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Posted by TI-DA at

2017年07月31日

イジメから逃れて那覇へ望みをかけて来ました。(2)

那覇での新しい生活は何もかもが不思議でした。祖父は限りなく私を愛して可愛がってくれました。私は生まれて初めて甘える事を知りまし

た。祖父は毎日私を職場に連れて行きました。慢性腎盂炎の私は体が弱くて学校へも人込みにも入れなかったからでした。母は縫製の内職

で家計を助けるべき働いていたので私が一人ぼっちにならないために祖父は私を連れて職場に連れて行きました。祖父は大工の棟梁でした

から自由だったのですね。祖父は、安里カトリックでの仕事もしていたので私はその庭で遊んでいました。崇元寺も私の遊び場でした。大工だ

った祖父と何でも屋の伯父たちと私はいつも一緒でした。その頃、私には時々、不思議な現象が起きました。遊んでいるときに突然、意識がな

くなり別世界へ行くのでした。伯父が夫婦げんかをして離婚し、そして伯父がポチャリした女性と暮らしている幻でした。その時にの伯父とその

女性との会話も聞こえました。どうやらその女性は伯父が結婚前にお付き合いしていた人のようでした。私はその話を伯父夫婦に話して笑わ

れたのですが数年後それは現実になりました。伯父の事業の失敗で負債を抱えた事で伯父たち夫婦は離婚しました。そしてすぐに幻で見た

ぽっちゃり女性と伯父は再婚しました。再婚した女性はかなりの実力者で伯父の負債を返済して事業も再度、起ち上げたのです。子供心にも

借金すると離れて行く夫婦、借金があっても一緒に頑張っている夫婦もいる、人はそれぞれ様々なんだなあ・・・何が違うのだろうかなあ?と考

え込んでしまう本当に変な子でした。周囲の人々の行動を見て、考えにふける子でした。思うのは、神様は何故、あんなことを赦すのだろう

か?とか、何故、神様はあの人たちを助けてあげないのだろうか?と考えるのですがいつも私の中では神さが絶対的な存在で人を操作する

のは神様だと信じ込んでいました。神は絶対に存在すると言う考えでした。一人で物思いにふける時にはいつも、「神様」と呼び掛けてから話

をしていました。那覇での生活も田舎での生活でも変わらなかったのは、孤独感、疎外感でした。孤独感や疎外感は悪を引き込むことを知り

ませんでした。私を限りなく会いしてくれていた唯一の味方の祖父が宜野湾市真栄原交差点で交通事故で突然亡くなったのです。家族は大勢

いましたが家族が大勢いても友達がいても孤独な人もいるのです。その経験をしました。一人でも自分の環境に満足している人もいるので

す。その事も私には不思議でした。那覇での生活は方言を使う人はいなかったので私は無口になり孤独感で一杯でした。私を可愛がってくれ

た祖父が突然の交通事故で亡くなったからでした。小学校に上がっても私は誰とも話しをすることもなく、友達もいませんでした。文字も読めな

かった、文章の理解力もなかったのでテストは0点でした。教科科目は全て標準語なので文章理解できなくて通知表はオール2でした(笑)家

の中でも標準語を使う事は無くて標準語は外国語のようでした。学校での答案用紙は当然0点でした。父親はプライドが高くて私の成績が悪

いのでいつも激怒され、暴力を振るわれました。私は歩けなくなるほどに殴られ学校へ行けない日が多くありました。家では幼い弟妹の子守と

家事をしていましたが当時は貧しくて食材がないので料理らしいのは作れなかったです。豆腐一丁を15人家族にあうように作っていましたか

らね。私は一度も学校へ弁当を持って行ったことはなかったです。平均してみんなが貧しい時代でしたから弁当のない子たちだけで鉄棒の砂

場で遊んで時間を過ごしていました。幼少時代から学生時代の事をざっと書き出しましたが中学校卒業生でほとんど学校へ入っていない私で

した。中学2年生の時に母が急病で倒れてから、母が経営するスナック喫茶を私が任されて男性の従業員を2名雇って叔母にも手伝ってもら

って何とか運営しておりました。家族の生活は中学2年生の私の肩にかかっていました。でも、私には少しも苦にはなりませんでした。学校に

は心赦せる友達もいませんでしたからね。たまに学校へ行くと私の後ろをぞろぞろと変な子たちが付いて回っていました。みんなはぐれ者でし

たから私にくっついていたら居心地が良かったのかもしれません。続く~  


Posted by 金城米子 at 17:36Comments(0)

