てぃーだブログ › スピリチュアル › 2014年12月

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Posted by TI-DA at

2014年12月24日

歴史上最初の殺人者カイン

カインとアベルは兄弟でした。
カインは歴史上の最初の殺人者でありすべての
殺人者の原型であったと言われています。
弟のアベルはすべての犠牲者の原型でした。

創世記4章8節
「しかし、カインは弟アベルに話しかけた。『野に行こうではないか。』
そして、ふたりが野にいた時、カインはアベルに襲いかかり、彼を殺した」

カインが弟アベルを殺したのは妬みからであります。妬みは恐ろしいのです

「カインとアベルが神にささげ物をささげましたが神はアベルとそのささげ物に、
目を留められた。カインのささげ物とカインには目を留められなかった。
その事がカインの怒りになった訳です。

神はカインに言います「なぜ、あなたは憤っているのか。なぜ顔を伏せているのか。
あなたが正しく行ったのであれば、受け入れられる。ただし、あなたが正しく行って
いないのなら、罪は戸口で待ち伏せして、あなたを恋い慕っている。
だが、あなたはそれを治めるべきである。」と神は仰っています。
しかし、カインは弟アベルを野に誘って殺したのです。

神は「その憤りを治めるべきだ」と警告しました。私も時折、怒りが込み上げるときが
ありますが聖霊はすぐに警告します。「まず、その憤りを治めなさい」と・・・

「あなたが正しく行っていれば・・・」このことは大切な箇所です。
人に妬みや怒りを起こさせるような言動は出来る限り慎む事です。

聖書は教えます。「神は高慢な者を退け、へりくだった者に恵みを給う」と・・・
弱さの中に働く神の力をクリスチャンは知っていますので自分を誇る事はしません。
「おかげさまで」と言う心で「人は自分よりも偉い」と他者を認めて生きることを常とします。

人前で恥をかかされたと憤りが込み上げた時にまず、憤りを静める事です。
そして、自分が正しく行っていたかを吟味する事です。家族が一番難しいけれど家族がいる
事は自分の心を吟味することが出来るのですからそれもまた、神様からの祝福です。

と言ってもなかなか難しいですね。人はどんな些細な事にさえにも妬み心があるのですから、
普段からの隣人への接し方の罪重ねが問われる箇所であると私は肝に銘じています。

自力では行えない善も神の背後の力によって出来ます。自然体でできるようになるから不思議です。
キリストは自分で努力をする必要もなく、善行も献金も関係なく無償の愛をもってあなたに臨みます。

どうか、赦せてない人がいるお方や孤立感を感じているお方がおられるなら教会を訪問してください。
神さまも教会の方もあなたの人生に善を成すために花も実もある喜びを味わうことが出来るようにと
導きますので十字架の立てられているお近くの教会を訪問してください。

金城米子の携帯電話です。 090-9782-1946  


Posted by 金城米子 at 09:18Comments(0)

2014年12月22日

いまどきと言うなかれ・・・

孫たちとの優しい時間をいつも神様やお嫁さんに感謝している私ですけど、
夕方の時間になるとそそくさと「急いで帰らなきゃあ」といって帰りを急ぐ孫たちです。

「理由は洗濯物を取り込まなくちゃあ」「夕食のご飯を炊くのは私の仕事だから」
「皆のズックを洗ってないから叱られる。だから帰るね」

私が「それっていつもあんたたちがしていることなの?」と聞いたことがあります。
孫たちが言った事は「パパもママも仕事をしているんだから、家事の出来る事は、
自分たちも手伝わなきゃあね。家族って言うのは助け合って家族でしょ?」

小学校生の頃から孫たちにはそれぞれの家事のお手伝いの分担があるようです。

私たちの子供の頃はそれが当たり前でしたけれどいまどきの子供たちはどうでしょうか?

自慢ではないけれど孫か家に遊びに来た折に「ちょっと行って来るね」と出かけたのですが、
帰って来て「おじいちゃん。これ使って」と差し出したのが杖でした。腰を悪くして歩くのが
不自由になっているのを見て孫は急いで百均一コーナーまで行ってきたのでした。

日頃から家族や身近の者に対しての心配りを両親が心がけているのがとても伝わって
来ました。おじいちゃんはその杖をとても大切にして肌身離さず持ち歩いています。

「わしは幸せ者だよね。あの子たちがいる限り、わしは幸せ者だ」・・・
がお爺ちゃんの口癖です。私は負けずに言います。
「産んでくれたのはお嫁ちゃんだからね」と・・・最近のおじいとおばあの会話は孫にして貰った、
親切な事や優しい言葉、励まされた言葉をお互いに自慢し合っています(笑)

