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2020年05月30日

5月30日の記事

神が赦さない結婚

恋愛の自由というのが現代の社会です。恋愛期間を通ってお互いを知り、この人となら生涯共に生きて行けると思って結婚します。
クリスチャンでもそう信じて結婚以前に深く交際する男女もいます。私もそういう流れを別段疑う事も考える事もなく受け入れていました。私は人生の半世紀をノンクリスチャンとして生きて来たわけですから世の中の風潮を否定する事もなく生きていました。クリスチャンになって聖書カウンセラーの奉仕をして5年目にある女性に相談を受けました。彼女は信仰歴の長い真面目なクリスチャンです。仲田幸子(仮名)幸子さんの相談は離婚したいとの事でした。彼女は夫の結婚生活が耐えられないという事でした。理由は言いませんが彼女は「聖書の教えは離婚は罪だという事で教会側も離婚はダメだと言うだけで離婚が出来ないのが苦しいです」と言いました。離婚したらクリスチャンとして許されないので信仰生活が出来なくなるという事を恐れていました。私は幸子さんに「クリスチャンでも人間だから生きる事が苦しいのなら離婚して人生をやり直せるように神様に祈ったら良いと思いますよ。あなたがいる教会が離婚は罪というのなら、離婚後に他の教会に行くなり、家でしばらくは一人で礼拝するのも道だと思いますよ」とアドバイスしました。幸子さんがこのままではおかしくなると感じたからでした。幸子さんに別居を勧めてもみましたが別居する事もなく幸子さんは最悪な方法を選び自殺しました。彼女が通う教会の牧師は業界でも有名な牧師ですが何故、幸子さんの精神状態を理解して手を打たなかったのか幸子さんの精神状態を把握できなかったのか?神は幸子さんのような状態の離婚についてどのようにお考えなのか?悩みました。「神が赦さない結婚があるのですよね」と話された牧師がいました。それからは私は結婚についての相談には、より慎重になりました。
  


Posted by 金城米子 at 05:13Comments(0)

2020年02月26日

2月26日の記事

「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい」
(ヨハネ14:1)

私達は弱い者で、何かが起こると、すぐに心を騒がせてしまう者です。これは、その人の地位や立場、境遇には関係ありません。どんな人もそうで

す。それほど私たちは周囲のものに動かされやすく、少し大きな問題が起こってくるとたちまち崩れてしまうことがあります。そういう弱い私たちにとっ

て、主イエスは実に強く確かな約束と励ましを与えていらっしゃいます。「わたしの名によって願う事は、なんでも叶えてあげよう。こうして父は子によっ

て栄光をお受けになる。わたしの名によってわたしに何かを願うならば、わたしがかなえてあげよう」(ヨハネ14:13~14)

イエスが全知全能の神の一人子として私たち信じる者に約束されている御言葉です。キリストは約束を実現される愛の神様です。

ユタの頃の私は常に一喜一憂で恐れていました。目の前の現実に翻弄され他者の思惑ばかりを気にして平安がありませんでした。結果主義が偶像

の世界です(現実社会)。キリストは結果主義ではありません。歩んできた努力を評価なさる神様です。私はクリスチャンになる以前は、偶像礼拝者

でした。偶像の世界は、お供え物にもお金を捧げる事についても細かい決まりごとがあります。たとえば果物をお供えするにあたってはリンゴも3個、

ミカンも9個とか奇数にこだわりがあります。で傷のないもの見た目もきれいな物を捧げます。そうでなければ神様は願いを聞かないと言います。そし

て、願いがすぐに聞かれないのは真心が足りないと言います。真心は何で見るかと言えば捧げものの量や質、上納金と言うお金です。偶像の神

はお金が大好きです。そして人を拘束すします。がんじがらめに心を縛り盗み、殺す、滅ぼすのが偶像の神の目的です。

キリストは金品や物は問いません。本当に助かりたいのかをキリストはご覧になられます。キリストが「真理、道、命」の神です。あなたが苦難の

中にあるのならどうぞキリストにすがってくだいさい。『苦難の時にはわたしを呼べ」』と仰るキリストは愛を持ってあなたにお答えになります。

あなたの歩む道を先駆けて祝福なさいます。どうぞ賛美の家を訪問なさってください。心より歓迎いたします。

賛美の家  住所 沖縄県中頭郡西原町我謝123番地

電話    098-962-8462 携帯電話 090-9782-1946 金城米子  


Posted by 金城米子 at 14:53Comments(0)

2019年12月15日

わたし(神キリスト)の目にはあなたは高価で尊い

数十年前の事です。ある団体での大会で琉球舞踊を踊ってくれるようにとの依頼がありました。喜んで引き受けました。舞台は無事に成功を

収めましたが食事会に着る服が私には準備できませんでした。琉球舞踊で着た衣装で私は食事会に出ました。その席には高貴な方が向かい

側に座っておられました。その席で私へ踊りのお褒めを頂き、衣装の事等や末子の障害を伴っての会への出席をしている事に話が及びまし

た。

その後に同席している仲間から「でも、た~けのお父さんは、上のお兄ちゃんたちとは違うんでしたよね?何度か離婚してお兄ちゃんたちのお

父さんが違うのですよ」と言われました。一瞬、その席が無言になりました。私もバツが悪くて顔を上げられませんでした。

その時に真向かいにおられる高貴な方が「米子さんは人様には言い尽くすせない程の苦しみを通られて今の米子さんがここにおられるので

すよね」と仰ってくださいました。さすが上の人の思考や言葉は違うと感動しました。キリストを知らない人たちの思考や言葉には、「妬み」が含

まれている事が多くてその舌を自制できません。しかし、キリストを握って生きているクリスチャンは言葉を出す前に聖書的なのか?自分の思

いからなのかを吟味します。キリストは言葉を発する時には「人を生かす言葉を出しなさい」と教えられています。そしてキリストはいつでも私

たちに語られています。「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」とこの御言葉に触れた時から私は自分が歩んで

