごめんね。今お皿を取り換えるね」と言いました。祖母は平然として咎める様子もなく言いました。
祖母「ヌーガ。チケエネンサ」
私「でも、欠けていたら縁起が悪いじゃあないの?」
祖母「アンスミヒャア(そんな事あるかいな)。ウレエヤア、ウカキブシヤサ、イヤアニチケエネンサ。(それは欠けたお星さま)と言って大丈夫だよ」
祖母はそこで得意の講釈が始まりました。
昔から沖縄は近隣諸国からの侵略を受けていました。戦いにの時には隠れる場所がお墓の中などを利用したりしていました。安全で誰も中に入って来る者はいません。着の身着のままでの逃亡生活では食器はありません。どうしたかと言えばお墓に備えられている食器を拝借したそうでした。
食器は欠けているものがほとんどですから選ぶゆとりなどありません。欠けた食器は「お欠け星と言い合い食器も生きている自分たちをも含めて感謝したそうです。不自由で欠けたものは沢山ありますがこの時代を生き抜く知恵と力を心から感謝したそうでした。
戦争が終わって後にお墓の行事が新しい形で始まり、先祖供養が始まりユタ。占い師が脚光を浴び始めたそうでした。
隠れ家だったお墓はいつの間にか先祖供養と幽霊や悪霊の棲み家のように言われてきたそうでした。
祖母「人間と言うものは平和になればなったでまた、新しい不平不満をため込んでいくもので、この世の不足は万事が先祖霊のせいだと言い、拝みに走るけどね。戦時中は人骨を蹴っ飛ばして逃げ歩き、お墓の中で寝起きし、お骨をこぼしてその中に排便やおしっこをしたけれど何も起こらなかったさあ・・・だから本当は拝み不足はまともに働けない人のための仕事を作ってあげているんだからさあ。おかしいよね。
人間は偏ってしか生きられないんだよね。拝みに生きる人、博ちに生きる人、好きなことに生きる人、仕事に生きる人、他人の儲けにありついて生きるダニのような人とそれぞれやさやあ・・・」
祖母は本当に覚めた人でした。祖母のつぶやきは恐らく自己中心的な私たちに何かを気づきなさい。真理を見極めなさいと言っていたのかも知れません。仏壇行事のたびに「神様や先祖が食べたという証拠を見せてください。ししかまぼこに歯型を残して見せてください」と大きな声で拝みをするおばあでした。
でも一向にお供え物の重箱のししかまぼこには歯型は入りませんでした。その祖母は亡くなる前に私に「わあがぐそうかいんじからてえ、やあかいぐそうからええじすぐとやあ。ししかまぼこんかい歯型いってみしいぐとうよお」と言っていました。
(私が死んだらあの世からししかまこ(重箱)のお肉とかまぼこに確かに食べたよと歯形を入れるからね。入ったら黄泉の国から私が来れた証拠になると立証されること)
待てど暮らせどお供え物には歯形も入らずでした。「黄泉の国では誰に出会ったよ」との様子も報告がありませんでした。
息子の難病もそれは創造した神の計画だから誰もそのことで因果応報説も言う事は許されないことだと言いました。
苦しみを与えるためにそうしたわけではなくて理由なき災難であっても必ずそれがよい結果になることを神様は知っているからね。知らないのはいったあうやんちゃあやさ(あんたの親たちだけが神の計画を知らずにいるんだからね)でした。
にんじんやむるうかきぶしやさ。たとぃい、ふすくぬあてぃん。てぃらがふしんかい光あてえしとゆぬむん。ちゅにんじん、ひからちぃ、天ぬむりぶしなすさ。うりわかれえから神ぬ子やさひい(人間はみな欠けがある。不足な者である。それでも太陽が死んだ石ころを光る星にしているように欠けた人間を星のように輝かせてくれている。それが理解できたらあなたは大人だよ)
「苦しみに会ったのは私にとって幸いでした」と聖書にありますように万事を益とする主イエス様に感謝です。
祖母「ヌーガ。チケエネンサ」
私「でも、欠けていたら縁起が悪いじゃあないの?」