老夫婦は幼少のころからの逆境を忘れさせてくれるほどに心豊かな孫たちに癒されています。
それもこれもみな神様からのご褒美だと心から息子たち夫婦や孫たちに感謝しています。

老いて初めて知る人の幸いを見れば、他人の財や褒まれや名誉にも心動じません。
そんなものチリに等しいと知っているからです。家族の連帯感、子孫の繁栄を得て、
また、さらに偉大なことは永遠の命を約束された事ですね。

和解の神・平和の神・知恵の神・万事を益となさる主イエス・キリストゆえに約束された、
幸いです。シャロームな老いの日々を感謝しています。

  


Posted by 金城米子 at 09:18Comments(0)

2014年12月17日

聖書にある蜘蛛の話は沖縄にもあった。

沖縄には「蜘蛛は神の使いだから殺していけない」という神話伝説があります。

沖縄での伝説は「蜘蛛の巣の向こう側には黄金の権利を与える神が隠されている。
その神を誰も見た者はいない。悟った者もいない。その神を悟った者は大きな祝福
を得る。大金持ちになる。蜘蛛を殺してはいけないのはそういう事なんだよ」と私は
幼い頃から聞かされていた。「エーキクーバー」(大金持ちの蜘蛛の意味)

「ヨセフとマリアがエジプトに逃亡する途中で、日が暮れた。ひどく疲れので、近くの
洞窟で隠れて休む事にした。非常に寒い夜で地面には霜で真っ白になっていた。

小さな蜘蛛が赤ちゃんのイエスを見て、この寒い夜にイエスを温かくするのにはと
自分に出来る事をしたいと願った。蜘蛛にできるたった一つの事は洞窟の入り口に
巣をかけてカーテンを作る事だと考えて巣を張った。

やがて兵隊たちの追手がやって来た。2歳以下の子供たちを殺し、ヘロデ王の
血なまぐさい命令を遂行するためだった。彼らが洞窟に到着した時に、そこに
突入して、内部を探そうとした。その時に白い霜がかかっている蜘蛛の巣を見て

小隊長が言った。「見ろ。蜘蛛の巣がある。素は全く破られていないではないか。
洞窟の中には誰もいない筈である。誰かが入ったするならば、蜘蛛の巣が破ら
れている筈である」こうして兵士たちは通る過ぎて行ってイエスとヨセフ、マリアは

無事だったのである。今日までクリスマスツリーに銀の糸をかけるのは、キラキラ
光る糸が、エジプトへの逃避行の途中にあった洞窟の入り口にかけられた霜で
白くなった巣を現しているのであると言われている。

これは聖書箇所マタイ2章13~15の解き明しでもある。そして、イエスの教えの
「受け取ったささげものは忘れる事がない」と言う真理でもある。  


Posted by 金城米子 at 02:37Comments(0)

2014年12月17日

政教分離と言うけれど

「政教分離」と言う言葉はクリスチャンになってすぐに耳にした。
何か不思議な気がした。異次元の世界観だった。

心の声です。
「クリスチャンは現実を受け入れてはいけない部分があるんだ。」
「地上での生活は四次元で生きている事を信じなければいけないんだ」

何ともはや私はこの地上では天国人であり、生きているが実はこの世には、
存在していない事を考えなくてはならない。なんと難しい事なんだろう。

教会の専門用語もまた、異次元の世界であった。

「生活の中に聖書を取り入れる事が出来るように生きる事が信仰です」という。

私の中に戸惑いが来た。イエス・キリストと12弟子の関係は殉教するほどに、
イエス・キリストを愛し、そして12弟子はヨハネを除いては殉教したことだ・・・

私にとっては殉教は本意ではなかった。重い障碍の息子は私がいなければ、
地上での生活は魂が死んだ者になると思っていたからである。

まずは、正しい聖書理解をしたい。そうしなければ伝道できない。祈りと賛美に
そして、聖書デボーションを毎朝欠かさず、聖書注解書や信仰書を読み漁った
のはそのような動機からだった。すべては伝道をする事が動機であった。

マタイ13章44節「その石を持ち上げてみなさい。そうすればあなたはそこに、
わたしを見出すでしょう。木材を割ってみなさい。そうすれば、そこにわたしがいるでしょう」

何処にいても何をしていてもイエス・キリストは私と共におられるのである。という事を
聖書は語っているのであるから政治と宗教とは切り離して考えてはいけないのだと私
の中では問題が解決した。選挙を放棄する事も教会で政治の話を避ける事もそれは
間違っている現実逃避をせずに聖書的な施策をかかげている政党と人物を選ぶこと
は国民の義務だと政教分離のことは私の中で一件落着した。

偉大な聖人であり、神秘家であったブラザー・ローレンスの仕事の大部分は、修道院の
キッチンで汚れた皿に囲まれていることであり、ほとんどの時間をそこで過ごしていた。
それでも彼は「わたしが聖礼典を執行しているのと同様に、キッチンでイエス・キリスト
が私の身近におられるのを感じた」と言う事が出来た。アーメン!  


