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Posted by TI-DA at

2014年05月31日

五感を通して語られる神キリスト

神様は私たちに五感を与えています。その五感を通して神様は私たちに語られることもあります。
五感とは視覚・聴覚・臭覚・味覚・触覚)です。私は時折、霊的に敏感な人にお辞儀をされることがあります。

「恐りてぃるほぅとぅびる。わっさぐぶりーぬ道やゆるちたぼり」
(恐れおののいて拝しています。ご無礼の道はどうぞお許しください。)

去年の夏にうるま市での事でした。突然に40代の女性がそう言って拝したので驚きました。
理由を聞くと私の背後に大きくて光り輝く男神がいて自分の心の思いを刺し貫いていると言うのでした。

彼女は15年ほどユタの弟子をしていて今までに拝んだことのない
大きくて偉大な男神で恐れをなしていると言うのでした。

「私はその男の神はあなたに何と呼びかけているのですか?」と聞きました。
すると彼女は「真の神が誰なのかを私に聞け!」と言っていると言いました。

私が主イエス・キリストの福音を語り、彼女が信じるのに時間は要しませんでした。
彼女は十字架にかかられたイエス様の話を熱心に聞いていましたが
映像がはっきりと浮かんで見えたと言いました。

サー高生まれの人やユタ・拝みの職業の人たちには霊的にイエスを見ることが出来る人がいます。
それはクリスチャンを通してです。クリスチャンは何処にいてもいつでも右側にいるキリストが
何でも出来る神であることを確信していますから、五感の発達している人や神を求めている人には
クリスチャンを通してキリストを見ることが出来るのです。

その事は事実です。信じる者に伴うしるしもその一つなのです。
五感を発達させるには46時中あなたの神を慕い求めることでしょう。

伝道の成功の一つにはあなたを通して人々がキリストを見たり、
感じたり、キリストの香りを放つようになったり、
あなたに触れた瞬間にキリストを感じる暖かさをあなた自身が持つことです。

主イエス・キリストは昔も生きて今も生きて永遠の命を私たちに
与える権威を持っておられる神様なのです。
先祖崇拝?関係なく黄泉のカギも天国のカギも持っていて裁判の時にとなりで
弁護してくださるのが主イエス・キリストなんですよ。

「エリコの預言者のともがらは、遠くから彼を見て「エリヤ霊がエリシャの上にとどまっている。
と言い、彼を迎えに行って、地に付して彼に礼をした」第二列王記2:15。

聖書の裏付けですね。アーメン!ハレルヤ(*^_^*)  


Posted by 金城米子 at 21:11Comments(0)

2014年05月31日

実を結ばない木は切り倒される?

聖書を知らない時に無我夢中で伝道をしたのですが知人から

「イエス・キリストを信じなければどうなるんだ?」と聞かれた私は

聖書の箇所の「実を結ばない木はみな切り倒されて火に投げ込まれます。」マタイ7章。

「木の下には斧が置かれる」と言うところを拝読しました(苦笑)

私の知人ドン引きしたのは理解できます(笑)。

それが最初の頃の私の伝道でした。私は初期の頃の伝道を「ずっこけ伝道」と

称してミニブックを出そうかと祈っております。

御言葉を知らなくても神様と人々を愛する心があれば伝道は出来ると言う証の本です。

「あなた自身の憎むことをあなたの隣人にしてはならない」と言う教えが聖書の基本でもあります。

沖縄人には沖縄の肝心をつかむような伝道の方法があると思います。

人間関係を重く見る沖縄人には、家族を退けても教会に行くことを強要してもならないし、

礼拝は洗礼を受けた者だけが祝福を受けるという事でもないのです。

神の恵みは一方的です。教会礼拝がどうしても無理だと言う方には、家庭での礼拝を勧めています。

祈りの中で教会礼拝が出来るようにとの祈りも導いています。

実を結ぶという事は、「神様と人々を愛し、仕えて、霊と真をもって主を礼拝する」ことにつきると思っています。

教会を起ち上げている牧師先生の御苦労は大変だろうとお察しいたします。

しかし、万事は神様の御手の中のことですので教会に来れない弱い人々のケアをしているクリスチャンも
また神の赦されていること、御心なんだと笑って赦す寛容な心を頂きたいと思っています。

聖書の御言葉の中にこのような箇所があります。

「『主よ。主よ』という者がみな天の御国に入るのではなく、天におられるわたしの父の御心を行う者が入るのです」マタイ7:21。

すべてのクリスチャンの上にこの御言葉が留まりますようにお祈りしています。  


Posted by 金城米子 at 12:44Comments(0)

2014年05月31日

シンプルな思考で生きる幸い

ユタ時代は神の奥義だとか,より深い神秘的な事があってそれを私は悟っているのだと自負がありました。
しかし、それらはみな大きな勘違いで自己満足・高慢(><:)それが悪霊の思うつぼでした。

主イエス・キリストは人々には、人生を楽しむようにシンプルに生きるようにと聖書の中で教えています。
聖書は主イエスの父神と主イエスからの人々へのラブレターです。
聖書には私たちが抱える全ての問題解決の答えが記されています。

ですから初めて聖書にを拝読したときには、驚きと新しい世界を垣間見たような新鮮さで心が躍りました。
聖書は至ってシンプルな教えです。誰がも理解できて受け入れることが出来る物なのです。

難しくしているのは神学者と拝読する人自身です(笑)

聖書は親子の関係・夫婦の関係・異性関係・対人関係など等の在り方を細かく語っています。

引き寄せの法則は私たちの思考にあることも教えています。

災いや苦るしみ(不可抗力な事件事故以外)・・・
幸いや喜びを引き寄せるのも思考です。

こんな経験をしたことはありませんか?

