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Posted by TI-DA at

2013年11月28日

人の言葉に振り回されないで・・・

責任転嫁の罪を知っていますか?H姉妹は母親がユタ信仰でH姉妹も小学校の頃から一緒に拝みに巻き込まれていたそうです。

H姉妹はマインドコントロールにかかり、見えない霊や声が聞こえるようになり、登校拒否になり、大人になってからは対人関係が苦手になってしまっていました。

そして、母親と一緒にユタの仕事に専念するようになりました。どんなに拝みに専念しても不足と過ちを指摘されるばかりで苦しくなってH姉妹は友人に誘われて教会を訪ねました。

そして、今までの生活を悔い改めて新しく生きること喜びを持って13年の信仰生活を経ました。そのH姉妹から相談電話を受けました。

教会生活も苦しいし、実家の母との暮らしも辛いと言うのです。自分がこんなに辛い人生を送るようになったのは母親と叔母たちのせいだと思うと母が憎くてたまらないと話していました。

「教会の兄弟姉妹たちも『あなたはサタンに支配されている』と言われて教会にいる事も苦しいです」と話していました。

聖書をある程度は知っているH姉妹ですから「責任転嫁」の罪って知っていますか?とアダムとエバとへびの話から責任転嫁の話をしました。拝みを強要されたと言うけれどもあなたは「NO」という事も出来たはずですよね。

と質問をして米子トークです。

「NO」と言えなかった原因を胸に手を当てて考えてみましょうね。「創世記の中でアダムに創造主が園のどの木からでも取って食べても良いと言って、ただし、『善悪を知る木』からだけは取って食べてはいけない。と言われました。

しかし、その木の実はエバの目には大変、美味しそうだってのですね。それで蛇が言いますよね。「神は本当にその実を食べたら死ぬと言ったのですか?」「あなたがその実を食べると目が開けて神のようになるといけないからからなのだ」と嘘を言います。

エバの心の中には神のように世を支配したいとの思いがあったのですね。エバは意識していなくても「支配欲」が芽生えていたのです。そこに蛇は介入したのです。

エバは実を食べます。でも、罪の意識はアダムを巻き添えにすることを考えます。エバはアダムにも実をたべるように誘惑します。

罪を犯した時点でアダムとエバは神様から隠れますが隠れる事は出来ません。神様に質問されます。「どうしてこのようなことをしたのか?」その時にアダムは妻のエバの責任にし、エバは蛇がだましたと責任転嫁をします。

神様はアダムとエバをエデンの園から追い出しましたが善悪を知る木から実を取って食べた事ではありません。二人が神の前に出て、「悔い改め」なかったからです。

神は思い直す神ですし、神は私たちの「悔い改め」の祈りをうけいれますから・・・

逆境で育つ人も多くいます。しかし、逆境であっても不合理な事、不条理な事があったとしても忍耐し、逆境のせいや親のせいにしないでしっかりと生きている人はいます。

どのような状況であっても結局は選択したのは自分なのです。私たちはただ、聖書のみことばは何と言っているのかなのです。人じゃあないです。

人の言動に振り回されるのではなくて神の支配の中に自分を置くと言う選択をするのです。人の支配の中にいると聖書が分らなくなります。

神様が私たちの前に置いたのは。祝福と呪い」「命の木・善悪を知る木」です。選択権はあなた自身にあります。

善悪を知る木は「自分を基準にした善と悪の判断です。自力で生きられると言う高慢です」選択はあなたの自由です。

この話を聞いてH姉妹は悔い改めて母親と叔母たちを赦し、愛することを選択しました。ハレルヤです。

  


Posted by 金城米子 at 12:41Comments(0)

2013年11月28日

祈りが聞かれる最善の方法を教えて下さい

私には、「祈りが聞かれるにはどうすればよいのか」と質問する方々が多くいます。祈りが聞かれのも聞かれないのも私には「こうだよ」と断定はできませんが聖書の中にはイエス様の教えが御心が記されています。