Posted by 金城米子 at 02:00Comments(0)

2014年12月14日

わたしが世に来たのは裁くためではない・・・

上司との不倫の子を妊娠したと言う30代の女性K子さん。

誰にも相談が出来ないのでどうしようかと悩んでいます。

「どうしたいのですか?」

「産みたいですけど。不安が一杯です」とK子さん。

K子さんとの不倫相手に会って出産費用と慰謝料を貰って来ました。

K子さんは男の子を無事に出産して数年後に連絡してきました。

「子供もやがて6歳になります。今は、誠実な男性とお付き合いしています。
子供を大事にしてくれて子供も彼になついてくれています。
子供にいつかは『お母さんの子供で良かった』と言われるような母親に
なりたいと思っています。いつも感謝でいっぱいです。
お身体を大切にしてくださいね。」

信仰を受け入れる、受け入れないは別として人が希望を見出して生きる事
のお手伝いが出来れば良いと私的には思います。

「あの時に助けてくれた人は実はクリスチャンだったよね」と思い出してくれたら、
それが証になると思っています。立ち直った相手といつまでも仲良しごっこをしない!
立ち直るのを見届けたらさっさと離れる事も良い事だと私は思っています。

離れてくれそうもない人には結構厳しい事を言って離れさせます(笑)
それも私なりの愛情だと思っていますけれどね。シャローム♬

  


Posted by 金城米子 at 09:49Comments(0)

2014年12月09日

天が支配する事を知るように・・・

私の実の父親が亡くなる数日前に起こった本当に会った事でした。
私はまだ、洗礼をけていない時でした。私は祈りの中でダニエル書
を示されました。

「この木を切り倒して滅ぼせ。ただし、その根株を地に残し、
これに鉄と青銅の鎖をかけて、野の若草の上に置き、
天の露に濡れさせて、七つの時がその上を過ぎるまで野の
獣と草を分け合うようにせよ」ダニエル4:23。

このみことばの解き明しは偶像崇拝者の高慢な王への
全能の父なる神からの警告でした。

この箇所を父親に示すようにと促されて私は父に伝えました。
父は私に「親不孝者。親が気が狂って草を食べるようになると言うのか!」
と怒鳴りました。

しかし、父は心に思う事があったようでした。
亡くなる三日前の木曜日の昼食の後に私の後を追いかけてきて言いました。
「わしはお前にさんざん悪い事をして来た。お前の不幸の原因はわしにある。
わしはお前には何もあげる事も手伝うことも出来なかった。
誤るから赦してくれるか。お前に頼みがある。わしを教会に連れて行ってくれ、
これまでの事を懺悔したい。このままで死んだらわしは地獄で魂を引き裂かれてしまう。」

私は言いました。
「何で私に言うのか。母ちゃんや妹たちに頼めばいいじゃあないの。父ちゃんの神様は、
ちゃんといるんでしょう?あそこにある神棚が神様なんでしょうが」

父の反論
「あれは神でもなんでない。悪魔ぐわある拝どうる。(神ではなくて悪魔信仰)だから明日、
教会に連れて行ってくれ」と頼んだのです。

翌日、私は実家まで父を迎えて教会に行くために実家に行きました。しかし、門の前で
父の姿を見て怒りが込み上げて来て「これまでさんざんな意地悪をして私を苦しめて来た
人が一度だけ『神様。ごめんなさい』と言って全てが赦される訳ないですよね。
神様そうですよね。絶対に赦せませんよね」・・・と自問自答して3回ほど実家の周辺を廻って
そのままやるせない気持ちで北部へ車を飛ばしました。

しばらくして何度も携帯電話に実家からと息子からの電話が入りましたが父が呼び出して
いるのだと解かりましたから無視していました。着信記録の多さに心が痛くなり息子へ電話
を入れて初めて父が危篤状態だと知りました。

