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Posted by TI-DA at

2018年08月30日

何をされたかではなくてどう対処したか?

私が聖書に惚れたのは聖書は本当に知恵の書物であり、人生に起こる全ての事に

対しての明確な答えがあるという事です。聖書に登場する人物や歴史を通して私た

ちの生き方を示されています。しかし、それよりも聖書は、祝福の基は「赦す」ことを

前提にしているという事です。長きにわたり私は「赦す」事と祝福を得る関係がどう

いう事なのか考え、祈り続けていました。学校で長年間、教鞭を取っておられたと

言う女性とのお話の中で突然ですが聖霊によってその答えが示されたのでした。

R子さん。70歳です。彼女は二人のお子さんがいましたが長男を27歳で事故で亡

くしていました。ご主人は、それ以来、家にいつかなくなり、どこで何をしているのか、

夫婦は会話もなく、別行動をしていてR子さんは、人生は侘しいものだと自分の殻に

閉じこもっていました。そのR子さんがユタからクリスチャンになった元ユタがいると

いう事を聞いて私に連絡をして来たのです。R子さんは、寂しい気持ちを埋めるため

にユタに通い続けていましたが心が晴れる事がなかったので何とか自分の心を変え

たいと思っていたそうです。R子さんは、真面目で心の優しい息子が何故、事故で死

ななければならなかったのか?自分が代わって死ねばよかったのにと話していました。

息子さんの事を延々と話されているときにふと私は気づかされたことがありましたので

尋ねました。「息子さんは、もしかしたら、教会に行っていた事はありませんでしたか?」と。

すると、遺品整理をしているときに、その中に聖書があったと言いました。遺品の中には

キリスト教関連の信仰書もあったけれど、それがどうかしたのか?と話されました。

向学心に燃えていた息子さんは、米留学をしていて、そこで友人に教会に案内されて

いたことが後で解りました。私は、そこでR子さんに息子さんの意志を継ぐことが救いで

ある事を話しました。息子さんは、お母さんが例え、一人になっても一人じゃあない事を

知ってしっかりと生きる事をお望みになっていますよと話しました。お母さんが再び天国

で息子さんとの再会が出来る事を話し続けました。幸いなことはR子さんが拒絶すること

なく私との時間を取って下さって聖書のお話を聞いて下さって事でした。「どこの誰の車に

ひかれて死んだのかとの事ばかりを悔やんでも問題は解決しないけれども、大切なのは、

息子さんが信じたキリストに希望を持つことですよ」と話し続けていました。「何をされたか

ではなくてどう対処したか?」キリストは私たちにそのように問い続けているのです。

この地上では本当に悔しい事、理不尽な事や不条理な事が起こります。しかし、それらも

全てキリストにあって「赦す」それが対処法なのです。自分に起こった事を「赦す」ことなの

です。R子さんは、息子が信じたキリストを知りたいと熱心でした。家には息子の仏壇があり

ご主人は仏壇に向って独り言を言うけれどR子さんを避けていました。それも忍耐するように、

と話し、それがご主人の癒しになっている事を受け入れるように話しました。R子さんは、CDの

賛美歌をかけるようにしていると、ある日、ご主人がこの歌は何だねとと聞いたので「主よ。

みまえに」という讃美歌である事を話したそうです。リピートでしばらく一緒に静かに聞いていた

ご主人が「00も聞いているのかね。」と言って涙を流されたそうでした。「00は心のきれいな子

だったから、神様を手伝いをするようにと先に読んだんだろうね」と仰ったそうでした。この時、

ご夫婦で抱き合って大泣きしたそうでした。今は、ご夫婦で聖書を輪読し、賛美歌を聞いて二人

の時間を大切にしているそうです。讃美歌に力があったのですね。私たちの神であられる

キリストは私たちの悲しみに寄り添うお方です。


賛美の家カウンセリングルーム 090-9782-1946 金城米子  


Posted by 金城米子 at 10:43Comments(0)