行為を持った人と近づきたいと必死に心で思い込んでいるとその事が叶ったことなどです。

心で思い続けていたことが現実になることも経験なさっているのではないでしょうか?

聖書はこれらの引き寄せの法則(心の在り方)を解りやすく教えています。

余計な事、しなくても良い事はしないように(笑)解ってはいるけども実践できないのが人間ですよね。

でも、主イエスを信じて教会生活をしている中で私たちは練られ、

神と人々を愛し仕えることが出来るようになって、「赦し」と「和解」

がいとも簡単に出来るようになるのですね。

モーセの十戒のうちの「汝殺すなかれ・汝姦淫するなかれ・汝盗むかなかれ・汝隣人に偽証するなかれ・汝貪るなかれ」
を守る事が対人関係の基礎となるのです。

聖書を学んで教会通してあなたが幸いな者として起ち上げられますようにお手伝いします。
お近くの教会のを訪問してください。地上にいる間に天国の前味を経験してください。

「あなたにはわたしのほかに神があってはならない。あなたは、自分の為に偶像を造ってはならない。

上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、どんな形をも造ってはならない。

それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、妬む神、わたしを憎む者には、

父の咎を子に報い、三代、四代までに及ぼし、

私を愛し、私の命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである」出エジプト20:2~6。  


Posted by 金城米子 at 11:28Comments(0)

2014年05月30日

私達は主の御許へ返るように召しを受けたのです

「米子さん。僕は、生きていく事に疲れました。何の為に僕は生まれて来たのか分らないのです」と
真夜中に電話をかけて来たのは63歳のKさんでした。彼は最近熟年離婚を経験したのです。

零細企業の経営者でしたが不況の波に飲み込まれて借金取りに追われる日々で不眠症に陥り、
幻覚幻聴に悩まされていると言い私を訪ねて来たのです。

私は伝道カウンセラーですからどうしてもイエス・キリストを語ります。
Kさんは、離婚した奥さんがお抱えの拝み人とユタがいたと言っていました。

ユタに言われるままにKさん夫婦は祭壇を作り、沖縄中の拝所を拝んで回ったのです
お拝にはまれば必然的に時間もお金もかかります。

事業がおかしくなればなるほどに拝みにはまって行ったと言いました。
とうとう自己破産をしなければならない状況になって奥さんはさっさと
離婚届を出して家を出て行ったのです。

Kさんがユタに言われたのは以前に拝した神様に拝み悔い下げる(終了宣言)をしなければならない。
と言われて戸惑っていました。神様だと信じて助けてほしいとお金も時間もかけて拝したのに
何もかも失ってしまったら今度は、今までの神様に御礼を申しあげて終了しなければならないなんて・・・

Kさんはすっかり疲労困憊で心も疲れていました。

私がKさんに話したのは神様がこの地上に置いたのは「祝福と呪い」「選択の心」です。
と前置きしてから偶像の神はいないことを話し、偶像を拝むように仕向けて
いるのは悪霊であることを説明しました。

私達は死んだ霊を崇拝することによって(占い全般・キリスト以外の神)知らない間に、
悪魔契約をしているのです。

悪霊は闇の力であり、真理の神から人々を引き離し、心を盗み、混乱させ、
滅ぼすのが目的である事を話しました。

その事を悔い改めて感謝な心でこれからの人生をやり直したらよいと伝えて、
キリストを受け入れる祈りに導きました。3時間余りもKさんの話を電話を通して聞いていたので耳が痛くなりましたが(笑)

あれから半年・・・Kさんは元気な心で再出発しています。でも、私は彼を注意深く見ています。
元気に見えても人は突然に自殺と言う行動に走る事を経験していますので・・・

疎遠には決してならない事が私のモットーです。疎遠に悪霊はつけ入りますので・・・
「疎遠は悪魔の罠」が私の口癖です(^^)連絡を取り合う事は絶対に必要です。

「わたしは決してあなたを見捨てない。孤児にはしない」聖書・・・とイエス様は約束しておられます。  


Posted by 金城米子 at 04:08Comments(0)

2014年05月29日

見る事、聞く事もすべてキリストを知るために・・・

朝のテレビのニュースで若い女性が殺された事が報じられたので非常に
心の痛い報道を主人と「なんと痛ましい事でしょね」と話していました

主人が話したことが予想していなかった言葉でしたのでブログに出す事にしました。

主人が話したことはこうでした。

「俺たちが夫婦げんかして俺がおまえにどんなに怒っても、おまえは外に出て行かないで

風呂場に閉じこもって静まったころに何事もなかったように出て来たよなあ・・・」

そうです。すぐに逃げ出せない。私の良いところでもあり、弱点でもあったのです。

生前の父が言っていた事でもあります。
「おまえはどんなに怒られても何事もなかったように平然として戻ってくるよなあ」

やみくもに外には逃げない・・・それは、自分の身を守る事だと祖母の教えだったのです。
怒りに任せて外へ出ると悪霊に支配されて事件や事故にあうからと祖母は教えていました。

先ずは、風呂場やトイレ。物置、階段の下に隠れて時間が過ぎるのを待つでした。

クリスチャンになってからは怒っている時には車を運転しないという事につながっていました。
夫婦げんかで外に出て頭を冷やすのは男の夫に任せて、女は家で待つことが自分を守ると
言う祖母の教えは、聖書の教えと重なって今でも私の行動に関係しています。
平安がない時には私は家から出ません。

じっと待つことで「悔い改め」になり「赦し」が与えられる経験をしています。

また、家にいる事によって山積みれてる家事をこなすことが出来るのでいつの間にか
ルンルン賛美歌になり家事をこなしている自分がいます。

悲しい時もそうです。悲しい出来事があると洗い物をしながら讃美歌を歌っています。
讃美歌と水仕事は結構癒されますので・・

テレビやラジオのニュースを通して聖書は何を教えているのだろうかなあ・・・
につながって夫婦の会話は弾みます。

見る事も聞く事もすべてが私たちに啓示をしていることが聖書を学ぶことで悟る事ができ、
悟ったら実践することがいとも簡単に出来るのです。悟りと実践が伴うことが出来るのが
イエス・キリストの聖霊の導きです。

「人の怒りは神の義を実現するものではありません。
ですから、すべての汚れや悪を捨て去り、
心に植え付けられたみことばをすなおに受け入れなさい、
みことばはあなたがたのたましいを救うことができます。」ヤコブ1:20~21.