きた忌まわしい過去の全てを告白してキリストの御言葉で新しくされた喜びを証ししています。

神なるキリストは今日もあなたに「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛しています」と招いていますよ。お近くの教会を訪

問してあなたがどれほど神様に愛されているのかを確認なさってキリストからの光ある人生を経験して下さい。


所属教会 「主の栄光教会」 沖縄県中頭郡西原町翁長869番地

聖書カウンセラー  金城米子 電話090-9782-1946

住所 沖縄県中頭郡西原町幸地1012番地ー102  


Posted by 金城米子 at 06:15Comments(0)

2019年06月06日

讃美歌(聖歌)は神が共におられるという証しです。

以前に、「讃美の力」という証しの本が出た事がありました。皆さんは、教会で初めに

出会った讃美歌(聖歌)を覚えていますか?私は、しっかりと覚えています。「慈しみ

深き」でした。その讃美歌を聞いた瞬間、私は神様のご臨在を感じました。「神様は

私を待っておられた」と分かりました。私は苦悩の中にいました。世の中から捨てられ

て、家族からも見捨てられて疎外感と孤立感で心は痛んでいました。そんな思いで教

会を訪問して初めて聞いたのが「慈しみ深きでした」私は号泣しました。神様は私の苦

悩を解って下さって慰めをお与えになったのだと、神様のご臨在を感じました。その次に

「一度死にし我をも」という聖歌でした。まさに私たち親子の苦しみを救って下さった愛の

神の主イエス様のご臨在でした。「一度死にし我をもイエスは生かし給えり、咎と罪の代

わりに新たなる命あり、時の間をも惜しみて主は我と語ろう。主はまた我を離たず我も又

主にぞつく」・・・私の伝道は讃美歌と共にありです。難しい話は一切しません。教会の

教理も語りません。讃美歌(聖歌)は御言葉の解き明かしですから、そのままを話します。

そして、讃美歌(聖歌)は一人ひとりの人生に神様が共に寄り添って来られた事を証します

涙を流しながら主の愛に降れる方がほとんどです。沖縄の三味線で讃美歌を歌う事もあり

ます。民謡賛美も歌います。私の伝道は人々の生活に根差したことが讃美歌(聖歌)には、

証しされている事を語ります。一度死に死我をも」の聖歌は、イザヤ27:3ですのでその

御言葉も語ります。何を話そうかと心配はいらないのです。聖霊が御言葉を導き、讃美歌を

歌わせて下さるのですからね。キリストはアーメンな素晴らしい世界です。一度、教会に

足をお運びください。沢山の証しがあなたを元気づけてくださいますよ。

賛美と証しの家 沖縄県西原町我謝123番地

FAX&TEL 098-962-8462 金城米子 携帯電話 090-9782-1946  


Posted by 金城米子 at 18:00Comments(1)

2019年05月24日

四福音書と四葉のクローバー

聖書の中に四福音書と言うのがありまして、幸いのおとづれとも言われていますが

私が最初にその言葉で直ぐに閃いたのは、四葉のクローバーの事でした。

人は誰でも幸せになりたい幸せのおとづれを待ち望んでいるのです。そう言う訳す

から、いろいろな縁起ものに願かけして幸いを願うのです。四葉のクローバーもその

一つなのです。しかし、聖書の中に「花は枯れ葉はしぼむ」と言う教えがありますように

幸いを運ぶ、縁起物と言われている四葉のクローバーも直ぐに枯れてしまいます。

なんの効力もありません。しかし、聖書の四福音書は、永遠の消える事のない幸いを

あなたにも全ての人々にも運んできます。そして、過去の罪だけであはなくてキリスト

を信じた後に犯す罪でさえも悔い改める事によってお赦しになって全ての人々を天国

へと入れる事をお約束なさいます。ただ信じて「過去の罪をお許しください」と告白する

だけで良いのです。キリストは天地創造主であり、永遠の神であり、その永遠の神の

御言葉を受け入れるだけであなたは「幸いな者」となります。

「わたしは道であり、真理であり、いのちなである。わたしを通らなければ、誰も父(神)

のもとへ行く事が出来ない」ヨハネ14章6節

賛美の家教会 西原町我謝123番地

電話 098-962-8496  携帯 090-9782-1946 (金城米子)  


Posted by 金城米子 at 09:58Comments(0)

2019年05月16日

神は私達への試練を許されている

悪魔や悪霊の策略は、私たちに怒りや疑心暗鬼を持ち込みます。誰を一番悪魔、

悪霊が使うかと言えば、まず、一番近しい人やあなた方が愛する家族です。家族

からの告発を受けるととても驚きと辛さで怖じ惑うでしょう。しかし、怒ってはなりま

せん。私は家族や身近の人や信頼していた人、クリスチャンに裏切られたり、迫害

を受けて来ました。しかし、キリストはご自分が十字架刑にされる裁判でも一言も

自己弁護や自己正当化することなく黙って耐えていました。近い人からの攻撃は

とても辛いです。理解できます。でも、そんなときこそキリストの十字架を思い起こ

して下さい。クリスチャンはキリストの十字架で流されたイエス・キリストの血潮だけ

が人の「罪」を赦し清めて下さることを知っています。しかし、人間ですからね裏切ら

れた悲しみは深いものがあります。キリストによって病が癒された人などから最後に

は「十字架につけろ」と言われたのですからね。それが人間の弱さなのです。権威

権力、金権、情欲、噂に弱いのが人間ですから迫害の中にある時こそ、キリストは

近くにおられるのですから、忍耐して勝利した十字架上のキリストを見上げて下さい。

忍耐は人を強くし、品性を高めます。私も現在進行形での忍耐の訓練中ですが主に

ある勝利を確信しています。

「患難は忍耐は生み出し、忍耐は練達を生み出し、練達は希望を生み出すことを

しっているからである」ローマ5:4-5。  


Posted by 金城米子 at 14:36Comments(1)