2017年07月22日

イジメから逃れて那覇へ望みをかけて来ました。(1)

               
私は宜野座村で生まれました。那覇へ出て来たのは、私が6歳の頃でした。6歳までは私は故郷の宜野座村にいました。宜野座村の事はあ

まり話題にしたくなかったほどに私には悲しい思い出しかなかったからでした。村では私たち母子を蔑視する人が多かったからでした。村八分

の中での私の心は大いに傷ついていました。6歳の頃に私は近くにあった学校の校庭に植えられていたもくまもうの木に上って遊んでいたの

ですがその木の上から村の男の子に落とされてしばらくは痛くて動けない状態でいました。周りにいた子供たちは、格好悪い私を笑い飛ばし

て「さんぐゎあ~の子供」(姦淫の子)と口々に叫んでそのまま私を放置して家に帰ってしまったのです。気を失ったのか分かりませんがしばら

くしてから私は気が付いて私は悔し泣きしながら家に帰りました。家に帰っても母は仕事に出ていないので一人で馬小屋のわらの中で眠りま

した。目が覚めるともう、夜が明けていました。母が傍らで泣いていました。母も偏見と差別に苦しい日々を送っていたので、母もきっと耐えが

たい辛い事があったのでしょう。母が私に「どこか遠くへ行こうか?」と言ったのです。しかし、母は決心がつきかねていたので私が着替えを風

呂敷に包んで母の手を引っ張って家から出て行きました。バス停でのバスの待ち時間がすごく長く感じられました。家族の者に見つかればす

ぐに引き戻されてしまうから私たちはとても焦りました。幸い誰にも見つかることなく私たちは那覇行きのバスに乗って一路那覇へ向かいまし

た。那覇の何処へ行くのかも考えていませんでした。当てのないバスの旅でした。私たち母と子は乗り物に弱い事をその時に嫌と言うほど知

らされるくらいに乗り物酔いで苦しくなり、途中でバスを降りました。降りたところが那覇の安里でした。降りてから母は道の端っこで吐き続けて

いました。私も気分が悪くて立てませんでした。心細さが母と私を襲いました。そこへ声をかける一人の女性がいました。なんと私たちを捨てた

実の父の姉の和子伯母さんでした。心細い思いでいた私たちには和子伯母さんに出会ったのも天の助けに思われました。和子伯母に手を取

られ、私たちは実の父の家に行きました。父は仕事に出て留守でしたが祖父と二人の伯父と伯父の家族がいました。私たちは大いに歓迎さ

れました。子供心にも嬉しくて安堵しました。夕方に父が足早に帰って来ました。父には、確かに奥さんと二人の息子がいた筈なのに?でも、

直ぐに父は離婚していたのだと解りました。しばらくして分かった事ですが父は、私たちが来たことを純粋に喜んだのではなくて家事を全てして

くれる女中が来たことでした。田舎にいたころの辛い現実が再び私たち母と子の上に起ころうとはその時にはみじんも感じさせない程の父の

家族は私たちを歓迎してくれていました。新しい家族との中で徐々に暗雲の影は足音を忍ばせて来るのでした。  


Posted by 金城米子 at 07:27Comments(0)

