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2011年12月03日

ひとつ一つの出来事に・・・

未熟児で生まれた私でした。間引きをする事を暗黙の了承での早産だったと聞かされてながら成長しました。良い境遇だったとはお世辞にも言えません。

死ぬほどの病を次から次へと経験して癒されて今日まで来ました。20人くらいの人生を経験しました。その殆どが暗闇の人生経験でした。それでも神様は私と共にいてくれていました。私が光に来るようにと神様はとうとう重い障害の息子を私に送って来ました。

周囲の人達は、私には決して息子を育てる事は出来ないだろう。すぐに施設に入れっぱなしにするだろうと思っていたそうでした。障害が重くても子供の頃は、周りの人も同情してくれますから大丈夫です。闘病生活は言葉では語る事は出来ないほどの悲しみを経験しました。

乗り越えられたのは息子が時々見せてくれる笑顔と寝顔でした。神様が私の為に与えてくれた笑顔と寝顔でした。天使のような笑顔と寝顔でした。

けれども大人になると周囲の人の見方が違って来ました。いわゆる3Kの目です。目は口ほどにものを言うとあるように何も言わなくても目は、はっきりと心の思いを語ります。「汚い」「臭い」「気持ち悪い」の目です。でも、神様は万事を益として下さいます。神様に信頼し、万事に感謝することで私の内面を優しく、強くし、「赦す心」「憐れみの心」を大きく与えてくれました。

理不尽な事、不条理な事が始終起きます。でも、賛美の中に神の力を得て、祈りの中に神の働きを感じる幸いは安穏とした生活をしている人々には決して味わう言葉で来ません。神を味わう生活は苦難の中に大きく味わう事ができます。苦が苦ではなくなる幸いを全ての人が味わって欲しいと思います。

難病があっても神様は、喜んで生きていけるように力を与えてくれます。この世の事はわずか70年~80年ですけれど霊の世界は永遠ですからね。天国も地獄も永遠です。永遠の御国でも地上の仲良しの人々と共に楽しい時を過ごしたいと切に願います。

「神のなさる事は、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた。しかし、人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見極めることができない」伝道3:11



Posted by 金城米子 at 10:31│Comments(0)
 
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