2019年05月06日

5月6日の記事

「あなた方が赦す罪は、誰の罪でもゆるされ、あなたがたが赦さずにおく罪は、

そのまま残るであろう」ヨハネ20:23。

罪を赦したり、神の不興を買うことなく、罪を犯させるための免罪を売ったりする権利

を、キリストは聖職者に何ら与えられなかった。またキリストはその僕らに、当然受け

るべきとがをめを免れさせるために、人の罪を覆い隠す事に対する贈り物やわいろを

受ける自由をもお与えにならなかった。イエスの御名において、すべての国々に罪の

赦しを伝えるよう、彼は弟子たちに命じられたが、彼ら自身がアダムの子らから、罪の

一つのしみでも取り除く力は与えられていなかった。・・・罪を赦す力が与えられている

として、人々を自らに引き寄せようとするものは誰でも、神の怒りをかう。なぜならその

人は、魂を真に罪を赦すお方からそらし、弱くて誤りやすい人間に向けさせるからであ

る。エレンGホワイト

*霊能者は神に代わって罪を赦す権利を与えられていると言います。そして、お詫び

のための祈願祈祷します。私もユタ時代には先祖の罪や子孫の罪などを語り、祈願

祈祷をしなければ不幸の根は断ち切れないと断言していました。キリストに出会って

初めて自分の罪の深さ大きさに驚き恥ずべき行為をしていたことに気づき悔い改め

ました。霊能者やユタは自分たちが悪魔の支配下にあることを知りません。神の使い

だと心底信じて疑いません。身近の人にユタや占い師や霊能者とかに夢中になってい

る人がいたら止めてください。天地創造主の神の御子だけが全ての権威者である事

を教えてください。

賛美の家 沖縄県西原町我謝123番地

携帯電話 090-9782-1946 金城米子  


Posted by 金城米子 at 14:39Comments(0)

2019年05月06日

ヨハネ21章が教えているのは?

ヨハネ21章では、ペテロに教える事を学んだペテロが語られています。主イエスは

「服従」することが使命であるこを語られています。21章はペテロたちがキリストが

十字架上で死なれた後に元の漁師に戻った時の話から始まっています。夜通し船

を出して漁をしたが魚は捕れずに落ち込んでいるときにキリストが現れて、「網を舟

の右側に降ろしなさい」と言いました。その時、ペテロの中では、自分が漁師として

の知識も力もあるのにと思ったかもしれませんが言いつけ通りに網を右側に降ろし

ました。すると網を引き揚げる事が出来ないほどに魚が釣れました。釣れた魚は

153匹の大きな魚でしたが網は破れなかった、というところから入っていきます。

キリストが三度目に、「ヨハネの子シモンよ、私を愛するか」と言われたとき、心を

探るメスが魂の中心に届きました。自己吟味の内に砕かれたペテロは、「主よ。

あなたはすべてをご存知です。「私があなたを愛している事はお分かりになってい

ます」と言って岩(キリスト)の上に落ちました。之こそ真理と正義を拒むことによって、

神を辱め、キリストの御心を痛めたすべての魂が直面しなければならない働きです。

もし試みられた魂が試みの過程に耐え、試練の下にあって、自我が生命に目覚めて

苦痛を覚える事がなければ、その心を探るメスは、魂が本当に自我に死んで、神に

会って生きている事を明示するのです。もし一人の魂がつまずいて倒れれば、再度

同じ地位を得られないとある人たちは主張するが我々の前にある事実はこれに反論

しています。ペテロが裏切る前、キリストは彼に「立ち直った時には兄弟たちを力づけ

てやりなさい」と言われました。ご自分の命をお与えになったところの魂を彼に委ねる

事で、キリストはペテロの回復に対する最も力強い確信を示されました。ペテロは羊

たちを養うよう委任されただけでなく、子羊たちー彼に任命されていたものよりも、更

に広く難しい働きー働きを託されました。他の人々に命の言葉を与えるだけでなく、

群れの羊飼いになるのでありました(エレンGホワイト著)

*私たちも人生の中で大きくつまずくこともあります。しかし、キリストに信頼する者は、

倒れたままではありません。今、あなたが二度と立ち上がれないと苦しみの中いある

のでしたら、どうぞ、教会を訪問して聖書を学んで下さい。あなたはキリストに出会って

必ず立ち直る事が出来ます。キリストに出会って下さいますようにお祈りします。

賛美の家教会  沖縄県西原町我謝123番地

携帯電話  090-9782-1946 金城米子(明日、教会の電話、FAXが入ります)  


Posted by 金城米子 at 10:02Comments(0)