  


Posted by 金城米子 at 16:18Comments(0)

2014年05月22日

チジ合わし(霊的合致)

ユタの世界ではチジ合わしというものがあります。2~3人以上のグループでします。
クリスチャンがする聖書デボーションのようなものです。

誰か一人が夢や啓示を受けた事に対して自分の判断が正しいか?

そして、もっと深く悟るために一つの問題に対して各自が神の声を聞くというものです。

答えは互いに示された事を総合して結果オーライの世界です。

非常にあいまいなものですから後でそれが間違っていたとしても、

神の前に不誠実な者がいた為に神が答えを解らなくしたという事で終了します。

そこには罪の示しも悔い改めの導きもありません。

メンバーで力のある人の意見が優先的に尊重されます。

ユタや拝み人には賛美もありますよ(笑)

聖書にある事を真似ているのがよく解ります。

でも、ユタが悪いにのではなくてサタンの領域に引き込まれているだけですから。

責めたり嫌ったりしないで寛容な心で接して導いて欲しいです。

彼らは十字架の話を聞くとすぐに理解を示しますからね。

ユタもお拝人もみんな心の中に癒されない深い傷があるのです。

巻き込まれないように愛と忍耐と寛容さを持って伝道なさってください。

「み言葉を宣べ伝えなさい。善い時にも、悪い時にも、常にこれに専念しなさい。

忍耐強く絶え間なく教えて、咎め、戒め、励ましなさい。」Ⅱテモテ4:2.



  


Posted by 金城米子 at 09:23Comments(0)

2014年05月20日

神がいると思わなければ生きて行けない(:><:)

神様。あなたは今、どこにいるのですか?あなたは息子を見てくれていますか?

神様。どうか私たち母子を憐れんで下さい。いつまで、この状態を忍耐すればよいのですか?

主よ。答えてください!聖霊様。私の心を強くしてください!


息子が今日も寝床を汚してしまい、ラバーシーツを交換して、

息子を御姫様抱っこしてお風呂場へ連れて行き四苦八苦しながら、

やっとの思いでシャワーをしてベットを整えてベットに息子を置いた・・・

洗濯機を回しながらつぶやくのは神様へのつぶやきだ。

まいにち、一度は我が家では、かならず起こっている悲劇だ(苦笑)

梅雨の時期が一番つらい・・・10枚あるラバーシーツが間に合わないから・・・

一段落つくのは息子が眠りにつく午前三時半ごろだが・・・

私はまいにち午前三時半過ぎから神様につぶやいている。

主は弱り果てている私に語る「人にはつぶやかないでわたしにつぶやきなさい」・・・

「神がいると思うから生きられるのです」と何千回話して来ただろうか(☆_☆)

重度の知的障害と心疾患とてんかん発作とパニック障害と肢体不自由と一人で沢山の重複障碍者の

息子のおかげで私は神様が存在すると確信出来る事もまた皮肉のような感がしないでもない。

私が願う事は、「息子がせめて汚物まみれにならないように知恵を与えてください」だ。

生きている限りこの祈りは続くだろうが私は息子が生きている限り息子を愛する事を止められないだろう・・・  


Posted by 金城米子 at 01:49Comments(0)

2014年05月19日

神が与えられた選択の心は希望です。

よく預言的なことを話すK姉妹がいます。彼女は突然に祈っている中で傍にいる姉妹たちに預言をします。

そのK姉妹の預言で不安を抱えてしまったベビークリスチャンから相談を受けました。

私が答えたのは預言は聖書の裏付けがあるのかをしっかり見極めなければならない事

を、話して預言の内容を聞きました。

ベビークリスチャンへの預言は神様の前に十分な悔い改めがなされていないのでそのため

に試練があるが悔い改めた時に解放が与えられるという事でした。

私が答えたのは真の悔い改めというのは、私たちが理解できる事ではないと思う、

悔い改めも神様からの賜物です。

主イエス・キリストを信じて受け入れて洗礼を受けた人に対しては神様は滅多に難題は

与えないと思います。また、神様が与える試練は忍耐できる試練ですし、神様はどんな

事でもできる神様ですから神様は直接あなたが受け取れるような方法で啓示します。

そしてあなたが主に栄光を返すことが出来るような希望をあなたに溢れるばかりに与えられます。

安心して主を礼拝賛美してください。そして、人の言動には心を縛られないようにふりまわされないようにしましょう。

神様が私たちに約束しているのは「将来と平安と希望」です。エレミヤ29:11.

ベビークリスチャンの彼女に、これらの事を丁寧に神様の恵みと慈しみの祝福が映像になるようにお話をしました。

「安堵しました。ありがとうございます。神様からの試練には必ず希望があるという事がよく解りました。

そして、神様は忍耐できる試練しか与えないという事も解かりました。」と・・・

そう言って、彼女は帰って行きました(^^)

二人の姉妹たちの信仰がイエス様の御丈にまで成長しますようにお祈りします。アーメン。

「しかしわたしを信じるこの小さい者たちのひとりにでもをつまずきを与えるような者は、

大きい石臼を首に、かけられて湖の深みでおぼれ死んだほうがましです。」マタイ18:6.  