2018年08月22日

疑問を直接に主イエスに持っていく幸い

クリスチャンになったからと言って、万事が順風満帆に進む訳ではありません。

ヨブ記は、信仰の人でしたが神の許しの中で壮絶な試練を経験させられました。

息子と娘たちを失い、全財産を失い、病に罹り、妻にもみくだり半で捨てられました。

砂漠の真ん中で孤独でした。できものが体中を覆ってどんなにか辛かったでしょうね。

慰め手であるはずの友には、因果応報を語られて、ヨブは非常な苦しみを増すばかり

でした。しかし、そのヨブは、神を呪うことなく、神の前にへりくだり、神を認め祈り、

無情な慰め手の友人たちの為にとりなしの祈りをしました。その祈りが神に祝福されて

ヨブは失った財産が二倍になり、家族も与えられて幸福な人生を送ったとあります。

祝福の基は「友を赦したこと」とりなしの祈りでした。神はヨブが勝利することをご存知

でした。神はご自分の愛する子供たちを忘れる事はお出来にならないお方です。

新約聖書ではバプテスマのヨハネと言う信仰者が登場します。イエス・キリストの

いとこです。「おいでになる筈のお方は、あなたですか。それとも、私たちは別の方を

待つべきでしょうか」マタイ11:3。と有名な箇所です。バプテスマのヨハネは、旧約

の預言者エリヤの再来ともいわれる偉大な人物です。しかし、エリヤにも失意の時が

あったように(Ⅰ列王記19章)、ヨハネも失意と懐疑に苦しんだ日がありました。

ヘロデ王の迫害で投獄された時、獄中で聞くイエスの評判が、ヨハネの抱いている

メシヤのイメージと(マタイ4:12)合わない感じがして、あなたは間違いなくメシヤ

であるのか、との質問の使者を送りました。もし、間違っていたら、メシヤの先駆者、

予告者としてのヨハネの使命は失敗に終わった事になるからでした。しかし、その

疑問を率直にイエスご自身に持って行ったことが幸いでした。神や神よりの救い主

を自分のイメージに合うか否かで判断する者は、イエスにつまづくのです。主は人間の

期待や予想をはるかに超えたお方です。旧約の預言者たちは皆、主の一面を垣間見

たに過ぎなかったとあります。その点ではヨハネも同じです。しかし、幸いなことは、

主のお答を得て彼は立ち止まり、やがて来る殉教(14:1)をも、信仰者らしく迎える事

が出来たのです。私たちも問題や懐疑が起こった場合は、人ではなくて先ず、主の前

に祈り答えを待ちましょう。主は祈りを聞かれます。主の時を待ちましょう。

賛美の家BCR 090ー9782-1946 金城米子
  


Posted by 金城米子 at 16:30Comments(0)

