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2012年02月09日

いつまでも残るものは・・・

「いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で優れているのは愛です」第一コリント13:13。と聖書にあります。

信仰歴13年の主婦からの相談でした。クリスチャンになっても家族から疎外されていて痛みがあるというのです。ご主人と娘さんに会いました。二人とも同じことを言いました。

「キリスト教は愛の神と言うのにクリスチャンになっても少しも変わらないどころか今度は姑を悪魔呼ばわりをし、お姑を避けている。理由は沖縄の行事は悪魔崇拝だからその行事にかかわっている家族はクリスチャンである彼女を呪っているというのだとのことでした。家族に取り付いている悪魔に攻撃されていると言い親戚を敬遠してしまっているけど何なのか訳が分からない」とのことでした。

先祖代々がクリスチャンなら先祖崇拝をさばいてもしょうがないけれどほとんどの人間が中途クリスチャンであるのです。キリストの時代からの信者でない限り中途クリスチャンなのです。これが私の持論ですから気に障る方々がいましたら寛容な心でお許しくださいますように・・・

「サラブレッドクリスチャンなんか全世界どこを探してもいるはずがないのに三代目、四代目の牧師継承だからサラブレッドクリスチャンだからあなたがたとは資質が違うのを分りなさい」と私を叱責なさった優等生クリスチャンを思い出さずにはおれません。

私「E子姉妹。あなたには悪魔が見えるの?何を基準にお姑さんたちを悪魔と言っているのか私には理解不能ですけど私の証を聞いてくれる?」

私の証しです。
私の実家はイエス様とは正反対の偶像崇拝の職業宗教者の集団でした。私が海中から息子とともに救われた翌日から私は、教会へ行きました。一年後に洗礼を受けた時に私は実家との決別を牧師に宣言しました。その時に牧師が仰った事は「罪を憎んで人を憎まずという言葉を知っていますか?あなたはご両親のしていることを憎んでもご両親を憎んではけません。ご両親の血肉の娘としてご両親を愛して仕えなさい。今まで以上に祈り心を持って謙遜になって仕えなさい」でした。

その言葉がなかったら父は死ぬ三日前に私への謝罪することもなかったし、自分のこれまでの罪を告白を教会でしたいから教会へ連れて行ってくれと頼まかったでしょう。(約束の翌日に私は自分の心と戦っていて朝から夕方まで車を走らせていた。悔い改めてこれまで私にしたことが簡単に赦されてたまるか。それじゃあ私の痛みやこれまでの忍耐はどうなるの?と思っていたから門前で私を待っている父の姿を見て私は素通りしたのだが・・・)

後に私は三年もの間、慙愧に堪えない思いで悔い改めていた。約束の金曜日の夕方から父が急変して真夜中に父は召されたからである。看護師から「米子さんですか?」と聞かれ、父は始終私の名前を呼び続けていたと聞かされた時に私は悔いた心で父の手を握り赦しを乞いました。息を引き取る前に意識はないはずの父に「父ちゃん。ごめんね。約束を破ってごめん」との言葉に父は私の手を握り返しました。その時に神は父を赦されたと感じました。

すべての人がみんな神様の作品です。人は罪の中に生きているのです。罪を犯さなければ生きていけないのが人間なのです。私たちは、真理の神を知らない人に私たちの生き方を通してイエス・キリストを見せるために先にチョイスされた者です。先に選び取られたものには責任と義務が生じます。家族に対しての十字架のキリストの流された血の責任です。私たち信仰者の上に未信者がキリストを見ることができるようにする義務です。

神は慈しみだけの神ではありません。神が私たちを創造した目的は「互いに愛し合う関係」のためです。神はご自分の子とされた者には「忍耐と寛容」を望まれます。神様を知らない人々にクリスチャンが忍耐と寛容を持ってキリストの心を実践することなのです。私も含めてキリスト者としての責任と義務遂行することができますようにお祈りします。

真理の神は平和・和解・いのち・創造・愛と力の神です。悪魔は分裂・破壊・殺し・偽証・盗みです。

N子姉妹は「そうすれば私が変わることができるの?クリスチャンらしくなれるの?聖書のどこに私の事が書かれているの?具体的に教えてちょうだい」と聞きました。第一コリントの13章を何度も何度も繰り返し繰り返し読みなさい。」と言いました。

その聖書の箇所は私にも欠けていて最初に神様に出会ったときに示されたみことばでした。そのことがあってからE子姉妹からの不平不満の声は届かなくなりました。そして昨夜、E子姉妹からのメールがありました。彼女からのメールは「私はこれまでの歩みを深く悔い改めて家族を愛し、お姑さんとの和解を目指して喜んで忍耐して生きることを決心しました。お祈りを感謝します」   

「愛は寛容です。親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。愛は決して絶えることはありません」第一コリント13:4~8a    主の導きに感謝します。



Posted by 金城米子 at 12:26│Comments(0)
 
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