Posted by 金城米子 at 19:07Comments(0)

2014年05月19日

キジムナーと友達に?

先日、キジムナー談話で賑わっている所に偶然行き合わせました。

A子「キジュムナーって顔が真っ赤なんだってよ。姿をはっきり見る人もいるけど、

B子「私はヤーチュー(お灸)されたけど姿は見て無いさあ」

C子「でもさあ、キジムナーと友達になったら魚が沢山取れるって言うから海歩く人には良いと思うよね」

沖縄にはガジュマルの木にはキジムナーが棲むと言われています。

本土で言えば屋敷わらじのような存在ですがはっきり言ってそれは悪霊です。

キジムナーとお友達だなんてとんでもない話です。

私たちの住むこの地上には、諸霊と言って諸々の霊が棲んでいます。

諸霊には愛嬌をふりまくようなユニークさを持っている諸霊もいるようですが

それは全て人間の世界に安易に入り込む手段ですから気を付けてください。

私の所には長期にわたり通院しているが癒されないと幻聴・幻覚・原因不明の

不安症候群の方々が相談に来ます。ほとんどが子供の頃にコックリさんで遊んだ経験のある人たちです。

幽霊や怖いものなど霊的なものに興味深い人が多いです。

諸霊の存在を知らないで安易にそういう悪霊に興味を持って呼び出したりすることは非常に危険です。

その時には何でもなくても一度関わりを持った諸霊はあなたの心のひだの奥に隠れている場合があります。

諸霊や悪霊のエサは心の傷です。人から受ける非難や誹謗中傷もそうですが

私たちは他人からの言動に傷つく事が多いです。そうするといつまでもその事が

忘れられなくて赦せない心が頭をもたげて来たり、ひっこんだりを繰り返します。

なかなか完璧に赦す事が出ないのが人間です。諸霊の大好物なエサになっているのですね。

「あなたが思っている通りになる」「あなたが言った通りになる」とキリストの教えにあります。

人は心に思っている事が態度に出る事が多いです。また、心にある事が口に出ます。

心に無い事を言ってしまったという事がありますがそれは違います。

日頃から心の中にある事が言葉に出るのです。思いを諸霊が握っていて失言させるのです。

人間関係の中で疑心暗鬼や憎しみ、妬み、嫉妬、怒り、嘘、偽善などは人の心の中に蓄積

された傷が諸霊のエサですから人を大失敗させたり失望させたりして喜んでいるのです。

聖書はそれらの諸霊・悪霊のわざをしっかり教えています。あなたの心の中に蓄積された傷、

気づいている傷、心の奥底に固めてしまった傷、

それら一つ一つの傷のすべてを取り除く作業をしてください。

そのための十字架の教会なのですからどうぞお近くの教会を訪問してください。

「愛する者たち。霊だからと言って、みな信じてはいけません。

それらが神からのものかどうかを、試しなさい」ヨハネ一4:1.  


Posted by 金城米子 at 04:15Comments(1)

2014年05月18日

拒絶反応の胃けいれん発作

私は子供の頃からの持病がありました。胃けいれん発作もその一つでした。

それは突然やってくるのです。七転八倒の苦しみで救急搬送を何度も経験しました。

子供が胃けいれんを起こすなんてと病院では驚きでした。

いつも駆け込んで治療してくれる病院の先生がある夜に家庭訪問してきました。

両親と懸命に話し合っていましたが後で母が私に告げた事は

「先生がね。父ちゃんに『家では本当の父親になりなさい。子供を裁いたり、

罰をしてはいけないよ。子供の頃にしかできない遊びや経験を沢山させてあげなさい。

家の中でまで警察官でいることはないよ。家族は大切にする存在で子供は神様から

預けられていて大切に育てなさいだって・・・」と言っていたと言うのでした。

当時はストレスという事が余り知られていなかった時代です。

私の胃けいれんの原因はストレスだったことをかかりつけの

病院の先生は知っていて私を憐れんで下さったのです。

人の心に怒りがあると決して自分を改める事は出来ない

事を私はクリスチャンになってから知りました。

両親の私への態度はその後も全く変わらなかったからです。

怒りとは妬みも嫉妬も疑心暗鬼も自己憐憫も全てが含まれますが一番の原因は高慢です。

親はいつでも子供を上から目線で見るように対人関係でも自分よりも弱い立場の人にはすぐに怒ります。

会社の上司もしかり、友人でもしかり、人の腹の中にあるのは上から目線の高慢です。

「神は高慢な者を退け、へりくだる者を恵む」とありますように神がい忌み嫌うのは高慢です。

偶像崇拝も姦淫も神様は悔い改める事によって赦すチャンスを与えられます。

しかし、高慢はすぐに退けられます。高慢はすべての罪の根源に至るからです。

聖書はそれをしっかり教えられています。感謝な事はそれは怒りイコール高慢だと

知ったことで私は他人の言動には怒りを持たないように出来るだけ心を平静にと

自分に言い聞かせています。

「怒りは神の義を全うしない」と聖書にあります。神の助けが必要と知る人は

高慢と怒りを自分の内側から取り去ってください。

自分では出来ないかもしれないけれど神に依存したら出来ます。

不足な者の私のためも含めてすべてのキリスト者が御霊の実で満たされますように心からお祈りします

「愛・喜び・平安・寛容・親切・善意・誠実・柔和・自制」ガラテヤ5:22~23.

