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Posted by TI-DA at

2014年01月29日

夫婦の役割ってなんですか?

25年間も連れ添った夫婦が離婚するしかないと言って訪問してきました。
ご主人側からの情報を先に受けていたのでその情報が
正しいのかを確かめるために奥さんに聞きました。

奥さんは怒りだしてご主人を嘘つき呼ばわりしました。
その場を治めるために質問を変えました。

私「あなたがたは、何時頃からのクリスチャンですか?」
奥様のK子さんは「私は代々のクリスチャンですよ」

私「代々って?それってどういう意味ですか?」
K子さん「母もそうでした」

私「教会へは通っていたのですか?」
K子さん「家が商売をしていたので私が小学校の三年生の頃からは行けてはいません」

私「そうですか?それじゃあ自称クリスチャンですね」
K子さん「洗礼は受けましたよ。幼稚園の時にですよ」

教会で洗礼を受けても自称クリスチャンと教会礼拝を守っていても、
カルチャアークリスチャンがいますと私は説明をしました。

K子さんに私がそういった事で意外な顔をしましたが私が話したことは、
聖書に出て来る登場人物からのお話をしました。

聖書にナバルの妻のアビガイルが出て来ます。愚かな夫ナバルには
全く不釣り合いなほどの妻アビガイルでした。

アビガイルの懸命さは説明が不要だと思いますが彼女の聡明さは神様からの賜物でした。
アビガイルの謙遜と柔和な知恵は神様を心から愛し、隣人愛を全うしていた事でした。

第一は夫の罪を自分の罪としてダビデに詫びた事でした。(第一サムエル25:24・28節)
世の知恵は自分の罪でさえも他者になすりつけて、自分は巧みに逃れるように図ります。
他者の罪をかぶるなど愚かとしか思えないのです。

しかしアビガイルのこの誠実な謝罪こそ賢い選択でした。
ダビデの心を和らげました。夫婦は一体ですから連帯責任はあります。

自称クリスチャンと言うのならイエス・キリストの十字架の死が私たちの罪の
連帯責任を負って下さったことを心に覚えて生きることが出来ている筈です。
この「神の愚かさ」(第一コリント1:25)が私たちの唯一の救いなのです。

第二はアビガイルがダビデの上にある神の選びの恵みを見ている事です(28節・30節)
クリスチャン同士が神のこの恵みに目を止めないのなら全くの盲目なのです。

人の評価や外見や肩書きなどではなく、私たちクリスチャンが神とどのような関わり方を
持って生きていくのかが真の賢さです。そこに注目する賢さこそ人を見る目に精通する真髄です。

アビガイルはナバルが神に打たれて死んだ後にダビデの妃となしました。
アビガイルはダビデとの間に息子が生まれましたが決して王位争いには、
画策することなく息子との平安な暮らしに全うしました。前夫ナバルの資産で
悠々自適な暮らしが出来たのではないでしょうか。

K子さんは夫の事業の失敗に伴う借金取りの請求には法律的にも妻としても
連帯責任を持って対処して夫を支えて行く決意をしました。

そして、落ち着いたら一緒に聖書を学びたいと言って夫の希望だった
神学校への道も応援したいと話しました。
K子さんは自分の親からの財産を夫のために失う事が辛かったと
話しましたが私達は生まれるときも裸ですし、逝く時も裸です。
「私は裸で帰ろう」ヨブ記です。

夫唱婦随と言う美しい言葉が日本にはあります。聖書が語る夫婦の歩みも忘れたはいけません。

「これこそ、今や、私の骨からの骨、私の肉からの肉。これを女となづけよう。これは男から取られたのだから」創世記2:23。
信仰とは神に根差した愛に生きる事です。愛は主イエス・キリストの神の実体である事を心に覚えてくださいますように・・・

「いつまで残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番優れているものは愛です」第一コリント13:13.

  


Posted by 金城米子 at 09:50Comments(0)

2014年01月27日

聖書でいう愚か者の話です。

第一サムエル25章11節にはナバルと言う男が登場します。ナバルとは(愚か者)と言う意味です。
ナバルその名の通りの人間でした(25節)知的に問題があるという事ではなく、
神を無視すること(詩編14:1)を根本とし、そこから生じる論理的鈍感を聖書は「愚か者」と言います。

この当時ダビデとその部下たちは、日本で言う野武士のような存在でした。強力的な政府を持たず、
治安は乱れ、しばしば外敵の侵略を受けた時代に、各種の被害に苦しむ農民たちを守る
私設警察的役割を果たし、彼らから受ける謝礼によって生活していたのがダビデたちでした。

このことはナバルのしもべ達も良く知っていました(15節)。
それなのにナバルは無知忘恩の態度を取ったのです。

ナバルの生活の安泰はダビデたちの警備のおかげであったのにも関わらず
ダビデたちへの報酬を拒否したのです。

また、ナバルは人の忠告にも耳を貸さぬ人でした(17節)。

ナバルがダビデの使いの若者たちに言った言葉は
「私のパンと私の水、それに羊の毛の刈取りの祝いのためにほふったこの肉を取って、
どこから来た者かも分らない者どもに、くれてやらなねばならないのか」25:11でした。

