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2012年02月16日

神と悪魔の洞察力

ユタや占い師は人間が大好きです。大好きな人間に密着して共存共栄(自己中心的発想です)?を顧客に信じさせ、本人もそう思い込んでいるから厄介であります。しかし、ユタや占い師には悪気は全くありません。罪責感がないからこれもまた厄介です。世のため人のために役に立っていると信じているから厄介なのです。

では、お金を取ることをしないでユタや占い師をすれば神様に喜ばれるのかと言えばこれもまた自己中心的な考えです。無料で人々を闇街道に案内していることを知りません。彼らは慈善事業をしていると信じ自分を誇っていますからこれもまた厄介です。

そんな彼らに共通することがあります。人間の本質にある「自己保身・自己中心・自画自賛・心の傷」をうまく操ることです。だから人間の自己中心の心にある琴線に触れることが出来るのですがそれは根本的な問題解決にはなりません。

私流の解釈です。人間はみんな表裏の心で生きているものです。本音と建て前があり、本音は自己中心でエバが神のようになりたいと思い神に背いた事と同じなのです。偉くなりたいという事ではありません。周囲の人を自分の支配下に置きたいと思う心が多少なりとも誰にでもあるという事なのです。

そういった意味合いでユタは人の心をうまく誘導します。神の洞察力は人を生かすための愛が根にあります。しかし悪魔からの洞察力は人を滅ぼすためです。騙しが根にあります。

聖書を知ればイエス・キリストの洞察力には神の深い愛があります。代表的なのが「五人の男と結婚し六人目と同棲していたサマリヤの女・姦淫の女と呼ばれるマグダラのマリヤ・ザアカイ・取税人のマタイ」などの箇所からイエスの洞察力を知ることが出来ます。イエスは彼らをさばかず彼らの中にある負い目に光を当てました。

イエスの謙遜さに彼らは真理の神の愛を見たのです。イエスは彼らのために人々を捻じ曲げて説得したのではありません。イエスは彼ら心を救うと共に彼らを裁いていた人々をも同時に救ったのです。それぞれがそれぞれの心にあるものに気づきを与え癒されたのです。(パリサイ人やサドカイ人を除く)

悪魔の洞察力は、さばきです。良心の呵責を利用してどこまでも徹底的に裁きます。そして服従させます。拝み1800回と言う言葉が拝み職業者のマニュアルにありますがそれは絶対に口外してはならない鉄則です。破ればみじめな死に方をする呪われるという鉄則です。お金と力がなくなるまで徹底的に先祖や神々を持ち出して拝みに専念させます。

悪魔のエサは心の傷と高慢です。クリスチャンはそのことを知っているので「高慢」と言う言葉に過剰に反応し、悔い改めます。しかし、悪魔は決して悔い改めません。悪魔の支配下にいる人には悔い改めがありません。

自分が神の支配下にいるのか悪魔の支配下にいるのかを知る事は簡単です。因果応報説を否定し、他者のためにとりなしの祈りと自分の悔い改めの祈りが出来ているかです。イエス・キリストの支配下にいます。

私たちも洞察力を得て人々を生かす福音を伝えたいと切望します。「明日は我が身」と他人の不幸は私の不幸と思えるようになりたいですね。

「喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい」ローマ12:15



Posted by 金城米子 at 05:57│Comments(0)
 
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