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Posted by TI-DA at

2016年12月28日

過去を変えられる神様

誰にだって人には話せない辛い過去があるかもしれません。過去の出来事がずーっと重い現実となっているかも知れません。

「米子さんは、息子さんの障碍をどのように乗り越えているのですか?」とよく質問を受けます。「乗り越えてなんかいませんよ。」

と言うとびっくりなさる人もいますけれど、正直言って乗り越えてはいません。乗り越えられるように思考を180度変えてくれた出来

事を毎日経験させてもらっているだけの事です。息子は重度の重複障碍者です。肢体不自由・知的障害(レベルA)・てんかん・

重度の心臓疾患・言語不可が全くできない。他人とのコミニュケーションが取れない。トイレを教えることが出来ないので紙おむつ

使用です。全面介護です。危険な者が理解ない。カミソリでも口に入れてしまうので目が離せないのです。待つ事が出来ない。

書き出せばいろいろです。夜もお漏らし、紙おむつを外してしまうので何度もベッドを汚すので一晩中シーツ交換して一晩中洗濯機

はフル回転です。雨降りの日は最悪です。私の睡眠時間は一日に3時間平均です。息子の事で隣室からのクレームで引っ越しを

何度も繰り返していました。眠らない息子を見て泣くしかない辛い夜がありました。1998年に息子一緒に入水心中した時に、私は

イエス・キリストに出会いました。その日を境に私は息子への思いが全く変えられました。息子に対して感謝が出来るようになったの

です。息子を通して私はイエス・キリストにたどり着けて事を知りました。神様が私を憐れんでくれただけでなく、私の人格を軌道修正

するために息子が私の元へ手を上げて来てくれたことを知ったのです。「これら小さい者にした事がわたしにした事である」と聖書の

中にあるのですが私が息子に対して怒らずに愛を持って接する世話をする事で私の罪をすべて赦してくれているのだと理解できま

した。人の性格などは、なかなか修正できません。ましてや私のようにユタをしていて人間の心に潜む隠された罪を見透かす事で生

計を立てていた大罪人の私などは、尚更に軌道修正など出来ない者なのです。イエス・キリストの十字架は、私の罪を赦すためであ

ったことを受け入入れるのは簡単です。しかし、イエス・キリストの愛を実践する事も受け入れがたい息子との現実の生活を感謝する

ことが出来るのは、イエス・キリストの十字架への道のりをイエス様と一緒に歩き続ける事なのです。イエス様は私たち親子と共に歩き

続けてくれているのです。イエス様は、倒れそうになる時には、御言葉で助け起こしてくれます。人は同情はしてくれます。でも、継続し

ません。クリスチャンでさえもそうです。牧師でさえも同情どころか裁きの目でしか見てくれないのです。私はその現実を身をもって経験

してきました。牧師は私の過去を見て、他者の意見を聞くが私には弁明の機会を当てません。でも、私には、イエス・キリストと言う神様

が無限の愛を持って御手を差し伸べられています。だから、私が一番神様の変わらぬ愛「わたしは永遠の愛をもってあなたを愛します」

とのイエス様の心を受け継いで強くされている事を宣言できるのです。人の身勝手な心を受け入れることも出来るのです。障碍者を家族

に持つという事は神に選ばれたのですよ。「あなたがたなら神の愛を持って神を現すことが出来ます。」と太鼓判を押してくれているのです。

そして、あなたがたはそれゆえに天国をすでに与えられているのです。Yさん。あなたもそうですよ。イエス様は、Yさんを心から愛して

いるのです。「来なさい」と両手を広げて待ってくれているのですよ。どうぞ、イエス様の胸に飛び込んで平安を得てくださいますように。

Yさんの幸いを心からお祈ります。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」イザヤ43章4節。「わたしは永遠の愛を持ってあなたを愛します」イザヤ54章8節。  


Posted by 金城米子 at 17:26Comments(0)

2016年12月28日

あなたがたが最後まで聖霊を心から追い出さない限り。

大学生の頃に、出会った彼は、「苦しくて眠れない。質問があります」と言って訪ねて来たT青年がいました。

理由は、彼は、学費と生活費を稼ぐためにアルバイトをしなければならないので思うようには、教会へ行け

ないと言うのです。彼が言っている教会の牧師がメッセージの中で10人の花嫁の話から「天の父の御心を

行わなければ天国へはいけない。天の父の御心は、礼拝を守り、伝道する事等々」を言ったのでそのT青年は、

悩んだそうです。今のアルバイト先も待遇が良い条件なのですがようやく探し求めていた職場なのです。T青年

は本土の両親からの仕送りは一円もありません。両親には、「心配をかけたくない」と言っていました。私の思い

は、彼が平安を取り戻す事と信仰を強く握って人の言葉に左右されないことを伝える事でした。まず、天の父の

御心は、聖書を読めばわかります。「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くしてあなたの神である主を愛しなさい。

隣人をあなた自身のように愛しなさい。」マタイ22章37-38節。

「これら小さき者にしたことがわたし(イエス・キリスト)にした事である。」マタイ10章42節。

とあるように私たちがイエス様を愛し、尊敬し人々にも愛の心で生きられるようにと神様は、望んでおられるのです。

礼拝を守れなくても心の中から「聖霊よ出ていけ!」と言わない限り、聖霊はあなたの為にとりなしの祈りをイエス様に

献げていますから、あなた自身も教会での礼拝が出来るようになることをお祈りしたらよいのです。礼拝は教会だけで

はなくて、あなたの心の中にイエス様が臨在しているか、感謝があるか、聖霊の内住があるのかですからね。信じて洗礼

を受けた時から聖霊は内住していますからね。日々の祈りによって聖霊は大きな力を発揮しますからね。愛を持って神に

仕える。家族に仕える。隣人に仕える。時間の祈りではなくて愛の実践です。祈りも愛の実践です。短くてもあなたがイエス

様を愛している事を確信する祈りですからね。イエス・キリストの愛に生きるようにしなさい。大丈夫です。」Tさんは、晴れ晴れ

とした顔で帰って行きました。  


Posted by 金城米子 at 09:32Comments(0)

2016年12月27日

「祝福」と「呪い」を置かれた神・選択はあなたです。

「祝福」はイエス・キリストからくるものです。「「呪い」は悪魔から来るものです。

イエス・キリストを信じ従う者への祝福とは千代の子孫への恵みが注がれる事です。

それは、「自由と解放」です。私たち人間にとっては常に問題はつきまといます。

それが生きていると言う事ですからね。しかし、心に平安があればどんな問題が起こ

ったとしても冷静に考え乗り越える知恵と力が与えられます。問題解決がキリストの

聖書には全て答えがあります。

悪魔から来る呪いは、拘束です。諸々の「しがらみ」でがんじがらめにします。

「何々をせねばならぬ」と言う思いを吹き込み拘束します。例えば家族に弱い人がいる

として、その家族を絶対に世話をするのは、「あなたです」と断言する。それがユタや占い

師、新興宗教の教祖の教えです。我慢して力の限りに頑張ればあなたに関わるものには

災いは降りかからない、その為にあなたは選ばれたのだからと犠牲精神を強要するのが

ユタや新興宗教です。騙されてはいけません。私でなければならない事などは、何一つと

してありません。出来ないことは出来ないと言って止める事も良いのですよ。「自分に出来

ないことを変わって出来る人が与えられますように」とお祈りすれば神であるイエス・キリスト

は、その願いを実現させてくれます。あなたはいろいろな思惑に縛られていませんか?