神に対し、人に対して忘恩的である愚かさは、他人事ではありません。
聖書は神と人々に感謝する心こそ祝福の基であることを忘れてはならない事を教えています。

聖書には神様からの祝福を受ける教えが随所に記されています。

「すべてに感謝しなさい」とあります。全てとは全てなのです。
悲しい事も苦しい事も辛い事も怒りを覚えるような出来事にさえも「感謝しなさい」
なのです。

たとえそうでなくてもと思える状況にも不平不満を並べ立てることなく感謝しなさいなのです。

私も以前はつぶやいている者でした。
しかし、テレビのニュースを見ていて気づかされました。

私の息子たちは家庭を持ってからは日々の忙しさで滅多に連絡をくれたりしなくなって寂しさが時折襲う事もありました。
しかし、俺おれ詐欺のニュースで私は気づきました。私の息子や孫たちは
どんなに困難な事があってもアクシデントが起こっても決して私には泣きつかないという事でした。

息子夫婦も孫たちも「お母さんにはお婆ちゃんには決して心配はかけてはいけないこと。
不平不満は言わない事」を徹底しているのです。

孫は20歳を頭に全員で15人います。4組の息子夫婦がいますが彼らの徹底している事は、
人には決してつぶやかない事です。人にではなくて神の前に心を広げて神に判断を仰ぎ委ねることです。

不足な親ですが親の悪口を言わない。不足を問わないことでは全員が一致しているのです。
私はこのことを思った時に心の底から神様に感謝しました。このことだけでも十分な恵みです。

俺おれ詐欺の根っこにあるものは親離れ子離れ出来ない、
いざという時には親や祖父母が何とか助けてあげるよ」
言う親側が子供の側からの甘えを簡単に受け入れる
要素があるのではないかなあと思わされます。

学歴や資格社会の波に乗る事ではなくて聖書が教える
「忍耐し努力をし大人の正しい知恵で判断して生きる」そのように歩める
ような環境整備が日本には必要かなあと今一番に思わされてます。

「この地上には小さいものが四つある。しかし、それは知恵者中の知恵者だ。
蟻は力の力のない種族だが夏のうちに食量を確保する。
岩狸は強くない種族だが、その巣を岩間に設ける。
いなごには王はいないがみな隊を組んで出ていく。
やもりは手でつかまえることができるが、王の宮殿にいる」箴言30:24~28。  


Posted by 金城米子 at 11:33Comments(0)

2014年01月24日

ここに愛があると言う話です。

75歳のY子さんからSOSが入りました。Y子さんとは1年半前に知り合いました。波乱万丈の人生を送って来たY子さんは苦しみから逃れたいために多くの宗教に入りました。しかし、どの宗教も行きつく先はお金でした。お金が続かないY子さんは伝道を強要されました。その為にY子さんは身内からも敬遠されて友人知人も彼女から離れて行きました。

そんな時に夫が脳梗塞で倒れ障碍者となったので彼女は益々神頼みに走りましたが不安と疲労だけが彼女を襲いました。Y子さんは死ぬことばかりを考えるようになってそんなY子さんがブログを見たと言う姪っ子さんからの紹介で紹介をされて関わりを持つようになりました。

私は週に一度はY子さんと合う機会を作りました。アシテビチが大好きという彼女の為にご馳走したりドライブがてらに色々と気分転換を図れるようにしました。ご主人がデイサービスから帰宅する二時間前にはY子さんを帰宅させるようにしました。

外出から帰って来たらいっぺんに疲れが出て来ますから少しは休む時間が取れるように考えていました。介護人には余力はとても必要です。私の経験です。疲労感が貯まると人は思考が狂いますので・・・

Y子さんから再び夫が倒れたとの知らせが入り、すぐに会いに行きました。の顔を見たとたんY子さんが誤りました。「私は勤行を上げてしまいました。勤行を辞めた罰があたったんだと思って不安になってまた、勤行を上げてしまいました。イエス・キリスト様は怒っていますよね」t不安そうに言ったのです。

「そんなことは心配しないで良いんだよ。大丈夫だよ。ご主人の事が心配でどうしていいのか分らなかったんだよね。イエス様はY子さんの気持ちを理解してくれているから大丈夫ですよ」と言ってY子さんに安心をするようにと慰めました。Y子さんがどれほど宗教に対しての恐怖心があるかを元ユタをしていた私が一番よく知っています。教祖という立場の者は飴とムチを使い分けて真綿で信者の首を絞めるのです。

どの宗教も恐怖信仰ですがキリストだけは違います。愛の神・主イエス・キリストがどのような神様であったのかを物語る箇所が聖書にあります。私はY子さんにその事をしっかり教えなければならないと思い、以前に彼女にプレゼントした聖書を開くように諭して解き証しをしました。

「イエス様を捕えるために祭司長やその弟子たちとローマ兵が来ました。その時にイエス様の弟子のペテロが剣を出して祭司長の弟子のマルコスの右耳を切り落としました。剣を治めるようにイエス様はペテロに命じます。三年半と言う月日、それまでイエス様は弟子訓練をなさっていました。それは「赦しと愛の実践」でした。御霊の実はイエス様のご人格であります。

『愛・喜び・平安・寛容・親切・誠実・善意・柔和・自制』が御霊の九つの実です。そして『いつも喜んでいなさい。すべてに感謝しなさい。絶えず祈りなさい』の教えがイエス様を愛する弟子たちの心がけです。

ペテロの行為はどれほどイエス様を悲しませたでしょうか。それはイエス様はご自分を殺すために来た祭司長の弟子のマルコスの切り取られた耳を癒されたからです。その事一つを取り上げてもイエスが神であることが理解できるでしょう。イエス様ご自身が愛そのものであることを知る箇所です。」

講壇の上から剣を振りかざして信徒の耳を切り落としている牧師はメッセンジャーの隣でイエス様が心痛めている事に気づくべきでしょう。
メッセンジャーは何故、ペテロに教会を起ち上げるようにそれも岩の上に起ち上げることを示されたのでしょうか。この箇所で理解できるでしょう。何処までもイエス様は「初めから赦す」ことを前提に御心を示されていると思います。誰にでも救いの機会を選択することを望まれていたと思います。