2017年07月14日

日曜日は安息日ではありません。



エンライト師の講演の後半です。

「この地上に良心を拘束し、神の前および地獄の刑罰に人々を結び付ける

律法を造る権威を持っている教会はただ一つ(法王教)だけです。例えば

日曜日を守る権利はどこにありますか?諸君は「安息日を覚えてこれを聖

とせよ」との聖句を持って答えるでしょう。しかし、日曜日は安息日ではあり

ません。日曜日は週の初めの日であることを学校の子供でも知っています。

私(エンライト神父)は何度も繰り返して、誰でも聖書だけによって、私たちが

日曜日を守らなければならない事を証明する者には、一千ドルを与える事を

発表しましたが、今日まで誰ひとりその事を請求したことはありませんでした。

全く第七日(土曜日)安息日から週の初めの日(日曜日)に変更したのは法王教

だったのです。

「聖書を唯一としているプロテスタントたちがこのように法王教の伝統に従うことは

矛盾していると言われるのは、不思議ではなく当然の事です。」

1947年10月3日発刊の法王教の書を”Cathcilc Virgirian"の中に「キリストまたは

使徒たちが安息日を土曜日から日曜日に変更するように命じた記事を聖書の中に

見つけることは不可能です。神が「安息日を覚えて、これを聖とせよ。」とモーセに与

えられた律法は、週の第七日(土曜日)安息日でした。今日大多数のクリスチャンは、

日曜日を守っています。それは聖書以外に、ローマ法王教が私たちに示してくれたか

らです。」と一種の誇りを持って発表したのです。

もう一つ大切な事は、主の再臨の時、携えられて御国行けるのは、「モーセの律法を堅く

守っているクリスチャンです。律法を守れないのは、聖霊により頼まないからです。

自分自身をあけ渡して主の聖所に入れるように祈りましょう。安息日礼拝こそ聖めと神の

みわざあを経験するのです。「求めなさい。そうすれば与えられます。」主の聖さを求めましょう。  


Posted by 金城米子 at 19:37Comments(0)

2017年07月14日

安息日(土曜日)を日曜日に変えたローマ法王の策略

ローマ法王教(カトリック)のピータ・ガイエルマン氏「悔い改めた者のための

法王教義問答」50ページに次の事が示されてます。

問 どの日が安息日ですか

答 土曜日が安息日です。

問 それでは、どうして私たちは土曜日の代わりに日曜日を守りますか?

答 我が法王教がラオデキヤ会議で、その神聖を土曜日から日曜日に変更した
  事実によって、土曜日の代わりに日曜日を守っているのです。

ローマ法王教が(カトリック)神の律法を変更しようとする聖書の預言。

「彼は(法王教)また時と律法とを変えようと望む。」(ダニエル7:25)

法王教は第七日(土曜日)を日曜日に変更したことを是認し、かつ誇りとしています。

実例を紹介します。

神父エンライト師は1884年2月18日カンザス州ハートフォードにおける公演中に

「私はしばしば繰り返して、誰でも聖書のみことばによって日曜日を固く守らなねばならない事を

証明できる者には、一千ドル与える事を公表しました。聖書の中にはそのような律法はないのです。

それはただ法王教の律法です。聖書は『第七日(土曜日)安息日を覚えて、これを聖とせよ」と言って

います。法王教(カトリック)はこれに対し、「いいえ、私の神聖な権威によって第七日(土曜日)を廃して、

週の初めの日(日曜日)を聖く守れ」と命じています。見よ。世界の文明国はみな法王教の命令に恭しく

従っているではありませんか。」と発表しました。その時から9年すなわち1893年に、このエンライト神父は

再び次のような講演をしました。次回に続く→乞うご期待(私は主に命じられて土曜日安息日が正しくて、

日曜日クリスチャンが方教の策略にうまくのせられている事を証ししています。主に命じられたままにです。  


Posted by 金城米子 at 16:11Comments(0)

2017年07月14日

どうして日曜日が一般のクリスチャンの安息日または主の日となったのか?

日曜日をクリスチャンの安息日または主の日として守り始めたのは、

当時の皇帝から支援を受けていたローマ法王教(カトリック)によるのでした。

すなわちコンスタンチン帝の日用休令発布の直後、シルベスター法王は彼が

使徒から受け継いだと自認している権威によって日曜日の名前を変えて

『主の日』と改めてしまいました。紀元364年、法王教会の全てが、ラオデキヤ

会議に出席し、教会法令を発布して第七安息日に休むことを禁じ日曜日を休む

ように人民に命じました。そのラオでキヤ会議には「クリスチャンはユダヤ的では

なく・・・原始安息日の土曜日を守らず、かえって、その日に働かねばならない。

そして・・・クリスチャンは日曜日に働いてはいけない。もしユダヤ人と同じように

すれば(すなわち土曜安息日を守れば)、キリストから締め出される」と記しています。

歴史家ウィリアム・プリン著に「主の日諭」「第七日(土曜日)安息日は使徒や

クリスチャンによって神聖視されていましたが、このラオデキヤ会議で(紀元364年)

においtその遵守を廃止されました。このラオデキヤ会議は主の日(日曜日)遵守の

確定をした最初のものでした。」と記されています。  


Posted by 金城米子 at 15:14Comments(0)

