てぃーだブログ › スピリチュアル › 天使 › 守護天使

2011年02月02日

守護天使

この川を渡れば母に会えると思い川に入った途端水流に飲み込まれそうになり誰かに抱き上げられて岸に辿り着いていた経験をしました。その後すぐにそこへ来合わせたのが母と一緒に働く同じ工事現場の男性でした。

東側の山を越えて川を渡り母を訪ねてOO里ならず西海岸へ出た4歳の私です。後で母が不思議に思ったのが何故西海岸に母親がいると分かったのかと言う事です。そして山を越えると西海岸に出ると何故分ったのかと言う事です。川はダムになるほどの急流で深いのに何故無事に渡れたのか、偶然にも同じ現場の男性が居合わせたのか等々でした。

その男性も何故、山に入ったのか分らなかったと話していました。何となくだったそうです。また、小学校6年生には交通事故でタクシ~のボンネットにあげられて地面に落ちたのに擦過傷で終わった事もありました。数えたらきりが無いほどの事故から助けられて今日まで来ました。

私が忘れられない事の一つに、父が米軍兵からハムを貰って来ました。当時は高級品です。私も食べたくて仕方がなかったけれど「夕食は祖母の家でするように」と言われて祖母の家に追いやられ、ハムにはありつけなかったのですね。あきらかに両親の差別でした。ところが夕食後しばらくしてから両親が弟や妹を連れて病院へ駆け込んだのですね。

食中毒でした。私を除いて全員食中毒になったのです。ハムが原因でした。私は腎炎だったので低体力だったので食中毒になったら恐らく重態になっていたか死んでいたかも知れません。守られていたのだと思いました。

二日ほどして帰宅した父が言った事は「お前にいじわるするとろくな事ないなあ」でした。笑えないジョウ~クでした。(あなた達の差別根性が幼い子供たちの命を危険に陥れた事には痛みを感じないのか?)私の本音でしたけど言葉にしませんでした。私は家ではしゃべらない子になって行きました。

この事もあの事も私には守護天使なるものがいたのかなあと思わされます。私達は浜比嘉島には頻繁に拝みで行っていました
ある日をきっかけに浜比嘉に参拝に行く度に「主の祈り」と「霊と真をもって主を礼拝せよ」と言う言葉が口をついて出たりと戸惑いがありました。

帰りの船や車の中で天使ミカエルと言う声が聞こえるようになりました。でも、それが何の事なのか調べようともしませんでした。教会に行ってからミカエルが大天使である事を知りました。

本当に私の怠慢でした。その事を通しても思わされるのですが知らないことも罪だなあと言う事です。示しや思いが入ったり見聞した事に対して私達は知る努力をする事の必要を思いました。知る事が身を守る術になるかも知れないと思いました。「守護天使って本当にいるの?」と質問されたので私の経験を記しました。

「主は絶えずあなたを導いて、焼け付く土地でも、あなたの思いを満たし、あなたの骨を強くする。あなたは潤された園のようになり、水の枯れない源のようになる」イザヤ58:11


同じカテゴリー(天使)の記事
応答の祈り
応答の祈り(2011-01-08 00:55)

「天使の体験」
「天使の体験」(2010-10-10 22:19)

「天使体験」
「天使体験」(2010-10-10 14:23)


Posted by 金城米子 at 10:48│Comments(0)天使
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。