Y子さんは、涙を流しながら聞いていました。そして、「もっとちゃんとお話を聞いておけば良かったのに・・・」と言いました。Y子さんはイエス様を受け入れるにはどうしたら良いのかを聞きました。聖書は「何処から読んだらよいのか」とも・・・私はヨハネから読むようにイエス様に示されたと話をしましたらY子さんもそのようにヨハネの福音書から読むようになりました。

最期にY子さんに伝えたのは「愛には恐れがありません。完全な愛は恐れを取り除きます」の聖書のみことばでした。アーメン(*^^*)

  


Posted by 金城米子 at 00:15Comments(0)

2014年01月21日

愛するという事は自分に死ぬこと(9)

息子の心臓手術は4歳の根治手術が目的でした。その日の為に私がした事と言えば「般若心経」の写経でした。きちんと正座しては出来ません。

息子の無呼吸を監視しなければならないので息子を抱っこしながら枕や座布団を利用して足も使いながら片手での写経ですから至難の業でした。

ですからお世辞にも美字ではありません。歪んで汚くてもそれは私の真心であり、息子を思う母親の深い愛情であることを神は受け止めてくれると言う信仰でした。

一万枚を書けば願いはかなう・・・二万枚で悟りを得る・・・三万枚で神を観ることが出来る・・・そう教えられて必死でした。手の腱鞘炎と体中の痛みとの戦いでの写経でした。

後日思わされてことは、神様は人間の事情を考慮する神ではなくてどんな状況下にあっても律法通りにしなければ願いを受け入れてくれない神を信仰していたのです。

3歳半の時にはその写経を病室のベッドの下に置いて、手術の日程が決まった時に私はそれをもって有名な大きな寺院を訪問してお布施と共に治める事にしました。

偶然にもお寺の偉い住職に合うことが出来た時に私は一言聞きました「息子は救われますか?息子を救って下さい」と・・・

私がそういったのは手術が無事に成功して沖縄に帰れますか?の問でした。偉い住職からの答えは「救われたかったら教会へ行って下さい。ここには救いはありませんよ。教会は救いの神様ですから」でした。

意味不明でしたが今にして思えば主イエス・キリストが口を借りてそのように言わせたのかも知れません。でも、その時には多分お布施の金額が少ないからだと私は思いました(笑)。

手術は無事に終了しましたが手術中に大事に至る事が起きた事を説明されました。原因不明の停電が起きて人工心肺が一時中断したらしいのですが不思議な事に息子本人には何事も起こらずに無事に機会は作動し手術は成功したとの事でした。

そして、息子の手術に際しては神経の一つ一つが見えたのでどの神経も傷つけることなく手術が出来たという事でした。「目に見えない力が働いているのを感じました」と仰った先生に

私は「目に見えない力ってなんですか?」と質問したところ「世間一般に言う神というものです」と仰ってから「私は私の神に感謝しますからあなたはあなたの神様に感謝してください。」と仰ったのがずっと心に残っていました。

沖縄の神が世界の神だと教え込まれていたので不思議な気持ちでした。誰それの神ってあるのだろうか?私たちは人に着く霊を守護霊とか背後霊とかの言い現しかたでしたから・・・

神は唯一天地創造主だという事は解かっていたのですが偽の創造主もいる事に気づかなかったのです。偽の創造主も聖書のみことばを語ります。もっともらしい教えもしまnす。

イエス・キリストを告白しない霊はみんな偽物だとは知りませんでした。何故かと言うとイエス・キリストから来る霊を受けている者はまず何があってもブレません。決して騙されません。

御言葉を握っているからです。しかし、偽物はご都合主義でころころ変ります。神様の生も色々と出てきますし人数も違があります。

経験者ですから解かります。相手次第で状況が一変します。御言葉は語りますが微妙な違いがあります。クリスチャンになってからはっきり解かったことです。

主イエス・キリストは決して何事も強制しません。すべて選択の心を与えておられます。ですから私たちは自由なのです。せねばならない事もなく、献金金額も自由でしても良いししなくても良いがイエス様なのです。

苦しみの中にある女性がユタの私に言った言葉が耳に残っています。「神様は上納金を治めなければ願いを聞いてくれないのですか?支払えない私たちを神様はなんと仰っていますか」・・・

この女性の苦しみが私の胸に迫って来ました。父にその事を話しました。それはもういいからと言ってあげなさい。神様に願かけしなくても大丈夫だと言いなさい。すべては運命なんだからと・・・」

正に地獄の沙汰も金次第の世界でした。私の中で疑惑が膨れ上がり神と悪魔の狭間に私たちがいるのではないかと疑惑が湧いてきました。私の中の何かが破裂しかかっていました。   続く・・・







  


Posted by 金城米子 at 19:37Comments(0)

2014年01月19日

愛するという事は自分に死ぬという事(8)

もし、この世に先祖霊や死者の霊があるとしたら身内の者が苦しみにある時に黙って見ている筈がありません。

私達実家は先祖供養や清めの拝みなどを熱心にしていました。既存の拝所も廻っていました。しかし、既存の拝所を拝めば他の拝み人と同じことをしている事になります。

他のユタやシャーマニズムや拝み人と同じでは大金の収入が見込めないと思ったのは父母や私には正直な気持ちありました。ですから私たちは特別な天からの使者で救世主だと思わせる必要があったのです。