自分さえ我慢して、犠牲になっていれば、自分に関わる人々がみんな幸せになるのだと思い

を吹き込まれていませんか?自分にできない事も他人にはできるのだという事を知る事も大事

ですよ。「介護は介護のプロに任せない」と言ってくれた人の言葉に私は、気付かされて心が救

われました。愛する末子の息子は重度の重複障碍者です。その息子が幼いころに心臓手術で

入院しなければならないときに、完全看護の病院では付き添いが出来ないので私が不安に思っ

ている事、親としてふがいないことなどをドクターに話したときに、ドクターが言ってくれたのが

「看護は看護のプロに任せてください。介護も介護のプロに任せなさい。お母さん一人で何もかも

背負えないのですよ。お母さんも心身ともに安らぐ事も必要ですからね。そうして始めて笑顔でお

子さんと接することが出来るのですよ。悲壮感を持っていては、誰も幸せには出来ませんよ。」と。

ドクターの言葉に救われたからこそ、私は息子が支援学校に入学したのを機にデイサービス事業の

必要を訴え続けて運動を展開して現在のデイサービス事業の行政改革できたのです。

「苦しにあった事は私にとって幸いでした。」と言えるようにするのがイエス・キリストの力でもあります。

頑張らなくても良い。リラックスしてあなたの握っているもの、重荷をイエス・キリストに委ねてみませんか。

「すべて疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。

わたしがあなたがたをやすませてあげよう。」マタイ11:28。と主イエス様は御声をかけていますよ。

キリスト伝道師 金城米子 090-9782-1946 カウンセリングは無料です。  


Posted by 金城米子 at 01:15Comments(0)

2016年12月25日

神は、ユタ時代の私に人類滅亡の幻を見せた。

聖書の黙示録の舞台が近づいている。だから、神は、私を母子心中から救い出して人類救済の

ために用いたのです。大患難時代が近づいているのです。それは、人間がこの世から真理の神

を追放し偶像崇拝、悪魔の策略や誘惑に陥ったからです。

イエス・キリストが降誕されたのは、人類の罪を贖うためです。イエスは十字架にかかり、死んで、

三日目に復活する為に地上に降誕されました。人間の罪の壁が神との間に大きく立ちふさがって

私たちは神が見えなくなってしまったのです。

アダムとエバが神の命令に背いて食べてはいけない木の実を食べたゆえに、全ての人間は、原罪を

追う事になったのです。そのために私たちは、神から遠ざけられて火の池に放り込まれる結果になる

筈でした。キリスト誕生のこの12月にイエス・キリストがなぜ、人としてこの地上に生まれてくる必要が

あったのかをお話ししたいと思います。最後まで読んで下されば幸いです。

しかし、神は「実に、その一人子をお与えるほどに世を愛された。それは御子を信じる者が一人として

滅びることなく、永遠の命を持つためである。」ヨハネ3章16節。聖書にある、そのみことばは真実です。

これまでの自分が歩んだ道にキリストが不在だったことを悔い改めてイエス・キリストが真理の神である

ことを告白する事です。イエス・キリストが十字架に罹って自分の罪を贖った事を信じる事を告白する事で、

あなたは、大患難に会う事はありません。死後に永遠の消えることのない火の池地獄へ落ちることもあり

ません。キリストを信じていても信じていなくても私たちには「死」は平等に与えられています。

肉は滅びますが霊は永遠に生き続けます。天国で永遠に生きるか。火の池地獄で悪魔と共に苦しみなが

ら永遠に生きるかのどちらかを選択しなければなりませんが選びは自由です。神は「祝福」と「呪い」を地上

に置かれました。

私たち人間には、選択の心を与えました。この地上での苦しみは火の池地獄の苦しみとは比べものにならな

い事を悟る事です。

聖書には「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから」とあるように、私たちが「神以外は、

必要がありません。」と言う選択をした人が本当の幸福を受けると言う教えであります。

終末時代には偽キリストも現れる、占い師も大予言者もシャーマニズムも世界中に氾濫します。金持ちと貧乏

の格差も広がります。貨幣価値がなくなります。ペットに埋め込まれたチップが人間にも埋め込まれるようになっ

たり、マイナンバー制度で国民全体の私生活から宗教思想、預貯金までを国が管理し、支配するようになります。

また愛がなくなり、家族間の殺し合いも増えます。これまでには想像もできなかった悪が子供達から起こるように

なります。最悪の事件事故も増えますが世界中でテロや戦争が起こり、難民問題で世界中が苦しみます。

飢餓や病気が蔓延し、猛禽が世界中に広がって行きます。それらの事がキリストの聖書には、はっきりと記されていて、

過去の歴史も聖書は語っていて、未来までが語られているのが黙示録なのです。世界は今、黙示録の時代に突入して

います。だから、罪を悔い改めてイエス・キリストを受け入れて救われてください。と声を大にしていうのです。

ユタやシャーマニズムなど勝手に実家の家族と共にあちらこちらに神場を造り多くの人々に拝ましていた大罪人の私を

死のダイビングから息子と共に救ったのは、神の壮大な計画があったからなのです。ですから私は決してキリストから

離れられないのです。キリストから離れた時に、私から出た者たちが私に関係する人たちがみんな火の池地獄へ一蓮

托生的に落とされることを私は実感しているからです。これは、キリストに救われた私の責任と義務であるのです。

いま、悩みの中にある方や自分の人生に不安がある方は是非、キリスト教会に足を運んで下さい。このブログに出逢った

方は、神様に近づきなさいとのチャンスを与えられたのです。疑わないで真っすぐに教会の中に入って身を置いてみてください。

「目から鱗が落ちる」経験をします。皆さんが幸いを得ますように、まだキリストを知らない人々の為にお祈りします。

「わたしが道であり、真理であり。命なのです。わたしを通してでなければ、誰ひとり父(天地創造主なる神)のみもとにくる

ことはありません。」ヨハネ14章6節。

  


