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2012年04月12日

キリストに出会った人々

新約聖書に登場するパウロはダマスコでキリストに出会いました。(使徒9:3~5)キリストとの出会いはパウロが殉教するまでにキリストに喜んで服従する伝道者と立てられ、神と人々にキリストの愛を持って仕える人に変えられました。

キリストに出会った人々は世界中にいます。キリストと出会った人々の多くが名もない人々です。キリストに出会ったからと言っても彼らの人生はバラ色になったという事ではないでしょう。しかし、彼らは完全に変えられたのです。揺るぐことのない信仰と信仰に基づく愛の人に変えられたことを確信します。そして、全てのキリスト者にある「平安」が彼らのうちにも与えられているのです。

「わたしはある」と仰ったイエス・キリストに出会った私に主は、ヨハネの福音書を勧めました。高慢な私への学問の勧めが「ヨハネの福音書」でした。キリストに出会うまでは罪悪感で押し潰され壊れた私がいました。「死」がすべてを解決するのではなく、死後の世界が永遠にある事はユタの時から確信はしていました。

ですから母子心中事件は、私自身の霊が地獄での苦しみを永遠に受けることになることを覚悟しての事でした。この地上での生活では真理の神を見ることが出来ないのなら生きていても希望がないと言う絶望感でした。私の人生は初めから「神がいなければ生きてはいけない」という刹那的な人生でした。

大罪人の私がどのような死に方をしても(自殺や自然死)天国へは行くことはあり得ないと思っていました。聖書は救いについてキリストの心と不変の愛、偏愛の神を私にはっきりと示されました。

ヨハネ8:15「あなたたちは肉に従って裁くが、わたしは誰をも裁かない」

(神を知らない人々は、外見や一面的な人間的な基準で他者を判断するけれど、イエス・キリストは、世的な基準で人を判断したり、裁いたりはしないことを仰っているのです。イエス・キリストがこの地上に来られたのは人を裁くためではなく救うために来られたのです)

ヨハネ8:24「だから、あなたたちは、自分の罪のうちに死ぬことになると、わたしは言ったのである『わたしはある』という事を信じないならばあなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになる」

(このみことばはイエス・キリストを抜きにしては罪の暗黒から逃れられないことを示されました。キリストを信じる以外には罪の赦しを得る方法が他には全くないこと。罪を赦されないままで死ぬ者が天国に入る事は絶対にないのです。もしあなたがたが「わたしはある」という事を信じなければあなた方は自分の罪の中で死ぬのです」とここでも神の神性を主張しておられるのです)

「初めからあなたがたに語っている通りです」ヨハネ8:25   主は約束のメシヤだったのです。アーメン

































































































































































































Posted by 金城米子 at 14:58│Comments(0)
 
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