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2017年10月16日

喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい。

主イエスは「喜ぶ者と喜び、泣く者と泣きなさい」と仰っています。よろぶものと先に

言っておられるのは、私たちは、他人の上に起こる祝福を素直に喜べない心があ

るからだと思わされます。例えば、自分の子供と隣の家の子供が同じように受験し

て自分の子が落ちて隣の子が合格した時に素直に本当に喜べるでしょうか?

不妊症の女性が親友の女性に次々と子供が生まれた時に出産を喜べるでしょうか?

私は親友だったのに親友が幸せな結婚生活をいつも自慢げに話しているのを聞く度

に心が痛くなってその親友から遠ざかってしまった経験があります。私の結婚生活は

悲惨だったからです。妻思いの夫とお利口の娘さんたちとの何不自由のない暮らしを

している彼女が羨ましくて眩しかったからです。顔で笑って心で妬んでいました。(笑)

「泣くものと共に泣きなさい」は、私たちは人様の悲しい話を聞いてもすぐに理解します。

ニュースなどで他者の災害や不幸を見聞してもすぐに同情出来ます。しかし、その事に

対してすぐに援助の行動にうつすことが出来るはそう多くの人はいませんし継続も出来

ないのです。「可哀想」という事は出来ますが継続しての支援は出来ません。

私たちの心に常に寄り添って必要を満たして下さることのできるお方がいます。そのお方

のお名前がイエス・キリスト唯一お一人です。目には見えませんが主イエスは、御言葉で

私たちを祝福して下さり、嘆きの時は、必要な人を傍に寄り添って下さり、励まして下さいます。

みことばで心を励まして立ち直らせて歩ませてくださいます。主は生きて働かれる神です。

イエス・キリストは私たち信じる者たちの為にお祈りしておられる事があります。私たちが

キリストの実をつけるようにとお望みでおられます。それが「愛・喜び・平安・寛容・親切・

善意・誠実・柔和・自制」と言う実をつけるようにとのことです。その実がキリストの神格です。

キリストに似た者となれるようにと私たちが臨んだときにそこには、疑心暗鬼もなく、妬みも

ありません。忍耐が与えられて親切にする事にも飽きません。他者の幸福を心から喜び、

自分の不幸や災いが起きてもキリストを見上げ感謝する心が与えられるのです。

「わたしが与える平安は世の誰がも与えることが出来ない平安です。」と主イエスは平安を

あたえます、。苦悩の時には「私の名を呼べ」とあなたがたにも御声をかけておられますよ。

賛美の家  金城 米子 098-9782-1946




Posted by 金城米子 at 09:30│Comments(0)
 
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