Posted by 金城米子 at 01:06Comments(0)

2016年12月20日

孫たちへ沢山の愛を有り難う

我が家の31歳の重い障碍者の末子の息子「た~け」を取り巻く孫たちの事を話さなければいけないなあと思いました。

孫たちからすれば伯父にあたるわけですが「た~け」は知的障害があるために2歳児のままで成長は止まったままです。

孫たちに驚かされたことがあります。孫たちは順調に成長している中で「た~け」に対しての態度はごく普通に接してくれ

ている事で呼ぶときも「た~けお兄ちゃん」と呼んでくれることです。赤ちゃんのような伯父に対して「お兄ちゃん」と呼ぶ事

に驚きでしたが私としては素直に孫たちが{た~け」の人格を認めて受け入れてくれている事が何よりも嬉しかったです。

今は、愛称の「た~け」と呼びますが孫たちは、「た~け」のベットで眠りますが私が「臭くないの?」と聞くとニコニコ顔で

「た~け」兄ちゃんの匂いだ」と言って臭いとか一言も言わない事も驚きです。生きているんだから匂いはつきものだよ」

平然と笑って流してくれる孫たちは、重度の重複障碍者の「た~け」をそのまま受け入れて接してくれています。「た~」は

歩くともコミニュケーションも取れませんので紙オムツですがオムツ交換の時にも嫌な顔をせずに気軽に手伝ってくれます。

一番の偉いは、孫たちの母親の教育だと思います。嫁たちの心が孫たちに映し出されている事を見る事が出来て心から

感謝しております。愛が薄れている時代で我が家は、家族の一人ひとりを心から愛し合うという行為を誰一人として惜しみ

ません。孫たちに「尊敬する人は誰なの?」と聞くと全員が(13人)「お父さんとお母さん」と答えます。「大好きなのは?」と

聞くと即「おばあちゃんとおじいちゃん」と答えます。感謝な事です。神様は、両親の愛を受けることが出来なかった私の飢え

渇きを覚えて下さって、5人の息子たちに愛情いっぱいの家族をギフトして下さったのだと心から神様に息子夫婦と孫たちに

感謝しています。私にとって必要な愛に満たされた家族が一番だという事を神様はご存じだったのです。感謝な事です。

「わたしが愛したようにあなたがたも互いに愛し合いなさい。これがわたしの戒めです」聖書。

  


Posted by 金城米子 at 05:29Comments(0)

2016年12月19日

クリスマスのプレゼントの意味

一年中で一番世の中が輝く12月のクリスマスは、イルミネーションは街中を輝きで賑わせています。

若者たちは恋人とのプレゼント交換に胸ときめかすでしょう。老若男女プレゼントには関係なくても

何となく心が弾むクリスマスの12月です。この地上で全ての人々に最初に平等にプレゼントをして

下さった方がいますのを知っていますか。それがクリスマスにご誕生したイエス・キリストなのです。

天地創造主なる神が地球上の全ての人にイエス・キリストをお与えになるためにマリヤという処女の

体を通して神の一人子イエス・キリストをお与えになりました。それは、私たちが罪の中から引き揚げ

られて清くされ天国での永遠の命を得るためです。それまでの習わしは牛や鳥、羊などの動物に罪

の肩代わりとして殺して神の前に贖罪としてささげていました。しかし、何度、どれだけの動物の血を

流しても神の前には贖罪にはならなかったのです。また、何億人の人が十字架にかかっても罪がある

ゆえに贖罪にはなれないのです。人々は原罪を知らなかったゆえに何度、贖罪を捧げても人は直ぐに

また罪を犯ししまう事をです。本当の罪は神様の前に正しい関係で生きる事が出来ない事実がある事

です。神様と人々の前で自分は正しく生きていると言う人はいません。自分に罪はないという人がいたら

その人は神を欺いていると神様は仰っています。人は生前の罪が赦されない限り天国へは行くことが出来

ません。罪の壁を取り除かない限り神様との正しい関係修復が出来ません。からです。そのために創造主

の神はご自分の一人子を地上に送られたのです。私たち人間へのプレゼントなのです。クリスマスには、

神様が私たちを永遠の天国へ入れるようにと神様の御子イエス・キリストをプレゼントして下さったのです。

12月のこの月に私たちの為にご降誕され、私たちの罪を贖いとして十字架上での死なれたイエス・キリスト

をそして、死んだままではなかった三日目によみがえられた真理の神イエスを知る月にしてみてはどうでしょ

うか。イエスが復活したことが神の子であり、人類の輝く希望であることを知るのも良いでしょう。あなたが救わ

れることであなたの家族も救われ永遠の命を得る機会として考えられてみてはどうでしょうか?

お祈りしています。

「主イエスを信じなさい。そうすればあなたもあなたの家族も救われます」使徒の働き16:31。

金城米子 携帯電話 090-9782-1946 携帯電話のメールアドレス(0wm38f4b0×p2-3y@ezweb.ne.jp)


  


Posted by 金城米子 at 04:48Comments(0)

2016年12月18日

知恵あるものとは

あるクリスチャンのB子姉妹がいつも祈りの中で「神様からの知恵をください」と熱心に祈っていました。

彼女は、思慮深い者として生きて行きたいとも話しましたので私は、彼女に聖書を毎日拝読することを

勧めました。彼女の返事は「時間が取れたら聖書をちゃんと拝読しますので祈っていてください。」と言い

「それじゃあね。箴言の8章と9章を何度も拝読してデボーションしてみてはどうかなあ」とアドバイスをしま

した。そして、6年目に彼女が突如電話をかけて来て言いました。「何となく理解できてきたような気がする

けれど、今一度、詳しく教えてくれないですか?」

箴言8章27節に「神が天を固く堅く立て、深淵の面に円を描かれたとき、わたしはそこにいた。」の箇所での

わたしはそこにいた。とは誰がそこにいたのですか?天地創造主の他に誰がいたと言うのですか?」と聞い

たのです。6年間も聖書を本当にデボーションしたのか?と言いたい気持ちを抑えて話をしました。

私「聖書の神は三位一体でしょ?」

B子「はい。知っていますよ。」

私の心の声(知っていたら何で今さら誰がそこにいたのかと聞くかよ)本当に高慢な者です。

私「B子さん。聖書はイエス・キリストを証しているのですからね。それはイエス・キリストですよ。

初めからいたと聖書にはありますからね。創世記の我々に似せて人を造ろうの我々とあるのは、

三位一体の神主・イエス・キリストも創造主と共におられたと言う事ですよ。」

B子さん「なーるほどね。それから新約聖書の友のために命を捨てるという事はどういう事ですか?

