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2012年07月28日

神様への不満は自己憐憫の裏返しですよ。

「クリスチャンハ選民意識があるよね。それで上から目線だよね?」と言ったノンクリスチャンのAさんでした。彼は私に「僕は絶対に説教じみた話は聞かないからな」という事を宣言しました。

私「誰があなたにクリスチャンは選民って言ったかはわからないけれどね。神様がチョイスしたという事は理解できるけども選民って言うのはイスラエルの民の事だと私は理解しているけれどね。」

彼はAさん。55歳のリストラの怒り沸騰中の人でした。奥さんも子どもさんと家を出たという事でした。彼の中には怒りがいっぱいだから神様の話は聞かないよ。の声がありました。ただ、知人に何となく紹介されたからと言っていました。

ふてくされているAさんに火山の絵を描いてもらいました。リアルに描いてくれた火山の絵に頭と両手両足を書いてもらいマグマを書かせてAさんの名前を大きく書きました。

「Aさん。これがあなた自身なんですよ。マグマはあなたの怒りです。不平不満ですよ。マグマは外へ出て行くしかないけど小さな穴からも噴出しますよね。誰も火山に近づきたくないですよね。やけどしますし、巻き添えで死ぬかもしれない」

Aさんの思いはしばらくじっと黙って絵を見ていましたが「キリスト教と言うからなんか神様の話をするのかと思ったら意外ですね。確かに今の僕は火山状態ですね」

キリスト教は神がかり的な怪しい話はしません。問題が何であるか、そしてその問題を解決するにはどうすることが一番なのかを本人に気づかせることを第一にします。

聖書の登場人物の中からダビデ王の話をしました。真面目に仕えていたサウル王から妬みをかって命からがらの逃亡生活にピリオドがと思いきや彼は自分の息子からも命をねらわれ逃亡生活をします。ダビデ王の経験は私たちの誰にでもある妬み、疑い、憎しみ、自暴自棄、混乱、殺人にまで及ぶ人間の感情の怒りの持つ醜さを語っています。

「怒りは神の義を全うしない」と聖書にあります。「妬み」は人間を破壊することをAさんと話をしました。だんだんとAさんは静まっていき話に同調してくれました。

Aさん「僕はユタからキリスト教になったあなたに会って見ないかと言われたとき、普通の神がかり的な話をするのかと思っていました。理にかなった話ですよね。確かに僕の中には怒りしかない。今までずっと怒って生きてきたような気がしますね本当は誰のせいでもないんですよね。全て身から出た錆ですよね」

問題の起源は自分にある事を認めるのは難しいです。特に自己憐憫と言うのは厄介なのですね。神様から人々から自分を遠く引き離してしまう自己憐憫であり、不平不満は自己憐憫であることを説明するとAさんはキリスト教にこそ真理があるのですね。と言ってくれました。現在は、週に一度一緒に聖書のヨブ記を学んでいます。

Aさんは別居中の娘さん達とも良い関係が出来ていると話してくれました。変えられたAさんが再び家族の回復をする日も近いでしょう。仕事は畑違いですですが懸命に頑張っています。主の憐れみに感謝します。

「鳥の子が神に向かって泣き叫び、食物がなくてさまようとき、鳥にエサを備えるのはだれか」ヨブ記38:41






Posted by 金城米子 at 09:04│Comments(0)
 
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