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Posted by TI-DA at

2011年02月04日

苦しみの中を通りぬける

クリスチャンは預言者と言われています。聖書の御言葉を語る預言者と言う意味です。聖書は苦しみを通り抜ける事を教えています。出エジプトではエジプトに追われてカナンの土地を目指しますが10日ほどで着く筈のカナンに入るまでに40年間の荒野を通りました。ダニエルは火の中に入れられ火の中を通りました。獅子の穴に投げ込まれ死の恐怖を通りました。

「苦しみのど真ん中を通りぬけよ」です。人生の暗い所を通っても神が共におられると言う確信が与えられます。出エジプトの荒野では昼は雲の柱、夜は火の柱でイスラエルの民は導かれました。暗闇の中を通過することで霊的に成長します。信仰によって通過するのです。神に信頼して歩んで行くのです。簡単で楽勝の人生には不満があり喜びがありません。

しかし、苦しみは人を自動的に成長させる訳ではありません。「赦し、忍耐、寛容を学ぶ事で成長します。不平不満で終わる人は成長しません。苦しみをどうとらえるかですね。忍耐を学んでいるか、忍耐する事に意味を見つけ出しますが罪は快楽です。

罪は私達を近視にしたのです。罪は私達を目先の快楽へと誘惑します。(ヘブル11:24~)を参照。成長は一時的には苦しいが長い目で見たら益になります。神を知る人は忍耐が出来ます。私達には今しかない忍耐を悟る事は出来ないのですが神の視点から自分を見る事を覚えて下さい。

痛みを伴わないクリスチャン、自我に死なないクリスチャン、十字架を通らないクリスチャンには、神の栄光は決してないと言っております。あり得ないのです。神の方法が苦を通過する事です。自我に死ぬ事です。今、苦しみの中にある友よ主があなたとともにおられます。主があなたとともに苦しんで痛みも傷も背負っておられます。あなたの十字架をともに通られています。あなたが流した涙はヨルダン川になります。主があなたの涙を知っておられ涙を拭って下さいます。

聖書カウンセリングの大沢クラスからの学びでした。

「主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない」イザヤ40:31  


Posted by 金城米子 at 08:09Comments(1)預言者の苦難

2010年12月23日

静まって神の声を聞く

朝の六時から始まる小グル~プでのデ~ボ~ションでクリスチャンがみんな主の預言者としての召しがある事を示されてどう言う事か祈りました。預言といえば聖書の中にある神さまの御教えです。それが御言葉です。その御言葉を伝えていく働きが全てのクリスチャンに臨まれていると言うことですね。

10年余のクリスチャン生活の中で自分の召しについて神様の御心が何のかはっきりと理解が出来ないでいました。何をどうすれば主の御心が素直に納得出来るのかと、私は自己中心的な思いにとらわれていました。

昭和59年生まれの末子の息子は、重度重複障害者です。知的障害、言語不可、肢体不自由、てんかん、パニック障害、心疾患と一個だけでも大変なのに一人で六個を負っています。五体が満足で健康なことは、ほんとうに感謝すべきことですが、だからと言って必ずしも幸せとは限りません。息子は不運にも六重苦を生きていますが、幸いな者です。

息子の生活を見ていると幸いな者と思えると言った友人がいます。さらに彼は、「この子の中にある障害の一つひとつがそれぞれ自身にも、人々の中にもきっとあるのだろうな・・・でも、ふだんはそれを自覚できていないでいるのだろうなあ・・・」などと、しみじみひとりごちていました。

息子が二歳の時に心臓発作で死にかけた時に私が祈ったときの事を思い起こしました。「神様、息子が私の所に来たのは、神様からのメッセ~ジを私が受け取るためだと分かります。でも、私はまだ、神様からのメッセ~ジを受けていません。ですから、私がそのメッセ~ジを受け取る事が出来るまでは、息子を私の元に置いて下さい」と祈ったのです。

