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2011年12月03日

弱さを愛される神

預言者のエリシャは、アラムの将軍のナアマンに対して「ヨルダン川に行って七度身を洗いなさい。そうすればあなたはきよくなります」5:10.と言いました。エリシャは、直接ナアマンを迎える事もしないでそう言いました。ナアマンは、エリシャの前に「憐れまれる者」としてではなく、地位ある者、力ある者として扱われる事を望みました。人間の持つ惨めな自尊心です。

自分では、どうにもできない病(ハンセン氏病)にかかっていてもナアマンは「自尊心」を前面に出してエリシャが出て来ない事で怒って去ります。ナアマンの希望した癒しはエリシャが彼の幹部に手を当てて祈って癒すことでした。形式的の祈りならおまじないです。神様は人間にとっては大きな奇跡を起します。

人間にとっては大きな奇跡でも神様にとっては小さい事です。偶像崇拝や占い、まじない的なことは人間にとっては小さい事ですが神様にとっては大きな事です。それは命の死であり霊の死なのですから慚愧に耐えません。しかし、ナアマンの家来たちは冷静でした。家来はナアマンを説得します。

ナアマンは自分の高慢を示されて悔い改めてヨルダン川へ行き、七度身を洗いました。見事に癒されたナアマンは再びエリシャのもとへ捧げものを持って行きます。人間にとってささげものをする事は当たり前ですが神の福音はそうではありません。それは、神の御わざを人間のレベルにまで引き下げるものです。

ナアマンからのささげ物を断固として受け取らなかったエリシャはナアマンの信仰を確立しました。ナアマンがエリシャではなくて神を見る事が出来たのです。ナアマンに「ヨルダン川で七度身を洗いなさい」と言っただけでした。神の御言葉に信頼して従った時に癒されたのですね。

私達の主イエス・キリストは癒し主です。回復の主です。従う方法と応答の祈りを訓練出来る様にしたら良いかも知れません。心を忙しくしていると神に従う事も神の御思いも悟る事は難しいと思います。長い間、潔癖症で苦しんで来た友よ。原因不明の皮膚疾患で引きこもりになっていると言う友よ。あなたがたは、必ず癒されますから大丈夫ですよ。主に信頼して下さい。

病も人生の休みが与えられたと感謝する事が出来たら良いかも知れません。人生に休みが与えられたのは明日のためですからね。将来に飛躍するためのステップですからね。休みは希望です。お祈りしています。

『静まってわたしが神であることを知れ』詩篇46:10



Posted by 金城米子 at 09:52│Comments(0)
 
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