私たちが自分が嫌がっている事を平気でする人を遠ざけたいと思うようにイエス様は聖書の中で「高慢な者を退け、へりくだった者に恵みをたもう」とヨハネとありますからまず、自分の内側にある隠れた高慢を追い出す事ですね。

怒り=高慢です。上から目線でいるから怒りが出て来るのですね。
「怒りは神の義を全うしない」ヤコブにあります。神のわざが起こらないという事です。

イエス様がパンダ種の話をしました。聖書のパン種は常に悪い意味で用いられています。

「ファリサイ派とヘロデのパン種に気をつけなさい。」

ファリサイ派のパン種は、偽善と儀式主義、独善、頑迷な信仰でした。ファリサイ派は外見上は敬虔であるかのように装っていたが、内面的には堕落した邪悪な者たちだったのです。

ヘロデのパン種は、懐疑的な態度、不道徳、世俗主義でこれらの罪がはっきりと認められたのです。

これらの事が自分の内部にないかを自己吟味することは必要です。

幼子の信仰とは、幼子は迷子になった時に、どんなに周りの大人たちがあやしても泣きやみません。思い出しては親を呼び泣き続けます。しかし、親の姿を遠くから見つけると走って親の元へ行きます。

羊は飼い主の声を聞き分けるとあります。幼子には親の声しか聞こえません。親が言う通り、親がする通りです。

聖書に従う事は窮屈で難しい事だと思う人がいます。しかし、人がより安全に平和的に生きるという事が幸いだと思うなら何一つとして苦になりません。

交通ルールと同じなのです。ルールを守らなければ痛い目に合うでしょう。聖書はもっとも楽で平安な人生を生きる知恵と力を与えます。

そして、どのような逆境にも喜んで忍耐することが出来るのです。心が歪まないのです。責任転嫁の罪も犯しません。

人間の原罪はアダムとエバの責任転嫁の罪でした。人の罪は時代と共に増し加わって行き、戦争、殺戮、殺人、暴力、嘘、偽り、不誠実など等と罪の世の中になってしまいました。

罪が増し加わると病原菌で流行病が増えます。近代社会の悪は多くの病人を輩出しています。ですから今は荒野のヨハネが「悔い改めなさい」と言う時代が到来しているのです。

これらの事が理解できて「とりなしの祈り」をし、実践して他者の為にも祈れることが出来れば祈りは必ず早い時期に確認できると私は確信しています。

朝の祈りは今日一日のスケジュールを聖別する祈りです。神様が違うと言われる祈りは却下されます。実を結びません。アクシデントが起こります。

夜の祈りは今日の悔い改めの祈りと感謝の祈りです。そして明日のスケジュールのための祈りです。デボーションの時には今日一日のスケジュールを神様の御前に差出して祈ります。

ノート付をすれば日記帳にもなりますからデボーションをお勧めします。デボーションは神様との深い会話ですから恵まれます。

「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くしてあなたの主である神を愛しなさい。」マタイ22:37

「あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい」マタイ22:39.

この二つの戒めが神に喜ばれることではないでしょうか。皆様の上に神様の恵みと慈しみが満たされますようにお祈りしています。
  


Posted by 金城米子 at 10:16Comments(0)

2013年11月28日

デボーションの証しから(ヨハネ10:1-19)

これは私がクリスチャンになって三年目のデボーションからの証です。デボーションでは「罪」「慰め」「叱咤激励」などが示されます。

ここでは9~10のみことばに心がとまりました。
「わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる。その人は門を出入りして牧草を見つける。」10節「盗人が来るのは、盗んだり、滅ぼしたりするにほかならな。わたしが来たのは羊が命を受けるため、しかも、豊かに受けるためである」

(教会はどのような働きがあるのだろうか。週に水曜日と日曜日に教会に通っているが礼拝の日曜日だけでも良いのじゃあないか?また、神様はイエス様だと知っているのだし、強いてまでは教会に通う事はないのじゃあないのか・・・」

