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2011年10月03日

私の内に隣在する神

しばらく前にクリスチャンの兄弟と神の隣在について話をしました。私はキリストの霊が私の全体を囲っている。風船がキリストの霊に例えたら私はその風船のなかに置かれており、その風船の中から私はどんなに出ようとしても出れない存在、しかし、キリストの霊が私の選択肢を邪魔する事は全くない事、自由と開放感がある事、それでいて守りが完璧である事を確認できている毎日を体験しているのです。

そして、キリストの霊が私の中に住み込んでいて常に私の心(霊)と語っている事を私は実感しているのだと話す事はしませんでしたが何故なら誤解を招く発言はしたくなかったのです。私の心の中には多くの部屋があります。その部屋への出入りをイエス様は自由にしています。

イエス様は自由にどの部屋にも出入りして私の思考を聖めて下さいます。私の霊との会話をします。ですから私は内外ともキリストの霊と共に在ると言う確認作業をしています。確信から確認です。イエス様がそうさせて下さっているのです。以前にその様な事を話した時にイエス様の弟子たちから批判されました。

ですからあまりそのような事は言葉にしないようにしていますが私は食器洗いの時にもトイレに入っている時にも(笑い)イエス様と会話を楽しんでいます。ひどい便秘症で力むと膣が出てくるので激しい痛みが走り泣き出してしまいます。

一時期はそれが癒された事もありました。浮かれて有頂天になり十字架から目を離してしまい痛い目にあったのです。再び戻って来た病、でも、癒されたいとは思いません。このままで神様を感じる生き方を続けたいからです。母も手術後の後遺症でそのような苦しみを25年間忍耐してきました。私はその母のDNAを受け継いでいます。

東京にいる叔母も同じように帝王切開の手術後の後遺症で膣が抜けてくる痛みで苦しんでいると話していました。私達は神がいないと絶対に生きられない存在だと三日三晩そのような証をした事がありました。叔母は創価学会信者でした。母は拝み人でした。私はクリスチャンでした。

でも、お互いの信仰を裁くことはせずに神が自分の内側にいると確信しなければ生きてゆけない事で話が一致していました。叔母は最後に私に「あなたは、キリストに出会って良かったね。親から離れて本当の神様に出会った事は神様がどれほどあなたの忍耐を憐れんでいたかと叔母さんは、思い知らされているからね、叔母さんは心から喜んでいるよ。

父ちゃん、母ちゃんがしている事は誰が見てもおかしいことだよね。神様はあっち、こっちにいる訳ではないしね(拝所)。天地創造した神があると言う事は宗教家はみんな知っているよ。でも、人間は自分勝手な神を作り上げてしか生きられない、しがらみがあるからね。あんたはそれを全部手離せたからね。偉いよね」と帰京前に話していました。

そうなんです、私が「神様。神様」を繰返すのには自分の体のことが神様の守りがなければ存在する事が絶対不可能である事を知っているからです。隣在するキリストが常に私の体の調子をチェックしてくれているという隣在する神信仰が必要なのであります。

あらゆる苦しみ、痛み、病も貧乏もお金持ちも経験して来た私が主にあって「喜び、祈り、感謝」で生きてゆける事こそが生きて働かれる神イエス・キリストを証ししていることなのです。感謝します。



Posted by 金城米子 at 10:06│Comments(0)
 
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