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2012年07月25日

セルフイメージを持つ

中川健一先生の成長セミナーから学んだことです。

人は誰でも正しいセルフイメージを持たなれば豊かな人生を歩むことはできません。クリスチャンのセルフイメージとはなんでしょうか?それは天国人であるという事です。この世で肉体を持って生きているが霊的には天国人であることをいつもイメージするのです。

以前にも山上の説教についてこのブログで話をしたのですが山上の説教は弟子たちとそしてこれからイエス様を信じ受け入れる人々に向かってイエス様が熱いまなざしを向けて「あなたならできる}と語られたのでした。

イエス・キリストの公生涯の最初のメッセージは「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから」(マタイ4:17)でした。「神の国」も「天の御国」も同じです。神の国こそがイエス・キリストの宣教の中心でした。この神の国とはメシア的王国、つまり千年王国のことです。

神の国には

1、王の存在  2、王の権威  3、王の民

の三つが必要です。王とは、主イエス・キリストのことです。私達がすぐに考える地理的な概念は、この言葉には含まれていません。神の国には信じる人の心の中にある神の支配という意味もあります。

「だから神の国と神の義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えてこれらのものはすべて与えられます」マタイ6:33。

山上の説教を紹介します。

1、心の貧しい者は幸いです。(マタイ5:3)

心の貧しい人とは自分の必要を認める事の出来る人、悔い改めの心のある人の事です。

ダビデはこのような性質をもった人物です。

*主の戦士       (Ⅰサムエル17:47) 

*恵みを受けた罪人 (詩編32編・詩編51編)

*詩人          (詩編23編)

2、悲しむものは幸いです。(マタイ5:4)

クリスチャンであっても他の人々と同様に問題に直面します。そして、信仰者であるがゆえの苦難もあります。そのような時にはヨブを思い出しましょう。ヨブは、悲しみの中から次のようなレッスンを学びました。

*試練は罪の結果だと考えてはいけない。

*人の言葉は助けにならない。

*神の恵みは十分である。

3、柔和な者は幸いです。(マタイ5:5)

柔和とは、弱さのことでなく、自己制御できる能力のことです。また、客観的に自己を評価できる人の事です。モーセこそ、この条件にぴったりの人物です。

「さてモーセと言う人は、地上の誰にもまさって非常に謙遜であった」民数記12:3

*エジプトでの40年間(自己能力の開発)

*ミデアンでの40年間(無力さの発見)

*出エジプトの40年間(柔和な性質の開花)

4、義に飢え渇いているものは幸いです(マタイ5:6)

これは神との関係において、他人との関係において、正しく生きたいと願う事です。義を激しく求めた人として、第一番目に名前を挙げることが出来るのはパウロです。

*律法の義を求めた人

*神の義を知った人

*神の義のために燃えた尽きた人

5、憐れみ深い者は幸いです。(マタイ5:7)
助けを必要としている人々への配慮が、この「憐れみ」です。良きサマリヤ人は、この憐れみを実際に行動で示した人です。(ル10:30~37)。インドのカルカッタで奉仕したマザーテレサは、現代人に対して最も雄弁に「憐れみ」が何であるかを語る神の器です。

*自らが憐れみを受けたと知る人

*隣人の必要に敏感な人

*見返りを期待しない人

6、心のきよい者は幸いです。(マタイ5:8)
これは裏表なく生きる人、動機まで清い人のことです。この性質をもった人としてステパノです。彼は聖霊に支配された人物です。

*人格が変えられた人(天使の顔をした人)

*力に満たされた人(敵を論破した人)

*見えないものを見た人(神の右に立つイエスを見た人)
「しかし、聖霊に満たされていたステパノは、天を見つめ、神の栄光と、神の右に立っておられるイエスを見て、こう言った。『見なさい天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます』」(使徒7:55~56)

7、平和をつくる者は幸いです。(マタイ5:9)
真理は人々を二分します。そこに争いを作り出します。神第一に生きようと思えば、すぐにこの世からの攻撃を受けます。しかし、だからと言って、クリスチャンは自ら争いを作り出すものではありません。すべての人々と平和を求めるように教えられています。バルナバは平和を作り出す人でした。

*献身の人(使徒4:36~37)

*慰めの人(使徒9:26~30)

*赦しの人(使徒15:37)

8、義のために迫害されているものは幸いです。(マタイ5:10)
「神の国」と「この世の王国」との間の戦いがある限り「迫害」は必ず起こります。クリスチャンがどんなに誠実に歩んでも、その真実さのゆえに「迫害」がやって来ます。ここで思い出すのがダニエルの3人の友人です。(シャデラック・メシャク・アベデ・ネゴのことです)
「シャデラック、メシャク、アベデ・ネゴはネブカデネザル王に言った。『私たちはこのことについて、あなたにお答えする必要はありません。もし、そうなれば私たちの仕える神は、火の燃える炉から私たちを救い出すことができます。王よ。神は私たちをあなたの手から救い出します。しかし、もしそうでなくても、王よ、ご承知下さい。私たちはあなたの神々に仕えず、あなたが立てた金の象を拝むこともしません。(ダニエル3:16~18)

*迫害に対して心備えが出来ていた。

*最後の裁きを神に委ねていた。

*結果に関わらず、幸いであることを選び取った。

さて、あなたはダビデのタイプでしょうか?パウロでしょうか?8人の人の性格の一部分は誰でも持ち合わせているかも知れませんが人名で八福の幸いを覚えるのも楽しいのではないでしょうか?



Posted by 金城米子 at 13:41│Comments(0)
 
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