  


Posted by 金城米子 at 12:28Comments(0)

2014年05月18日

人間に一番近い神イエス・キリスト

主イエス・キリストは十字架にかかられる前には、町の中を十字架を背負わされて歩かされました。

死んでもおかしくないほどの傷を負っていたにもかかわらずイエス様はご自身が

かけられる木の十字架を背負わされてゴルゴダの丘まで歩かされたのです。

その道のりで聞くに堪えない、耳をふさぎたくなるほどの罵声を受けながらです。

裁判の間もそうですがイエス様は何一つとして言い訳もなさらず、黙って従っていました。

その事は私たちの中にはいつどんな不条理な事、不合理な事が起こるかわからない、

けれどイエス様は、不条理も不合理も受けた人の苦しみも涙も弁明できない人の立場

も「すべてわたしは知っているよ」と伝えているのです。そして手招きしておられます。

大勢の民衆やイエスのことを嘆き悲しむ女たちの群れがイエスの後をついていった。

しかし、イエスは、女たちの方を向いてこう言われた。

「エルサレムの娘たち。わたしのことで泣いていけない。

むしろ自分自身と、自分の子供たちのことのために泣きなさい」。

この事はイエス様は、ご自分が三日目に復活なさるのでクリスチャンには希望があることを、

教えているのです。イエス様を「神の子」と信じる者には、人生はどんなところからでもいつでも、

必ずやり直せる、希望が与えられることを教えています。信じる者にだけに与えられた特権です。

「七転び八起き」のみことばは旧約聖書の箴言に記載されています。

「主に信頼する者は失望しない」と言う神・主イエス・キリストの約束です。

仏教よりも数百年前に記載されています。

人間の持つ全ての罪、弱さを知っておられるのは☆十字架で死んで墓に葬られ、

三日目によみがえられた主イエス・キリスト☆だけなのです。

他には神はいません。全知全能なる神・天地創造主なる神のひとり子として

地上に降誕された主イエス・キリスト以外に神は無く、

全ての神々も神仏は、人間が後から人間の思いで作り出した偶像であり、

偉人や社会に貢献した人物、歴史上の人物を神としたことのです。

「わたしはアルファであり、オメガです」と言われたのは父なる創造主であり、

主イエス様ご自身であります。

モーセとイスラエルの民とをエジプトから連れ出した万物の創造主の神は、

モーセに紅海を二つにし、海の中に道を造られた神です。

昼は雲の柱・夜は火の柱となってイスラエルを導いた神は、

今も生きて働かれています。その神の名はインマヌエル、

「昔いまし、今もいまし、永久にいます神」それは、主イエス・キリストです。

「神は実にそのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。

それは御子を信じる者が一人として滅びることなく、永遠の命を持つためである」ヨハネ3:16.
  


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2014年05月18日

人間に一番近い神イエス・キリスト

イエス・キリストが十字架にかかられる直前までイエス様を信じて慕う人々は数万人もいました。

その中で12名の弟子たちとの物語は聖書に記述されています。

何があっても絶対にイエス・キリストを裏切らない、どこまでもついて行くと宣言していた

一番弟子のペテロでさえもイエスが捕えられた時には恐怖で、

「私はイエスを知らない」と弟子であることを三度も否定したのです。

その事をイエスはあらかじめペテロに預言していました。

「にわとりが泣く前におまえは三度わたしを知らないと言う」と。

ペテロの裏切りをイエス様は前もって赦されたのです。

弟子たちと信仰者の完全な裏切りを経験なさったイエス・キリストです。

このことは何を教えているのかと言えばイエス・キリストは人間の心の内にあるものが何で

あるかを教える(ヨハネ2:25)とともに裏切られた人の苦しみや悲しみを神の子イエス・キリスト

ご自身が身を持って体験したから「あなたの苦しみも悲しみも辛さもよく知っているよ」という事です。

十字架にかけらる前には頭に長さが15センチから17センチもある硬くて折れにくい、

いいばらの冠をかぶせられ、頭を突き刺さられて沢山の血が流れました。

その流された血のゆえに人間の犯す思考の罪が赦されたとクリスチャンは信じます。

そして、かぎ状のイカリのついたムチで打たれ、内臓が見えるほどに背中の肉が破れ深い傷を負われました。

その打ち傷のゆえにクリスチャンは病が癒されたと信じます。

手で犯す罪も罪の中に立っている足も腹の中にある汚れた罪もすべてが

十字架上でイエス・キリストがあがなって赦して下さったのです。

それを信じる人はすべての罪が赦されて罪のゆえに死んで地獄へ行くことはないのです。

人には二度目の死があります。一度目は肉体の死です。

二度目の死は神の前に引き出されて裁判を受けてからの霊魂の死です。

二度目の死は永遠に消える事のない火の池地獄です。そこでは霊魂も永遠の苦しみを受けるのです。

十字架は信じない者には滅びへの道ですが信じる者にとっては神の力です。

十字架は「救い」「赦し」「和解」「希望」です。それは神様からの一方的な永遠の恵みです。

「主イエスを信じなさい。そうすればあなたもあなたの家族も救われます」使徒16:31。  


Posted by 金城米子 at 06:39Comments(0)

2014年05月18日

人に一番近い神イエス・キリスト

イエス・キリストが十字架にかかられた最も大きな意味は神と人間の関係の修復です。

人間は自分たちの犯した罪のゆえに神が見えなくなっていました。

罪の大きな壁が神と人間を隔てていたのです。罪の壁は神を見えなくしていたのです。

それまでの儀式には動物を生け贄にして人の罪を赦して下さいという方法が取られていました。

しかし、どれほどの動物を生け贄に捧げても人間は本当の罪を悔いる事は出来ずに何度でも

罪を犯すのです。動物犠牲では罪をあがなう事は出来なかったのです。

神と人間の永遠の関係修復を計るためにはどうしても全く罪のないイエス・キリストが十字架に

かからなければならなかったのです。罪の報酬は死だからです。

神はどんな些細な罪とも交わることが出来ないからです。

死んで地獄へ行く人間の為にイエス・キリストは十字架にかかられたのです。

人々の罪をあがなって神と人々との関係修復が第一の目的でした。  


Posted by 金城米子 at 05:56Comments(0)

