てぃーだブログ › スピリチュアル › 2013年04月

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Posted by TI-DA at

2013年04月25日

老夫婦の機微

二週間程前の会話でした。
外から帰宅した私に主人が「この家には食べるものがないのか?」に私が、反論したのは「あなたが食材を買っておいたら私は食事は作りますよ。私はいままで生活費もその他何一つあなたに要求をしたことはないでしょ?」

始めて反論したので主人はびっくりでした。(笑)すごすごと二階の自分の部屋に上がって行きました。

今日は主人の免許更新です。しかし、車は車検切れだから運転出来ないのです。いろいろと呟いているので「私で良ければ送迎するから」と言うとほっとした表情をしたのです。

何度も二階から降りたり上がったりして場所と時間を聞くのですね。まるで子供のようなので私が気になるなら今すぐ出かける?」

私は車で半時間待ちました。のっそりのっそりやって来た主人がまるで幼児のようだなあと苦笑いの私に「お前は何で何もかもやることが早いのか?」に「あんたが遅くて私が速くてバランスが取れているわけさ」

「今日はありがとうございます。これからもよろしくお願いします。僕はお前の荷物だよなあ・・・つくづく考えて僕は一人では生きられないんだよなあ・・・」にこれが老夫婦の機微かなあとしみじみな一日でした。  


Posted by 金城米子 at 17:39Comments(0)

2013年04月24日

何も考えない。前へ進む信仰を

何も考えない。と言われると洗脳?ロボット?と思う人が多いでしょうね。

現代は本当に情報化時代ですね。様々な情報が行き交い私は多くの情報に戸惑い信仰まで揺らいでしまいそうな経験をします。

キリスト教会も様々な教えがあり、聖書から逸脱した教えをしている教会もある事がクリスチャンになって始めて知り、驚きました。

聖書を同じ聖書を使っているにも関わらず教えが違う事に不思議をおもいました。

過去のキリスト教の歴史の間違い探しの友人からの情報提供も数多くありましたが今、私が思うのは過去も未来も考えないで前へ進む信仰に徹する事です。

私が出会った愛の神様。主イエス様を伝える事です。他の教会や牧師やクリスチャンがどうであれ全ては神様の采配であり、御手の中の事です。

不正があれば神は必ず報いるでしょう。私が出会った愛の神様は私がしか伝える事は出来ないのです。万事を主に委ねて前へ進むだけですね。ハレルヤ♪賛美主ハレルヤ♪  


Posted by 金城米子 at 22:09Comments(0)

2013年04月24日

自分では気づかない自己憐憫の罪

自己憐憫の罪がどんなものか知っている人は少ないかも知れませんね。私はクリスチャンやノンクリスチャンたちとの関わりを持ちますが聖書を知っているクリスチャンが意外と自分自身が自己憐憫であることを知らない人が多いのは残念に思いますね。

グループでの働きをするときに自分の思惑通りに周りの人が動いてくれない時に「何の為に自分はここにいるのか?自分の時間はこんな為に使われるなら我慢出来ない」と内心で不満をくすぶらせるのも実は自己憐憫であることを知らないのですね。

他者共存共栄の理念は自分の思惑や他者の不足を量ってはあり得ないのですね。どんな時にも忍耐と寛容な心で誰にでも対応する者の意見は必ず仲間同士で受け入れられます。

上から目線でいる事もまた、自己憐憫の罪が成せるわざです。隠れた自己憐憫が引き出す罪は火山のあちらこちらに火の粉を放ちます。それは共同体の祈りの中でも伝わります。

祈っていながら仲間に対しての不満を感じながら祈っているのだなあと感じる時が時たまあるので私は祈っている人のためにとりなしの祈りをします。

他者の不足を量るのも自己憐憫です。自分の意見をしっかりと伝える事ですね。あなたは他者の不足を量って物事を放り投げたりしていませんか?

