てぃーだブログ › スピリチュアル › 2014年04月

【PR】

  

Posted by TI-DA at

2014年04月28日

あなたの先祖はあなたには物ねだりはしない!

沖縄は清明祭りの時期が5月の中ごろまでは継続中です。

死者の霊を拝む心の根にあるもは何でしょうか?

あなたがもし、明日死ぬとしたら子孫に向かってこう言いますか?

「私は仏壇にいるから毎日、私を思い、私にお供え物をして、私を拝みなさい。そうしたら決してあなたがたの不足を問わないからね」

キリスト者はこう言います。

「私は天国の神様の元であなたがたの平和を願っています。

だから、あなたがたは全ての因習から解放されて自由で愛し合う関係の日々を過ごして下さい」

あなたならどちらが真実な愛だと思いますか?

人は生きている間に神と人々の前に正しく生きる事が出来るのです。

勿論、誰一人として神と人々の前に正しく生きる事など出来ません。

だから、イエス・キリストの十字架の死なのです。私たちの為に十字架の死を受け入れて下さり、

死んで墓に葬られて三日目によみがえられた主イエス・キリストに期待して天国への希望を信じるのです。

人は死んでからでは何もできません。死者の霊は神の元の管理下に入ります。

神の赦しがなければ地上に戻れません。地上の人々に影響を与える事は何一つ出来ません。

生きている者も死者も裁かれる神の時を待つだけです。

よみのカギも天国のカギも持っておられる主イエス・キリストを信じ受け入れる事があなたもあなたの家族をも救うのです。

「主イエスを信じなさい。そうすればあなたもあなたの家族も救われます」聖書。

39回のカギ付きムチを背中に受けて(背中が裂けて腎臓が飛び出した)・・・

それでも十字架を担いでゴルゴダの丘を上る事が出来たのは、神の子だったから出来たのです。

「彼は本当に神の人だった・・・」と十字架刑につける為に付き添っていたローマ兵の百人隊長は言いました。

「あの十字架がなかったら私たちには、罪の赦しも天国へのいざないもなかったのです」

死者の為の行事は経済的に困窮な人には重荷になります。

神様は言います。「生きているときに思いを尽くし、力を尽くし、知力を尽くしあなたの神を愛しなさい。

(真理の神を信じなさい。)あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい」と・・・

「死者は死者に任せない」とも・・・

私たちがする事は、生きている神を礼拝し、生きてる隣人を愛する事です。

この時期、今一度、静かに考える時期としてはいかがでしょうか?お祈りしています。

「私の墓の前では泣かないで、私は墓にはいません。」と叫んでいますよ。

墓を拝むことは、死者を苦しめる事になっている事を知ってください。

墓の前で食事をすることも、拝むことも神様の忌み嫌う事だからです。

これらの因習は中国から入って来た文化です。わずか廃藩置県の折に

鹿児島の島津藩からの圧政によって強いられた因習が沖縄だけが

こんなに生活の中にテッテイングされているのです。  


Posted by 金城米子 at 03:11Comments(0)