2017年07月12日

万物の創造主イエス・キリスト

「初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。この方は、

初めに神とともにおられた。すべてのものは、この方によって造られた。造られたも

ので、この方によらずにできたものは一つもなかった。」ヨハネ1:1-3

旧約聖書は、3500年前に新約聖書は1900年前に書かれものです。

旧約聖書は主イエス・キリストの預言書です。新約聖書は、イエス・キリストの公の生涯を記された

ものです。主イエス・キリストは天地創造の神であられることは聖書が証しています。

天父とともに天地創造をされた神なのです。天父は「万物の上にイエスの御名を置いた」と宣言されて

おられます。私の前にも主イエス様はお姿を現されました。「真理を求める者にわたしは現れる」と

聖書にある通りに私が泣いて「唯一の神、本当の神があるのなら」と泣き叫んだ時に私の前に現れました。

現れた主イエス様は、悔い改めを促されました。海の底から命を救って下さった主が「悔い改め」に導いたのです。

死ぬような場面でずぶぬれになった卑しい女に主が求めたのは「悔い改め」でした。悔い改めが主に近づく最良

の方法であることが私には理解できたのです。どのような祈りをする時にも先ず悔い改めなのです。

バプテスマのヨハネが砂漠で人々に「悔い改めよ」と叫んだ事を聖書で知った時に私は主が最も喜ばれるのは、

「悔い改めの祈り」なのだと納得しました。そして、子供伝道に私はモーセの十戒を教えます。この律法は主が

祝福している律法なのです。守る者は大いに祝福されるのです。守れないと思う心はサタンの惑わしですよ。

主を愛する者は、偶像礼拝はしません。偶像を憎み仕えません。主の御名をふざけて唱えません。

安息日を聖とし安息日礼拝を喜びます。父母を尊敬します。盗みません。偽証しません。姦淫しません。貪りません。

聖書は想像力がなければ理解できません。神と人を愛せなければ聖書は理解できません。自己中心な心や利己心な

者には、イエス・キリスを受け入れることは出来ません。神との交わりも出来ません。創造主の神は想像力がなければ、

主なる神を味わう事が出来ませんよ。十戒の1-4は神様に関する戒めです。5-10までは、人に関する戒めです。

安息日礼拝は驚くべき創造主の恵みでキリスト者だけが味わうことが出来る神との交わりが深くなる礼拝なのです。

聖書の中でイエス様が大いなるみわざを成されたのが安息日の日でしたよ。私も安息日礼拝で重い病が癒された経験を

しました。安息日礼拝は創造主を覚える事と神がクリスチャンを聖別される日なのですよ。感謝します。  


Posted by 金城米子 at 23:23Comments(0)

2017年07月12日

聞かれる祈りの秘訣は?