私たちにそうしなさいという事ですか?」

私「その箇所は、イエス様が私たちの為に十字架上にかかり私たちの罪を赦される。罪の為に

死ぬべき私たちの為に死なれる事を教えているのであって、私たちは誰のためにも死ぬことは、

出来ませんよ。地上での命は一つですからね。友達はどれだけいるのですか?」

神の知恵を求めた女性んの「エバ」が創世記の中に一人登場します。彼女は、神が食べてはいけない。

と言う禁断の実を蛇にそそのかされて食べました。エバは神様からの直接的な御言葉を聞いたのでは

ありませんでした。ですから蛇の言葉に心が揺れたのですね。彼女の中には、アダムが神様に絶対

服従な事が面白くなかったエバはアダムが創造主の神だはなくて自分を優先することを望んだのですね。

夫が妻の尻にしかれる基がそこで築きあげられたのかもしれませんね(笑)神様に対して嫉妬が生じたエバ。

そして、神様のような知恵を得たい。神様のようになりたい。それがエバの心に芽生えていたのです。

神様は、なぜ、禁断の実を置いたのか?それは、私たち人間が自分の正義を神様の判断で出来るように

と望まれたのです。神様の正義を受け入れられるようにと望まれたのです。しかし、神様はロボットのよう

な心を持たない人間を望んだのでありませんから、私たちに「選択」する心をお与えになったのですね。

エバの罪は「高慢」でした。アダムの罪は「不従順」でした。そして、「自尊心」が芽生えて、自分たちの

無力さを恥じ入りました。(裸であること、神の前には無力である事。)無力である事を認めなたくなくて、

罪の意識から神の前には出られと隠れた。これらの心は私たちの中に継承されているものです。

自尊心・自分はあの人よりも偉いのだと思う心は神様の前には、不必要な事です。生きて行くには重荷です。

真に知恵あるものとは、「神を愛する心」「隣人愛」「謙遜」「柔和」「へりくだり」「謙虚」「誠実」で生きる心です。

人が自分よりも偉いと認める事。人の良いところを見つけて褒めてあげられる心もちましょう。アーメンな心で❤
  


Posted by 金城米子 at 09:40Comments(0)

2016年12月17日

自分の口を制する事が出来る者は幸いです。

聖書の箴言10章19節に「ことば数が多い所には、背きの罪がつきもの。自分の唇を制する者は思慮がある。」

との教えがあります。相談者の半数近くが自分が話してしまった事で大きな問題が起こり、「どうしたら良いのか、

不安でどうしたら良いのか分からないので助けてください。」という相談です。

私は、一番真っ先に「素直に謝りなさい」とアドバイスをします。私たちは、人からの悩みを相談されたときには、

何とか助けてあげたいとの思いで自分には知恵がないのでと他人に相談された事を第三者に漏らしてしまいます。

その事で相談者との信頼関係が失われて気まづくなる事が多いのです。原則として人は他人の秘密は守れません。

自分の口から出た事は、人と言う電波に乗って世界中に広がって行きます。墓穴を掘ると言う言葉通り、口は墓穴

を掘る重機のショベルカーと思って下さい。各いう私も言葉での失敗を繰り返してきた者です(笑)だからこそ、真に

迫るアドバイスが出来るのです。「あの時の失敗は、私にとって良かった」のです。神様も聖書で私たちの失敗は後

の日のためと失敗したことを益に変えると教えています。イエス様がえきにかえられるのであって必然的に益に変わ

るという事でありません。一度の些細な失敗がどん底への人生となる人もいます。しかし、イエス様のみことばを握って

生きるみことばを信じるクリスチャンにとってはどんな失敗も過去の出来事さえも益に変えられのです。

聖書が教えているおしゃべりに対する警告、自分の口を制する者はヤコブ書3:2。マタイ12;36にも記されています。

「正しい者の舌はえり抜きの銀。悪者の心は価値がない」とはっきり教えられています。正しい者の知恵による健全な

言葉は、多くの人を霊的に成長させます。クリスチャンとして主に栄光をお返しできるような歩みを覚えたいものですね。

「正しい者のくちびるは多くの人を養い、愚かな者は思慮がないために死ぬ」箴言10:21。  


Posted by 金城米子 at 07:48Comments(0)

2016年12月16日

絶望への落とし穴

「人生に希望が持てない。そこから抜け出せない。助けてください」と電話をかけて

訪問してきた40歳の女性はクリスチャンのH子さんでした。以下は私の答えです。

初めに質問したことは「あなたには、苦い根がありませんか?赦せない人がいませんか?」

でした。不幸に陥れる失望から絶望への階段は、「赦せない」人がいることが多いからです。

私たちの感情は神様が与えられたものですがその感情をどのようにコントロールする

のかによって幸いな人生を送るのか絶望に落ちた人生を送るのかに別れます。

赦せない感情は、怒りです。怒りは神の義を全うしないとあります。神の義は祈りです。

聖書には「いつでも祈るべきであり、失望してはならないことを教えるために、イエス

は彼らに例えをはなされた。」ルカ8:1.とあります。「祈り」は私たちを平安に導き、罪も

示されます。そして、悔い改めに至らせ、希望が与えられます。

そして、「この希望は失望に終わる事がありません。何故なら私たちに与えられた聖霊に

よって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。」ローマ5:5.とはっきりとイエスは、

神の愛が注がれる事によって希望が永遠にあることを教えています。祈る事で神の愛を悟

れるのですが祈れない時には、特にクリスチャンは、絶望へのどん底に落ちることに気を付

けなければいけません。失望から始まる落胆は、憤慨、自己憐憫、被害妄想、怒りへと導か

れるのです。これらは、みんな悪霊からの罠です。この罠は自己欺瞞から誰も救い出すこと

のできない「拒絶の霊」で自分の思い通リに振る舞う、苦く厳しい批判の霊であることを知る

事です。神の人のエリヤも自己憐憫の霊に雑草のような生じさせました。私たちは、このよう

な状況を正しい態度を持って直ちに処置しなければなりません。神の霊で記された聖書の

みことばに依る祈りが唯一の解決策です。「彼に信頼する者は失望させられることがない。」

ローマ9:33。と答えがあります。失望させるのは、誰ですか?自分の中にある悪い根の問題

です。自己欺瞞、高慢が悪霊に足場を与えて失望から絶望への陥れて行くのです。気づきが

与えられたら即、「悔い改め」て神に立ち返って下さい。失望も絶望も悪から来るのです。

「悔い改めて福音を信じなさい」マルコ1:15。  


Posted by 金城米子 at 04:42Comments(0)