私たちの働きは他者を生かす事、希望を与え慰めと励ましの言葉で支えて行く事なのです。

聖書は至るところで「愛」を解いています。
愛には恐れがない。愛は親切です。愛は人を妬みません。愛は忍耐と寛容を育てます。

主イエス様は「友の為に自分の命を捨てる事ほどの愛はない。」と教えられています。

聖書のみことばに従う心を願うなら私たちがまず自分の心の中に潜む「自己憐憫」「自己卑下」「自己嫌悪」を追い出す事です。


そるが実は究極な「自己愛」であることを知ることが大切です。自己愛を強調するカウンセラーが多い現代ですが自己愛が引き起こす間違いもあることを理解して欲しいですね。

心の目。霊眼を開かれるためにはキリストの十字架から流れ出る清めの水による洗いが必要です。バプテスマの真実はそう言ういみがあるのです。

他者の事を量るよりもまず自分の心の中に潜む諸々の闇を霊眼で見る事です。バプテスマの意味は過去の罪の赦しよりもあなた自身が霊眼が開かれて自身を清め他者を生かす導きをする決心なんですよ。

私も含めて心からキリストを愛する者としての歩みが出来ますようにお祈りします。  


Posted by 金城米子 at 08:52Comments(0)

2013年04月24日

自分では気づかない自己憐憫の罪

自己憐憫の罪がどんなものか知っている人は少ないかも知れませんね。私はクリスチャンやノンクリスチャンたちとの関わりを持ちますが聖書を知っているクリスチャンが意外と自分自身が自己憐憫であることを知らない人が多いのは残念に思いますね。

グループでの働きをするときに自分の思惑通りに周りの人が動いてくれない時に「何の為に自分はここにいるのか?自分の時間はこんな為に使われるなら我慢出来ない」と内心で不満をくすぶらせるのも実は自己憐憫であることを知らないのですね。

他者共存共栄の理念は自分の思惑や他者の不足を量ってはあり得ないのですね。どんな時にも忍耐と寛容な心で誰にでも対応する者の意見は必ず仲間同士で受け入れられます。

上から目線でいる事もまた、自己憐憫の罪が成せるわざです。隠れた自己憐憫が引き出す罪は火山のあちらこちらに火の粉を放ちます。それは共同体の祈りの中でも伝わります。

祈っていながら仲間に対しての不満を感じながら祈っているのだなあと感じる時が時たまあるので私は祈っている人のためにとりなしの祈りをします。

他者の不足を量るのも自己憐憫です。自分の意見をしっかりと伝える事ですね。あなたは他者の不足を量って物事を放り投げたりしていませんか?

私たちの働きは他者を生かす事、希望を与え慰めと励ましの言葉で支えて行く事なのです。

聖書は至るところで「愛」を解いています。
愛には恐れがない。愛は親切です。愛は人を妬みません。愛は忍耐と寛容を育てます。

主イエス様は「友の為に自分の命を捨てる事ほどの愛はない。」と教えられています。

聖書のみことばに従う心を願うなら私たちがまず自分の心の中に潜む「自己憐憫」「自己卑下」「自己嫌悪」を追い出す事です。


そるが実は究極な「自己愛」であることを知ることが大切です。自己愛を強調するカウンセラーが多い現代ですが自己愛が引き起こす間違いもあることを理解して欲しいですね。

心の目。霊眼を開かれるためにはキリストの十字架から流れ出る清めの水による洗いが必要です。バプテスマの真実はそう言ういみがあるのです。

他者の事を量るよりもまず自分の心の中に潜む諸々の闇を霊眼で見る事です。バプテスマの意味は過去の罪の赦しよりもあなた自身が霊眼が開かれて自身を清め他者を生かす導きをする決心なんですよ。

私も含めて心からキリストを愛する者としての歩みが出来ますようにお祈りします。  


Posted by 金城米子 at 08:52Comments(0)

2013年04月22日

人の心のうちにあるものは?