2019年05月05日

聖書に見る二ネべの街と沖縄

聖書の登場人物にヨナと言う預言者がいました。アッシリヤ帝国の首都二ネベは

最大の都市のひとつでした。二ネベは物質的に繁栄すると共に、犯罪と不正の中

心地でありました。霊感は二ネベは血を流す町、その中には偽りと、分捕り物が満

ちているとその特色を描写しています。これは私の思いでありますが霊的に見て二

ネベの街と沖縄とは類似点が多くあります。歴史的に日本は鎖国時代に沖縄は中国

との貿易が盛んでありました。沖縄は近隣諸国からの侵略を恐れて中国や台湾の

宗教を受け入れていました。その名残が首里城に見られます。中国の龍神を沖縄は

受け入れちます。王家制度で王家に影響を与えていたのはノロという神官でした。

ノロは祭司の役を担っていて政治にも関与していました。二ネベが犯罪の街と言われ

ていたように沖縄も侵略国によって表には出せない不条理や理不尽な犯罪に対して

声を上げる事が出来ないでいました。ノロは預言者として王様に君臨していました。

ノロたちの祈りは沖縄の平和の祈りが主だったようです。

始めに「御天親加那志」と呼びかけます。つまり天地創造主なる偉大な神が天父だと

言う思想です。自然界にも神があり、宇宙にも神があり、山や海、水の神までいます。

そして、仏教の神仏思想が入って来て、先祖が神になり仏壇が普及しましたがそれは

本土の策略であった事を愛る者は少ないです。国を治めるには先ず宗教からというの

が政治家の思惑に強制的に先祖崇拝、仏壇拝みになったわけです。沖縄は世界の

宗教が入り混じった混合宗教の島になっています。何が本物なのか未だに沖縄県民は

理解できていません。霊的に敏感な沖縄人は悪霊にとっては好都合の存在で島全体を

覆っています。覆われている事を県民は知りませんから仏壇信仰から抜け出せずにいます。

精神統合失調症が多いのも偶像崇拝の影響であることを知っているクリスチャンでさえも

語りません。仏壇の事や先祖崇拝の事は沖縄ではタブ―だと思うクリスチャンもいるからです。

悪の根源は偶像崇拝から来ることを語る事が出来ないクリスチャンに祝福がある筈はありません。

天の父神には偽物がいる事も知らずに「サリ、御天親加那志様」と呼びかけているユタや拝み人

もを頼るのは止めてください。真の唯一の天父の神はイエス・キリストの天父(天地創造主)だけです。

そして、創造主は御子イエス・キリストに全宇宙をご支配する権威をお与えになったのです。

ですから祈りの初めに「天のお父様」と呼びかけて祈りの最後には「イエス様の御名によってお祈りし

ます」と祈りを閉じるのです。イエス様の御名を最後に言うう事で祈りは悪霊に横取りされずに天に

届く事を覚えてください。聖書をまず学んで幸いな人になる事を選び取って下さい。

賛美の家教会 沖縄県西原町我謝123番地

電話 090-9782-1946 金城米子  


Posted by 金城米子 at 05:49Comments(0)

2019年04月30日

サタンの妬みはキリスト者が互いに愛し合う事です。

聖書の御言葉です「神を愛するとは、神の命令を守る事です。その命令は重荷とは

なりません。何故なら神によって生まれた者はみな、世に勝つからです」
                           ヨハネ第一5:3

クリスチャンはみんな主に従って歩みたいと願います。それだから、苦手な人であっ

たり、一緒の教会や職場では、「愛さなくては」と思います。嫌いだとか憎んだり赦せ

ない気持ちでいると平安でいられなくなるからです。頑張って愛そう、赦そうとすると

余計に苦しくなり嫌な感情が沸き上がるのです。祈り続けていると自分の力で頑張

っている事には何の力もない事に気づかされます。平安もなくなります。私はつい、

最近までそのような経験をしました。苦しくて神の前に前には正直でいられないこと

で夜も静かで純粋な祈りが出来ないのです。人間の感情ほど始末が悪いものはあ

りません。神の前に正直に赦せない事、愛せない事を打ち明けました。そうすると

神様が私の感情を受け入れて下さり消去して下さると示されたのです。その為には

まず私がやるべきことがありました。「先に謝った人が神様に喜ばれ祝福されます

」とです。私は直ぐに行動しました。その結果、大きな祝福がありました。滞っていた

経済が恵まれて水路が出来るようになったのです。神は私達が御言葉に従いたいと

願いがあれば必要を必ず満たされます。恵みと慈しみは尽きる事がありません。

どうぞ、教会に足を運んで下さい。愛なる神のイエス・キリストは諸手を広げてあなたを

歓迎します。キリストはあなたの人生を聖くされ、花も実もある人生を約束されますよ。

賛美の家では聖書の真理をしっかりと教えます。どうぞ、足を運んで下さい。

沖縄県西原町我謝123番地西原町我謝123番地

賛美の家教会 090-9782-1946 金城米子  


Posted by 金城米子 at 11:04Comments(0)

2019年04月29日

遺言書にクリスチャンとしての生き様を見せたい!

クリスチャンになって牧師に言われた事は、人の明日は分からないので葬儀のこと等はしっかりと明記しておくようにでした。

それで、私は毎年、4月には遺言書を書いています。葬儀はしない事、今年になって書き換えた事ですがお墓は造らない、子孫が偶像崇拝に走らないためにです。

通帳の事等も末子の年金の事等も置き場所も詳しく書きました。備えよ常にとの教えが聖書にはありますのでクリスチャンはそれらの事も全てきちんとしていなくてはいけないのですね。

「死」誰にもやって来るものです。避けることは出来ませんし年齢も関係ありません。赤ちゃんでも死にますからね。年功序列ではないという事ですね。

ノンクリスチャンもクリスチャンも「死」は避けられません。しかし、そこには確かな違いがあります。

ノンクリスチャンは「死」に向って生きていますがクリスチャンは永遠の命に向って生きています。天国が約束されています。

ノンクリスチャンは死後に裁きを受けますがその後には地獄があるのです。正しいかは分かりませんがそのように言った方が理解出来るともいますので了承して下さい。

天国の鍵もよみの鍵もイエス・キリストが持っていますのでノンクリスチャンには天国の門は開かないのです。行いに報いる神様ですから
あなたが生涯を神と人々の前に正直に生きて来たと宣言できるのならあなたには救い主の神イエス・キリストは要りません天国の門は開かれます。