私はそう思っていました。礼拝主義者じゃあないし、祭儀主義ではないしね」・・・

この思いはある程度、熱心に教会に通っている時期に私の思いに入って来ました。他の先輩の信徒も孫の行事などには礼拝に来ないし、それほど熱心にならなくても・・

この箇所から「わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる。その人は門を出入りして牧草を見つける」は教会の事を示されている事がすぐに解かりました。

教会はイエス・キリストのみことばを聞く場所です。教会の門がイエス様ならイエス様は良い牧草は門の中で見つけると仰っています。羊にとって牧草は唯一の糧です。

牧草はみことばです。門とイエス・キリスト。教会と牧草とみことばが一つにつながって来ました。そして、私の中に油断という隙間隙、安穏な信仰生活が示され、私は悔い改めに導かれました。

10節ではイエス・キリストが地上に来られたのは羊が命を得るためと仰っています。私たちの周りにはいろんな正しいと思われる悟りに導く教えや教団は沢山溢れています。

しかし、どんなに悟りを得たとしても救いはありません。救いはイエス・キリストだけです。救いがなければ悟りは意味を成しません。私たちにはイエス様の永遠の命と永遠の愛が必要であってその他の物はパウロが言っているようにチリ、あくたに等しいのです。

私に示されたのは「油断して安穏な信仰生活に引き込まれては伝道と言うイエス様の働きが出来なくなること。

みことばを蓄えるには祈祷会での祈りの中で賛美によって力が与えられ霊の成長を見ることが出来ることでした。

私は賛美と祈りに熱心になりました。その熱心は自分の力ではありません。喜びにあふれる熱心でした。賛美で御言葉がどんどん私のうちに吸収されて来て蓄えられてきました。

そうすると黙ってる事が出来なくなって伝道に熱心になりました。キリストの福音をどこでも誰にでも語りたくなったのです。喜びをもってです。

  


Posted by 金城米子 at 08:22Comments(0)

2013年11月25日

それぞれの十字架を担って

何一つとして問題を抱えていない人はほとんどいないと思います。

家族の問題や仕事、経済的な事そして対人関係といろいろあります。

10年前に癌を克服しながら信仰を握っている女性は経済的な事が自分の十字架だと言っていますが心は平安ですと明るく言いきっています。

先天性の障碍児を一人で抱えて頑張っている女性がいます。彼女は30年間、娘と障碍児を一人で抱えて頑張って来ました。今は、もう孫にも恵まれて幸いのように思えますが。今も重い障害の息子との二人暮らしで経済的にも苦労があるようですが「心は平安だからね」と胸を叩いて見せます。

20年間、うつ病に苦しんでいる40歳の女性がいます。イエス・キリストを信じてからは「死にたい」という思いよりも他者のために祈ることが出来て「心は平安ですから・・・」

50台の女性は依存症の夫を支えながらも夫を温かく見守る事が出来ていますよ。「心は平安です」とピースをして見せる彼女です。

交通事故で寝たっきりになっている男性はイエス・キリストを受け入れてからは自分の状況を平安ですと言っています。

まだまだ多くの人々が重荷を抱えながらも「平安」ですと話しています。問題は他者には想像もできないほどの苦しみですがそれぞれの十字架なのです。

「それぞれの十字架を負ってわたしについて来なさい」とご自分が今まさに十字架刑かかろうとしたイエス様がゴルゴダの丘へ十字架を担いで登られながら仰った言葉でした。

十字架刑にかかられたイエス様だからこそ、忍耐の中にいる一人ひとりに憐れみと慈しみを給うことができるのです。

安穏とした日々を送っている人には神を見る事は出来ません。耐えられないと思っている苦しみも悲しみもイエス・キリストを信じる事であなたは平安に満たされると言う真実をお伝えしたかったのです。

今、問題の中いて、出口が見えないでに押しつぶされそうになっている方がいましたらどうぞお近くの教会を訪ねてください。


「疲れた者、重荷を負う者は、誰でもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」マタイ11:28.  