2016年12月15日

自己憐憫の罠

旧約聖書には、エリヤと言う預言者の登場します。エリヤは多くの賞賛されるべき

神の預言者としての特別な働きをしています。祈りと信仰と神の声に従順である事

でヤァーウェの神(天地創造主)が真理の神であることを証しするためには自分の

命が危険にさらされても喜んで一人で臨むことが出来ました。カルメル山では850人

のバアル(偶像)の預言者達に挑戦したのです。この戦いはイスラエルの民にもこの

競争から神に仕えるか、または、バアルに仕えるかを決めるようにとの事でした。この

戦いでバアルの神とその預言者たちが無力であることを証明しました。短い祈りで火を

起こしていけにえを焼き尽くしました。エリヤは3年間の干ばつも祈りで雨を降らせました。

エリヤは創造主が真理の神であることを証明したのです。そんなエリヤにイザベル女王は、

自分の預言者が皆殺しにされたと聞いた時にエリヤにも同じ運命になるようと命じました。

エリヤは、イスラエルの地から荒野へと逃げ去りました。

国の権力者の力強い命令は、エリヤを力強い神のパフォーマンスの頂上から自己憐憫の

祈りの落とし穴へと陥れたのです。エリヤは力強いたくましい行動力の預言者でしたが人格

や態度、また拒絶や迫害には弱い預言者でした。神はエリヤの死への祈りには答えられま

せんでしたがそれどころか神はエリヤの持っている人生におけるチリあくたを焼き尽くされたのです。

聖めの火を強くしたのです。神は、クリスチャンを成功か失敗か、受け入れか拒絶か名誉挽回か、

命か死かと言う極端な状況に置かれる事もあります。クリスチャンが大いなる成功を収めた時でも、

教会での力強いメッセージが称賛されたとしても教会の指導者たちもイザベル女王のように信徒に

対して拒絶だけではなく破壊の脅威を持って振る舞う事もあるのです。その結果、深い落胆を経験

することもあるのです。クリスチャンは選民意識を吹き込まれてノンクリスチャンを蔑視することも

ありますが神はクリスチャンもそうでない人も等しく愛されています。悪人にも太陽と雨の恵みを

注ぎます。ノンクリスチャンでも「九死に一生を得る」事もします。驕る心は、高慢は神に退けられます。

へりくだる者には恵みをたもう神です。自己憐憫も自己卑下も高慢であることをクリスチャンは知るべき

でしょう。ダビデが「私が何者だから」と神の前にへりくだって感謝の祈りを捧げた事を思い起こして下さい。

あなたが今、心が落ちているのなら自己憐憫を持ってくる悪霊をイエスの名によって退けて、悔い改め

て下さい。無から有を生み出す全能の神様があなたを大いに祝福されるでしょう。恵みと祝福をいつも

あなたの上に満たしたいと願っておられる神様を見上げて感謝して下さいますように。お祈りしています。

「あなたがたは、ことさらに自己卑下をしようとしたり、御使い礼拝をしようとする者に、

ほうびをだまし取られてはなりません。~」コロサイ2:18。  


Posted by 金城米子 at 07:46Comments(0)