祖母「アンスミヒャア(そんな事あるかいな)。ウレエヤア、ウカキブシヤサ、イヤアニチケエネンサ。(それは欠けたお星さま)と言って大丈夫だよ」
祖母はそこで得意の講釈が始まりました。
昔から沖縄は近隣諸国からの侵略を受けていました。戦いにの時には隠れる場所がお墓の中などを利用したりしていました。安全で誰も中に入って来る者はいません。着の身着のままでの逃亡生活では食器はありません。どうしたかと言えばお墓に備えられている食器を拝借したそうでした。
食器は欠けているものがほとんどですから選ぶゆとりなどありません。欠けた食器は「お欠け星と言い合い食器も生きている自分たちをも含めて感謝したそうです。不自由で欠けたものは沢山ありますがこの時代を生き抜く知恵と力を心から感謝したそうでした。
戦争が終わって後にお墓の行事が新しい形で始まり、先祖供養が始まりユタ。占い師が脚光を浴び始めたそうでした。
隠れ家だったお墓はいつの間にか先祖供養と幽霊や悪霊の棲み家のように言われてきたそうでした。
祖母「人間と言うものは平和になればなったでまた、新しい不平不満をため込んでいくもので、この世の不足は万事が先祖霊のせいだと言い、拝みに走るけどね。戦時中は人骨を蹴っ飛ばして逃げ歩き、お墓の中で寝起きし、お骨をこぼしてその中に排便やおしっこをしたけれど何も起こらなかったさあ・・・だから本当は拝み不足はまともに働けない人のための仕事を作ってあげているんだからさあ。おかしいよね。
人間は偏ってしか生きられないんだよね。拝みに生きる人、博ちに生きる人、好きなことに生きる人、仕事に生きる人、他人の儲けにありついて生きるダニのような人とそれぞれやさやあ・・・」
祖母は本当に覚めた人でした。祖母のつぶやきは恐らく自己中心的な私たちに何かを気づきなさい。真理を見極めなさいと言っていたのかも知れません。仏壇行事のたびに「神様や先祖が食べたという証拠を見せてください。ししかまぼこに歯型を残して見せてください」と大きな声で拝みをするおばあでした。
でも一向にお供え物の重箱のししかまぼこには歯型は入りませんでした。その祖母は亡くなる前に私に「わあがぐそうかいんじからてえ、やあかいぐそうからええじすぐとやあ。ししかまぼこんかい歯型いってみしいぐとうよお」と言っていました。
(私が死んだらあの世からししかまこ(重箱)のお肉とかまぼこに確かに食べたよと歯形を入れるからね。入ったら黄泉の国から私が来れた証拠になると立証されること)
待てど暮らせどお供え物には歯形も入らずでした。「黄泉の国では誰に出会ったよ」との様子も報告がありませんでした。
息子の難病もそれは創造した神の計画だから誰もそのことで因果応報説も言う事は許されないことだと言いました。
苦しみを与えるためにそうしたわけではなくて理由なき災難であっても必ずそれがよい結果になることを神様は知っているからね。知らないのはいったあうやんちゃあやさ(あんたの親たちだけが神の計画を知らずにいるんだからね)でした。
にんじんやむるうかきぶしやさ。たとぃい、ふすくぬあてぃん。てぃらがふしんかい光あてえしとゆぬむん。ちゅにんじん、ひからちぃ、天ぬむりぶしなすさ。うりわかれえから神ぬ子やさひい(人間はみな欠けがある。不足な者である。それでも太陽が死んだ石ころを光る星にしているように欠けた人間を星のように輝かせてくれている。それが理解できたらあなたは大人だよ)
「苦しみに会ったのは私にとって幸いでした」と聖書にありますように万事を益とする主イエス様に感謝です。
Posted by 金城米子 at 12:09│Comments(0)│TrackBack(0)
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