これまでの沖縄の霊能者は個人営業でした。客も不特定で一人がいろんな霊能者を渡り歩いていました。霊能者としてのしっかりした収入源の安定を計るためにはリピーターがいる事は必須でした。

初めはリピーターを増やす事が考えにあったのですがそれでは収入の安定が確認できないと考えて組織を作る事が必要だとの父の意見に賛成して組織を作り上げる事にしました。

初めは祈祷料や判断料金のお金を取る事に躊躇していたのですがすぐにそれもなくなりました。なぜなら判断役をしていた私を夢で知らされたと言う客が増えるようになってからお金を増額するようになりました。

しかし、それだけでは客をしっかりとつなぎとめておくことが難しい事に気づき、スペシャルだと思わせるために私たちいはこれまでの古い教えの中に実はこうだんだよと思わせるために新しい神場をあちらこちらに造りました。

これが数千年も隠された神場だったんだと言う風にですね。なんと神を恐れない行為でしょうか。しかし、それも守銭奴になって閉まった故に悪魔から来た知恵だったのです。

父がした事は病院などでクライアントを見つける事でした。父は伝道を昼夜頑張って私は判断に熱心になり、母は祭司役でした。妹たちと嫁は紙線香を作る役割でした。

先祖供養には(御霊のお天ご返上)と言う名目で私たちは自分流の言葉を沢山作り上げました。それは成功しました。私たちの祈祷は力を発揮しました。

病が癒され。長年間も浪人していた学生が医学に合格したり、就職も希望がかなえられたと全てのクライアントが証しをしてし熱心な信徒になりました。

信徒たちは家族主義でつながって多くのクライアントを増やしました。私が実家を出るときには170所帯に信徒が登録されていました。

悪魔は私たち家族を使って全ての沖縄の人を地獄に陥れる計画をしたのです。しかし、私が先に神様にチョイスされたのは曾祖母の祈りがあったのだと後に知る事になります。不思議な曾祖母とキリスト様との関わりを後に母によって私は知る事になります。    続く・・・

  


Posted by 金城米子 at 11:10Comments(0)

2014年01月18日

愛するという事は自分に死ぬこと(7)

本土の病院から息子の余命宣告を受けて傷心の思いを抱え込んで帰って来た私達親子を待っていたものはすさまじい地獄のような借金取り立てでした。

当時、社会をにぎわしていた「サラ金地獄」という言葉は私のためにあるように思われる経験をしました。

昼夜関係なく、どこまでも尾行し続けて取り立てるサラ金側の取り立て人の執拗さに家には帰れないと決意した私がしたことはほとぼりがさめるまでの水道もトイレもある公園の駐車場での車上生活でした。

それでも他人の前ではプライドがありますから何にもないふりで過ごしていましたが息子の支援学校にまで押しかけて来たり、待ち受けていたりされた時には精神状態が極限に達してしまいました。

恥ずかしさと悔しさと自分の男性を見る目がなかったこと、不甲斐なさを嘆きました。悔やんでも悔やみきれない・・・本当に痛い刈取りでした。

やむなく実家に相談に行ったのですが「あのふりむん(きちがい)のために出す金などはない」と一蹴されて「お前たち親子が借金を許してほしいと思うなら親子で死んだらいいよ。早く死ね!そしたら世間も許すよ」との言葉に私の中で何かが切れる音がしました。

その時に私の中で死を決心することが出来、北部の海岸からずっと南部の海岸を息子と二人で死に場所を探すドライブをすることになりました。

皆さんは「知恵」が何処から来るのか知っていますか?良い知恵は神様の愛から来ます。それは人に生きる道を与えます。悪知恵は悪魔から来るのです。それは人を殺します。

真理の神を知っている人には良い知恵が与えられます。私に冷たい言葉を投げた父は私に関わる事で自分に被害金額が及ぶことを恐れたのです。

それは自己防衛ですが「愛」がありません。神のわざをしていると言いながら神を知らない言動をしている事に気づかないのが悪魔の罠なんですよね。

その時に父や実家の兄弟たちに神の愛が少しでもあったのなら彼らは知恵の限りを尽くして「逃れの道」を探してくれていた事でしょうね。

悪魔は私達親子を分裂させて私と息子を死に追いやる事に成功したと思って喜んでいたと思います。

「愛」があったなら理解出来た「破産宣告」という手続きを教えて一緒に動いてくれていた事でしょう。

そこには愛はなく金銭欲が高く積まれていたゆえに自己保身に走ったのです。しかし、その事も又、神様の御計画であったことを私は後に知る事になるのです。

死を決心した私がした事は手紙を書きました。告発の手紙です。実家が信者との間にどれだけの金銭のやり取りをしていたか?どれだけの人が泣きを見たかを細かく記した告発文と沖縄の因習のユタ問題を切るという文面でした。

勿論、信者の住所録と神場参拝の信者とのアルバムもすべて添えてでした。そして、南部に着いた時には夜になっていました。

南部の海を死に場所にしようと決意したのは私が結婚して長男が生まれた時期で貧しくはあっても人並の幸いを感じているときでした。

その時には私たち夫婦も実家の家族の関係も良い状態でしたのでみんなで遊んだ楽しい思い出があったのが佐敷海岸でしたからです。

もう一度あのころに戻りたいと願いつつも、もう戻れないとの錯綜した思いで一杯でした。家族の分裂は本当に苦しくて心を殺します。

私は息子の大好きなケーキパンと飲み物を与えながら心の底から息子に詫びていました。「幸せにしてあげられなくてごめんね」と何度も言い続けていました。

「母ちゃんと一緒に死のうね。た~けはきっと天国へ連れて行ってもらうからね。ごめんね」・・・

悲痛な祈りを真実で唯一な神がいたらきっと息子を天国へ連れて行ってくれると信じていました。その時には私には理解できていました。

今までの神と信じていた天の父と呼んでいた神が実は偽の父神であったこと、天地の24支之神・火の神・12支之神・御獄神・龍神などなどがすべてが「偽物の神」であったことを十分に理解して後悔していました。   続く・・・  


