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2012年04月13日

地域に希望の花を咲かせよう・・・

桜祭り、本土では友人、知人がそろってお弁当を持ち寄って桜の花祭りを楽しみます。でも、沖縄では歩きながらで終わってしまう。イベントなど屋台での楽しみも遠出しなければならないのが実情です。私は体の不自由な息子が遠出は無理があるので花見などは楽しめないのが現実です。

私は、山内牧師と地域に貢献する教会を目指すなら教会の周辺に桜や季節お花を植えてほしい、コスモスには「小さきは小さきままに、折れたるは折れたるがままに」と言葉を入れて、聖書の御言葉も花畑に入れて、花見見物にお年寄りや周辺施設の方々を招待したりするのも一計でしょうね。

そして、教会員が車いすや80代以上の視覚の目の不自由な方々の体験をしたりのイベントを持ってみるのも良いのではとこれからの教会の在り方を話し合いました。キリスト者が自己憐憫になってばかりでどうするのでしょかね?

社会は厳しい状況になり、巷では多くの人々がメンタルケアを必要としている時代に突入しているにもかかわらず、クリスチャンがいつまでも自己憐憫の状態から抜け出せないのもおかしいので問題はあっても他者を顧みることが出来るように弟子訓練に重きを置いてほしいです。

黙って聞いてくれていた山内牧師は、そのために共に祈り、啓蒙啓発のために動く事も山内牧師の召命であることを語って下さいました。この先生となら教会を通してキリストの枝としての実をつける働きが出来ると熱くなりました。

教会が地域の人々に希望を与えなければ情熱の火をつけなければ誰がするのですか?教会が火付け役になって地域に就労の場も与え、地域のニーズを祈りで支え、目に見える動きもするのです。五月にはゆいまーる教会の敷地内に保育園を設立します。保育士の就労者の税収が与えられます。

保育園児に対しておばあの私が出来る事は沖縄方言を教えます。昔、おばあたちが語ってくれた物語や聖書物語を方言版で語りたいと思っています。夢が膨らみます。平日には、教会でお年寄りのために拝みの風習を聖書に移行していく話を語りたいと思っています。

神様の導きを感謝します。神が語られた神の自己啓示は、必然的なものではなくて主イエス・キリストの主権的恵みに基づくものであることを昼も夜も教会に身を置いて語り続けたいと願っています。神の恵みは、自然の中において(詩編19:1)人間の良心の中に(ローマ2:15)受肉されたみことば主イエス・キリストの中に啓示された(ヘブル1:1・21)事を分りやすくかみ砕いて語って行きたいと思っています。ウチナーンチュには、すぐに理解できると確信しています。アーメン



Posted by 金城米子 at 20:44│Comments(0)
 
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