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2011年04月26日

夢をかなえて下さる神

夢がなければ人は生きて行けません。どんな逆境の中にあっても夢がその人を生かせてくれると私は思っています。私は音楽やリズムに合わせて体を動かすことが好きでした。子供の頃の夢はバレエリナーでした。

私の家は子供の夢になど全く関心の無い家だったのでバレエのレッスン料どころか内緒に通うのに必死でした。学校の帰りにはバレエ研究所に行き窓の外からみんなのレッスンを覗き見していました。

その私の真剣さにバレエの先生が教室に入れてくれました。そして、皆と一緒に基本的なレッスンをしてくれました。そのうちにその事が母に知れて母がバレエ研究所に訪ねてきました。私のレッスンの様子を見て母は「hanna7があんなに喜んでいるのを見たことはなかった」と驚いていました。私は笑わない子だったからです。その日を境に母がレッスン料を工面してくれました。

百万人の味方を得たようで嬉しかったです。親が味方になってくれることって子供にとっては神様を味方にしたような力強さを覚えます。ですから私は喜んで明日を生きる事に希望がありました。雨の日も風の日も台風の日にも私はレッスンを休みませんでした。

その間に悲惨な現実が私を襲い登校拒否をする事になりましたがバエレのレッスンは休みませんでした。ある日、本土の法からバレエの偉い先生が着ました。沖縄の生徒のレッスンを見てもらいながら意見を聞いていた私達の先生が私を紹介して踊ってご覧と言われて踊りました。その後に先生が私の家を訪問して私を東京のバレエのクラスに移して欲しいと相談しました。
母は内心では喜んでいたそうですが私がいなくなったら家の仕事や幼い弟妹達の世話人がいなくては困ると考えたそうでした

それで母もすまないと思いながら反対をしたと後になって話していました。結局は父の逆鱗に触れて私は夢を諦めました。私のたくましさは次の夢を探すことです。良いのか悪いのか判断しかねるのですが日舞の教室を見つけて日舞教室へ日参して窓からのぞいていました。その時に荒城の月と後二曲ほどを覚えました。それから数年が立って妹達が琉球舞踊を習いました。送迎は私が担当になりました。

やがて私が琉舞を習う事になりました。一年ほどでやめる事になりましたが楽しかったです。一生踊りで自分の心を表現したいと思うのが私の夢でした。でも、状況に負けて夢は遠くに置いてしまいました。二つ目の夢はウエンlディングを着けたかった事でした。60代になってからはさすがの私もその夢はかなえなられないし馬鹿げていると思っていました。

ところが教会の姉妹からの連絡で2500円で着付け写真、ヘアもメイクすべてが出来るとの事を知ってだまされたつもりで参加しました。ダイエットは成功しませんでしたがそれなりに花嫁になりました。隣にはイエス様がいました。主の花嫁です(笑い)(等身大のイエス様の写真が必要だなあ・・・)私の心の声でした。

三つ目の夢は100歳現役で100歳まで真っ赤なドレスが似合うおばあちゃんになりたい事です。真っ赤なドレスはイエス様の血潮で贖われた私が聖められ癒され続ける人生をイメージしています。召天する時にも真っ赤なドレスを着た写真を飾って欲しい。それが将来の夢です。

二つ目迄の夢はすでにかなえられています。ゴスペルフラダンスを通して神様に礼拝をすることが出来ていますから感謝です。
イエス様の踊り子ですね。賛美フラダンスチームです。

三つ目の夢までは35年あります。35年現役で主を証して賛美して喜んで福音を伝えていければと願っております。孫達の中から牧師や伝道師が出てくれる事、信仰の継承者が出てくれる事が私の最大の夢であり希望です。

あなたには夢はありますか?どうぞ夢を持って下さい。私達の神。主イエス・キリストは必ず夢を実現化させて下さいます。信じて諦めずに祈っていきましょう。

「神はみこころのままにあなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行なわさせて下さるのです。すべての事を疑わず。つぶやかず行ないなさい。それはあなたがたが、非難されるところのない純真な者となり、また、曲がった邪悪な世代の中にあって傷のない神の子供となり、いのちのことばをしっかり握って、彼らの間で世の光りとして輝くためです~」ピリピ2:12~16



Posted by 金城米子 at 09:49│Comments(0)
 
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