2018年08月22日

聖書は何をどのように?教えているの

過去に旧約聖書を読んだ未信者がキリスト教は裁いたり、殺したりする神様だと言って

教会には行けないと言われた事がありました。そうではないと説明して憐れみと慈しみ

と慈愛の神である事を受け入れて貰いたいと必死に彼女に食い下がった事がありました。

N子さんは当時は50代でご主人は医療関係者でした。憐れみの神を理解して貰うのに

私は自分が持っている証しを話しました。母子心中から救って下さったイエスキリストを

語りました。第二回目は、ホセア書からホセアとゴメルの事を話しました。ホセアは清廉

潔白な人物で神に忠実な人だった事とゴメルはその妻で姦淫の女であったことをお話し

して、夫のホセアを何度も裏切ってしまうゴメルを赦して迎えるホセアの話から私は自分

の過去をゴメルに重ねて話をしました。私もゴメルのように何度も夫を裏切った過去が

あったからでした。夫はホセアのような清廉潔白ではなかったけれども、私は何度も夫

と離婚して復縁してを繰り返していました。元々私は虚弱体質だったので働けなくなると

夫の元へ帰るという暮らしをしていました。子供達を飢えさせる訳には、いかなかった

からでした。本気でやり直す気もないくせに自分を助けてくれる人を同情してくれる人を

他の男性に求めていて一時的な逃れの場所が元夫だったのでした。本当に罪な女です。

そのようないい加減な女でした。忍耐心がなく、夫に対しても愛情が持てない女でした。

そのような糞のような生き方しかできない私を神様は、天使を送って危険からも犯罪か

らも守って下さっていたことを私は、N子さんに話しました。最終的には夜の世界で十年

間、働いたけれども息子たちが成人した時には、お金の為に男性を騙したり、愛人にな

ったりするようなことはしない事がせめてもの私の正義でした。しかし、ユタと言う性質

上、私は、実家の家族と共に人生の困窮者たちから金銭を受け取って生計を立ててい

た事は、大罪です。真実ではなかったからです。もし、神が人の罪を裁く神であったな

ら私たち親子を神が海の底から引き揚げてくださる事はしなかったでしょう・・・と。

何度かの私の話を聞いてくれていたN子さんは、「米子さん。辛いお話をしてくれて、

本当にありがとうございます。女が一人子供を育てて行く事は並大抵の事じゃあない事

は良く解っていますよ。どろんこの中を這いつくばって、それでも死ぬわけには,いかな

かったでしょう?」と言ってくれました。彼女は自分の立場を正直に話してくれました。

彼女のご主人には、結婚前から愛人がいた事、子供たちが生まれた後からその事実

を知った事、何度も離婚を考えたけど一人では、子供たちを養う事も生活もできない事

で黙認するしかない事を話しました。息子が大学を卒業するまでは、忍耐するしかない、

それでも幸せな主婦を装って生きるしかない事を話されました。N子さんは、神様を信じ

たいと涙ながらに話しました。神様を信じて心が救われたいと話されました。主を受け

入れるお祈りをして、その後は、彼女の家で午前中、聖書の学びを続けていました。

今は、教会での礼拝をしているそうです。いつか、また、彼女との再会を神様がお赦しに

なって導いて下さることを祈っています。

賛美の家BCR 金城米子 090-9782-1946



  


Posted by 金城米子 at 15:48Comments(0)

2018年08月15日

死後の状態

「生きている者は、死ぬべきことを知っている。しかし死者は何事をも知らない。またもはや報いを受けることもない。その記憶に残る事がらさえ

も、ついに忘れ去られる。その愛も憎しみも、ねたみもすでに消え失せて、彼らは、もはや日の下に行われるすべての事に永久に関わる事がな

い。(伝道の書9:5、6)この聖句は生と死との状態を明瞭にのべています。すなわち生きている者は、感覚、意識、及び理解などを有しているが

死人は何事も知らず、この世の事柄とは永久にかかわりのない者となります。心霊術者や冷媒などが教えるように、死者との交わり、会話が出

来るという事はなく、また変わった状態にある生の連続でもなく、死は生の完全休止であります。この実例として雑誌に出ていた星丘某氏の「死

の世界」の体験談は興味深い記事でした。「私の呼吸が絶え、脈が切れた時から、再び脈と呼吸が帰るまでの6時間、その間の私の精神は、何

処にいたでしょうか?誰でも知りたい死後の世界の秘密なのです。けれど私はここに、この厳粛な問題に対し、少しの誇張もなく、貧しい体験をそ

のまま申し上げねばなりませ私の死の6時間それは美しい天国を軽やかな足取りで散歩したのでもなく、又、恐ろしい地獄の底で堪えがたい苦

役に服まったくしたわけでもありません。まったく「虚無」なんの記憶もなく、熟睡状態だったのですから・・・再び脈と呼吸を取り戻したのは、いつ

だったか,それも勿論わかりません。・・・私の死の世界について語る材料は、わずかにこれだけです」とありのままを正直にのべておられます。

私の母は30代の頃に喘息発作で呼吸も脈も止まった事がありました。私が母にその間はどこに行っていたのかを聞きました。母は、静かな

世界で何もなっかた、目が覚めたら病院のベットだったと言っていました。私は子供心にちょっとガッカリしました(笑)なんかすごい世界の事が

聞けるかと期待していましたからです。私の思いの中では、まだ、死後の世界へは行っていなくてそこから返されたのだろうと想像していたの

ですけどね。死んだことがないので正直、私には死後の世界の事は分かりません。こうあってほしいと言う希望はあります。本音を言えば虚無

の世界であるという事が正しいのかもしれません。神は愛と秩序の神ですからね。  


Posted by 金城米子 at 17:12Comments(0)