そして、ユタからクリスチャンへ暗闇の支配から光へと移されてキリストと出会いましたが10年余、教会の中での色々な出来事があり、除名と言う厳しい不名誉退会を余儀なくされた私でした。しかし、何があってもどんな事があってもキリストから離れる事が出来ませんでした。私が神様を愛しているからではないのです。不足なものでも神の目に適わない者であってもキリストは全てを赦してなおも慈しみ憐れんで導いておられることを知っているからでした。

ノンクリスチャンからしてみれば何でこんなに苦難が押し寄せてもイエス・キリストを離れる事が出来ないのかと思うかもしれません。「あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです」ヨハネ16:33の御言葉があります。神様が何故、患難を赦されているのかは問題ではありません。問題は、すでに勝利したと言う御言葉です。御言葉には魂を救う力があります。クリスチャンにしか解らない神の力です。平安と喜びと忍耐と寛容はキリストが与える賜物です。クリスチャンにはキリストの十字架の福音を伝える働きが与えられているからです。

人の言葉や教えにはなかなか聞くことが出来ない頑固さがあるゆえにキリストは私に荷を負わせたのだと思います。
否が応でも私が整えられる為に息子の闘病生活と介護生活を通して軌道修正をなさって下さっているのだと納得しております。
高慢ちきな女が修正される為に必要をキリストは十分にご存知です。これからも削ぎ落としや砕きはあります。その時には素直に「ごめんなさい」と言えますようにそして悔い改めが出来ますように祈っています。


「彼がわたしを愛しているからわたしは彼を助け出そう。かれがわたしの名を知っているからわたしは彼を高く上げよう。彼がわたしを呼び求めればわたしは彼に答えよう。わたしは苦しみの時に彼とともにいて、彼を救い彼に誉れを与えよう」詩篇91:14~15  


Posted by 金城米子 at 08:25Comments(0)預言者の苦難

2010年12月20日

預言者の召し

新約聖書の大半はパウロが記したと言われるほどにパウロの働きは大きなものがあります。
彼は、小アジアのキルキヤのタルソに生まれ、ガマルエルの元で教育を受けた熱心なパリサイ人でした(使徒9:1)。

ステパノの演説を聞いたサウロ(パウロ)キリスト教を危険な異端と考え、全力をあげてこれを叩きつぶそうとし、その事に熱情を注ぎ込みました。8章では福音に対して敵意と反感と憎しみに凝り固まった人物が登場します。

しかし、サウロもまた(エチオピアの高官とは全く別な意味で)主に備えられていた魂と言えます。彼は確かに反キリスト教の急先鋒だったに違いないないですが、それはそれなりに純真な動機からで、私利私欲のためではなく、命がけの真剣さで福音に

反抗した結果、逆に福音に捕らえられてからは、命がけで福音に仕える者となりました。主の『選びの器』(15節)は、最初にその姿を現したときには、思いがけぬ外観をしていることがあります。

「しかし、弟子達がパウロを取り囲んでいると、彼は立ち上がって町に入って行った」使徒14:20

ルステラの事件は、パウロの受難をもたらしました。前々からユダヤ人たちは知っていました。パウロこそは宣教の主役でありステパノを上回るユダヤ教の敵である事をです。パウロは石で打たれて死んだようになりました。しかし、彼は再び立ち上がってその使命に前進しました。ここに不死身の男パウロの姿を見ます。しかし、パウロも生身の体です。これだけの打撃はなまやさ

しいものではなかったはずです。後年、彼が健康上に何らかの問題を抱えていた事が分かります(第二コリント12:7・ガラテヤ4:13~14)、それとこの時の受難とは、おそらく関係があったろうと思わされます。この受難事件は、彼がキリストの故に受けた苦難のリスト(第二コリント11:23以下)にも明記されています。キリストのために苦しむこと(ピリピ1:29)は、彼の使命と不

可分の関係(9:16)がありました。重傷にもかかわらず、彼が立ち上がって再び福音のために奮闘できたのは、ひとえに復活の主の力によります。

「ある夜、主は幻によってパウロに『恐れないで、語り続けなさい。黙っていてはいけない。わたしはあなたとともにいるだ・・・』と言われた」使徒18:9~10)