2014年05月18日

人に一番近い神イエス・キリスト

イエス・キリストが十字架にかかられた最も大きな意味は神と人間の関係の修復です。

人間は自分たちの犯した罪のゆえに神が見えなくなっていました。

罪の大きな壁が神と人間を隔てていたのです。罪の壁は神を見えなくしていたのです。

それまでの儀式には動物を生け贄にして人の罪を赦して下さいという方法が取られていました。

しかし、どれほどの動物を生け贄に捧げても人間は本当の罪を悔いる事は出来ずに何度でも

罪を犯すのです。動物犠牲では罪をあがなう事は出来なかったのです。

神と人間の永遠の関係修復を計るためにはどうしても全く罪のないイエス・キリストが十字架に

かからなければならなかったのです。罪の報酬は死だからです。

神はどんな些細な罪とも交わることが出来ないからです。

死んで地獄へ行く人間の為にイエス・キリストは十字架にかかられたのです。

人々の罪をあがなって神と人々との関係修復が第一の目的でした。  


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2014年05月17日

恐れるな!が365回?

皆さんは聖書の中に「恐れるな」と言う御言葉が何回出て来るか知っていますか?

聖書は365回も「恐れるな」と仰っています。

この「恐れるな」は私たちの日常生活に実にあらゆるとろこでi密着しています。

人前に出てお話をするときにドキドキしてなかなか思うように話が出来ないとか・・・

人目が気になってなかなか自分らしく振舞えないとか・・・

スポーツ試合に出るときに自分の失敗でチームに迷惑をかけはしないかとか・・・

それぞれの場面で誰がも直面している「恐れ」があります。

私は三線の演奏会のときには、いつも自分の失敗で仲間に迷惑を

かけるんじゃあないかとかでドキドキして出場を辞退しようかとの思いを経験しています。

なぜ、恐れが来るのでしょうか?それは、自分の力不足を知っているからです。

聖書が教えている事は、自分の名誉の為に良い結果を希望するから万全と

思っていても失敗する恐れが出て来ると言うのです。

聖書は万事はまず神のためにと教えています。

自分と他者の為だけではだめなんですね。

神様の栄誉の為にと思えば隠れたところででも

いつでも熱心に訓練するのではないでしょうか?

そして、もう一つは目的を達成した後に具体的で継続する希望がないからです。

その場限りになってしまうからです。

トロフィーを取ったらその後に何をするのでしょうか?

オリンピック金メダルを取ったとしても神が介入しなければそれは自分世界で終わってしまうからです。

聖書は「栄光は主のもの・恥は我がもの」という心で生きる事を教えています。

解かりますか?メダルを取ったら応接間に飾って眺めるだけじゃあなくて、

神様に感謝を献げる事です。真理の神・主イエス・キリストに栄光をお返しするのです。

メダルを取る大事も些細な事でさえも「主に栄光を献げる」との感謝の心が備われば

周囲の人に対しても礼儀正しく振舞えるのです。監督、師匠、先輩、後輩、応援してくれている

すべての人々に対しても礼節と感謝を忘れません。心にある事が態度に出るからです。

心のありようはすべての事に反映します。あなたの人生が花も実もある人生に変えられるのです。

何よりも事に臨むときには「恐れ」は無くなるのです。

「恐れるなわたし(神)はあなたの行くところどこへでもあなた共にあるからだ」聖書。

神様が共にいると確信するとき恐れはなくなり、毅然と凛々しくなります。

  


Posted by 金城米子 at 20:25Comments(0)

2014年05月16日

肉なる者は何処までも肉なる者である

クリスチャンになって時期は大きな喜びがあり、どこでも誰にでもキリストを証したい、
証しなければならない思いに駆られて46時間キリストの御わざを証しまくりの状態でした(笑)

御言葉に突き動かされて貧しい人や心の折れた人への思いも並大抵のものではありませんでした。
隣人の必要を満たす事にも懸命になり、祈って導かれた人を訪問してキリストの証をして励ます事が出来ました。

全ては神様が私を用いた事であり、私の力ではないのです。
私は神様に約束をしてその通りの事をしただけの事でした。

私は過去に実家の家族と共に神のお告げと偽って困窮している人や心に戸惑いを持っている人や、
真理の神を求めている人々を偽って偽の天の父神へ導いていました。

そして、心友のY子姉妹と共に仏教こそ真理を教えている悟りの道だと信じて釈迦の中道の教えと、
沖縄の古来の信仰と実家で創造した天地12干支方角の神とを混同した教えをして人々に影響を与えていました。

実家の両親と共に拝所を新たに起ち上げていかにも私たちが救世主のように人々を惑わした教えをしました。
それらがすべて実は、サタンからの教えでした。「ルシファー」&「天地七龍神」それを私たちの神としていました。

真理の神として疑わずに懸命に忠実に従って走っていました。
猪突猛進の性格は偽の御天親加那志とも知らずに、ただただ熱心に仕えて来ました。

しかし、家族の関係は疑心暗鬼と利己心に満ちた偽善的な関係でした。
みんな経済的な理由から両親にへつらっていたのです。

クリスチャンに変えられてから私は自分の間違いに気づき、とても心痛みました。
私の伝道や人を憐れむ心は過去にそのような背景があった故の良心の呵責と懺悔の思いからでした。

神様はその私を憐れんで下さり、驚くほどの恵みと力を与えて下さいました。
すべてが神様からの助けと御力です。背後にイエス様がいての事でした。
ノンクリスチャンはみんなその事を素直に認めました。ハレルヤです\(*^^*)/。

