グレ~ゾ~ンを生きても

金城米子

2011年02月22日 08:09

「人はグレ~ゾ~ンを生きているものなんだ。それでも良いのだ」と言った友人がいました。本人が志せば闇から光へ移る事はできるから・・・ですと。たとえグレ~ゾ~ンで生きていても白と黒のはっきりした世界でも人はどっちみち責任と義務はしっかりと果たさなければならない状況は誰も避けられないと彼は言いました。彼は実家が仏教なので因果応報の話も交えてしましたけれど・・・

責任と義務は大人だけの社会ではないのです。子供でさえ成人までは親に従う義務があり愛する責任があります。それを秩序と言っても良いのです。自分の家族を愛する義務は子供であれ大人であれ同じです。自己中心的な生き方は秩序を壊します。「私は隣の親の方がいいから隣の親の子供になるから」と言ってもそうはなりません。家族は自分の都合では構成を変えることは出来ません。(親兄弟を選んで生まれて来れない)

中学生の時に血液検査をするために病院へ行った事がありました。私は父親と血液が違う事を祈りながらひめゆり通りの内科の病院へ行きました。残念ながら私の血液型は父と同じO型でした。私はとてもがっかりしました。医者は私の顔色を見て「何か辛い事があるのか?子供のあんたが血液型で親を疑いたいほどの事があるとはね」と話しましたが何があったのかは強いて詮索はしませんでした。

そして「耐え難きを耐え。忍び難きを忍び。人生には自分の力ではどうする事も出来ない事が突然やって来る事がある。どうしようもない時は耐える、忍ぶ。そうしたら必ず光を見る事が出来る。生きてさえいれば神様は前に道を造ってくれるから・・・あんたの子供や孫のために生きて行きなさい」と話してお金は取りませんでした。

その病院は祖母の家の近くだったので時々お菓子を貰いたいが為に妹をおんぶして遊びに行くというほど親しくしている先生でした。当時のお医者さんは家族同然に近所の人たちとのお付き合いを大切にしていました。私のグレ~ゾ~ンへの第一歩のスタ~トでした。

表の顔と裏の顔を上手く使い分けて生きていかなければ生きられない事を知るのでした。人間は現実が辛いと現実逃避をします。「見ざる。聞かざる。言わざる」の猿になります。そして「いつか白馬に乗った王子様が遠い空の彼方から迎えに来てくれると自分の世界を創造するのです。王子様が助けに来てくれるまで天使は私が暗い穴に落とされないように守ってくれるのです」と話し相手は天使になり王子様との以心伝心を信じるようになるのです。

暗い夜に何度、王子様を呼んだか分りません。星を天使に見立てて河原のそばで声の限り叫んだか分りませんでした。「助けに来る事が出来ないのなら私を天に連れて行って・・・」

私が辛かった時期に流行った歌がありました。吉永小百合の歌です。

(1)裏町流れる。寂しく流れる。この泥だらけ、汚れた街から星を見上げるこの心・・そのうちいつか、そのうちいつか、帰ってくるよ、あの人が・・・
(2)何処かへ行きたい。何処かへ行きたい。この泥だらけ汚れた街から星よ泣きたい思いっきり・・・そのうちいつか、そのうちいつか優しく清く泣けるでしょう。
(3)泣くことだって出来ない惨めさこの泥だらけいつまで続くの・・・・・そのうちいつか、そのうちいつか・・・

「歌は世に連れ、人に連れ」とあるようにどんな時にも神様はどん底の中にあっても天だけは開いているよと導いてくれて文化や音楽で癒しを与えて逃れの道を備えて下さるのですね。

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