主が幻によって語りかけたという場面は多くはなく、それが重大な、危機的場合である事を暗示しています。だから「恐れないで
語り続けなさい」と言う句は、実際にパウロが恐れており、語る事を止めようととさえ思っていたことを意味します。

この事件は私達に幾分の慰めを与えます。パウロと言えば、モ~セやエリヤに比すべき、常人の及びがたい人物と思われます
確かにその通りではありますが、さりとて彼が人間離れした鋼鉄製の神経を持っていた訳ではありません。

ユダヤ人の執念深い反抗、コリントの町の余りにもはなはだしい道徳的腐敗などによって、さすがのパウロもまいってしまった時があったのかも知れません。しかし、主の言葉によって再び強くされて、コリント伝道をやり遂げたところが、パウロの優れたところです。要するに主の言葉によって立つかどうかが分かれ目です。

「ですから、私は今日ここで、あなた方に宣言します。私は、すべての人たちが受ける裁きについて責任がありません」
                                                              使徒20:26

ミレトにおいてパウロが行った、エペソ教会に対する別れの説教は、実に読む人の心を打ちます。それはまさに伝道者にとっての模範と言うべきパウロの姿勢を描いて余すところがありません。特にこの26節のパウロの断言は、伝道者の資格証明書の

ようなおごそかさを持ちます。ここの直訳は「すべての血」についてであります。これはエゼキエル33:6・8にその出所を見る事が出来ます。つまりエペソの人々がさばきを受ける事があるとしたら、それは余すところなく主の御旨を語り告げられたのに信じ
なかった(あるいは一度は信じたのに勝手に離れて行った)者達の責任であって、伝える者としてのパウロの側は十二分に責

任を果たしていると言う宣言でした。これは相手に責任をなすりつける冷酷さではなく、溢れる愛から相手に責任の自覚を求める発言である事に注意したいと思います。

「神の福音のために選び分けられ、使徒とし召されたキリスト・イエスのしもべパウロ」ロ~マ1:1

ここにパウロの素晴らしい自己紹介の一句があります。これはあざやかに彼の使命感を反映して、彼の宣教者としての自覚を描き出す一句です。「使徒の働き」の中に報告されている、彼の全行動を理解するカギともなります。ロ~マ人への手紙を初め

とする彼の全著作を学ぶ土台ともある一句です。彼の全生涯は神によって設計されており、それはしかも、彼が生まれた時から(ガラテヤ1:15)でした。そして彼は、権威から言えば神の全権大使としての使徒であり、奉仕から言えばキリスト・イエスのし
もべ(奴隷)でした。キリストに仕えるとは、具体的には教会に仕える事を意味します。パウロは謙遜の限りを尽くし、涙を流して

仕えました(使徒20:19)教会のために労苦と犠牲を惜しまず仕え、報いられずとも、裏切られても仕えました。パウロの手紙はパウロの心の産物であります。

「もしできることなら、私の同胞、肉による同国人のために、この私がキリストから引き離されて、呪われて者となる事さえ願いたいのです」ロ~マ9:3

パウロの同胞、肉による同国人とは、ユダヤ人のことです。使徒の働きの中で私達は、彼がどんなに同胞から迫害され、何度も殺されそうになったでしょうかを読んで知っています。その同胞のためなら、彼らが救われるためにその事が必要なら、主から引き離されて地獄へ行ってもいいとパウロは言いました。ほんの数行前に、患難も迫害も死も、その他何者も[キリストの愛から私

を引き離すことはできない・・・」とパウロは誇りをもって言ったばかりです。そのパウロがそれほど深くキリストを愛に捕らえられたからこそ、パウロの敵であるユダヤ人の救いのために、自己を犠牲にする事さえいとわなかったのです。それにしても、自己