Posted by 金城米子 at 15:26Comments(0)

2013年11月15日

水と霊の関係(ヨハネ3:5)

「人は水と霊によって生まれなければ神の国に入る事は出来ません」ヨハネ3:5。とイエス様は言われました。イエス様が「水と霊によって・・・」言われたことにニコデモは戸惑いました。

ニコデモは肉的に考えたのですね、水を羊水と即座に理解出来たからです。

どうやって、もう一度母親の胎内に戻ってうまれるのか?ニコデモは悟れませんでした。「水と霊によって生まれる」と言えば何を思いますか?胎児の状態を思い浮かべてください。

胎児は羊水の中で命をはぐくまれます。すでに体内から生まれ出た私たちは母の胎内に戻る事は出来ません。私たちはイエス・キリストを心で信じてイエス・キリストの水で命をはぐくまれという事をすぐに理解できなかったニコデモでした。

私たちはイエス・キリストの命の水で育ちイエス・キリストの御霊の中で永遠を生きるのです。イエス・キリストの水はみことばを意味しています。ですからイエス様はそのみことばからニコデモに悟るようにと願ったのでしょう。

水によってという事には、バプテスマの意味があります。バプテスマによって新しく生まれる必要があります。新生は神の言葉を通して実現するゆえにイエス様がバプテスマを大切な事と言われたのは、罪が赦されたものとしての新生で新しい性質が御霊によって与えられたのであるという確信と確認です。

新生しなければ現存する罪からの救いはなく御国を見る事は出来ないという事です。矛盾する事はありますがそれは神の采配であって私たちにそれを釈明してくださいと言う権利も資格もないのです。

ただ、聖書のみことばに従って生きて行くことが私たちの霊的な命を守るという事をイエス様はニコデモとの出来事を通してこの箇所で私たちに語られたのです。

  


Posted by 金城米子 at 16:54Comments(0)

2013年11月14日

本当の自分を書きたいと思ったら・・・

「私がユタをやめたわけ」の第二版を出すことが決まりました。それはそれでリクエストが多かったから良いのですが・・・

私はもっと今風にリアルな発想と語りで本を書きたいなあと思っています。ヨハネの4章にサマリヤの女が出てきますよね。私は初めて、あの箇所を読んだ時に分りましたよ。

私は自分の幸いを男性に求めていたけれど実は理想の男性って本当はいないんだという事が分らなかったですね。サマリヤの女は実は私なんだと本気で思いましたよ。

愚かな女が愚かな男性に自分の人生を預けるなんてそんな恐ろしい事を真面目に考えていたんだと解かりましたよ。

出来た男なんかいないのに5人の愚かな男性に自分の人生を託すなんて、ましてやハズれな男性しかいないのにまたまた愚かな男をスペアでキープするなんてね。(爆笑)

本当の良い男はイエス・キリストだった事を知った時にはサマリヤの女は即座に伝道師になって部落中の人に伝道したでしょ?

あれは凄いですよね。愚かな男は人目を忍んで隠すけども本物の素晴らしい男性は世界中の人に知らせたくなりますよね。解るなあと思いました。

イエス・キリストに出会って、やっと愚かな女が賢い女に生まれ変わるんですよね。さなぎから美しい蝶に変ったんですよね。

この世には賢くて素晴らしい完璧な男はいないんです。みんな外れなんですね。こんなこと言ったら男性陣から激怒されるかもしれないけれどごめんなさいね。サマリヤの女の箇所からそのように私には思われたのでごめんなさい(笑)  


Posted by 金城米子 at 23:37Comments(1)