Posted by 金城米子 at 09:59Comments(0)

2014年01月16日

愛するという事は自分に死ぬこと(6)

息子が中学二年生になってから再三再四でもなく再五の手術が必要になりました。私たちは本土の病院へ行くことを決心して出来る限りの所から借金して本土へ行きました。

別れた夫もその頃には心を入れ替えて本土で働いて頑張って私たちを支えると約束をしてくれました。私たちは希望を持って本土へ出発しました。

検査入院の中で息子が発熱が続きましたが原因はストレスだろうと思っていました。やがてカンフアレンスの結果が報告されました。

息子の手術はあまりにもリスクが大きいので最後は私の決意にという事でした。前もって私は先生にお伝えしていたことがありました。

「息子は難しい場面を何度も通過してきました。Y先生のおかげでもありますが神様は息子を通して私が神様からのメッセージを受け取りなさいという事だと思っています。ですから手術で関わってくださいましたY先生に私はまだ神様からのメッセージが分りません。メッセージを受け取っていません。とお伝えください。」・・・。

カンフアレンスでは意見が分かれて最終判断は教授になられて手術室チームの責任者にもなっているY先生に委ねられていました。

Y先生は新任の主治医に訪ねたそうでした。「それでお母さんは何と言っていますかね?」・・・主治医は私の言葉をそのまま伝えたそうでした。

それを聞いたY先生は手術は中止して沖縄へ帰えれるようにして上げてください」と言ったそうです。手術は恐らく成功しないだろうことは暗黙の了解でした。その話の内容から察したことがありました。

Y先生の施した手術の経過は非常に良かったのでしょう。その手術がどのように施行されたのか若い先生たちには非常に興味があったのだと思います。

担当医も手術をしたいと思った一人だったようでした。一年と言う余命宣告を受けて私と息子は沖縄へ帰って来ました。「どうぞ、息子さんを大切にお育て下さい」と言う言葉が最後でした。その言葉に押しつぶされそうな重い足取りでやっとの思いで家に着きました。

その時に私は白黒のモノトーンの世界に自分がいる事に気が付きませんでした。何を食べても砂をガリガリ食べているような感覚で吐き出していました。

人の会話も意味が理解できなくなっていました。そんな時に家のドアをピンポーンする者がいて出てみると恐持ての男性が二人で立っていました。

ずかずかと家に上がり込んで来て彼らは謝金返済の話を持ち出しました。寝耳に水の借金の金額でした。5百万円は息子の長期寮養費と本土での滞在費なのは記憶がありましたが支払いは息子の父親別れた夫がしてくれていると思い込んでいました。

借金地獄って知っていますか?それを私は難病児の息子と徹底的に経験することになりました。  続く・・・  


Posted by 金城米子 at 12:39Comments(0)

2014年01月10日

愛するという事は自分に死ぬこと(5)

息子の出生と共に始まった入院生活でした。退院のメドはつかない。先が見えない入院生活のスタート暗い気持ちと共に人生は終わった・・・刑務所に入れられた気分・・・刑務所でも模範の囚人でわりかし自由に刑務所内を動き回ることが出来る囚人になったような気持ちになろうと自分に言い聞かせました。

模範囚と言う思い込みがなければ乗り越えられない心境でした。ドクターが刑務所長で看護師が刑務官と言う風に考えを切り変える事を買う語しました。それはドクターや看護師に服従することが息子の命を救う事なんだと受け入れました。従順=生きる命を学びました。

多くの子供たちとその家族の闘病生活から人間模様と家族を学びました。息子が重い病気で入院しなければ決して持つことが出来なかった忍耐と慎重深さでした。点滴注射の際にはどんな薬を何時に注入したかその後の状態にどんな変化があったか無かったのかをメモる事でした。誰がいつ、何を何の為にという事にも心を砕く必要です。

病室には4人の病児がいて付き添っている母親たちがいてお見舞いに来る家族や友人がいて・・・その人たちとの関わりもまた友に共有することになりました。

だからこそ他人に関して注意深く接する・・・決して敵対しない事、相手の欠点を見ない、批判しない、どんな時にも協力体制を維持することが入院生活で孤立しない、また、孤立させないことの大切さを学びました。

孤立した母親は最悪自殺に追い込まれます。みんながうつ状態の精神なのです。だからこそ互いを思いやらなければならない誰をも追い込まないこと、性格的に合わないと思ったら瞬時に相手の欠点を見えない心境に自分自身をコントロールする事を学びました。

なぜなら、みんな難病児の母親です。痛みは同じです。いろんなところで我慢し、忍耐してかろうじて生きているのです。そこをみんなで共有しました。悟りの世界です。「自我に死ぬ」事を学びました。

入院生活の時には元気に退院することが目的でした。退院後はリハビリでした。リハビリは息子の自立が目的でした。その時に自立の本当の意味を知りました。

診察の時にドクターが言いました。

「自立できてよかったですね」の言葉に「えっ」と思いました。するとドクターは続けて言いました。

「自発呼吸がちゃんと出来るようになった事も自立なんですよ。以前はた~けは泣く事も出来なかったし、声を発する事も発作の原因になったじゃあないですか?でも、今はそれらの事が自由にできるようになったのですからね。立派な自立ですよ」