犠牲の凄まじさに比べうるのはモ~セののみです。ロ~マ書8章までの神学も11章までの選びの論もこのパウロの心を忘れたら正しい理解は困難です。

「なぜなら私が弱い時にこそ私は強いからです」第二コリント12:10

コリント教会について、パウロは心身をすり減らすように労苦しました。(15節)「弱気になると言う事がパウロの生涯にあるとしたらそれはコリント教会に関してであろうと思います。コリントも伝道にはその最初からそう言う面がありました(使徒18:11)
コリントの事ではパウロは弱さを感じざるを得なかったのでした。しかし、そこでパウロは学びました。人間の弱さこそ、神の強

さ、キリストの力が現されるチャンスなのだと・・・パウロの肉体に与えられていた「一つのとげ」(7節)と言うのは、何かの疾患であったのでしょう。コリント教会もまた一つのとげであったかもしれません。しかし、この教会についての心労を通して、彼は神

の恵みと力についての逆説的真理(9~10節)を体得しました。自分に頼る者は、強い時には強いが、弱り始めると一時に弱く
なります。しかし、キリストに頼って自分に頼らぬ者は弱い時にこそ強いのです。そのような者こそ幸いであります。

「私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをチリあくたと思っています」ピリピ3:8

ペテロも「何もかも捨てて」主に従った、と言明しました。(マタイ19:27)。多分小道具屋に売っても大した金額にはならなかったでしょうがそれでも彼らにとっては何もかもだったでしょう。しかし、パウロが捨てた者は少し違います。ピリピ3:5~6節にはその一端が記されています。こういうものは、この世ではそれを持つ者にとって得であると考えられています。ところが永遠の見地からすれば話は変わってきます。世の人が目の色を変えて欲しがるものを今や「ちりあくた」と評価しているのです。

[キリスト」は人生の価値評価の基準に革命をもたらします。ピリピ3章はその事を劇的に描いています。この革命が生涯を変える事は、パウロの人生に見る通りです。テモテやエパフロデトの場合にも同じ基準が働いています。この三人の生涯と人格を形成したのも同じ基準であり、その逆の実例が3:18~19です。

パウロはキリスト者になってからは、牢獄で大半を送り、ロ~マの大火の折に殉教をしたのでした。12弟子は、ヨハネ以外は、全員が殉教をしました。彼らの預言者としての殉教があったればこそキリスト教が永遠の唯一神として継がれて来たのです。
  


Posted by 金城米子 at 22:12Comments(0)預言者の苦難

2010年12月13日

預言者エリヤ

「エリヤはアハブに言った『私の仕えているイスラエルの神、主は生きておられる』」第一列王記17:1

イスラエルに最悪の王が出た時代に、神は最大の預言者をお起こしになりました。
イザベルがイスラエルの宗教を根絶して、バアル宗教を代わって国教にしょうとし、

アハブもそれに同調した時、国民は恐れてそれに従い、公然と王に抵抗する者は
一人もいないかと見える事態となったのです。オバデヤのような特に敬虔な人でも、

こっそり主の預言者をかくまったのであり、かくまわれた百人の預言者たちも、
洞穴に隠れて自分の命を守るのに精一杯だったのです。(18:4)

時にたった一人、あえて王の前に立って、その悪を責める人物が現れました。
アハブの罪に対するさばきとして、数年の旱魃を預言したエリヤは、
実に恐れを知らぬ人物と見えます。