2013年11月10日

ここに愛がある

保育園時代から関わって来た美波ちゃん(仮名)は中学校に入学してからは疎遠気味だったが美波ちゃんの方から突然電話が入って来た。

美波ちゃんが言うには学校での部活が楽しくて教会へ行くことを忘れていたけれど「何だかもうそろそろ教会に行かなくちゃあね」との思いが込み上げてきたとの事でした。

私が美波ちゃんと知り合ったのは3歳になった時期にケーキ屋の前でショウーウインドウをじっとのぞきこんでいるのがいじらしく思えて声をかけたのが初めでした。

「ケーキ美味しそうね。食べたいの?」
「うん。でも・・・」
じゃあ一緒に中へ入ろう」

と促して美波ちゃんとケーキを注文して食べながら家族の状況を聞き出したのです。

彼女の家は母子家庭で母親は仕事を掛け持ちでしていて家にはなかなかいないからいつも一人でほろほろしていると離してくれました。

すぐ近くに保育園があるのだから保育園に入れてもらうように美波ちゃんの母親に手紙を書いたのを預けました。

その翌週から美波ちゃんは保育園に入るようになったのですうが雨降りの日や何か事があるたびに私が保育園から声がかかってきて結局は美波ちゃんを預かるようになってしまいました。

長い時には一週間も預かる事になって我が家の孫状態あになっていました(笑)おねしょがなかなか治らずに布団を毎日のようにほしていました。それでも情が移って可愛くてたまらなかったです。

聖書物語を何度も聞かせたり、お祈りの仕方を教えたりと深いかかわりでした。でも、高学年になってからは徐々に教会離れが続いたので背後の祈りをしていました。

中学生になってからは全く連絡がなくなったのですが状況はいつも周りから聞いていました。そんな折に突然の連絡にびっくりでしたが美波ちゃんは「教会行きたい」と言い出したので「聖書は?持っているの?」に「持っているよ。ちゃんと読んでいるよ」の事を聞いて、「あ~種まきしていて良かった」と神様ありがとうの感謝の祈りでした。

これからがまた、にぎやかになりそうです。たとえそうでなくても・・・必ず神様の御手があると思っていますので焦らずにです。が美波ちゃんが一言「ここに愛があるって解かったよ」と言ったので「どこに?誰の愛?」に「イエス様の愛がお婆ちゃんにあるって言う事だよ。お婆ちゃんありがとうね」。

この一言で今までの労苦は報われたように感謝でした。ハレルヤ。  


Posted by 金城米子 at 03:20Comments(0)

2013年11月09日

あなたの愛を必要としている人がいます。

結婚して一年余でした。Yさんは愛する夫から突然、離婚を言い渡されて夫は帰って来ないと言ってどうすればよいかわからないと悩みの中に浸かっています。

Yさん。この哀しさも孤独感も耐えられないと思っているでしょう。
神様は、なぜ、こんな経験を私に・・・と思っているでしょうね。

あなたが夫を愛したことが真実ならもう一度水路を作ったらいいと思いますよ。あなたが流した涙の数だけ神様はあなたを祝福してあなたにしか解からないほどの喜びを準備しておられるのですよ。

あなたの愛を必要としている人が世界中には何千人にいるのですよ。エロスの愛にしがみついていたらYさん。あなたは干上がって枯れてしまいます。真実に愛した人から拒絶される経験はあなたをよりいっそう人間的に大きく高嶺へと誘われます。

Yさんの才能も賜物も他の人々を助けるために使えばいいんですよ。
心をさらけ出せばいいんです。そうすれば乗り越えられます。

あなたは孤独ではありません。主が共におられます。いつでもどこにでも主が共におられます。お祈りしています。

  


Posted by 金城米子 at 18:38Comments(1)

2013年11月07日

環境に順応できない夫たち

昨日の相談から思い出したことがあります。私は金城と結婚して息子が3歳の頃に大阪から引き揚げて来た実家の家族と同居をすることになりました。

母親の病が重度化したことが原因でした。夫とゆっくり話し合いも持たないまま半強制的に同居をしました。

家には二人の主人がいる事になるのですね。父親と夫です。夫は気が小さくて優しい性格ですから思った事を言えない人でした。

朝から晩まで家にいる父が全ての権威を持ち出してくるので夫は苦しかったと思います。そんな夫の逃げ場がギャンブルだったのです。

私はギャンブルでお給料を使い果たしてくる夫をなじりました。夫は我慢が出来なかったのですね。堪忍袋の緒が切れたと言うのでしょうか。「俺の居場所がない」と言って私を思いっきり殴ったのですね。