2016年12月14日

すべての事に感謝できるように・・・

給料の入る仕事をしていない私でも、人並みに支払わなければならないものがあります。

月の初めには、家賃と光熱費の支払いは最低限の支払うべきものです。毎月の支払が

終わった日から熱心に祈るのは、来月もちゃんと支払いが出来ますようにとの祈りです。

祈りは必須です。息子の紙おむつの支払いも家賃に相当します。行政からの援助では

間に合いませんから紙おむつが切れることは最悪な環境での生活になりますから、祈り

は必須です。祈りは神様との交わりです。そして神様を全面的に信頼するという事です。

ノンクリスチャンとの違いは、万事を神様にお委ねするという事ですが勿論、努力もします。

クリスチャンの祈りは棚から牡丹餅式ではありません。努力はしますが神様に聞く姿勢が

あるという事です。がむしゃらになっていたり、名声を期待したりしていないか、常に神様に

伺いを立てながら(黙想)全ての事を完成させていくのです。私の働きはカウンセリング伝道

です。問題のある人に解決の方法を気付かせるのが私のなすべきことなので、ただ、黙って

相手の話を聞くだけではありません。指示もしませんが例話をもって気づきを与えるのです。

どのようにすれば問題は解決するかは、知っていても、「こうした方がよい」とか「しなさい」と

は言いません。あくまでも本人に気づきが与えられるようになので忍耐が要ります。自分の

カラーを出さないで神様が見えるように寛容と忍耐を必要とするのがクリスチャンとしての恵

みのカウンセリングなのです。相談者が万事の事に感謝が出来るように祈りで道を作る事で

流れが悪かった水がスムーズに流れる感覚が与えられるのです。祈りは神様が働きます。

自分の知恵や力には限界があり、焦りも出ます、焦りは周りの人を不安にし、憤りさせます。

「怒りは神の義を全うしない」聖書。自分ではなくて神様の知恵を求める事です。私が感謝の

祈りに始まって感謝の祈りで床に入る事を欠かさないのも自分ではなくて神様を全面的に

優先させることを大切にしているからなのです。感謝できない事にも感謝なのです。失敗も困難も

後の為になるのです。「全て事に感謝しなさい」があなたの人生を豊かにすることを知って下さい。

「だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、

これらのものは全て与えられます。」マタイ6:33。  


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2016年12月06日

現状打破

「現状打破」この言葉を小学校の頃の先生に言われていました。安谷屋長栄?小学校4年生の担任の先生でした。

私が学校でいじめを受けていた事、忙しい家庭での家事を任されていて、勉強や宿題が出来ずに劣等生だった事、

標準語が話せない事、状況判断が出来ない事でいつも浮いている存在でした。友達も作れませんでした。

その私に気づいていた先生は、学校が終わったのちに私を呼び止めて家での様子を聞いたり、標準語が出来ずに、

自分の意志を伝えることが出来ない事に心を痛めていて、毎日の出来事を出来る限り文字にするように教えました。

「伝えたいこと、わかってほしい事も周りの人にやめてほしい事もどんなことも隠さずに正直に書きなさい。」と話して、

毎日それを点検して、ここはね、こういう風に書くと解りやすいいからね。と言葉を教えてくれていました。ある日の授業

の後に、先生が私を名指ししてクラスのみんなに向って云いました。「Tさんは、牧から火を起こすことが上手なんだよ。

妹や弟の面倒もしっかり見れるし、親の言いつけをしっかり守って家の仕事をお母さんに代わってやれるんですよ。

みんなが嫌がるトイレの掃除もひとりでちゃんとしているのを知っていますか?掃除当番は5人で有る筈なのに一人に押

し付けられて、それでも照屋は何も言わないで先生に言いつけることもしないでみんなで一緒に頑張ったと言う顔している

んだよ。みんあ、もう、照屋をいじめるのはやめてほしい。これは先生からのお願いです。Tさんは、家の仕事が忙しくて、

宿題も勉強もする時間が出来ないのだから、そんなTさんは、田舎から出て来た事もあり、標準語が上手く話せない。国語

の文章も理解できないからテストも良くできなかったんだよね。でも、Tさんは頑張って、国語のテストを90点も取れるように

なったんだよ。みんなで褒めてあげませんか?」と話してくれました。クラスの中から拍手が起こりました。それ以来、いじめ

は、なくなり、クラスの子は私が戸惑わないためにゆっくりとやるべきことを教えてくれるようになりました。安谷屋先生は、

辛い時、泣きたくなったり、逃げたくなっても逃げられないことが大人になるにつれて、いろいろと起こって来るけどでもそれ

に負けてはいけない。そんな時は「現状打破」と何度も唱えなさい。そして、知恵を求めなさい。正しい知恵を求めなさい。

やけくそになって悪に走ってはいけないよ。」この励ましの言葉は、それからの人生に私に大きな力となりました。先生が

言ったもうひとつの言葉があります。「我慢」。だが心が壊れるような我慢はしないで良い。とも・・・。いま、このように生徒

としっかりと向き合って生徒の心を立ち上げることのできる先生がいるでしょうか?「心が壊れる我慢はしない」逃れの道も

ある事、そのことを見極める力も養う事が必要だと教えです。先生のおかげで私は、忍耐と我慢と現状打破が人生には、

必要だという事も教えられて、話をする前に自分の思いや出来事を文章にすることも必要だという事を教えられました。

感謝な事でした。「委ねる」ことをキリストは、大切だと教えます。一生懸命に努力をして後に、どうにもならないと思った時に、

神に委ねる。沖縄の「なんくるないさ~」もそういう事なのです。「棚からぼたもち」的思考ではありません。心が壊れるほどの

我慢は、忍耐でもない。自我の努力は「高慢」である事を聖書を学ぶ事で初めて、悟るのです。人の意志が引き寄せるものが

善なのか?悪なのか?深く理解できることです。結果主義ではないのが聖書の教えですから、人生を生きやすくするのが「聖書」

なのですね。心の軌道修正・人生の軌道修正を成功させるもの、キリストの手紙である聖書なのです。信仰のことを考えないで、

まず初めに聖書ってどんなことが書かれているのかを学んでみることも人生で一度くらいは、実践してみてはどうでしょうか?と言う

話でした(笑)聖書はあなたの人生を悪から善に変える力があります。一度、教会を訪問してください。お待ちしています。

糸満市阿波根602-1番地。ゆいまーる教会 電話 098-992-8881。

金城米子 携帯電話 090-9782-1946。無料カウンセラーです。  


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2016年12月03日

天国でのどんでん返し

クリスチャンは全員、天国へ行けます。地獄へ落ちることはありません。

しかし、「後の者が先になり、先の者が後になる。」ことがあります。

お金持ちのクリスチャンがいました。彼女のご主人は、投資関係の仕事を

していて経済的に非常に恵まれていました。そのご婦人のK子さんは、一人

でも外国旅行するのが趣味で時々、旅行をして教会へお土産を持参して親し

い教会員たちを喜ばせていました。S子さんは、その彼女の事を羨ましく思って、

ため息をついて私に言いました。「同じクリスチャンなのに彼女は、あんなにも

祝福されて周囲の人たちにも好かれているよね。私は貧乏だし、献金もままな

らないから、リーダーたちの目の端にも止まらないよね。米子さんも経済的には

援助する人がいないから大変でしょう?この教会の人は誰も私たちには、声を

かけないものね。」と話しました。献金は、信仰によってするのであって金額では

ないことを彼女に説明して、祝福されたいのなら、

「いつも、喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。全ての事について感謝しなさい。」と

テサロニケのみことばを言いました。そして、こんな話をしたのですね。

「天国でのどんでん返しって話があるのよ。ある金持ちが死んでから、天国で天使に

家を案内をされながら自分もこんな住宅が与えられるんだろうって思っていたんだよね。

高級住宅街をずーっと通り過ぎて、最後に着いたところで「ここがあなたの家です」と言わ

れたんだって、その金持ちの人は、驚いて「こんな家には住めません!」って絶叫したん

だって。天使が言ったのは、「お気の毒ですがあなたが天国銀行に送って下さった残高では、

建てることが出来たのはこの家だったんですよ。」

天国の標準とこの世との標準は違っているのです。だから、人のお金や地位、名誉は羨ましが

る必要はないという事ですよ。神様はなたの心の内を探られるのですからね。主にあって、

『いつも喜んでいなさい。主にあって絶えず祈りなさい。主にあって全ての事を感謝しなさい。』

をあなたが心に覚えている事が大切なのよ。地上の物は朽ちて行きます。私たちは朽ちることの

ない永遠を喜びましょうね。あなたが献金がままならないと心を痛める必要はありません。祈りを

変えるのです。多くの献金をささげることが出来るように、私を祝福してください。助けて下さいと

祈る事ですよ。祈りは必ず聞かれますからね。祈りましょうね。」と二人で祈る事が出来ました。感謝♡

「主よ。救われる者は少ないのですか」と言う人があった。イエスは人々に言われた。

「努力して狭い門から入りなさい。なぜなら、あなたがたに言いますが、入ろうとしても、

入れなくなる人が多いのですから。家の主人が立ち上がって、戸を閉めてしまってからでは、

外に立って、『ご主人様。開けてください』と言って、戸をいくら叩いても、もう、主人は、

『あなたがたがどこの者か、わたしは知らない』と答えるでしょう。」ルカ13:23-25。  


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2016年12月03日

「教会は善人の集まりの筈です。」

私は、時々、クリスチャンに質問します。「あなたがたの教会はどのような人が来られますか?そこに子供たちはいますか?」

説教をさせたらとてもりっぱな説教をするクリスチャンがいます。私がまだ、クリスチャンの幼稚園生だったころの話です。

そのクリスチャンは、立派な肩書を持っていまして、私たちにそれとなく肩書を誇っていました。整然とした小さな30人が

ようやく入る教会でしたが信徒は、10人くらいでした。学校も近いので子供伝道も色々と工夫して実践していると話されていました。

その日は教会のイベントがあったのです。そんな時に、小学校3年生の子どもたちが3人と幼子一人が入って来ました。

まだ、時間が早いので少し待っているようにと指示して、教会内での遊ぶことを許可したのです。そこで幼子が「おしっこ」と言って

3年生の女の子に助けを求めたのですが遊びに夢中になって聞き入れません。その時に、私が幼子を抱っこしてトイレに連れて

行こうとしたときに年配の教会員が「歩けるんだから、甘やかしたらダメです。」と言い、私から子供を取り上げて「トイレはあっち

から自分で行きなさい」と命じました。幼子は戸惑ってトイレに向いましたがおしっこを抜かしてしまいました。泣き出しておびえて

いる幼子に私は、「心配しないで、大丈夫だよ。今から、お着替えをしようね。」と言って近くのお店を聞きました。百円ショップに

行けばパンツはあるのですからと私は思っていましたから。しかし、年配の教会員は、上のお姉ちゃんに「家が近いんでしょう?

