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2012年02月11日

影響力のあるクリスチャンに・・・

他者に良い影響を与えるクリスチャンにとセミナーを受けたことがありました。私に一番に影響を与えたのは主イエス・キリストです。聖書の中ではパウロです。パウロの人生は神を追い求め神を愛し貫き従う生涯でした。聖書はパウロが律法主義者から日々に新しくされて愛の人に変えられていくのを私たちに語り見せてくれます。

パウロの信仰の歩みはイエス・キリストかと思わされるほどになりました。偶像崇拝者に対しても不信仰な者に対してもパウロは裁いていません。何度も聖書を読み返していると理解できますがパウロは愛の訓戒をしても裁きは主に委ねています。

パウロ自身による思惑はどこの箇所を探しても見つかりません。恐らくパウロは人々との間にいつも十字架上でのイエス様のとりなしの祈りの場面を思い描いていたのではないでしょうか。

同胞の救われるためにはキリストとの関係を断ち切られてもよいとまで祈ったパウロでした。私はパウロの生き方に沖縄人に対する愛が生まれ先祖崇拝者に対しても他宗教信仰者に対しても裁くこと否定することからではなくて受容することから主イエス・キリストの福音を伝えることを学びました。

この地上には様々な人々がいて考えも生き方も多種多様です。それらはみな神の御手の中の事です。そう考えれば自分が何者だから他人様の事を批評できるでしょうか?私は神様ではないので聖書を踏みつけて他者を裁いたり,赦せないなどと言うことができるでしょうか。思考することさえ高慢だと思います。

パウロのような信仰者としてキリスト者としての愛の歩みを御国に凱旋する日までを続けていきたいと熱心に祈っています。
偉大な神の主・キリスト・イエスは全能です。不可能な事は一つもありませんが主の栄光は私たちキリスト者を通して現されるのです。私たちが一生懸命に努力をして自分自身が主に栄光を帰すのではありません。そこのところが他宗教との大きな違いです。

牢獄でシラスと共に捕えられていたパウロたちの賛美は牢獄の壁を通して牢獄中に響き渡りました。囚人たちが賛美に聞き入っていた時に地震が起きてパウロたちをつないでいた鎖が解けて牢獄の扉が開きました。

目が覚めた看守は囚人が逃げたと思い剣を出して自殺を図ろうとしますがパウロに「私たちはここにいます」と声をかけれ自殺を思いとどめました。自殺者は他者への配慮を失ってしまうからこそ自殺ができるのです。パウロたちの言葉は、この看守に、忘れていた家族への懇慮と責任感とを取り戻させました。

彼は家族みんなに素晴らしい福音を聞かせました。そして家族全員がそろって主を信じ、そろってバプテスマを受けました。この日からこの家族にとってこの日からイエスがこの家の主になりました。一つ間違えれば家族全員が路頭に迷うか、離散するか、心中する可能性もあった家族が福音によって救われたのです。

どのように不自由であっても苦境にあっても今、看守のような状態にある人を顧みることのできる信仰者でありたいと願わずにはおれません。

「ふたりは『主イエスを信じなさい。そうすればあなたもあなたの家族も救われます』と言った」使徒16:31



Posted by 金城米子 at 09:52│Comments(1)
この記事へのコメント
今、中川健一牧師のメッセージステーションでハウロの信仰を日々学んでいますが、まさにそうですね。異邦人のために宣教の道を歩んだパウロですが、しかし、その道の先駆者はまさにイエスキリストであり、神ご自身であることをあることを思い知らされました。自分の命を奪う者に対し、赦しと和解でもって、執り成しをされ、一人一人の間に横たわる隔ての壁を取り去り、お互いがひとつになれる道を開いて下さいました。
民族意識の高い同胞意識の強い沖縄人が是非学びたい内容ですね。この大きな気づきに感謝です。
Posted by 呉屋弘光呉屋弘光 at 2012年02月11日 10:27
 
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