クリスチャンは自分たちが罪人であることを知っていますし罪を何度も犯しながら生きる事を知っていますのでどうしても救い主のイエス・キリストが必要なのですね。

クリスチャンは故意の罪は赦されない事も知っています「神は侮られない」事も知っていますのでね。ですから「罪」の怖さも知っていますけれど神様への畏敬の念も半端ではなく「神を恐れること」も知っています。

謙遜、柔和、正直を心がけていますから時として臆病に見える事もあるかもしれませんが本当はとても強いのですよ、一人でも一人じゃないと確信しているし(常に聖霊の助けがあり、神とtもにいまし)の信仰で生きていますので。

今生きる事に不安をお感じになっておられる方がいますならばどうぞイエス・キリストを学んで下さい。

賛美の家教会 沖縄県西原町我謝123番地
電話 090-9782-1946 金城米子

  


Posted by 金城米子 at 14:25Comments(0)

2019年04月25日

幽霊は本当にいるの?

「はい。幽霊はいます」と答えています。「幽霊の正体は実は悪魔なんですよ」と説明

をします。私の所には幽霊に悩まされているとか幽霊に遭遇するので夜は外へ出ら

れないと言う人からの相談が多いですけどね。幽霊がいると言い伝えは「霊魂不滅」

から生まれた発想であり、それは世界人類の共通しての問題です。霊魂不滅なら未

解決事件は起きない筈だし、先祖は子孫の幸せのために良いアドバイスをしに現れ

る筈です。私は過去に30年間も宝くじが当たるようにと祈り続けた事がありますよ。

でも、当たったのは50万円でしたっけ、でもそれでも怖くって直ぐに共同募金に回し

ましたけどね(笑い)貧乏性にできているのでしょうね。私は子供のころから幽霊を

見る子でした。他人の不幸も良く当てる子でした。でも、自分の事は全くと言ってい

いほど分かりませんでした。友人の亡くなった家族も幽霊も良く見ました。今はそれ

らが悪霊のしわざだと分かりますから幽霊は出て来ません。でも、クリスチャンには

姿かたちを変えて悪霊が寄り添う事も知っています。イエス・キリストも共に寄り添っ

てくださっている(天使や聖霊)事も分かります。しかし、悪霊は人の心の内を探りま

すから油断大敵です。悪霊を引き寄せるのは自分の心にありますから悪霊の騙しに

は気をつけましょう。自分の心をしっかりと見張って常に、キリストを思う事です。

聖書のみことばを黙想しながら仕事も読書も運転もします。そんな器用なことは出来

ないと言う人もいますが出来るのです。「主イエスにあって」と信じ込む事です。聖書

を毎日拝読するのは突然の窮地に陥った時に御言葉で助けられることが多くあるか

らです。聖書を拝読する事で知恵が与えられ、急場をしのぐこともできるという事が

クリスチャンの強みです。ユタも占い師もいりません。自分の心一つで人生を有意義

な者に変えられるのです。聖書は神の言葉であり力です。神は目には見えないけれ

ど聖書が神を見せてくださいます。毎日の一生のデボーションはあなたの思考を神に

向けて自分の心を強くします。何よりも「罪」を示して下さるので聖化され聖別されます。

幽霊が悪魔来るだましである事も知ったのならイエス・キリストの御言葉である聖書を

毎日一章は拝読しましょう。あなたの人生が花も実もある人生に変えられますように

お祈りします。

賛美の家 沖縄県西原町我謝123番地

携帯電話 090-9782-1946(金城米子)

月~木は午後2時から5時までカウンセリングしています。時間は相談可能です。

金・土はお休みですが連絡下されば時間調整します。

日曜日は午後3時から祈祷会をしています。どなた様も大歓迎します。

ぜひ、足をお運びください。お待ち申し上げています。  


Posted by 金城米子 at 09:51Comments(0)