まだ時間があるから家に連れて行って着替えて来てから来なさい。」と言って帰してしまいました。私は心が痛くて言いました。

「子供を車に乗せてパンツを買いに行こうと思っていたのですけどね。帰してしまって残念ですね。」と言いました。その子供たち

は二度と戻って来る事はありませんでした。子どもが安心して喜んで来れる教会でなければ、子供を我が子同然に愛する事が

出来なければ、子供は教会には来ないのです。偽物のイエス・キリストがいる場所には、子供たちは来ないのです。教会で子供

の教育に熱心になるのは必要な事かも知れませんがイエス・キリストの愛を感じるようでなければいけません。と言っているのです。

あなたの教会は幼子がいますか?人が寄ってきますか。一度足を入れたら、戻ってきますか?キリストの香りを放っているのかを

一番の目安は教会に幼子や親たちがとどまるのかです。クリスチャンは自分自身の周りに子供が集まりやすいタイプなのかを考え

て見るのも良いのではと思います。子どもを持つ親は、クリスチャンが我が子をどのように持てなしてくれのかを思いますからね。


「祭司長、律法学者たちは、イエスのなさった驚くべきいろいろの事を見、また宮の中で子供たちが『ダビデの子にホサナ』と言って

叫んでいるのを見て腹を立てた。そしてイエスに言った。「あなたは、子供たちが何と言っているのか、お聞きですか。」イエスは言わ

れた。『聞いています。あなたは幼子と乳飲み子たちの口に賛美を用意された。』とあるのを、あなたがたは読まなかったのですか。」

マタイ21:15-16。  


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2016年12月03日

思考をプラスへ導くもの

過去の出来事が原因で全ての事に自信を無くしてしまっている50歳のH子さんでした。

長い間、先祖崇拝のしがらみに縛られていました。H子さんは、30代の頃に結婚を決めた

男性と破局に至り、それ以来男性不信に陥り、男性とのお付き合いを避けていました。

両親は、H子さんが一人で生涯を送る事に不安を思っていました。親亡き後、娘のH子さん

の将来をとても心配していました。母親は、そのこともあってユタ通いを始めたと話していま

した。でも、根本的な問題は解決されません。老いて行く自分たち残される一人娘の将来を

案じています。そんな時に、私を紹介されたと訪ねて来ました。まずは、H子さんの思い込み

をマイナスからプラスに変えなければなりません。H子さんは、マイナス的重症患者でした。

女性としての魅力がない。それは、自分の容姿が母親に似たからと言いました。その事に対

して私は「でも、お母さんは、ちゃんと素敵なお父さんと結婚できたじゃあないの?それは、

女性としての魅力があったからなのよ。決してお父さんが同情結婚したのじゃあないと思うよ」

と話して、H子さんの父親に若かりし頃のお母さんの事を話してもらいました。少し照れてはい

ましたが馴れ染めを話してくれました。H子さんは、初めて聞く両親のプロポーズの話に意外

な顔をしました。が、H子さんは、男性が信じられないと言いました。私は、馬は乗ってみなけれ

ば解らない。人もお付き合いしてみなければ解らない。顔や姿が違うように人の性格も千差万別

であることで座を和ませてから、まずは、ただの男友達と思ってお付き合いを始めたらよい。と話して、

「以前の彼との破局の原因が何だったのか、解りますか?」と質問に彼女は、自分が親切の押し売り

をしたからかもしれないと答えたので、「じゃあ、これからは押し売りを止めましょうね。

そして、先祖への親切の押し売りも止めましょう!死んだ者には、何の力もないからね。私たちは

過去の人を神にするのではなくて平安と希望と将来を約束してくれる神様に自分をまかせてみま

しょう。今まで、先祖崇拝をして本当の喜びをあなたは味わいましたか?お水やお茶をささげたり、

祭儀主義に懸命だったけどあなたの人生を一新してくれましたか?」の問いにH子さんの答えは、

「NO」でした。「しなければならない。」という思い込みで行事をこなしていたことは、親切の押し

売りで静かに眠っていたいのに、あなたの押し売りが悪霊からの騙しであることに気付かないでい

るあなたを先祖は、どれほどに心配していたのかを知らなければならないのよ。逆にどれほど迷惑

をかけていたかをあなたは、反省しなければならないよね。先祖崇拝はあなたの思い込みであり、

親切の押し売りで有り、そのために安らかな眠りを妨げていたことをH子さんに理解をさせた時に、

H子さんの顔色がだんだんと明るくなって行きました。先祖崇拝を否定することを話すのではなくて、

ケースバイケースですから、H子さんには、やんわりともう、ここまで親切を尽くしたのだからそろそろ

自分の幸いを考えて見よう。と説得しました。そして、鏡を見て笑顔の練習をしたら良いかもね(笑)と

話しました。

鏡に映る自分が老いを感じると言ったH子さんに、「そうではなくて、鏡に映る自分を恐れるのではなくて、

未来を恐れない自分を見るのですよ。嘆く自分じゃあなくて幸せな自分を映してみるのですよ」と・・・

H子さんはマイナス思考からプラス思考に変えられて明るくなり、鏡を見るのが嬉しいと話しました。

小じわもシミもしっかりと生きて来た自分自身の歴史であり、勲章なんだと話したことをH子さんは、

受け入れたからでした。それから、H子さんが同級生のSさんと結婚するとの案内が来たことは嬉しく思い

ました。キリストの聖書から学ぶのは、平安と希望と将来です。そのことをいかに人々に伝えて行くかが

クリスチャンカウンセリングなのです。キリストは今日も鏡の向こうから「未来を恐れないでわたしが共に、

あるから」と御声をかけてくださいますよ。

「強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。あなたの神、主が、あなたの行く所どこへでも、

あなたとともにあるからである。」ヨシュア1:9。  


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2016年12月02日

「わたしはあなたを永遠の愛を持って愛する」

「永遠の愛を持ってあなたを愛します」と言われたら嬉しいですよね。興奮して舞い上がってしまう人もいるかもしれませんね。

私を親子無理心中事件から救ってくれた方が「わたしは永遠の愛を持ってあなたを愛しする。」と揺るがない愛を告白してくれ

たのです。私が舞い上がらないわけはないですよね。私は50代の半ばでしたから、ある意味女としての境はと通りすぎていま

した。熟女過ぎて地に落ちていたのです(笑)心中の前に祈った言葉が我が身ではなくて、道ずれにする息子の霊を真理の神

に委ねる祈りでした。「わたしはあなたの切なる祈りの声を聞いた。」と初めに声をかけた後に「わたしの助けが必要か?」と聞き、

