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Posted by TI-DA at

2010年10月30日

「対人関係の解決」



「砂漠の預言者エリヤ」15世紀、ルーヴァンの聖ペテロ教会所蔵

私達は対人関係でつまずいてしまった時に、何とか解決したいと
もがき苦しむ人みます。
また、敵対している人から離れる人もいます。

神様を伝える働きの召しを受けた人は、必ず通過しなくてはならないのが
対人関係です。深く親交のあった人との突然の亀裂が起こったり、思いがけない
勘違いから相手を蔑視してしまう事などです。

私は9年間の信仰生活は位相の世界からキリストの一方的な恵みによって救われた
経緯がありますから自分の意思で教会を訪問し、信仰生活に入りました。

位相の世界ですからクリスチャンにしてみれば、違和感や蔑視の中での教会生活は
ある意味では針のむしろ的でした。

逃げなかったのは、キリストから離れたら私だけでなく子孫の千代までの祝福が取りあげられる
と思っていたからでした。それと、私自身が異常なまでの境遇の中で育った経験から苦手な人
や問題から上手く逃げる術が身についてしまっていたから何食わぬ平気を装っている事が出来た
ただそれだけです。心の内側を隠し凛としている事が私の生きられる最善の方法だったからです。

5年目に神様は、私に足りないところを学ばせるために大きな教会に植え変えをしました。
何もかもが真新しくて教会も信徒も今までとは違う感覚で心浮き浮きで私達家族は、
新しいスタ〜トでした。

すぐに主の訓練がやって来ました。教会の兄弟との行き違いから大事になり、2年近くも痛みの中に身をおくはめになりました。何を言っても悪循環の繰り返し、信じてもらえない苦しみにあえいでいました。祈りの中で突然主が示されたのは、創世記のハガルの記事でした。サラとハガルが敵対してハガルは苦しみます。女主人の言いつけ通りにしたのにサラからの迫害がありました。
神様は、ハガルをサラから引き離します。ハガル達母子を荒れ野へ出します。

それは神の恵みでした。女主人のサラの元にいてはハガルもイシュマエルにも平安がなく争いの火種は消えないからでした。争いの火種は嫉妬、妬みからなので互いが顔を合わせていたら解決しません。それに、アブラハム自身が情愛に左右されて二人の女と息子の問題を解決できない事を
神は知っておられたからです。

私は、二年近くの祈りの中で神に助けを求めていたのではなく、ハガルのように敵対している相手や
関係者に助けを求めている事を示されました。私達の神様は、凄いですよね。二年も忍耐していて私にこの事実を示したのです。そして、その場所を去って新しい地に行きなさい。でした。

「あなたを救うのは、誰でもなくわたしだ。あなたが呼べばわたしは答える。あなたの行くところにわたしもともにいる」と励まされました。『彼らの心をかたくなにしたのはわたしだ』とも・・・

「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。」申命記6:5

この御言葉が新地へ旅立つ私への主の励ましです。



  


Posted by 金城米子 at 10:03Comments(1)すべての営みには時がある

2010年10月04日

「寛容さをもって教え導くキリストの愛」



エルサレム 十字架の道行き 「ヴィア・ドロローサ」

今から5年前に突然、訪問を受けた現在60代の男性です。
彼が私を訪問して来たのは、離婚した奥さんとの子供の
親権争いの裁判中でした。

子煩悩の彼は二人の娘、当時は5歳と8歳の娘を母親から
取り上げたいと望んでいました。

しかし、裁判の状況は彼にとっては不利な状況でした。
自分の気持ちの整理がつかない、不安で苦しいからと
話を聞いてくれとの事でした。

プロのカウンセラ〜に行けばお金がかかるからとの彼の
動機に私は、「正直でよろしい」と笑っちゃいました。

それから、彼は延々と5時間も喋り出しました。
彼は、離婚問題で指導員の職も辞めて裁判に勝つ
ために懸命でした。

彼は私をおっかけてかしましいほどに自分の辛さを訴え続けました。
教会を紹介しキリストの平安を求めるようにと支えて行きましたが
彼は、教会からも私からも離れました。

祈っているときに幻を見ました。羊が崖から落ちたのですが崖の
棚のほうですがイエス様はすぐに助け出そうとはしませんでした。

私「イエス様。何故ですか?すぐに助け出さなければ深い谷底に
落ちてしまいます」

イエス様「三日待ちなさい。今は、羊は力がありますから助け出そう
としても暴れて逆に谷底に落ちてしまいます。三日なら引き上げて
水と食料で元気になります。」私は祈りながら待つ事を決めました。

祈りを聞かれるイエス様です。
彼が原因不命の病で倒れて途方にくれているとの情報が入りました。
彼は「神にも子供達にも見放された。自分では死ねない。こんなぶざまな
姿になって・・・」と身近の友人に話されていたとの情報でした。

私は祈って彼を訪問しました。そして、彼は、キリストを受け入れました。
週に一度食事を作って訪問をしております。全てを失い、健康もままならない
状態ですが彼は失う事のない平安を得たと言っています。

彼は、前向きにリハビリをする事を約束し教会へ行けるようになったら自力で
教会に行くと言ってくれました。今は、近くの教会を祈っています。

「寛容をもって教え導く」これがイエス・キリストの愛です。イエス様は祈りを必ず
聞かれ、時を見ておられます。焦らずにあきらめずに忍耐し寛容する心をイエス
様はクリスチャンに与えられます。イエス様のクリスチャンへの恵みです。

「なぜなら、神は、御心にかなう人には、知恵と知識と喜びを与え、
罪人には、神の御心にかなう者に渡すために、集め、
たくわえる仕事を与えられる」伝道の書2:26

「天の下には何事にも、定まった時期があり、
すべての営みには時がある」伝道の書3:1


心に戸惑いを持つものお気軽に連絡下さい。  


Posted by 金城米子 at 08:07Comments(0)すべての営みには時がある