2018年08月15日

一番助けてほしい時に助けてくれなかった

私は3歳の頃から幽霊をよく見る子どもでした。部落内でもやがてそのことが評判に

なって、こっそりと色々と伺いに来る人がいました。それは、私が本土から来た兵隊

さんの幽霊が出て来て自分の家族が自分の戦死した場所を捜しに来るから教えて

ほしいとの事でした。私は母にそのことを告げたら、母はその場所を案内しなさいと

言って私の手をひいて山の中へ一緒に行きました。私には兵隊さんの霊が見えて声

もハッキリと聞こえましたので山道に迷う事もなく真っすぐに現場へたどり着くことが

出来ました。現場に着いた時、兵隊さんが言ったように穴の中に頭から突っ込んで死

んだ兵隊さんがいました。死に方までもみちみち話していた幽霊の兵隊さんでしたが

私はそれらの事があってから、人の家や人に起こる不幸ごとが分かるようになりました。

子供ですから見た事、聞いたことをすぐに母親や祖母に言っていました。やがて、母と

私は風呂敷包みだけを持って家出をして那覇に住んでいる実の父親の元で暮らす事

になりました。父の実家ですが父の弟や弟夫婦、妹も一緒で父方の祖父も一緒でした。

それまでは父がいない事でいじめや疎外感の中にいた私は、実の父親との暮らしにひ

そかに希望を抱いていました。しかし、それは直ぐに打ち砕かれました。父は、短気者

ですぐに大声で怒鳴り散らして、母と私を委縮させました。母を奴隷のように扱う父に子

供心にも時折、死ねばいいと思う気持ちが沸き起こりました。父カラの暴力や罵声から

守ってくれたのが祖父でした。大工をしている祖父が唯一の助けでしたので私は祖父

の仕事先に一緒について行っていました。でも、その祖父も交通事故で突然亡くなって

しましました。それからすぐに不思議な事が起こりました。父が私を殴るたびに父の手

が大きく腫れ上がって痛むのです。やがて、母も夫婦喧嘩の腹いせに私に手を出す事

になったのですがその後に母も手が腫れあがって痛むのでした。ある日の夕方、私は

父に殴られかもしれないと思って隣のお風呂屋さんのボイラーの中に入って寝ていま

した。そのお風呂屋さんは、数日間、休みでボイラーは、火がついていなかったのです。

牧の隙間に入って、いつの間にか寝てい私ですが突然起きなさいと言う死んだ祖父の

声で目が覚めたのですが、ぼんやりして体が直ぐには動きません。その時、気が付き

ました。お風呂のボイラーに火がつけられることにです。「おじさん。おじさん私がここに

いるよ。」でも、おじさんには声が届きません。あわやと言う瞬間でした。おじさんがボイ

ラーに火をつけようとした瞬間に目に見えない力と声に突き飛ばされたのです。それで、

異変を感じてぼいろーの中を覗いて私を見つけたのです。おじさんが言ったのは、死ん

だ祖父の声だった事と一瞬だが祖父の姿を見たと言ったのです。それから、私の両親は、

祖父が私を案じていつも、一緒にいることを話していました。それでも、父の私への暴力

は亡くなる事はありませんでした。私が中学二年生の夏でした。その日は家族が祖母の

家に出かけていて誰もいませんでした。私は実父に突然襲われてレイプされました。

その日の夜、近くの公園に行き、ガジマルの木に縄をかけて首をつって死のうとしたので

すが枝が折れて失敗しました。それまで、時折私を助けてくれていた祖父に向って叫び

ました。「おじい~。なんで、本当に助け欲しい時に助けてくれなかったの?私は一生、

おじいと父ちゃんの血を憎んでやる!」と。私が家出したり、家族から離れる事が出来な

かった理由は、母が病に伏したからでした。母に代わってカフェを見なければならない事

情が出来た事で何が何だかわからないままにいろんな問題が起こって来たので私は母に

代わり、幼い弟妹を守らなければならなくなったのです。中学二年生の私が大変な目に合

っていながらも家族の事に思いが溢れたのか分かりません。でも、人は守らなければなら

ない者があると強くなれ事を知りました。それと、なぜ、あのレイプ事件の時に祖父が助

けてくれなかったのか?所詮、人は自分のご都合主義でそれは、死んでも変わらないの

だと思い込んだことでした。私は心を隠して生きる事をその時に身に着けたような気がし

ます。人は生きているときにも死んでからも神仏になんかならない。何処までもご都合主

義なんだと思い知ったのです。長い文章になりましたがユタ、シャーマンとしての35年間

は、その時の経験が成せるわざでもあったように思わされます。今は、全てをキリストに

あって赦す事が出来ました。揺るがない平安が与えられたことを心から感謝しています。

キリストに出会うまで、悪霊の世界での経験をトコトンしました。多くの疑問もありましたが

霊についてもキリストを信じなければ真理は悟れない事を経験させてもらいました。

真理はキリストだけです。人の教えや思想でもなく、経験でもない事を思い知らされたこと、

そして、真の救いが何であるのかもキリストに出会って経験できている事を心から感謝しま

す。真理はキリスト、救いもキリストです。

賛美の家バイブルカウンセラー 金城米子 090-9782-1946  


Posted by 金城米子 at 06:16Comments(0)

2018年08月14日

伝道を止める権威は誰にもない!