昨夜の姉妹の話から私はヨハネの2章23~25節を語りました。

イエス様は数多くの奇跡のわざを行い水の上を歩きサマリヤの女が抱えている負い目を取り去りました。女は癒されたらすぐに村の人々全員にイエス様を証ししました。百人隊長の信仰もイエス様は誉めました。病の人や死んだ一人息子も生きかえりました。

多くの人々がイエス様を信じる告白をしました。しかし、それは多くのしるし(奇跡)を見て主を単純に信じる、信頼して人生を委ねると言う信仰ではありませんでした。

イエス様は人々が好奇心からやって来ている事をご存知でした。人々は世間を驚かせるイベントを探していたのですね。

だからイエス様は誰かに何も教えて貰う必要などなかったと仰っています。この状況は現在のクリスチャンたちにも言えるのではないでしょうか。

教会の行事に熱心な信徒たち教会イベントに走り回る信徒たち、主を受け入れると言うがその生活には実体がなくイエス様に従うという外面を装いになってはいないだろうか。

主イエスは人間に対する果たすべき義務を第一の戒めとして見事に語られています。「心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くしあなたの神である主を愛せよ」「あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい。」

イエス様は人間が神と隣人に対する責任と義務を語られたのです。

だから、クリスチャンは親切だからと言う偽善者の言葉に振り回されて奴隷のように仕えてはならないのです。

「しかしイエスご自身は、彼らに自分をお任せにならなかった。それは、すべての人を知っておられ、また人について証しする者を、必要とされなかったからである。それはご自身人の心の中にあることを知っておられたからである」ヨハネ2:24~25  


Posted by 金城米子 at 11:51Comments(0)

2013年04月21日

縛る神と自由と解放の神

沖縄の拝み教えは口伝律法と言います。言葉で伝える教えです。

それらは全て科学的にも全く根拠うのない教えです。それを迷信と言います。ユタや占い師、三世相などもすべて人間が作りだしたものです。沖縄にある方角の神・子丑寅卯辰巳午羊申酉戌亥の事を12支方神と呼んでいます。

ある宗教グループではこの12支方神を天地合わせて24神として、沖縄のあちらこちらに神場を造って拝ませています。彼らは自分たちが偶像崇拝をしている自覚は全くありません。彼らのしている行為がユタや拝みやと同じことをしている事を自覚していません。

真理の神のキリスト・イエスは聖書でそのことを偶像崇拝とはっきり言っています。教祖の教えにがんじがらめに縛られている信徒たちが実に憐れでなりません。旧暦の拝みの歴史もわずか500年ほど前に人間の都合で作り上げられた行事である事すら考えない県民です。

仏壇行事、清明祭り、御盆行事等などがそうです。薩摩や中国、台湾やインドの仏教思想等などが混合宗教です。ですから神が先に存在したのではなくて人間の思想を具現化したまでのことです。

聖書には香を炊く者は呪われると教えがあります。旧約聖書にアロンというモーセの兄が登場しますが祭司役の香を炊く者はアロンの子孫が代々許可されたことでした。沖縄にも同じような教えがあります。アロンの子孫は誰一人として絶えることなく地上に溢れています。先祖崇拝、死者の霊を神とする信仰あつき沖縄人の子孫はどうでしょうか?せいぜい4代迄で殆どの家系が養子だと言えます。ユタをしていたから解かります。

そして沖縄拝みは「しなければならない」という法則で「しなければたたりがある」「先祖や死者に不足を問われ咎めが来る」という縛る法則です。私がユタをしていた時に子供が交通事故にあった原因を探りに来たお姑さんとお嫁さんがいました。お姑さんは私が「どうしましたか?」と聞いたことに対して「この嫁が仏壇に重箱を供えないでケーキを供えたのが原因で孫が車にはねられた」と言いました。お嫁さんはさぞかしお姑にいびられたのでしょう。小さくなって泣き顔でした。

鬼の首でも取ったかのようにお姑は高飛車でした。問題解決はすべてお姑が答えを出して「先祖へのお詫びの拝みはどのようにしましょうか?日を取って下さい」と言って一見落着でした。(笑)皆さん。これが縛りの法則ですよ。因果応報もそうです。罪を犯さない人間はひとりもいません。日も全てに感謝出来たなら良い日なのです。六曜の教えも関係ありません。28宿も関係ありません。潮の満ち引きも時間も関係ありません。時間も神の時間です。私達には進める事も止める事も出来ません。