これはあくまでも私の経験上の話です。私はこれまで聞かれなかった祈り

は息子たち家族との礼拝賛美祈り会を持つことです。しかし、その他の祈り

は殆んど聞かれています。私は自分自身の事は全て主がご存じだと確信して

いますので自分の事よりも他者の事や祈るようにと示された事だけを祈ります。

私は自分の息子達や孫達と喜んで主を讃美礼拝することを熱心に祈り続けています。

この祈りはクリスチャンになって当初からの必死に祈って来たことでした。

息子夫婦と孫たちが揃って共に礼拝賛美する事はどんなに素晴らしく絵に描いたような

美しい神の家族の模範になるでしょうか。と願い続けて来ました。しかし、この祈りは未だ

に聞かれません。ある日の祈りの中で私は「主よ。何故ですか?何故、この祈りだけは聞

かれないのですか?もう、疲れ果てました祈る事をしたくありません。」と祈りました。

主がお答えになったのは、「あなたの高慢の根が完全燃焼したときに、この祈りは、叶えら

れます。あなたの息子たち家族は、社会的に全ての点で劣る事のない生き方をしています

からね。彼らがあなたと共に教会にいる事は、あなたの自慢の種になります。

あなたは自分を誇るでしょう。そうしたら、他の人々のつまづきになります。

私は以前にあなたに約束をした通りに『あなたの息子たち家族は、あなたにとっては最良の

慰めの家族です。親を思いやるその心を彼らに与えたのはわたしですから、わたしはあなたの

高慢の根が完全燃焼されたときにあなたの願いを聞き入れよう。」でした。

「神は高慢な者を退け、へりくだる者を恵み給う」とあるように、神はへりくだった者の祈りを聞かれます。

まだまだ訓練が足りない事を思いました。主は、主に栄光をお返しできる者として私を訓練する必要が

あるのだと私は受け止めました。これまでの人生も壮絶な人生だったのに、主の品性を現すものとなる

ように主は訓練なさるのです。主人がガンとの闘病生活をしています。下咽頭がんで声を失った主人の

ストレスはまともに私に向けられています。主人にとっては私の鈍感さが赦せないようですがそれに対し

て愛と寛容さを持って受け止めることが訓練です。愛息子も手がかかりますがこの不自由な生活を主に

心から感謝できるのは主の恵みです。忍耐する者を神は祝福なさいます。万事を益と成さる主に感謝の

日々です。話がそれましたがそれでは、主題に戻りましょう。

祈りが聞かれる秘訣は、

1、知って犯した罪(想念・心、人を苦手と思う心)知らずに犯した罪を主に示して貰う。

 示されたらその罪を悔い改める。悔い改めたら二度と同じ罪は犯さない決断をする!

2、主の御心にかなう祈りなのかを考える。(自分の欲望からの祈りではないか。)

3、自分の言葉で祈る前にみことば(詩編)で祈ると良いと思います。詩編の祈りには

 感情からの怒り悲しみの祈りもあります。しかし、最後には主を褒めたたえています。

 主を力の限り賛美しましょう。褒めたたえましょう。今のこの苦しみは主の十字架の苦しみ

に比べれば何と言う事はありません。私はこの状況を主よあなたに感謝します・・・と

私は、自分自身に関わる全ての人々を祈っています。祈っているときは主との深い交わりを

感じて幸福感に満たされます。祈りは呼吸と言われた牧師もいます。私にとって祈りは、私を、

聖化する一番の方法だと確信しています。愛と秩序の神であります主に最高の心を献げて、

思いを尽くして、力の限り、精神の限り祈る事は、主の喜びなのです。応答の祈りの秘訣でも

あります。祝福をお祈り申し上げます。

「苦難の日にはわたしを呼び求めよ。わたしはあなたを助け出そう。あなたはわたしを崇めよう。」詩編50:15。  


Posted by 金城米子 at 16:21Comments(0)