思わず私は泣き出しました。定期薬を待っている間もこれまでの事が頭を駆け巡り医療従事者に対しての感謝の心で涙が止まりませんでした。医療従事者だからこそ生死をさ迷っていた病児が退院して外の世界で新しいスタートをした事がどれほどの喜びなのかを知っているのです。

本当の自立は母と病児を家族のぬくもりの中に返しすことだと語ってくれたドクターに心から感謝しました。私はその時に自分があまりにも人の思いを探る事の出来ない不足な者である事、感謝を知らない人間だったかを思い知らされました。

主なる神イエス・キリストは多くの人々との関わりの中で私に気づきと自分の心の状態を知ることを導きました。多神教だったユタの私に多神教じゃあない真理の神が私を支える人を遣わして先駆けて道を備えて落ちる事がないようにして下さっていた事を知る事になります。

難病の息子が私の所に来なかったら、様々なアクシデントがなかったら、多くの背後の祈りの友が与えられていなかったら、私達母と子に支援する人が与えられなかったら、

実家の家族が与えれていなかったら、そして夫との関係が理不尽であったり不条理な出来事に私達母と息子が追い込まれなかったら、今の私と息子は存在しなかったのです。

多くの罪を赦された者は多くの責任と義務があるという事にやがて私は自分が何故この地上にいる事を赦された者であるのかを後に知る事になりました。   続く・・・  


Posted by 金城米子 at 09:41Comments(0)

2014年01月10日

愛するという事は自分に死ぬこと(4)

母が私に言った事を思い出します。「お前は遅咲きだね。生まれた時から苦しみを背負って生まれたような人生だったけどまさか、障碍児の母になるなんてね。最後には大きな岩山を担ぐことになったね。だけどお前なら乗り越えられるよ。私には解る。お前はこの子を通して偉くなるよ」と言いました。

意味不明でした。でも、反論する気持ちも気力もありませんでした。
心の中では私は(私の苦労は誰も理解できないし、理解しようとは思ってくれない。そんなことを誰にも期待出来ない事は私が一番よく知っているんだし何をいまさら・・・)とつぶやいていました。

そうは思っても母の言葉は私の心の入り口の隙間から流れ落ちて入るのを感じました。その後は事あるたびにその母の言葉が心の中で起き上がって来るのを覚えました。だから、乗り越えられたのです。

言葉は人の心を生かす事を息子を通して知りました。長い期間の入院生活では長男の言葉「本当に難儀なのはた~け本人だよ。病気がない人は休めば回復するけれど呼吸不全のた~けは24時間辛さと闘っているんだからね。」でした。

耐えられないとつぶく私に気づきを与えたのです。気持ちを立て直すことが出来ました。その言葉で自己憐憫に陥ってはいけない、相手の立場になる事を覚えました。小さな成長でした。

妹の言葉も私を慰めました。「神様は本当に愛のある人の所にしか障碍のある子を送らない」でした。(神様は私が愛を知るために息子を私に任せたんだ。神様は私を覚えていてくれているんだ。)
神はいつも私と共にあると言う確信が生まれました。真理の神にはまだ出会っていない時でした。

母の言葉で慰めがあり、息子の言葉で自己憐憫の罠から解放され、妹の言葉で神の隣在を確信したのです。続く・・・  


Posted by 金城米子 at 07:44Comments(0)

2014年01月09日

愛するという事は自分に死ぬこと(3)

ようやく息子は支援学校に入学できるようになりました。重度の心臓疾患が有るという事で当時は支援学校であっても入学は難しかったのです。でも、頑張りました。いつでも事前に情報をキャッチして根回しをちゃんとしながら息子が如何に幸いに生きられるのかを最優先にしました。

それが私の定められた事と覚悟しての息子との生活でした。その頃には夫との仲は最悪になり、夫は新しい道を選択して歩んでいました。息子の入学が決定した時に私は決心したことがありました。「もう、何がっても私は泣かない。どんな岩山が立ちふさがっても私は動じない。息子を守る。息子を優先に生きる!私は女を捨てる。母としてだけ生きる」と決心していました。

小学校生活では息子は可能性が一つずつ出て来ました。先生方にはとても親切にしてもらい可愛がっていただきました。今、思い起こしても私と息子の人生で一番幸せな時期でした。学校の母親たちはみんな若いお母さんでしたので元気があって明るくてみんなが仲良しで生き生きしていました。

小学校二年生になった時に私はPTA副会長を任じられて翌年からは会長役を受けることになりました。学校の設備不良をチェックして教育委員会にも豆に足を運び要請するべきことは頑張りました。施設局には学校の設備不利を訴えて見る見るうちに学校が変えられていきました。

とにかく、学校の設備や児童生徒の事等には最善を尽くしてきました。それと同時に南部医療センター設立にも力を注ぎました。いつのまにか息子が私の神になっていました。ユタの神と息子と言う神は私の原動力でした。そしてやがてそれは私達母子にとって再び過酷な運命に引き込む事になって行く結果になる事も知りませんでした。続く・・・  


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2014年01月09日

愛するという事は自分に死ぬこと(2)

息子が退院してからは毎日がリハビリになりました。希望が持てたのは息子が私の声に反応してくれたことでした。

以前の記憶を取り戻す事は厳しいかも知れないけれど残された部分に希望を持ってこれからのリハビリに頑張ろうと思いました。

車いすに乗せて外出しました。車の音も外の音を録音しながら息子に話しかけて行きます。私の声も一緒に吹き込みながら「た~け。ほら、これがガードレールだよ。これはねすぐそばを車が走っているから危なくないようにあるんだよ」と言う具合にです。