2019年04月18日

春来たらば溶け行く雪氷(こおり)の如く

20代後半、生活が困難で子育てにも挫折しそうなときでした。声をかけてくれた人が

いました。「春来たらば溶け行く雪氷の如く君が悩みを我解けなむ」とそして、「米ちゃん。

天は見ているよ。今の苦しみの何十倍、何百倍も天は報いてくれるのだから、その時

の喜びの為に涙は残しておこう。天は必ず悲しみの涙は喜びの涙に変えて下さるから」

と心が励まされました。そう言ってくれた方は、弁護士を目指して法律の勉強をしていた

方でしたがその後十数年後にあるスーパーで女性と買い物している姿を見かけました。

驚いたのはお水関係の女性だと人目で分かる人で直ぐにその後からヤクザのような人

が一緒だと気づき余計にショックでした。知人らしい人に聞くと彼は000暴力団事務所

の法律顧問をしているとの事でした。彼に何があったかは知りませんが彼が言った言

葉にこんな言葉もありました。月日が経つのは早い。「光陰矢の如し」と言って油断して

はならない。今の自分が未来の自分の姿と大して変わらないこともある。だから、今の

生活や思考を正しく保つことは将来の自分の姿だと考えるといいよ」でした。私はその

時の彼の言葉を心に留めていました。お水の世界にいても状況に流されない。今の

自分が此処にいるのは、生活のためだからお水の世界には絶対に染まらない!」と

私が人に感化されない、状況に支配されないのは、あの時の彼の言葉だったのに彼

がヤクザの世界に生きているとは何という事だろうか?と思い巡らします。クリスチャ

ンになった時に思い切って私は彼がいると言う組事務所を訪ねました。でも、会えま

せんでした.恐いお兄ちゃんたちに囲まれて「何しに来た。何のようだ」と聞かれて身

の汲む恐い思いがしたものの勇気を奮って彼の名前を言ったのですが会ってくれま

せんでした。トラクトを渡して帰りましたが後日にFMラジオ局まで彼からの短い手紙

を持って来てくれた人がいましたが私が「あなたも神様に祝福されますようにお祈りし

ていますから、早く、足を洗って普通になってね」と言ったら苦笑いをされました。

でも、私も良く人に話す事ですが今の自分と十年後の自分とは大して大きくは変わ

らないよ。自分の思考が自分の境遇を改善するのだから、神様はこの地上に置いた

ものは『祝福』と『呪い』だよ。選択は自分だからね。この地上には二種類の人間しか

いないのだから、唯一神を握って生きるか。多神教(悪魔)を握るかで人生が決定す

るんだからね」とイエス・キリストだけが唯一神であることを説きます。二種類と言えば

男と女ですね神様は「男と女を創造されたのですね。男は男としての生き方、女は女

としての生き方以外は出来ないという事ですね。それ以外を選ぶ事は多神教と同じ

なのですね。」と私は言いますが「人生はいつでもどこからでもイエス・キリストにあって

やり直せるからね」と・・・「闇は光に勝てなかった」とイエス・キリストは言います。

あなたが真の光の中を歩まれることを切に願います。あなたの人生がイエス・キリストに

よって花も実もある人生に変えられることを願います。


「賛美の家」 沖縄県西原町我謝123番地

携帯電話 090-9782-1946(金城米子)

月~木曜日 午後1時~5時迄は無料カウンセリングをしています。

日曜日   午後3時から祈祷会をしています。  


Posted by 金城米子 at 09:13Comments(0)

2019年04月14日

裁判官のいない神の愛に根差した教会になろう

教会を転々とした原因は、教会が裁判所になり、魔女裁判が平然と繰り返されたからです。

教会には裁判官が用いられているのだとこの20年間でしみじみと思わされる事ばかりでした。

教会の門をたたく人々には、病気や家族間の問題や人には言えない苦しみや悲しみを抱えて、

死ぬに死ねない事情の人々が来ることを教会の立役者たちは知らないでいる。

イエス・キリストが入る事の出来ない教会が多いと感じられるゆえに、愛の実践をして少し

でもキリストの香りのする教会を立ち上げたいと決心して「賛美の家」教会をスタートした筈

だったのに教理の学びが優先してしまい裁判官育成になってしまったことは本当に残念

でした。再度、「賛美の家」教会を立ち上げたのは、教理中心は止めて、キリストが何を

行ったのかが目で見て理解出来る教会をと望んだからです。これから、世界的に弱肉

強者の時代に入らざるを得ない事態が目の前に迫っていますから。祈りと賛美で

イエス・キリストの臨在感あふれる教会をと望んでいます。貧しい人にもキリストを知ら

ない人にも「イエス・キリストの真の弟子たちが此処にいますよ」と感じられる教会にし

たいと祈りつつです。裁判官も検事も必要ありません。分析官も必要ありません。

難しい教理も必要ありません。イエス・キリストの臨在だけが必要なのです。

それにしても教会信徒の問題発生時にイエス・キリストを語り、その場を収める事の

出来ない教会リーダーたちの姿には情けなくなる思いでいっぱいです。

「さばくな、あなたがさばかれないためです」「赦しなさい。あなたが赦されるためです」

「互いに愛し合いなさい」「私が来る日まであなたがたは互いに励まし合いなさい」と

イエス様は今日も全てのクリスチャンに語られていると思います。教会リーダーは

神様との関係で決まることをぜひ知っていただきたいと思います。良い教理でもなく、

教材でもないのです。神様との関係なのです。神様は私達の能力や人柄を見るの

ではなくて神様との関係です。「愛」が基であることを覚えるのが良いでしょう。

御霊の実なのです。御霊の実を唱えて実が完熟するように祈り求めましょう。  


Posted by 金城米子 at 04:00Comments(1)

2019年04月12日

苦手な人に優先権を与え祝福を得る

「あなたが右に行けば私は左に行こう。あなたが左に行けば私は右に行こう」
(創世記13:9)

アブラムがロトに別れを決心して言った言葉です。ロトがアブラムの祝福のゆえに繁栄

した時にロトの心にアブラムと同等だとの高慢が生まれました。ロトの高慢さは牧者たち

に流れます。アブラムの牧者たちとの争いになりました。そこでアブラムがロトに優先権

を与えて土地を選ばせたときのやりとりです。私は、この箇所をデボーションしている時

に賛美の家教会を閉じる事を納得しました。その当時にはどうしても折り合いが付かな

い姉妹とのトラブルが尾を引いていました。その事に業を煮やしたのでしょうか、突然に

賛美の家を閉じる事を宣告されて非常に戸惑いましたが神の御心を求める事にしました。

結果は私が賛美の家教会を出る事になりましたがそれは、いったんは身を引くようにと

の神様の御意志であることを受け入れたからでした。なぜなら、神に信頼しない兄弟が

その姉妹と結託していたからでした。しかし、神はその時、「わたしは再びあなたを連れ

もどす」と思いを与えました。散って行った兄弟姉妹を西から東から北から南から呼び戻

すと示されました。シオンの娘たちのようにです。2年の歳月は私には長く感じられました。

私は多くのクリスチャンを望んではいません。聖書の真理を公開してキリストの弟子を育て

たいだけです。特別な地域の沖縄の独特な霊的思想が空を覆い土地に雑草の根を張って

いる目に見えない力がクリスチャンも県民にも狙いを定めている事を知っているからです。

キリストの真実もサタンの偽りも経験した私だからこそ賜物が与えられたのだと確信します。

賛美の家が聖別されるための2年間でした。これから主の真の働きをする事を許されたのです。

「この命ある限り、我が情熱をキリストのために沖縄県民の救いの為に用いてください。」と

日々に祈りつつです。アーメン!!!  