2017年07月08日

主イエス・キリストを告白しない霊は全てが悪魔です。

過激的な題名ですがお赦し下さい。多くのクリスチャンが聖書の真理を擁護できずにいる事や伝道で

きずにいる事に義憤を覚えています。何故、キリスト教が唯一神だと言うのに天父・(エホバ)・御子イエス

・キリスト・聖霊の三位一体と言うのか?に疑問を持たせて真理を知らない人々を惑わせている宗教団体

があるからです。エホバはイエス・キリストを神の子としては認めていません。三位一体を否定しています。

では、神は人間からは程遠い神なのでしょうか?いいえ、違います。天父が人間との回復を望んだときに

罪の壁で天父と人間との隔ての壁を取り除くためにはどうしても御子イエスを十字架につけなければならな

かったのです。それまでは、動物犠牲でしたが動物をいくら献げても人間の罪は繰り返されるだけで解決で

きずに天父との隔てはの壁は高くなるばかりでした。沖縄でも過去には、豚を贖罪として献げていました。

それが簡素化されて重箱になったわけです。同じ拝みを何度も繰り返しても贖罪にはならないのです。

そこで天父は人間の罪を取り除くために愛する神の一人子の御子イエス・キリストを十字架につけて死なされて

墓に葬られて3日目によみがえららされたのです。イエス・キリストが母マリアの胎内に宿らされたのは天父による

聖霊の力です。人間として人から生まれたわけも人間としての33歳までの地上生活を経験成された事が私たちに

一番近い神様である事の証明なのです。人としてお生まれになったからこそ赤ちゃんの弱さもご存知です。成長して

いく過程も子育ての苦労も人の病も弱さも貧しさも全てをご存じなのです。だから、クリスチャンは自分の弱さを抱えた

ままでその弱さを御子イエスに訴える事で癒されることを経験します。万物の上に御子イエスの名を置いた」と天父は

仰っています。御子イエスを信じる事で自由と解放が約束されたのです。全てのしがらみや戸惑いや迷信や因習から

クリスチャンは解放されて自由になり癒されるのです。旧約聖書はイエス・キリストが世の救世主としてご降誕される事を

記されています。イザヤ書9章と53章その他にも記されています。仏教の元祖である釈迦も「私が死んで5百年後には

救世主が来られる。その人を信じなさい。」と預言しています。私は34年前に釈迦の霊に会っています。釈迦かどうかは

はっきりわかりません。と言うのは人は死んでからは霊として地上に残ることは出来ないのですから恐らく主イエス様は、

聖霊によって釈迦の姿になって真理を教えたのかもしれません。釈迦は私に現れて人が多くの偉人や教祖を神として拝ん

で神にしているいるゆえに釈迦も含めて多くの者が死後に苦しみを受けていると言われました。そのことを多くの人々に伝えて

死者を神にしないようにと言われたのです。それは、私がユタ業をしていてノンクリスチャンのときの話ですから不思議です。

しかし、私はそれを言えば自分の仕事(ユタ業)が出来なくなるので死活問題ですから母と相談して黙っている事にしました。

そのことから12年後に私は息子との無理心中事件からイエス・キリストに救われてクリスチャンになりました。三位一体の神が

私にどのような計画を立てておられるのか私は受け入れて覚悟をしました。主イエス・キリストを伝える事、人々を真理の道に

導くために重荷を負っている事を私は受け入れています。私のような大罪人で無学な者を用いて真理の神を伝えるために生かし

て下さっている天父に心から感謝しています。直ぐに信じなさいとは言いませんがどうか、変わりたいと願っておられる方や真理

を知りたいと願う方は≪讃美の家》に来てください。ネットでサンライズミニストリーをご覧になる事もお勧めします。

「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。」ヨハネ14:6。

賛美の家  沖縄県西原町字我謝123番地          

電話FAX 098-953-1331

金城米子  携帯電話 090-9782-1946

  


Posted by 金城米子 at 05:17Comments(0)

2017年07月03日

惜しみなくお与えになる神キリスト

「あなたがたのうち、知恵に不足している者があれば、その人は、咎めもせずに惜しみなく与える神に願い求めるがよい。

そうすれば与えられるだろう。ただ疑わないで、信仰を持って願い求めなさい。疑う人は、風の吹くままに揺れ動く海の波

に似ている。」ヤコブ5-6。

長年の友人のA子さんは宝石占い師でした。彼女を訪問してキリストと悪霊の違いを伝えに通い続けていました。

A子さんは私が教会に騙されていると嘲笑して話をまともに聞こうとしませんでした。2カ月ほどしてA子さんから電話が

あり、「助けて!」との連絡があり急いで会いに行きました。A子さんは部屋にうずくまって動けなくなっていました。

「怖い、怖い」を連発するA子さんは、精神をやられている事が解りました。彼女は病院へ行きたいと言うので内科も

併用している精神科に連れて行きました。彼女は即入院することになりました。私は保証人になり、彼女のアパート

の事も心配だったので管理人にあって入院した事を伝えました。その日から私は毎日彼女を見舞い、聖書輪読をし

ました。そして、何度も語って来た十字架の福音を語りました。祈りと賛美と御言葉を語り続けていた時に、彼女が

病室で悔い改めの祈りを一緒にしてと言ったので祈りました。その後にイエス様を受け入れる祈りをしました。彼女は

奇跡的に癒されて退院しました。しかし、彼女は聖書理解が出来ない事にジレンマを感じているのが解り聖霊を求め

るようにも話しました。その前に日々の悔い改めが必要であることを諭しましたが彼女は、経済的な不安があったので

内心、私は心配していました。予想していた通り彼女は、生活苦の為に占いを始めようかと迷っているとの話を聞いて

私はA子さんを訪ねました。どう生きて行けばよいのか全く分からないし、とA子さんは泣き出したので祈りをしましょう。

と知恵が与えられるようにとみことばで祈りました。祈りの中で知人の事が思いに来たのでその知人に話をしましたら、

A子さんを雇いたいと了承してくれて前借りもOKが出来てA子さんは、とんとん拍子に道が開かれました。

「見よ。神は我が救いである。私は信頼して恐れる事はない。主なる神は我が力、我が歌であり、我が救いとなられたからである。

あなたがたは喜びを持って救いの井戸から水をくむ。」イザヤ12:2-3。

  


Posted by 金城米子 at 14:17Comments(0)