植え込みにも連れて行き木の枝や葉、花なども手で感触を感じさせながら一日中が息子との関わりでリハビリでした。

絶えず話しかける事にしていました。絵本の読み聞かせもしていました。出来る事はみんな頑張りました。ドーマン療法も試みましたがストレスで心臓の具合が悪くなって止めました。

リハビリに命を懸ける日々と言っても過言ではありませんでした。
健常児との関わりも積極的に実践しました。車の中にはカセットコンロなど台所用品を詰め込んでいました。

公園に行きフードプロセッサーを使って食事をつって食べさせました。外でなら食欲が出るかも知れないと思ったからでした。効果はありました。公園には健常児の母と子が集まって来ます。

その母と子供たちとの関わりは息子の発達を促しました。保育園周りもしました。息子が大人になった時に健常児が優しい心で障碍児者と何のこだわりもなく助け合って生きて行けるようにです。

若いお母さんたちは理解を示してくれました。そして、病気で歩けなくなった事、お話も出来なくなった事、赤ちゃんのようになった事等をご自分の子供たちに説明してくれました。感謝な事でした。続く・・・  


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2014年01月09日

愛するという事は自分に死ぬこと(1)

息子は重い心臓疾患で産まれて来ました。4歳までは入院生活を繰り返し、何度も死にかけるほどの発作に悩まされていました。

でも、希望がありました。医学は日進月歩・・・生きていれば必ず医学の進歩によって必ず延命できると・・・

生きてさえいればリハビリで将来は送ればせながらでもちゃんと自立して生きて行けると信じて疑わなかったです。

しかし、ある日、突然の心臓停止というアクシデントが襲いました。
それでも医師たちの努力で蘇生は成功して息子は戻って来ました。

そして、過酷な宣告を受けました。植物人間としての将来を受け入れなければならない事をでした。

それから再び息子とのリハビリ生活がスタートしました。それは、如何に現実を受け入れてその中に希望を見つけて生きるのか。息子も私も振り返った時に「あの頃は頑張れて良かったね」と言えるようになろうと思いを切り替えて前を向きなおしました。・・・続く  


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2014年01月09日

嫁ぎ先が頑強な先祖崇拝の家だった

40代の主婦からの相談でした。N子さん。高校時代からのクリスチャンでした。彼女は結婚前に自分がクリスチャンであることも告げて日曜日は教会へ行くことも理解して貰っていました。

しかし、結婚してわかったことは嫁ぎ先には「天照子の神」の祭壇があり、大きな仏壇があって香炉が幾つも並んでいたと言うのでした。

彼が交際期間に実家に案内しなかった理由が解かったのはこういう実家である事を知られたら結婚出来にあと思ったからだという事がN子さんは理解できその日から苦しみの連鎖でした。

天照子の行事の為に先祖崇拝の為にと呼び出されるまでは良かったのですが突然、実家での同居を余儀なくされたのがN子さんの妊娠がきっかけでした。

N子さんが出産してからは教会へ行くことも禁じられのですが理由が姑の一存でした。跡取りの孫がキリスト教になる事を許可しないという事でした。

N子さんは二人目の長女が生まれてから、うつ病になって通院生活が始まり、入院する事もありました。

ブログを見て連絡が入り、私はN子さんと会う事になりました。N子さんは聖書も強制的に燃やされたと言っていましたので私は聖書をギフトしました。

聖書を下着入れの引き出しに入れていて彼女は聖書をトイレで読んでいるとの事を告げていました。

せめて、教会に行くことが出来なくても聖書を読むことを許可してほしいという事なので彼女のご主人に会う事にしました。

N子さんの病が癒されるためにはN子さんを自由にしてあげる事と偶像崇拝からの解放だと強く説得し、誰一人も味方がいないN子さんをあなたがかばって支えてあげなければ子供たちにどうやって夫婦の背中を愛を見せることが出来るのかと話をしました。

ご主人には「N子さんは負わなくても良い十字架をあなたや子供たちの為に負っているのですよ」と話し、「あなたや子供たちを愛しているからこそ自分の心が壊れるほどに忍耐の限りを尽くしているのですよ」と話しました。

それからしばらくして、ご主人は法律が赦している宗教の自由の事を言ってN子さんの為に実家と別居する事と実家との境界線を持つことを決心しました。

私がN子さんに語ったことは聖書に登場する人物で「ヤハジェル」です。主の霊が臨むとき、自分はただの信徒で何の力もないと思っていても神の霊が強く臨んで戦わずして勝利するという聖書からの話でした。

「ヤハジェル」。彼らの戦いの武器は賛美でした。「人間は戦う必要がない。神ご自身が戦うのだ」の信仰があればよい。戦いの武器は賛美の声だった事を話しました。

賛美が出来ない状況の時には讃美歌の歌詞を告白しなさいと教え、それも賛美ですからと・・・賛美はクリスチャンの務めであることを告げました。

ご主人が実家と境界線を引く決心が出来たのも夫婦の信頼関係を取り戻せたのも賛美でした。N子さんは今、病も癒されつつあります。まだまだ人の中には入れませんが「主が共におられます」を確信して彼女なりの充実した日々を送っています。

「この戦いであなたが戦うのではない。しっかり立って動かずにいよ。あなたがたとともにいる主の救いを見よ」Ⅱ歴代20:17.  