数年前に通っていた教会でしたがその教会でアスペルガーの男性とのトラブルがあり

まして教会裁判となりました。まるで中世の魔女狩りを思わせる裁判でした。男性上位、

女性はただ、仕える者と言う考えでした。(ただし、経済力や社会的な地位のある信徒に

は、そうではありませんでした。)一種の女性軽視だと感じました。それは、恐らく私が

ユタだったという過去を見ているからだと話しの端々に気づかされました。

「天下の教会・天下の牧師」というのがその教会のカラーで実際にそう公言する信徒たち

がいました。私の考えでは、恐らくその教会のリーダーたちは聖書を深く読み解いていな

いかったのだろうと思いました。私は牧師から伝道する事を止められたのでした。私の喜

びや生きがいは主イエスキリストを世の人々に伝える事です。今もそれは変わりません。

使徒の働き(8:5-8節に、ピリポと言う人が聖書に出て来ます。ピリポはステパノと共に

選ばれた7人の中の一人です。執事とか役員とか呼ばれる職務に立てられたひとでしたが

それ以上に伝道者ピリポ(21:8)と呼ばれる人でした。その伝道熱心は娘たちにも受け継

がれていました。「ピリポはサマリヤの町に下って行き、人々にキリストを宣べ伝えた。群衆

はその話を聞き、その行っていたしるしを見て、こぞって彼の語る事に耳を傾けた」8章5~

6です。彼はサマリヤ人に対する偏見はなく、かつてスカルノの女にお語りなさった主と同じ

魂への愛を持って、キリストの福音を伝えました。しかも素晴らしい事は彼の宣教を通して、

主の力と愛が現された事です。それはピリポが来るまでその町を支配していた魔術師シモン

の影響力を一掃したほどに、めざましいものでした。その結果、「町に大きな喜びが起こった」

のです。これこそ真に福音と言うにふさわしい伝えられ方なのです。福音を伝えると言う光栄

ある務めを、使徒たちだけが独占したのではないのでした。そこのところに初代教会の強み

があったのではないでしょうか。伝道止められた時点で私はその教会を出ました。

賛美の家バイブルカウンセラー 金城米子 090-9782-1946

  


Posted by 金城米子 at 07:41Comments(0)

2018年08月14日

富裕族に伝道する事が助けとなる?

