「天使になった洋子ちゃん」

金城米子

2010年10月16日 19:22




近所に住んでいた洋子ちゃんは、三人きょうだいの末っ子でした。
とても賢くて目がくりくりしてかわゆいお子ちゃまでした。
近所で人気者でした。

いつも、朝から「ゆう君おはよう」と我が家に入ってきました。

ある日の夕方、近所の人が大騒ぎをしていました。
そして、すぐに救急車とパトカ〜のサイレンが聞こえて来たので
私も外へ飛び出しました。

報せを聞いた母親が半狂乱で取り乱して我が子にすがろうとしましたが
警察の人にとめられました。母親は周りの人達に助けられながら一緒に
救急車に乗り込み病院へ行きました。

洋子ちゃんは二度と再び私達に元気な笑顔を見せる事は
ありませんでした。

あれから、30年余り時が過ぎて・・・

クリスチャンになってからその事が思い起こされて遠くへ
引っ越した洋子ちゃんのご両親を探して訪問しました。

洋子ちゃんのお母さんが尋ねました。
「親より先に亡くなったら天国には行けないのかね」

  私 「いいえ、天国で神様のお手伝いをしていますよ。」
お母さん「じゃあ、洋子は天使になったんだね。」

  私  「そうですよ。」
お母さん「天使だったら、天国にいるのかね?」
  私  「いつも、お母さんの側にいますよ。お母さんが夜空の星を
      見上げた時には、大きい星になって、
      涼しい風を感じた時には、風になって、いつでもお母さんの思いの
      中に自由に生きているからね。」
お母さん「じゃあ、私の一人語も聞いていたのかね?」

何年経っても先に逝った我が子を忘れる事が出来ないのが母親です。
痛みは時折、うずきます。
だからこそ、思い出を大切にアルバムを開くように一つひとつを思いめぐらして
生きると新しい力が与えられます。

神様は、人間の弱さを一番ご存知でありますから私達が見送った家族、友人
を時折身近に感じる事もお赦しになっています。

決っしてそれが不信仰だとか悪霊のわざだとかではありません。
母は、生前によくアルバムを見ていました。
「人はね、年を取ったら思い出だけでも生きられる。だから、私は写真を大切に
しているんだよ。あんたも写真を一杯残して置きなさい」と言っていました。

それは、母がキリストを知らなかったから寂しさをまぎらわす方法だったかも知れません。
いずれにしても、神様は私達の心の内を探られるお方ですから私達は自由なのです。

「あなたが幸せになった時には、私を思い出してください」創世記40:14

キリストにある自由と解放がありますように・・・

心に戸惑いのある方ご連絡下さい。

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