しかし、多くのクリスチャンは私の過去を見て、私を判断して火の球を投げました(笑)
クリスチャンが私の背後のイエス・キリストを見る事は出来なくてイエス様が消去した過去を見続けていました。

ついには心が壊れて私は二度と立ち直れないと思った時に神様は不思議な方法でノンクリスチャンを私の傍らに、
置いて下さりカウンセリングを半年間、片時も離さずに、しかも、聖書の御言葉を用いて心のケアをして下さったのです。

神様はノンクリスチャンでさえも用いて下さり立て直して下さいました。
感謝な事で不思議をなさる神様です。

そして、神様は私の中にある高慢の罪を砕くために訓練なさったことも示されて、
「立ち直ったら兄弟を助けなさい」とみことばを下さいました。

何があってもどんな状況にあっても「あなたの信仰がなくならないために祈っています」と
聖霊は私の心に留まって下さり、信仰を守って下さっていました。

そして、下記のみことばを私の心に焼き印を押してくださいました。ハレルヤ(*^^*)

「心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。」
「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」マタイ22:37・39.  


Posted by 金城米子 at 07:14Comments(0)

2014年05月15日

えやみはあなたを襲わない!

数年前の事ですが若い頃に夫と死別してから一人で娘二人を

懸命に育ててきたM子さん65歳を紹介されました。

彼女が突然、病に倒れ余命宣告を受けた事で占い師やユタや

祈祷師に救いを求めたが病は癒されないと言う事でした。

最後の望みをかけてキリスト教の神様にしかもユタから

クリスチャンになった私に辿り着いたと言うのでした。

しばらく彼女の胸の内を聞いてあげているうちに彼女の本当の不安がなんなのか解かりました。

「あなたが心に思っている事の中にどうして私がこんな病気になったのか?と言うことですよね。」

「あなたの病気の原因は解かりません。でも、解る事は神様があなたの清さを必要としているのかも

知れないということです。」

私は彼女の顔の表情を確かめながら話をゆっくり進めて行きました。

彼女は因果応報のことを気にしていたのでイエス・キリストには因果応報はない事を話しました。

先祖代々の罪は偶像崇拝の罪です。それは誰もが先祖代々から受け継がれてきたものです。

だから病気にかかるなら地上の人間がみんな難病にかからなければならないという事でそれは有り得ない事です。

大切な事は地上年齢ではなくて永遠の命を得る事であることを話ました。

罪を持ったままでは人は誰も天国へは行ない事を話し悔い改めの祈りを説きました。

「罪」とは神様と人々との前に正しい関係で生きて来たか?否か?だと・・・

M子さんは「私は罪人です。言葉に出さなかったけれど呪い続けた人がいます。」と言いました。

M子さんを悔い改めの祈りに導いてそれから罪の赦しの権威は

イエス・キリストの十字架にある事をしっかり話しました。

人の寿命は人がコントロールできないものです。

たとえ、どんなに長く生きたとしても私たちはいつかは死にます。

神は人に永遠を思う心を与えたとあります。永遠は肉体の存在する地上ではあり得ません。

遅かれ早かれ地上のものには必ず死が訪れるのです。

天国と地獄があって人の霊は天国で永遠に生きるか地獄で永遠に苦しむかの二つに一つです。

天国のカギも地獄のカギもイエス・キリストが持っているのです。

行く先を決定するのはイエス・キリストだけが持つ権威です。

M子さんの連れは私の話が厳し過ぎると思ったのか不安の

表情をして(もっとおてやわらかにと言たげでした。)

クリスチャンには二度目の死はない事を話した時にM子さんは話の内容を理解したようでした。

「イエス・キリストを受け入れるお祈りをしましょうね」と言うとすぐに「よろしくお願いします」と返事をしました。

祈りの後に彼女が「二度めの死は私を襲わないのですよね。

私は確実に神様の元へ行けるのですよね」と言って吹っ切れたように帰って行きました。

主イエス・キリストを信じたのですからM子さんはきっと天国で神様の元で永遠の喜びを味わうでしょう。

二週間後M子さんは、天国へ召されたと報告を受けました。「とても安らかな御顔をしていましたよ」と・・・

「主は憐れみ深く、情け深い。怒るに遅く、恵み豊かである。主は絶えず争ってはおられない。

私たちの罪にしたがって私たちを扱う事をせず、私たちの咎にしたがって私たちに報いることもない」詩編103篇8~10。

  


Posted by 金城米子 at 20:40Comments(0)

2014年05月14日

神様があなたの祈りに答えられるのは?

私は三線で賛美を弾きながら伝道をしていますが三線だけでは音が寂しいなあと思っていました。

クリスチャンには多くの奏楽者がいますが協力を得るのはなかなか難しい状況です。

試行錯誤してピアノ演奏をCDに吹き込んで三線とのコラボで弾けたらと思いが与え

られたので祈り続けていました。

伝道と言えば興味を示して一緒に伝道活動をしたいと申し出る方々は多くいます。

しかし、伝道と言うのは毎日の事ですし、いつ何時でも未信者に合わせて行かなければならないのです。

余命宣告された方々もいるのでいざという時に真夜中でも連絡が入ります。

その時に、信仰告白を導くのですが一緒に誘える方がいません。

ピアノのCDも依頼した方々の時間の都合でしょうか仕上がって来ません。

悲しかったです。

「主よ。あなたの御心ではないのですか?」と応答の祈りをしました。

返って来たみことばが「聖別している」でした。驚きでした。意味不明でした。

ゆいまーる教会の信徒にプロのピアニストいます。でも、彼女は非常に多忙で礼拝もままならないでいます。

だから、彼女には依頼できないと思い込んでいましたが神様は彼女を示したのです。

勇気を出してチョッコっとだけその話をしました。すると彼女はすぐに「お手伝いさせて下さい」でした。

それでも少し時間が空いたので焦りがありました。しかし、主は「待つように」と示されるのです。

待っていました。そして、モーセにアロンが遣わされたところを示されました。

なんと、身近に彼女の実の妹のA姉妹がいる事に気づきました。

音楽専門の姉妹がゆいまーる教会にいたのです。A姉妹にその事を促しましたらプロのR姉妹と

二人の姉妹が動き始めました。

賛美のピアノ演奏を録音してCDに打ち込むことをPC専門でもあるA姉妹が機材を持ち込んでスタートしたのです。

聖別とはなんだったのか???