人それぞれに神様からの仰せつかった働きがありますが伝道についての考えは、

窮地にある人々や困窮している人々には伝わりやすいのですがそれだけでは困窮して

いる人々を助けることは出来ないと思います。最も大きな助け手となれる人を伝道する

事も大切です。この世の富を与えられている人々への神の思いは与えられた富で愛の

施しをしなさいという事ですから、そのためには、クリスチャンが富裕族への伝道を心が

ける事も大切かと思わされます。聖書にはルデヤという女性が登場します。

使徒16:14です。

「神を敬う、ルデヤという女が聞いていたが、主は彼女の心を開いて、パオロの語る事に

心を留めるようにされた」とあります。パウロのヨーロッパ伝道の最初の実としてその名を

後世に残したこの女性は、いくつかの点で注目に値します。第一に彼女は、富裕であるの

に神を敬う心の熱い人でした。「紫布」というのは高級商品で、経済的には何一つ不自由

がない家庭でした。私たちの思いの中には境遇的に追い詰められた時、または、究極な

場面の時に神に頼ると言う考えがあります。しかし、この箇所では境遇的に追い詰められ

たものだけが救いを得るという事ではない事を教えられています。彼女は熱心に福音を

聞いていたとあります。真剣に求める心を持って福音を聞く者は神の大いなる祝福を得る

のです。その機会を伝道する人はしっかりと見極める事です。「信じる者の家族の救い」と

言う点ではルデヤは良いお手本です。後日、看守へのパウロの断言は(31節)は、ルデヤ

の例が裏付けとなっています。福音に心を開いた彼女は、自分の家を福音の為に解放した

のでした。それも熱心な懇願を持って、後年の恵まれたピリピ教会の歴史はここに第一歩と

なったのです。アーメン!私は主に示されて貧しい人たちや病人へ福音を伝えていますが、

貧しい私が(現金が入って来るめどが全くない)何故にこのような働きが出来るかと言えば、

祈った時に富裕層の方に福音を告げる機会が与えられると言う奇跡が起こるからです。

「主は与え、また、取り去る」と聖書にありますが与える事は物質だけではなく、神の心を

富裕層の方々に与える役割もクリスチャンにはある事を覚えましょう。お祈りします。

賛美の家バイブルカウンセラー 金城米子 090-9782-1946  


Posted by 金城米子 at 06:51Comments(0)

2018年08月13日

霊魂不滅の思想が及ぼす影響

日本もそうですが沖縄は特に先祖崇拝が根強いのでクリスチャンにも生まれる前から

刷り込み教育が問題となっています。中部に住んでおられる50代の夫婦からの相談

を半年ほど受けていました。奥さんのD子さんは熱心なクリスチャンですが彼女のこだ

わりはご主人のKさんが長男なので仏壇を新築3年目の家に置かなければならないと

いう事で夫婦がもめているという事でした。決着がつかないとの事で離婚したいが離婚

に伴う慰謝料が財産分与でした。ご主人のKさんはかなりの資産家で月々の生活費は

不動産から入って来るので生活には不自由はありません。離婚して後の生活費のため

に奥さんのD子さんとの折り合いが付かない事での相談でした。それは、法律相談です

から私の所に来るのはいかがな者かなと思いましたが離婚の原因が仏壇となればやは

り私の方に話を持ってくる方が良いのだろうとの事でした。仏壇が気になってどうしようも

ないD子さんの話では、先祖霊が出て来て仏壇行事をしない事を責めると言うのでした。

D子さんは、それは悪霊のわざだとは知っているのですが先祖霊と悪霊が合体している

ので霊の強さが半端じゃないと言うのです。私はD子さんに、先祖霊は無いという事を説

明しますが幽霊が出てくるのが見えると言うのです。幽霊ではなくて悪霊の騙しですから

それに振り回されないようにと説明するのですがD子さんの思いは仏壇があるために悪

霊の出入り口になってクリスチャンではない先祖霊が悪霊の力を借りて合体して振り回さ

れて気が変になりそうだと言うのです。水かけ論でした。ご主人に仏壇を取り除くのを提案

しましが親戚がうるさいし、「仏壇を継承する事で財産を継承しているから」と言うのです。

D子さんは仏壇を片付けてくれたら離婚はしないと言うのですから、D子さんに霊魂不滅は

間違った思想であって人が死んだら体は朽ちて土になるけど、霊魂は消去されるんですよ。

天には記録だけが残るのですよ。D子さんがそれを信じない限り生きている限り悪霊の餌

食にされるのですよ。そして、霊魂不滅の思想はあなた方の子供にも受け継がれて不幸の

種、呪いになるのですよ。幽霊もいないし、先祖霊もないです。それらは全て悪霊の罠です。

眠った霊が起こされると言うのは、記録から霊の再現がなされるという事ですよ。無から有

を生み出す神様ですからね。記録だけでなんですからね。この事を半年間かけて、聖書を

通してやっとD子さんも納得して離婚が避けられました。仏壇も家から近い場所に土地があ

ったのでそこへアサギと言って小さな家を作り、仏壇を移させました。親戚も納得してくれた

ので一件落着でした。もし、私がサンライズSDAの学びで霊の事について学ぶ事をしていな

かったらこのご夫婦を離婚しないで済むようには出来なかったでしょう。聖書を深く学ぶ事は

どれほどクリスチャンにとって重要かが教えられて一件でした。刷り込み教育の怖さも思い知

らされました。聖書のラザロと金持ちの物語の箇所も多くのクリスチャンが勘違いしています。

D子さんも何度もその箇所を引き合いに出していました。あの箇所は地獄があって淵があって

の事ではなくて、生きているうちにキリストを信じる事がいかに重要かを語っているのですよと

言い聞かせていました。地獄で苦しんでいる先祖霊が助けを求めて子孫の元へ出て来ることな

んかは絶対にありえないのです。聖書をどのように学ぶのかをそれぞれが考える時に突入し

ているのではないでしょうかね。

聖書の学びもカウンセリングも無料です。ぜひ、遊び心でも良いですから訪問して下さい。

賛美の家BCR 金城米子 090-9782-1946

西原町字幸地1012-101   


Posted by 金城米子 at 20:34Comments(0)

