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2011年05月24日

生きたいと声なき声に励まされ

妊娠4週目にバイク事故で入院しました。病院に運ばれる救急車の中で意識を失いかけながら産婦人科病院に行くように頼んだ私に救急隊の方が「妊娠しているのですか?」と聞きました。私は「子供を助けて下さい」と言って少しの間意識を失っていました。

病院に着いた時に声をかけられて「妊娠しているのでお腹の子供に影響がないように治療をして下さい」と頼み込みました。

まず、切迫流産予防の点滴をしてもらいました。一週間後に妊娠反応がありましたが出血をしてしまいました。何度も流産の憂き目にあって今日から七ヶ月に入ると言う日に出産になりました。

生まれた我が子は全身真っ黒い皮膚をした赤ちゃんでした。全身がチアノーゼなので翌日には琉球大学病院へ連絡をしてそれから子供の心臓病の専門の先生の診察を受けました。生後4ヵ月目に琉大病院の移転が落ち着いたのをきっかけに息子は琉大病院に入院しました。

息子は4年間で4回の手術を受け本土の病院と県内の病院での入退院の繰り返しでした。2歳前に息子が心臓停止で重度の障がい者になった時に前後して夫婦の関係が悪化して行きました。人目をさけて病院の中にあるプレイルームで夜に息子を抱きしめながら泣いている時もありました。

息子が生きている間、私は生涯息子からは離れる事は出来ないだろうと覚悟していました。自由はないものと決心していました。ですから、養護学校への入学許可がおりた時は天にも上がらんばかりに嬉しかったです。少しは厳しい条件もありましたがそれは、後でなんとかクリア出来ると思っていました。

いよいよ待ち侘びていた晴れの入学式の当日の事でした。入学式は体育館でした。その日は真夏が一度にこの体育館に来たのではないかと思うほどに暑苦しかったです。息子が暑さに我慢できずに泣き出しました。

若い男性の教師が気遣ってくれて息子を抱っこしてあやしました。しかし、どんなにあやしても泣き止まないのです。男性教師も上着を脱いで息子も服を脱いで二人で体育館がディスコ?かいと思うほどに賑わせていました。

それが男性教師のT先生との出会いでした。養護学校での新しい世界が私達母子に広がっていきました。
出会いは違う世界観が与えられ色々なことを再発見をします。養護学校の土地が戦没者の遺骨がトラック満杯に出た場所と聞いたので私は学校の敷地を回りながら祈りました。

子供達にのろいが降りかからないために祈りました。「アシェル」その時に私の中に入って来た言葉でした。仏像の名前なのかと色々と考えましたが解らず終いでした。このブログを立ち上げるに至って思い起こし辞書を調べて感動しております。皆様と分かち合いたいと思いましてここに証とさせていただきます。

「アシェル」それは『神は創造主』と言う意味なのですね。神様は私に気付きなさいとその言葉を発したのではないでしょうか?「障がいを持って生まれた子供たちも神様の大切な作品だとして祝福しているよ。子供たちの上には、呪いは置いてないよ」と神様は伝えたかったのかも知れません。

「主の祝福がその土地にあるように。天からは露の賜物。下は横たわる淵の賜物。太陽がはぐくむ賜物。月ごとに生み出される賜物。いにしえの山々のもたらす最上の物。とこしえの丘の賜物。地とそれに満ちるものの賜物。柴の中に住まわれる方の慈しみ。それらすべての恵みがヨセフの頭に臨むように」申命記33:13~16










Posted by 金城米子 at 15:06│Comments(0)
 
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