しかし、彼の神経が鋼鉄製だった訳ではありません。(19章)彼の秘訣は、
王に告げた言葉に示されます。

「仕えている」とは直訳すれば「その方の前に立つ」です。主の前に常に
立つ者は、王の前に立っても恐れはありません。

「主の手がエリヤの上に下ったので、彼は腰をからげてイズレエルの入り口まで
アハブの前を走っていった」第一列王記18:46

カルメル山上の、対決は、エリヤの大勝利をもって終わり、バアル宗教に決定的
打撃を与える事が出来ました。

そして彼の宣言通り大雨が降りました。アハブは打ちのめされて、この知らせを告
げるべく、イズレエルの別荘にいる妻のもとに車を走らせたのです。

その車の前を走るエリヤの姿は、ますます、超人的印象を与えます。彼は得意の
絶頂とも言うべき気分を味わったでしょう。

しかしそこにはいささか"調子に乗った”感じもあります。これが危険なのです。

勝利の後にはこの事が危険だったのです。何も、アブラハムの先導者のような
真似をする事は無かったと思われます。

イザベルが真っ青になって崩れ折れる姿を一刻も早くみることを楽しみにしている
ようなところに、甘さが感じられます。

だからこそ、意想外に強固なイザベルの反応に出くわしたときに、失望と挫折感と、
そして恐怖に捕らえられてしまいました。

勝利の時にも神に栄光を帰して、静かに留まって、次にすべき事を神に尋ねる事が大切です。


  


Posted by 金城米子 at 15:04Comments(0)預言者の苦難

2010年12月13日

キリストにある苦難

苦難と忍耐については、預言者たちを模範にすべきだとヤコブは言ってます。(ヤコブ5:10)
彼は、祭司、レビ人、王、書記、もしくは牧師達よりもむしろ、預言者を苦難の模範にしなさいと言ったのです。

ですからペテロは、特別に預言者と使徒たちを心に留めました。
「愛する者たち、あなたがたを試みるためにあなたがたの間に燃えさかる火の試練を、
何か思いがけない事が起こったかのように驚き怪しむことなく・・・」第一ペテロ4:12

苦難、苦境は、主の働き人である深みに出て伝道する者にとっては、驚き怪しむ事ではありません。
基本なのです。伝道者には、常に迫害がつきものです。

「イエス・キリストにあって敬虔に生きようと願う者は皆迫害を受けるのです」第二テモテ3:12

ですから主から伝道の賜物、預言者としての召命を受けた者は、それらの迫害や苦難に対しては、
常に順応できるように備えなければなりません。(ビル・ハモンの著書から引用)  


Posted by 金城米子 at 10:27Comments(0)預言者の苦難

2010年12月13日

預言者エレミヤ

「わたしは、あなたを胎内に形作る前から、あなたを知り、あなたが腹から出る前から、
あなたを聖別し、あなたを国々への預言者と定めていた」エレミヤ1:5

イザヤは「私を遣わせて下さい」と叫んだ預言者でした。(6:8)ですがエレミヤは召命
の時からしり込みしました。(1:6)

これはそれぞれ個性の差であります。優劣の判断など見当違いです。ただ、歴史の状況は、
そして神の民の霊的状態は、一世紀前のイザヤの時よりもエレミヤの時のほうがより深く低迷し、
暗雲がただよっており、エレミヤの恐れは無理からぬものがありました。ユダヤ王国の末期、

そしてエレミヤ存命中にこの国はバビロニヤに滅ぼされます。そういう困難な時代に預言者として
立たされるとは、光栄などと言うよりも十字架そのものの道でした。それは自発的に選び取る道で
はなく、主の強制により歩んだ道でした。(エレミヤは主に騙されてと言っています。20:7)


証し
ユタと親子心中から救われた私もクリスチャンになった当初から様々な苦難、迫害、陥れられる
経験の中にありますが”主に騙された”?主に利用されるために?との考えがよぎる事もしばしば
でした。しかし、どんな苦境にあってもキリストを否む事ができない自分がいました。
私の愚かさゆえの苦難である事を十分知っていたからです。

キリストから離れたら私には、死しかない。永遠の地獄しかないと思う心と私の子孫への千代の恵み
を取り去ってしまう事の責任を私は知っていました。

全く主の前に出る事は出来ない不足の者ですが主の目に適う者となさしめて下さいと祈っております。

新約聖書でアナニヤにイエス様が言いました。

「彼が(パウロ)がわたしの名のためにどんなに苦しまなくてはならないかを、わたしは彼に示そう」使徒9:11  


Posted by 金城米子 at 09:52Comments(0)預言者の苦難