何度も私の名前を呼んでいたそうでした。病院へ着くと同時にドクターが「米子さんですか?」
と聞かれて「ハイ」と返事をすると「何度もあなたの名前を呼んでいましたよ。声をかけてあげてください」
と言われて心が痛くなって「父ちゃん。米子だよ。ごめんね」と声をかけました。

父は私の手を握り締めて何かを確認する様子でした。私にはすぐに解かったので
「大丈夫だよ。神様が一緒だからね。神様は赦したと言っているからね。」と声をかけました。

臨終の際に「お父さんの手を握って下さい」と看護士の方に言われて手を握ろうとしたら父の方が
私の左腕を最後の力を振り絞って握りました。父の切ない気持ちが伝わって心が震えました。

後日、父の遺品の名から聖書の教理の本や証の本が出て来ました。赤線を引いていたので
父はあのみことばの中に自分の救いはないのかと思い、きっと真剣だったのだろうと思いました。

父が野原で馬になって草を食べている夢を見た事を母も何度か話していました。

偶像崇拝・悪魔と知らずに「ルシファー」と名乗る者を神と勘違いして崇拝して
数十年間もサタンに振り回されて罪を犯し続けてきた私たちの家族に全知全能
の父なる神は主イエス・キリストの十字架の血潮の贖いを給わって下さるご計画
が2000年前からなされていた事を思うとただただ主の愛に涙するばかりです。

このことから学ばされるのは、精神の病は先祖代々の偶像崇拝の罪が重なった故だと
悟れました。まず、悔い改めに始まってから神の御前に出る事の大切さを教えられました。

両親も姉妹もクリスチャンになり、福音を伝え聞いた叔母たちも本当の神はイエス・キリスト
だと告白しました。「ねえさんがいっていたからね」でした。母は亡くなる前に実の妹たちに
本当の神様は米子が信じている神様。羊を抱いている神様だよ。あの羊は私たちなんだよ」と
証していました。

今年もクリスマスの季節になりました。世の救い主であられる主イエス・キリストの御降誕を思いますと
一人でも多くの方々にイエス様の忍耐と愛とを伝えなければとの思いで一杯です。

「きょう。ダビデの街で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。
この方こそ主イエス・キリストです。」ルカ2:11。
  


Posted by 金城米子 at 07:59Comments(0)

2014年12月07日

意外と知らないでいる隠れた高慢

隠れた高慢って知っていますか?
因果応報説を強調している姉妹に質問したことです。

戸惑っていた彼女は「できる限り努力をしていますよ。
へりくだるように謙遜になるようにとね」

YONEKOトークです。
「私達は日常生活の中でよく使う言葉があります。
良い事が起こった時に、日ごろの行いがよいからね」
に近い事を言います。

「私がこんなことをしたから、家族に不幸が起こったんだ。
両親が病気になったのは私が両親に心配をかけたからだ」

そう思い悩んで自分を責めている事もあります。
確かにストレスは病気の基になるかも知れません。

しかし、「私が」という思いは実は、高慢なのです。
あなたが思い悩んだから、あなたが願ったから、
あなたが祈ったから、あなたがOOをしたから」

そうやって思い悩んだり、また、自分を誇ったりしては、
いけません。

この地上で起こる事は、すべて神様の許可がなければ、
起こりえない事なのです。万事は神様の御手の中の事です。

あなたには神様の力もなければ人をどうこうする事は出来
ないのです。自分に力があると思ってはいけません。

あなたがこの地上にいるのはあなたが
「喜びや悲しみを誰かと分かち合って生きるためです」

過去に70代で自殺を考えていた女性に母親から疎外されて
心痛めていた幼子の世話をして下さい。と頼んだことが
ありました。
「毎年、クリスマスケーキを約束しても良いです。手紙のやり取りでも良いです」
それからその方は「私にも仕事があるんだ。私を待っている人がいるんだ」と。

その方は、それからは一緒に毎年、私とクリスマスケーキを手渡す事に喜び、
を感じて、普段から恵まれていない子供はいないのか。と心配りをするように
なり「私にも出来る事があるんですね」と元気な心になっていました。

京都にお住いのNさんにお伝えします。今は、起き上がることが
出来ないかもしれないけれど、今、あなたが経験されている辛い事は、
あなたによって誰かが生きる喜びを見出すきっかけになる。という事です。

あなたは幸いの基としてこの地上に存在しているのです。闇に心を
寄せるのではなく、混とんとした地に「光あれ!」と力強く言葉を発し
た神様のみことばを心に置いて下さい。

私たちにいつも、神様は「光あれ!」と力強くみことばを発していますよ。
お祈りしていますね。シャローム\(^v^)/  


Posted by 金城米子 at 07:52Comments(1)