ある女性が精神安定剤を服用して10年目だと相談に来ました。「実は私は子供のお産が微弱陣痛で陣痛促進剤で出産しました。そしたら潮が引き潮にあたってしまいお姑も母親も生まれた子供は成人までは育たない早死にすると言って心配しています」でした。

それを聞いた母親はそれから不安になり、拝みに専念しましたが不安で眠れなくて苦しいんでいるという事でした。「何とか神様にとりなして欲しいのです」と頼まれました。私は出来る限りの陳情は神様にしますが神様はどうなさるかはわかりません。でも、陳情しないよりはしたほうが良いでしょうね。あなたの真心が神様に通じるかですね」と答えました。

ひどい話でしょう?迷信とは口伝律法とはこういうものなんですよ。あの時、私がクリスチャンだったらはっきりと潮の満ち引きと人間の生き死にとは関係ないことをいって平安を与える事が出来たと思います。本当に心から「神様。ごめんなさい」です。

私たちの真理の神・イエス・キリストは万事を益に変えて下さる神様で自由と解放の神様です。どうぞ、迷信や口伝律法に戸惑いを感じている方々がいましたらお近くのキリスト教会に足を運んで下さい。あなたは自由になって開放感で幸いを満喫できます。

連絡 電話番号  090-9782-1946 (金城米子)   ゆいまーる教会 098-992-8881 糸満市阿波根601-1  


Posted by 金城米子 at 17:30Comments(0)

2013年04月20日

御国の子らが外に放り投げられて歯ぎしりする?

マタイ8:12「だが御国の子らは、外の暗闇に追い出される。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう」

その前の箇所でイエス様は異邦人の百人隊長の信仰を誉めましたがイスラエルの人たちに対しては御国に子らは、外の暗闇に追い出されて歯ぎしりすると言いました。

御国の子はユダヤ人のことです。神を王と公言しているが決して真に回心していなかった人々なのです。

それは今日のクリスチャンにもあてはまります。異邦人クリスチャンは福音を聞き、生活を改めま素がクリスチャンホームに育つという祝福を与えられますがキリストの御心を行えない者たちが天国へ入る事が出来ないで地獄へ落とされると言っているのです。

信仰は神様への信頼に対して報われるのですね。

聖地のイスラエルに行けば霊的に変わる?行けない弱い立場の人々は心痛いです。

しかし、主イエスは百人隊長の信仰に対して娘の傍にいなくても癒したのです。信仰に対して報われたのです。

あなたが何処にいても神様を信頼しているのなら必ずあなたの信仰に報いて下さいます。

Y 子姉妹。あなたが悲しみの中で祈られている祈りは必ず満たされます。あなたが主イエスを愛している限りイエス様はあなたに報いて下さいます。

マタイ8:12の解き明かしは理解出来たでしょうか?

お祈りしています。シャローム(*_*)



  


Posted by 金城米子 at 09:43Comments(0)

2013年04月18日

巻き込まれない知恵

57歳の男性からの電話でとりあえずは会うことになりました。

彼は30代の頃に洗礼を受けたと言うのです。聖書は常に持ち歩いているとの事です。

教会には所属していないと言うので理由を聞くと沖縄の牧師のメッセージは「つまらない」と一言でした。

その後、彼は執拗に連絡をしてきて「会えませんか?」でした。「私は今は出先で時間が取れない」と断ると「今、あなたの部屋の前にいます」と言われて驚きました。

以前に男性と女性からストーカーされて恐い経験をした事がよみがえりました。

「これからすぐに息子の施設に行かなければならないから失礼します」と言った後に私はこのアパートに移転したのは大家さんが警察官であり、過去にカウンセリングした男性からの執拗にされた経験があるからなのだと話しました。

彼は「あなたに泣きつけば小金が貰えると思ったのに残念だなあ」と言ったのです。

それでもたまには連絡をして来るのですが私は一切関わらない事にしています。部屋を教えてもいない人が訪問して来る事じたいが怪しいとこの年齢になって知りました(笑)

ある人から「カウンセリングは危険が伴うからきをつけるように、特に伝道カウンセリン
グは命懸けだから」日常生活でも私たちは巻き込まれない術を身に付けることは大切です。