Posted by 金城米子 at 08:03Comments(1)

2019年04月12日

躓かないために・・・

キリスト教の教えは、救い主、贖い主であるキリストから目を離さないでいる事です。

クリスチャン歴が長い人でも牧師であってもバイブルワーカーであっても普通の人間

なのです。何かで失敗したり、心に傷を受けたりして来ています。決して聖人君子で

はないのです。牧師やリーダーの欠点を見る人は必ず信仰に躓きます。キリストに

目を向けさせないで牧師やリーダーに目を向けさせるのはサタンの罠です。サタンは

人間がどんなに不足なのかを知っているゆえに人間に目を向けさせて信仰のつまず

きを与えキリストから離そうとするのです。たとえ、キリストから離れなくてもキリストの

御旨を痛める事をします。クリスチャンがクリスチャンにつまずいて悪口、陰口を言わ

せて祝福を取り去るのです。言葉に出さなくても心に思う事さえもキリストは悲しむの

です。クリスチャンの思考さえもサタンは握るのです。クリスチャンは全身全霊でキリ

ストを愛し通すのです。そうすれば苦手な人はいなくなり、教会の兄弟姉妹を愛せる

ようにと願い求めるようになるのです。エルサレム教会に戻って来た時に老衰した

ヨハネは「わたしがあなたがたを愛したようにあなたがたも互いに愛し合うこと、

これがわたしの戒めです」(ヨハネ15:12)とメッセージを残しました。そして、

「人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛は誰も持っていません」

(ヨハネ15:13。)と私たちを「友」と呼ばれて十字架に死なれたキリストを証しされました。

牧師やリーダーの人柄に目を向けてはなりません。贖い主キリストにだけ目を向けてください。

神の恵みと祝福を受け続けたいと願い求めるのならキリストから目を離さずに聖書の

御言葉をいつも心に記し、唇には主を讃美することをおいてください。

「昼は主を証しし、夜は主を讃美しなさい」聖書


  


Posted by 金城米子 at 07:22Comments(0)

2019年04月11日

救いについて思うこと

私はキリストに出会った時の海辺でのことを片時も忘れた事がありません。

母子心中から救われて事件にもならずに守られて来たのは、私がスペシャルでも

何でもありません。私は海に入る前に祈りました。物心つくころから私は祈りの人で

した。母親よりも早く起きて台所の火の神の前で家族の事や周りの人の為の祈りを

していて母親に苦笑いされていました。何をするにも祈る子でした。母子心中の前に

も私は涙で祈りました。これまでの自分の歩みが全て間違いであった事を悔い改め

ました。間違っていたから母子心中する原因であることを告白し、真の神を知らずに

悪魔の指示で生きて来た事を心から悔い改めました。そして、「真の唯一の神がいる

のなら一緒に死での旅に連れて行く息子の霊を天に引き上げて欲しい」と祈りました。

私がした事は悔い改めの祈りと息子のとりなしでした。しかも唯一の神への祈りでこれ

までの信じて来た神々を否定した祈りでした。そして、海の中から引き揚げられてキリ

ストに出会った時に心の底からキリストが真の神であること天父と等しい神であること

を知りました。それまではキリストが十字架刑になったのは「神殿侮辱罪」だと言い続

けてきたこたことは間違っていた事を空に浮かんだ十字架を見て悟りました。その十

字架にかけられるのは私なのだと受け入れました。キリストの真の力を信じ受け入れ

た時でした。赦しを希う私は50年余りの人生は常にキリストに背負われていながらキ

リストに唾を吐いていたのだと悟り申し訳なさと自分の愚かさを恥じました。情けなくて

悔しい思いでいっぱいでした。あの時の事を思い出すたびに涙がこぼれます。真の救

いについてはいろいろと取りざたされていますけれどキリストの力だけを信じる者にし

か真の救いはあり得ないと思うのです。信仰による真の悔い改めと救いは切り離せま

せん。聖書の登場人物たちに共通するものは信仰による悔い改めを見る事が出来ます。

キリストがお喜びになられるのは「日々の悔い改め」です。救いの基は「悔い改め」です。

「悔い改め」による聖化で私たちは真の救いを見る事が出来るのです。信仰と悔い改め

切り離せません。悔い改めは、自然とへりくだる者とされます。信仰はキリストの岩の上

で砕かれてへりくだる者とされるのです。キリストを模倣として品性に近づきたいと思います。  


Posted by 金城米子 at 07:50Comments(0)

2019年04月07日

讃美歌はサタンを撃退する!