2014年04月28日

「私に聞くな!主に聞きなさい」

最初の出会いは、非常にその人のその後に影響を与え続けます。

最初の師は、聖書に忠実な方で妥協をしない方でした。

厳しい先生でしたが愛情に溢れる方でした。

聖書デボーションでも御言葉の解き明しでもまず、「主に聞きなさい」と言い、

自分の知識を押し付ける事はありませんでした。主に聞くことが出来ないの

だからと半泣きしたことが何度あったことか・・・

「主が答えるまでも待ち続けなさい」と突っ張られて私は徹夜で主の前に心を

絞り出して祈り待ち続ける訓練をしました。

サー高生まれの特色で幻を見たり、聞いたりしたことを話すたびにM師は

「自分の心と状況をよく吟味して、主があなたに何を語っているのかを

聖書デボーションで聞きなさい」と仰って下さり、私が聖書からの答えを

言ううまで師はご自分の意見は言わなかったです。

考える力はあくまでも主にあってと言う事を全うして教えて下さったM師の指導は、

今でも私がカウンセリングするときに力になっています。

多くの牧師たちが自分の考えを正当化して、信徒を導いている事を見るときに、

マインドの怖さを覚えます。マインドは必ず愛の絆を断ち切ります。

思考の支配は、後々に憎しみをもたらします。

「私に聞くな!主に聞きなさい」・・・「心へりくだり、悔い改めて主の前に出たら必ず主は答えて下します。

あなたの中に悔い改めるべきことがあるなら主はお答えになりません。あなたの祈りも退けます。」

五年間、M師は厳しく諌めましたが強い愛情は感じました。

「正義を語り、救うに力強い者。それは、わたしだ」イザヤ63:1のみことばがあなたの上に満たされるように祈っています。

あなたの信仰だけを見ることが出来る助け人が与えられるように私は祈り続けていますよ」と最後のM師の励ましでした。

今、確かにその祈りは、主にあって満たされています。

あなたの為に祈り続けている人が必ずいます。それは主、ご自身です。

「あなたの信仰がなくならないために祈っています」とペテロに語られた

主イエス・キリストは、あなたのために聖霊を通して、とりなしの祈りを

昼も夜もずっとまどろむことなく祈っています。

S・Tさん。私も主にあって、あなたのためにお祈りしています。

あなたは一人じゃあないです。キリスト者は、一人でも孤独ではありません。

主があなたの涙をぬぐって下さっています。これからもずっと私たちは孤独ではありません。

どうぞ、ご自分を赦してひまわりが太陽に向かうようにあなたも御顔を主に向けられますように・・・シャローム!  


Posted by 金城米子 at 01:40Comments(0)

2014年04月07日

真の強さは分け与える力

「キリストを信じてあなたはどのように変わったのですか?」と聞かれます。

多くのキリスト者が答える事は「平安・自由と解放」と答えます。

その中身を聞かれると多くの答えが人それぞれにあります。

私はこう答えます。

「キリストには真の力があります。それは分け与える力です。」と。

奪う力は競争社会の最たる目的です。冷淡で疑心暗鬼で
勝ち負けの世界でそこには平安が全くありません。

それが戦後の日本社会の歩みです。
そして、昨今の政治家たちは過去のリベンジを計る事が
自分たちに課せられた責務だと信じ込んでいるから厄介なのです。

だから、近隣諸国との摩擦を起こしていることに気づきがないのです。

日本人には刷り込み教育という土台があります。
礼儀に反しない他人には迷惑をかけない秩序を重んじる教えは、
昔から今日まで継続している事はとても立派だと思います。

迷信や因習も刷り込み教育です。科学的な根拠は何もありません。
ですから、そこには、因果応報的な思考と差別や偏見が混在しています。

御利益信仰もその一つです。キリスト教の教え以外は全てが御利益信仰です。
それが大きな間違いであり、知らず知らずのうちに目に見える御利益信仰者と
なってもそれが神からの恩恵だと思い込んで疑わないでいるのです。

キリスト教は、分け与える力の神様です。分け与える事は、金銭や物品だけではありません。
「友の為に命さえも惜しまずに与える」事の尊さを土台にしています。

弱者の為に病院や孤児院施設や老人施設を先駆けて設立したのは、キリスト教の教えを受けた人々です。
福祉の起源はイエス・キリストだからです。行政や法律の起源もキリスト教から始まったのです。

「分け与える力は、人に生きる希望を与え、命を元気にします」

真逆なのが「奪う力です。すべての関係を破壊する。それが奪う力です」

今の日本が真逆な方向に猛進している事を「考えない国民」は気づいていません。

本来の川の流れをせき止めて違う方向に川の流れを変えていく政治家が
現在の日本の政治家です。

キリスト教の聖書を基本とした政治がアメリカからも消えています。
カナダではキリスト教者への静かな迫害が起こっていると聞きます。

真理がねじ曲げられ、悪を正義として押し通すヒューマニズム信仰が
キリスト教会にも浸透しつつある今日です

今こそ、真の力とは何かをクリスチャンがしっかりと根を下ろして祈り、実践する時期に来ていると思います。
根の浅い木には風が襲います。風が吹けば根の浅い木はどんなに枝ぶりが立派でもすぐに倒れます。

根が深くしっかりと立っている木には、風も通り過ごして行きます。
キリスト教は「愛を根底」にした教えです。だから、決して倒れません。

切り倒されても根が根が残っていますから水に出会えばまた、緑を萌え出します。

「目を覚まして」「根を張って」「愛の実践」に今一度進もうではありませんか。

私が母子心中事件を起こしてキリストに出会った時に与えられた御言葉を紹介します。

「愛は寛容であり、親切です。また人を妬みません。愛は自慢せず、高慢になりません。

礼儀に反する事をせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、

不正を喜ばずに真理を喜びます。すべてを我慢し、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。

愛は決して絶える事はありません。」第一コリント13:4~7a

「こういう訳でいいつまでも残るものは、信仰と希望と愛です。
その中で一番すぐれてるものは愛です。」第一コリント13章。  


Posted by 金城米子 at 00:51Comments(0)