祈りは知恵が与えられます。神様からの知恵を身にまとい行動して下さい。悪が地に満ちています。  


Posted by 金城米子 at 13:56Comments(1)

2013年04月18日

祈りは必ず聞かれる

63歳の女性T 子さんは30年間の半生をユタに捧げて来ました。

彼女は経済的にもかなりの無理をしてユタへの謝礼金を支払って来ました。

彼女は家族からも見放されてボロボロになり、世話になっている家からも出ていかなければなりません。

まず、彼女を苦しめたのは経済でした。苦難の中で彼女は洗礼を受けたのでした。

しかし、経済的な困難は解決されません。彼女の弱さに悪魔サタンは攻撃を仕掛けて来ました。

彼女はやはり、観音を拜まなければ経済は回復されないとの悪魔サタンの思いが介入して隠した観音を取り出そうとしたのです。

私は三線教室で稽古中でした。聖霊に促されてT 子さんに電話をしました。

そして、悪魔サタンの罠だよと言い、緊急時の祈りの仕方を教えました。

その夜にドアの下に茶封筒があり開けて見るて現金が入っていて「主に示されました」と書かれいたそうでした。

彼女を地獄へ引きずりおろそうとした悪魔サタンの誘惑には見事に破れた事にT 子さんの信仰は少しずつ硬く立てられて行きますね。

感謝な証しでした。  


Posted by 金城米子 at 09:35Comments(0)

2013年04月13日

嫁との優しい時間

テレビ放送でケンタッキーフライチキンが取り上げられているのを見た私がケンタッキーフライチキンが食べたくなり、一人では行くのが少し戸惑いがあり、嫁に電話をしたら快く付き合ってくれました。

子供たちの近況を細かく話をしてくれた嫁が夫(私の息子)が通勤用のバイクが故障して自転車通勤を頑張っている話をしたのです。

一時間早く家を出るが坂道が多い道のりなので結構大変だはずなのに帰宅しても一言も疲れたと言わないで平然としているのには尊敬すると言っている嫁の言葉に夫婦の絆の強さを見る思いがしました。

嫁Y 子は私の体調を心配して一日も早く同居して支えたいと言ってくれたのには感謝で胸が熱くなりました。

Y子は本当によく忍耐して私に尽くしてくれています。心が疲れた時にはY 子に電話をするが彼女は直ぐに察知してコーヒータイムをしようと誘ってくれます。

嫁姑の問題が世間では聞かれますが私たちはそれは全く関係ないことを感謝しています。

お互いが天然な性格なのも上手く行く秘訣かもしれません。嫁との優しい時間でした。  


Posted by 金城米子 at 00:08Comments(2)

2013年04月02日

歴史感を導く悪魔

かなり古い話ですが神場参拝をしていたユタ時代の事です。突然、安土桃山時代の事が語られた悪魔でした。

殆んど忘れたのですが
縄文時代から弥生時代の卑弥呼が飛び出して来ました(笑)弥生時代になってから人が人を支配する時代になって支配者の高慢が神の怒りを起こした。

日本を治めるために神は女を選んだ事、男は神の声を聞いても女に支配されるから神は女を国の統治者としたと言うのでした。

アダムとエバの物語と重なりますね。男は女によって骨抜きにされたので時代と共に男女の立場は逆転し、再び女性が国を立て直すとのお告げ(笑)なるものでしたね。

これは日本史を縄文時代から弥生時代までを語ったユタのはなしでした。

当時の縄文時代から弥生時代の歴史には間違いがあることもかなり具体的に示されたのですがNHKの日本史を見ていて過去の歴史を語ったユタの神は長々的を得ていたなあと思っています。

本当に悪魔は巧妙な策略で人を神のようにし、地獄に引き落として行く事を思っています。日本は中国の影響を受けたとの事ですが悪魔は朝鮮から戦争が入り平和の民だった日本は影響を受けたとの事で再び北朝鮮には気を付けなさいとの事でした。

詳しく書くと長くなりますがFM コザ午後八時から十時の放送で少しづつ語りたいと思います。ラジオ放送を聞いて下さい。
  


Posted by 金城米子 at 06:44Comments(0)