私は4月6日の土曜日に切り替わってすぐの午前0時3分頃、眠りに着こうとした時でした突然不安に襲われて息が止まりそうになりました。真っ

暗なトンネルに引き込まれていく恐怖と共に私を罵り責め立てる声が聞こえて身動きが出来なくなりました。私は例えようもない恐怖で身動きが

出来ません。声を発する事も出来ませんでした。それは、以前にも経験した事がありますので「また、おかしくなった。どうしよう」と恐怖の中で私

は「主よ!」と一言でした。心の中で声にならない声で主に助けを求めました。「主よ。助けてください。私にはあなたしかいません!」とすると聖

霊の御声で「主を賛美しなさい」とかすかに聞こえて来たので私は力を振り絞って立ち上がって讃美歌CDをかけました。一曲目には何事

も変化は起こりませんので焦りました。3曲目に徐々に不安が取り去られていくのが分かりました。やがて、不安が全て取り去られて言いよう

もない平安に満たされました。そして、心に聖霊様の御声が「わたしが与える平安は世の誰がも与えることのできない平安です」と語りました。

それから、私が抱えている問題の一つ一つが解決の知恵が与えられました。「主よ。感謝します!あなたこそ私の神です。「主よ。あなたは、

あなたのなさったことで、私を喜ばせてくださいましたから、私はあなたの御手のわざを喜び歌います!主よ。あなたのみわざはなんと大きい

ことでしょう!あなたの御計らいは、何と深いでしょう。主よ。あなたは永遠の私の盾で岩です。感謝します」私は泣きながら朝の5時まで主を

讃美していました。賛美の中に主は住まわれますことをあらためて経験しました。「昼は主を証しして、夜は主を讃美しなさい」この御言葉を心

に刻みなさいとクリスチャンになってすぐに与えられていましたのにと深く悔い改めさせられました。主に心から感謝します。  


Posted by 金城米子 at 05:16Comments(0)

2019年04月07日

神に従うのか?牧師の教理なのか?

多くのクリスチャンが聖書が土台だと言っています。人に聞き従うのではなくて聖書

に聞き従うのだと言います。礼拝を守り、献金も正しく行って、教会行事にも奉仕も

真面目にしていると言います。聖書に聞き従っていると言いながら、なぜ、礼拝が

日曜日なのでしょうか?聖書には安息日が日曜日だとは何処にも証明されていま

せん。主イエス様が十字架に架かられて3日目に復活した日が日曜日だからという

意見が牧師や教会では語られていますが聖書のどこにも安息日が土曜日から日曜

日に変更されるとは記されていません。主イエス様が再臨されるときに救われるのが

「神の戒めを守る者とイエス・キリストの証しを持っている者」とあります。ここに旧新

約聖書と安息日を聖書から見る事が出来ます。創世記2:1-2「こうして天と地と、

その万象とが完成した。神は第七日目にその作業を終えられた。すなわち、そのす

べての作業を終わって第七日目に休まれた主はその大七日目を祝福して、これを聖

別された。神がこの日に、全ての創造のわざを終えて休まれたからである。」とあります。

出エジプト16:4、23-30。20:8-11。31:13-17。民数記5:15。イザヤ56:1-2。

イザヤ58:13-14。66:22-23。エレミヤ10:10-12。エゼキエル20:1-2。

新約聖書には「一転一画もすたることはない」マタイ5:17,18。に記されてある通り

主イエスは律法が変わることはないと言われています。「人の為の日、安息日の主」

マルコ2:27、28。「愛と従順」ヨハネ14:、21。「初代教会」使徒13:42-45。と安息日

礼拝については、まだまだ多くの証しが記録されています。コリント16:2の「日曜日に献

金?した箇所をもって日曜日の礼拝を正当化するクリスチャンもいますが文脈から読み解く

と日曜日礼拝を指示する事ではない事は理解できます。旧約聖書はユダヤ人だけに適応し

なさいともありませんし聖書は新旧を通してイエス・キリストを証しするものだと記録されてあ

りますから是非、もう一度しっかりと安息日について考査してほしいと思います。  


Posted by 金城米子 at 04:39Comments(0)

2019年02月27日

信仰は、先ず聞くことから始まるそして従うこと

キリストを受け入れた時に、息子に話しました。「教会に来ないか?あなたがたが生

きる事の幸いを知るためにだよ。」と・・・息子の返事は「しばらく考えてからだなあ。

週末は会社だからなあ。」とだった。私は息子にキリスト教が完全に否定されたと思

い込んでいた。それから数日して再び息子に話した。「神様がいないと思うと神様が

いないと思われるような悲惨な人生を経験する事になるよ。」と。すると息子が言った

事は、「神様はいないとは思った事は一度もないよ。天地創造をした神様が人間が生

活できるようにと最初に地上を整えてくれたのだろう?自然を見てもこの世の仕組み

の中に創造主の神が存在する事は知っていて、感謝しているよ。全ての事に感謝し

ているからキリストが統治の神だと知っているから大丈夫だよ。」でした。私よりも

キリスト教に詳しかった息子でしたから、時を待って祈り続けようと思いました。

キリスト教の話や聖書の話を息子にしたところ、息子は言いました。「信仰は先ず、

聞くことから始まるからね。聞いたら従う事だよね。従えない事は信仰者ではない。

偽クリスチャンだよね。礼拝を守っていても守りなさいと言っている事を実践しなけ

れば神様は退けると言われるからね。愛と秩序の神、罪を徹底的に嫌う神様だよね。」

と言ったのでもうこれ以上教会に来ることを勧めないように祈り続ける事にしよう。

現在も祈りは継続中です。息子たちの上に神様の時の早まる事を祈っています。

ヨブが子供たちの為に神の前に正しく生きる事を望んだように神様の戒めを守り続け

る事が出来ますようにと祈っています。神への捧げものも守れるようにです。神は必

ず祈りを聞かれると確信しています。毎朝、息子たちに御言葉を送っています。

「我が子よ。わたし(キリスト)の教えを忘れず、私の戒めを心に留めよ。そうすれば、

これはあなたの日を長くし、命の日を延べ、あなたに平安を増し加える。」(箴言3:1~2)


  


Posted by 金城米子 at 10:28Comments(0)