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2013年11月25日

それぞれの十字架を担って

何一つとして問題を抱えていない人はほとんどいないと思います。

家族の問題や仕事、経済的な事そして対人関係といろいろあります。

10年前に癌を克服しながら信仰を握っている女性は経済的な事が自分の十字架だと言っていますが心は平安ですと明るく言いきっています。

先天性の障碍児を一人で抱えて頑張っている女性がいます。彼女は30年間、娘と障碍児を一人で抱えて頑張って来ました。今は、もう孫にも恵まれて幸いのように思えますが。今も重い障害の息子との二人暮らしで経済的にも苦労があるようですが「心は平安だからね」と胸を叩いて見せます。

20年間、うつ病に苦しんでいる40歳の女性がいます。イエス・キリストを信じてからは「死にたい」という思いよりも他者のために祈ることが出来て「心は平安ですから・・・」

50台の女性は依存症の夫を支えながらも夫を温かく見守る事が出来ていますよ。「心は平安です」とピースをして見せる彼女です。

交通事故で寝たっきりになっている男性はイエス・キリストを受け入れてからは自分の状況を平安ですと言っています。

まだまだ多くの人々が重荷を抱えながらも「平安」ですと話しています。問題は他者には想像もできないほどの苦しみですがそれぞれの十字架なのです。

「それぞれの十字架を負ってわたしについて来なさい」とご自分が今まさに十字架刑かかろうとしたイエス様がゴルゴダの丘へ十字架を担いで登られながら仰った言葉でした。

十字架刑にかかられたイエス様だからこそ、忍耐の中にいる一人ひとりに憐れみと慈しみを給うことができるのです。

安穏とした日々を送っている人には神を見る事は出来ません。耐えられないと思っている苦しみも悲しみもイエス・キリストを信じる事であなたは平安に満たされると言う真実をお伝えしたかったのです。

今、問題の中いて、出口が見えないでに押しつぶされそうになっている方がいましたらどうぞお近くの教会を訪ねてください。


「疲れた者、重荷を負う者は、誰でもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」マタイ11:28.



Posted by 金城米子 at 15:26│Comments(0)
 
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