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2014年01月08日

主人の怒りは寂しさゆえです。

私たち夫婦の事をお話ししたいと思います。「火事だ!」と言われてもすぐに反応しない私に比べて主人は周囲の状況には非常に過敏に反応します。

過敏症の主人は私の一挙一動に異常なほどに反応します。ですから私は出来るだけ言葉には注意をします。それでも主人は私の言葉のトーンにも反応して火の球の直球を投げて来ます。

私の中では「また始まった」と見えない聞こえない心のシャッターを降ろします。反応しない事が怒りを鎮める早道だと知っているからです。

怒りを爆発させて後は主人は罰が悪そうに二階の自分の部屋に戻って行き、30分ほどして何事もなかったような顔で降りて来ます。

30分おきに火の球を投げつける主人は躁うつ病です。主人の感情の起伏の激しさは自分で感情のコントロールが出来ない事と自分の尊厳が認められていないとの思い込みから来るものですから私は主人が憐れでなりません。

幼児期に主人が如何に孤独な状況に置かれていたかが理解できます。主人はまだまだ癒されていないのです。三人の姉とは仲は良いと思えます。他に兄と弟が一人ずついますが仲は良いとは言えません。

趣味が何一つない主人は世界観は私とハンディのある息子だけですから仕方がありませんが主人を褒める材料と「ありがとう」の言葉をかけることに努めている私です。

「感謝しているからね。ありがとうね」&「お父さんは凄いね。偉いよね。」何が偉いのか分らなくても何度もそう言って主人の心を引き上げる事を意識しています。

「自我に死んで相手を生かす」訓練を主人に受けているんだなあと納得しています。お給料をちゃんと運んでくるご主人がおられるならその事も凄い感謝に値すると私は思います。

私は主人に養ってもらった記憶はありません。それでも主人は主人ですし彼の過敏症は彼の心の寂しさと自信の無さだと思っています。

週に一度は御主人への不平不満を電話で訴えて来る女性がいます。彼女に聞きます。

「ご主人は乱暴しましたか?」「いいえ」
「ご主人はお給料はきちんと渡しますか」「はい」
「ご主人は帰りが遅くてあなたとの距離がありますか}「いいえ」
「ご主人から家族を愛していると伝わって来るものがありますか?」「はい」

「それじゃあ感謝してあなたもご主人に対して愛している事と感謝とを態度ではっきりと伝えなさい」と言って電話を切ります。ハレルヤ(^^)  


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2014年01月07日

聖書デボーションは心のゆがみを直す

「聖書のデボーションをしていますか?」と私は質問することがあります。そうするとほとんどのクリスチャンが怒ります。

「何で、デボーションを強調するのですか?それっておかしいですよ。それは米子さんの律法主義な考えですよ」

10人中8人の方がそう答えて火の玉や槍玉が飛んできました。
私はクリスチャンたちが信仰はあると思いつつも生き方が的外れになっている事に疑問を持つと共にある程度は牧師にも責任があると思いました。

決して裁きではありませんので最後まで読んでいただければ感謝です。私はクリスチャンになる前にデボーションと言う言葉を教会の書物で呼んだ時に30年のクリスチャン先輩に「デボーションって何ですか?」と質問をしました。

でも、彼女は答えられませんでした。話をはぐらかされました。以来ずっとデボーションと言う言葉が気になっていました。

そして、私は洗礼を受けさせてくれた敬愛するM牧師に聞きました。
「デボーションとはなんですか?」それで牧師が説明してくれたことは「あなたがイエス様と会話して会話の中からあなたの間違った考えを示していただきあなたが聖化されることですよ」と言ってくれました。

その日から私はデボーションを決心して書店へ行きデボーションの学びに関するクレイや幸いな人の本を購入しました。そして、10年間、私はデボーションを熱心に継続しています。

私は、生まれつきの腎臓病があって、難しい病気もかかり、色々と病との闘いでした。本来の負けず嫌いな事もあり自分の弱みを人に言って祈って貰う事もしませんでした。

それは私のプライドでした。でも、デボーションをしているうちにプライドは不信仰な事だと知り、クリスチャンに祈って貰う事も神様は聖なる霊的な交わりとして祝福して下さる事を示されました。

段々とわかってきたことはデボーションは間違った考えを直す事だけではなくて病も癒すと言うことが分りました。

病は気からとありますが私たちは自我で生きているがゆえに間違った気を送ったり、受けたりしている事を知りました。要するに引き寄せの法則です。

デボーションは自分自身の間違った思考や行動を直す事なのですが病も癒されると言うよりも病にかからない、祝福を多く受けるメリットがある事を知りました。些細な祈りは毎回聞かれている事でも理解できます。

聖書的な生き方が出来るようになるのはとても難しいです。でも、デボーションをする事で軌道修正されて病が癒されていく事を私は経験しています。

骨のゆがみと痛みも心のゆがみも共通します。聖書の詩編には骨の事が多く示されています。どうぞ、時間はかかっても良いですから聖書を毎日拝読して下さり、骨に関する箇所を拝読してください。

聖書のみことばが自分の今の思考や行動をどのように見ているのかを聞いて下さい。

デボーションには日記の役割もあります。その日の予定を記して先駆けて祈り心を整えるのです。これから出会う人との間に私の高慢が削ぎ落されて柔和に対応できますように・・・と祈るのですね。

マイナス思考があればそれを事前に回避してポジティブな考えになるにはどのようにすればよいのかを問うのです。キリスト教はポジティブです。プラス思考です。

プラス思考は良い結果を引き寄せます。それがデボーションなのです。生き方や思考が積極的に修正されるのがデボーションの力です。デボーション日記をつけてください。

マイナス思考がプラス思考に帰られていく過程をしっかりと記してください。あなたの考えがプラス思考になっていく事を導く事がデボーションであり、病も癒されます。その前に病が逃げていくかもしれませんね。信じてデボーションをして下さいますように・・・  


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