「逃れの道は備えている」とこれからの後の生活を心配することはないとお声をかけてくださったのです。「平安」を与え、「希望を」

を与え「将来」を約束し、永遠の愛を告白して下さったお方が主イエス・キリストでした。生まれて初めての素晴らしい愛の告白の

プロポーズでした。私がずーっと舞がりっぱなしなのは理解できるでしょう。主イエス・キリストはおひとり様です。正確には父なる

神・子鳴るキリスト・聖霊の三位一体ですが主イエスはおひとりです。世界には多くのクリスチャンがいるのに、そのおひとり様の

イエスが何故、あなただけを「永遠の愛」で愛するとプロポーズなの?意味が解らない」と言った友人がいました。「何故、共にいる」

と言えるの?それが内住する聖霊なのです。主イエスは、聖霊を一人ひとりに内住させて下さり、天使や御使いを傍につけてくれて

います。すべてがキリストの御霊によっての采配ですから私たちは、46時中、主イエスと共にいてキリストワールドの住人でもある事

なのです。揺るがない平安をを与え、希望と将来を約束なさる主イエス様は、全てを与えて私たちを愛して下さっています。悩みの中

にあるのなら戸惑いの中にあるのならどうぞイエス・キリストを受け入れて祝福されてください。

「わたしの目にはあなたは、高価で尊い。あたしはあなたを愛している」イザヤ43:4。  


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2016年12月02日

ことばは神となって人と人の間に住まわれた。

最近は、ラジオからある新興宗教の教えが聞こえて来ます。「言葉と共に生きる」と

いう事に乗せて、さりげなく聞く人の心になるほど感を植え付ける賢い伝導の方法です。

新興宗教は伝導方法を駆使します。キリスト教は、伝道を大切に考えますが人の言葉

ではなくては全て聖書にある教えの通リに伝道します。伝導ではなく、伝道なのです。

聖書に示されている正しい神感と神と人々の歴史を通して正しい道を伝える働きです。

伝道と伝導の意味も違います。新興宗教は導くを使いますが人が導くとは、人の知恵に

よるものですから時代や世の中の人々の感情によっても微妙に教理が違ってきます。

キリストの教理は、どんな時代の変動があっても世の人々の感情にあっても変動はあり

ません。なぜなら、神なるキリストは昨日も今日も永遠に変わらない愛を持って人々を

愛し続けているからです。聖書には、「はじめにことばがあった。」「ことばは神であった。」

「この方は、初めに神とともにおられた。」「全てのものは、この方によって造られた。」

新約聖書のヨハネの福音書の冒頭の言葉です。ヨハネ1章14節には「ことばは人となって、

私たちの間に住まわれた。」とあります。旧約聖書から新約聖書のヨハネの福音書のこの

箇所を読んだときに私は、全知全能の神であり、宇宙を創造した神である創造主には、ひとり子

が初めから一緒に存在していたことが理解できたのです。その御名は「イエス・キリスト」です。

この地上の全てを任されて世を救うために降誕されたイエス・キリストをこの世の人は受け入れる

ことが出来なかったのです。「ことばは神であった」事を私たちはいまでも受け入れていない現状が

あるのですね。新興宗教も新々興宗教もことばは神となってなって私たちの間に住まわれた事を

理解しておりません。クリスチャン以外は「ことばとともに生きる」事はしておりません。

「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父の元から来られた

ひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。」ヨハネ1:14.

  


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2016年12月01日

生きることは試練を乗り越える事

「生きる意味が解らない」と言ってきたのは、17歳の男子高校生Bさんでした。

彼は懸命に頑張って高校入試を合格したのに学校へ行っても楽しくもなく、

何のために学歴が必要なのかが解らないと言っていました。

とりあえずはこの日本は学齢社会ではある事を説明しましたがBさんはそんな

事は知っているよと言う顔をしていました。しばらくの間、沈黙をして後に、

私が話した事は、人生で大切な事は競争して勝つことではない事、本当に

大切な事は、問題が持ち上がった時に、ちゃんと乗り越えて生きることを楽しむ

ことだと話しました。勉強も知識を得る事も大切、学びも大切だと話しました。

何故、それらが大切かという事は自分の名誉や利益のためではなくて、他者を

助けるために必要である事、知っている事は知らないよりも有利になる事やそれが

人の助けになる事を話しました。生きているのか?何のために生きているのか分から

ない人生よりは、自分の力が少しなりとも誰かの助けになれば嬉しいのではないのか

をBさんに話しました。「生きることは一つひとつの試練を乗り越えることですよ。」と

話しました。

成せばなる力があっても努力をしなければ神様との約束を破る事になるのです。

それは魂が希望を失い、霊が苦しむことになるのです。私たちは目に見える肉体と、

霊魂で生きているのです。全ての人間は全能の神の作品です。神に反する悪魔や

悪霊は、神様の約束を人間が実践できないようにすることで怠惰の霊で静かに迫って

来るのです。

人間を潰す事が目的ですから絶えず人のすきをうかがって怠慢な心を狙っています。

普段の生活では、掃除や整理整頓が苦手になる事から始まり、朝の起きることが苦手

になったり、社会生活が億劫になったり、とそれらの悪霊の誘惑が入ります。

生きる事への疑問を持つようにして自己憐憫・自己卑下・疑心暗鬼・優越感や劣等感で

責め立てます。それらは言葉は違いますが実は全て同じ意味なのですよ。心の根にある

「高慢の霊」なのです。

Bさんに質問しました。「クラスの人が自分を理解してくれていない?」「クラスの人が幼稚に見える。」

「クラスの人の中に入れない」「疎外されている感」等などに心当たりはないのかを「自分の心に手を当てて

じっくり考えて見てくださいね。」・・・

次の週に又、会う約束をしました。次の週にBさんは、明るく笑って話しました。「先生の話がみんな内当いしたよ。

先生も他の先生と同じように僕の事を慰めたり励ましたり、あんたは悪くはないよ。とか言うのかと思ったけれど、

違った。厳しい事を言ったけれど全部本当の事だった。だから、自分の考えを変えたよ。だから大丈夫です。」と。

Bさんは、今はちゃんと学校へ行くことで自分の存在価値を確立したようです。「学びは熱心で有りなさい!」が

神様のあなたへの啓示なんですよ。の言葉が聞いたようでした(笑)
  


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