それからすぐに私は実家から出る事にしました。夫が自由になれて夫としての権威を取り戻すことが出来るようにと真剣に考えての事でした。

しかし、私は実家へ入れ込んでばかりで帰宅したら疲れ果てて仕事kら帰ってきた夫に対して当たり散らすような言動するようになりました。

夫の給料が安いから赤字を埋めてやりくりするのが大変だと平気で言うようになり、勝手に私は外で働くようになりました。私の方が収入も多いので実家の方に入り浸って何処が自分の家なのか分らない状態でした。

再び夫はギャンブルからお酒におぼれるようになりました喧嘩も絶えずに家庭崩壊です。そんな時にユタ修行が始まって行くのですね。実家の両親と共に・・・

夫が言いました。「お前の家族は誰なんだ?お前の家は何処なんだ?お前の心はいつもお父さんに縛られているじゃあないか。俺はお前の何なんだ?」

夫の悲痛な叫びだったのですね。それでも私は夫の心の痛みに気付かなかったのです。それは「お金=実家=自己中心」この三位一体が私をがんじがらめにしていたのです。

経済力のない夫をさげすむようになっていました。ユタ・シャーマニズムの世界はお金が湯水のように湧きますから猪突猛進で実家と共に私の心はありました。

男は家庭を持つと妻を自分の支配下に置きたくなります。家庭を統治する事で男のプライドが満たされるのですね。妻はそんな夫に従順に従っているように見せて上手に夫のたずなを取ると言うのが家庭円満なんでしょがそういう事も理解できない愚妻の私は強制離婚をしました。

夫はそれから寂しい惨めな人生を歩むことになりました。私は夫を殺すことになってしまったのです。そんな事にさえ気づかなかったのです。「伴侶を殺すのに刃物は要らない」です。

夫は闇の中で生ける屍状態でした。一方の私は自由気ままに再婚し新しい家族をつくっていました。しかし、高慢になっていた私は健全な家庭を構築することも出来ずに再び離婚と再婚を繰り返しします。

いつも離婚の原因には私の実家との絡みがありました。父があまりにも私に執着したからでした。客の判断をする役割が私のポジションだったからです。入り口がなければ誰も入れない、だから入り口である私が必要だったのです。

後に実家とも敵対することになるのですが・・・私は夫たちが私を愛してくれている事は分っていたのに私はユタ・シャーマニズム世界から離れる事は出来なかったのです。人はどんなに愛して仕えても私が望むくらいのお金を運んできてくれない。それが私の心の根っこにしっかりと根を降ろしていたからです。

今、私はお金とは(悪銭)無縁の世界で生きています。クリスチャンに変えられたからです。クリスチャンの世界は物質欲からも自然に離れて最も聖い精神世界を求めて生きる事がいとも簡単にできるからです。

祈りによってイエス・キリストと言う神様は私にとって何が最善かを知り尽くしておられます。愛と秩序の神様ですから私の人格修正も兼ねて私が揺るぎない平安の中で生きて神と人々に謙遜に仕える者と成して下さいました。

夫たちを愛せないで逆に壊して行った自己中心な私が180度変えられたのです。どうぞあなたがたも真理の神様に出会って下さい。そして、「わたしはすぐに来る」と告げられたイエス・キリストを信じてください。

666の印が押される人々が4年後には完成します。世界経済破綻が起こります。世の終末が近くまで迫っています。教会へ足を運んで歴史聖書を学んで下さい。あなたの永遠の魂を確保するのには教会の助けが必要ですから・・・  


Posted by 金城米子 at 09:27Comments(0)