なるほどこの二人の姉妹には妬みや嫉妬や偽りが全く見受けられない聖さが見られます。

さまざまな事情があって礼拝には、なかなか出席できないR姉妹です。

しかし、姉のR姉妹の彼女は心から主を愛し、謙遜で柔和です。

妹のA姉妹は今年から神学校に入学しました。献身の心です。

二人の姉妹は品性に満たされていて謙遜でへりくだっていて、柔和です。

主が「「聖別された者」と仰って二人の姉妹を選ばれた本当の意味が理解でき感謝でした。

「私は心を尽くして主に感謝します。あなたの奇しいわざを余すことなく語り告げます。」詩編9:1。

  


Posted by 金城米子 at 08:30Comments(0)

2014年05月14日

「わたしは不思議をする」と言われる主イエス・キリスト

「わたしは不思議をする」と言われるイエス・キリストですが私は本当に
微に至り大に至るまでの主の不思議を経験しています。

数日前に電子レンジが動かなくなりました。

壊れたのです。レンジがなければ待つことが出来ない息子の食事や

おやつを温めるのにも非常に不便です。

心の中で主イエス様に実情を祈りながら何処が安いのかとレンジ探しをしました。

安いのもありましたが経済が追いつきません。せめて、3か月後なら買えるのにと(涙)・・・

計画にはなかったことなので悲しかったです。

今朝、レンジを確かめても電源が入らない動かないのです。

レンジを処分するのもお金が必要ですのでレンジに手を置いて祈りました。

そして、再びレンジのスイッチを入れました。なんと!びっくりです!

レンジが動きました。何事もなかったように動いたのです。ハレルヤです♬\(*^^*)/♬。

不思議を成されて主に感謝です。アーメン♬  


Posted by 金城米子 at 07:41Comments(0)

2014年05月13日

プライドを捨てる事は重荷を降ろすことです

もうじき還暦を迎えるTさんはクリスチャン歴が12年ほどです。

彼のこれまでの歩みは色々な事業を起こしてはことごとく失敗しています。

クリスチャンになったきっかけはそんなことに耐えられなくて逃げ道を探しているときに、
キリストを知ってクリスチャンになったのですが彼の中にはキリストが本物の神様なら、
仕事を成功させてやり直せると言う思いがありました。

その前に彼には悔い改めるべきことが多々あったのですがその事の一つに彼が奥さんに対しての思いでした。

10歳年上の奥さんとのの結婚の動機が「彼女と結婚したらお金には不自由しないし、
自分のわがままを全て受け入れてくれる」楽な人生が将来には待っていると思う事でした。

初めの数年間は彼は思い通りの人生でした。女性企業家の奥さんの片腕として十分な
力量を発揮していると彼は錯覚していくうちに自分自身の企業を起こしたいと切望して
多額の負債をして会社設立をしました。

会社は見事に倒産しました。世の中そんなに甘くはありません。奥さんの事業を手伝うように、
勧められても彼は「社長」というプライドを捨てきれずにまた新しい事業を起ち上げて行きました。

何度も学習した筈なのに彼は全てを妻のせいにして八つ当たりをするようになり、
夫婦の中は険悪な関係になりました。

若い頃からの容姿で彼は女性関係も派手になっていました。
それでも奥さんのY子さんは忍耐していました。

真夜中に彼からの電話が入りました。
「楽になりたい。心が楽になりたい。死んですべてを清算したい」

「楽になりたいなら悔い改めなさい。そして、プライドを捨てなさい。
あなたは今が生き地獄だと言っているけれど本当の苦しみは死ん

で後に味わうのですよ。何故、生まれて来たか?何故死んだか?
を本当に後悔するのは死んでからだよ!永遠の火の池地獄へ

まっしぐらに落ちて行き、消えない火の中であなたの霊は生き続け
てく恐怖と苦しみは消えないのですよ。何故、生まれて来たかを
本当に後悔するんですよ」

夫婦は悔い改めてイエス・キリストを神と信じ受け入れました。
中部の海で夫婦のたっての願いで二度目の洗礼を受けさせてました。

今、彼は心から悔い改めて自分のせいで心を病んでしまい精神科に
入院している奥さんを毎日介護しています。

彼が言いました。「プライドは自分だけじゃあなくて周りの家族をも殺してしまうんですね。
僕は最低な人間ですね」

私「いいえ、あなたは価値ある人間です。真理の神様を受け入れることが出来たのですから、
あなたはキリストの弟子としての歩みだけが待っている事を告白できたのですし、奥さんに、
対しての悔い改めの心と憐れみの心もあるのですからね。」

「すべての人には愛されていると言う感覚は大切です。それは、誰がも望んでいる事です。
希望は愛です。「神に信頼する者は失望する事がない。」このみことばは「神は愛なり」なのですよ。
イエスを神としない者は愛を知らない者です。真実の愛の基準は十字架のキリストだけですから」・・・

彼にはこの言葉が心に染み入ったようでした。いつか、ご夫婦で必ず教会礼拝ができることでしょう。

「あなたはわたしの目には高価で尊い。わたしはあなたを愛している」イザヤ43:  


Posted by 金城米子 at 08:57Comments(0)