2018年08月07日

貧しい者たちへのキリスト者の行動

ヨブ記29章16節から

「貧しい者の父となり、知らない人の訴えを調べてやった」主の貧しい人たちがなおざり

にされるとき。主の貧しい者たちがなおざりにされ、忘れ去られ、冷たい視線にさらされ、

ひどい言葉を浴びせられるとき、その罪にあずかる者はこの事が神の聖徒たちの中に

いますキリストご自身を無視しているのに等しいことを心に留めるべきである。我々の

救い主は、苦しむ人間に関心を寄せられるお方である。自分たちの小さき群れの悩む

者を憐れみと優しさを持って思いやる両親のように、我々の慰め主は地上のいと貧しい

下層の子供に同情を寄せられる。神は彼らを我々の間に置かれて、苦しみ圧迫されて

いる者たちへの我々の愛と同情を呼び覚まされる。また神は、、彼らに悪をなしたり、

無視したり虐待するいかなる者の上にも神の裁きが下るままになさる。

                    エレンGホワイト

再臨に備えてクリスチャンの品性がキリストに似た者になるようにと祈り心で一杯です。

世界にもまた、私たち周辺にも食事をとる事の出来ない貧しい者たちがいることを覚えてください。

悩みに打ちひしがれている者たちにも周囲に入る筈です。目を開いてその小さい者たちに、神の愛

を届けてください。これが今、クリスチャンに求められている事です。

賛美の家BCR 090-9782-1946 金城米子  


Posted by 金城米子 at 20:04Comments(0)

2018年08月07日

クリスチャンを伝道しなさい。

「クリスチャンを伝道しなさい」と聖霊に示されました。何を言っているのかが、

理解出来ませんでした。そこで「御言葉を下さい」と祈りました。

へブル書5章11~6章8節を示されました。

へブル5:11「この事については、言いたいことが沢山あるが、あなたがたの

耳が鈍くなっているので、それを解き明かすことは難しい。」

5:12「あなたがたには久しい以前からすでに教師となっているはずなのに、

もう一度神の言の初歩を、人から手ほどきしてもらわなねばならない始末であ

る。あなたがたは堅い食物ではなく、乳を必要としている。」

聖書を学び、礼拝や祈祷会もちゃんと守り、教会の奉仕も難なくこなしているから

自分はちゃんとしたクリスチャン生活を全うしていると思い込んでいるクリスチャン

が多いのではないかと思わされます。しかし、それでも聖書の真理を聖霊によって

受けているのかと言えばNOが多いように思えます。ほとんどは牧師や教師のリー

ダーたちからの主観が入った教えだと思います。私が何を言いたいのかというのは、

今は聖書の黙示録に時代が突入しているので聖書の啓示を学び、再臨に備える

時期だという事です。再臨に備える学びをしなければ多くのクリスチャンが地上に

取り残されると言う懸念があるからです。教会がカルチャーセンターになってカルチ

ャークリスチャンの状態になっているような感じがしています。中には本当に真剣に

主を求めて主のみわざに励んでおられる方々もおられることは認めています。

どれだけのクリスチャンが主の再臨に備えを必要と感じているのでしょうか?疑問です。

未信者伝道を頑張ってきましたがこれからはクリスチャン達が主の再臨についての備え

をどのようにすれば良いのかを行動する時に来ていると思います。世界の状況を見れば

理解できると思います。戦争難民が増え、多くの子供達が飢餓で死んでいます。

しかし、なかなかそこへは助けの手が届かないのが現状です。知っていても「愛」の行動が

起こせない人々が多いのです。天変地変は世界的に広がっています。罪赦された罪人の

クリスチャンが「平和だ。平和だ。アーメン。ハレルヤ」という状況はではないのでしょか?

私には上手く話せませんのでサンライズミニストリーを検索して見ることをお勧めします。

賛美の家BCR 090-9782-1946 金城米子

  


Posted by 金城米子 at 19:39Comments(0)