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2014年01月10日

愛するという事は自分に死ぬこと(4)

母が私に言った事を思い出します。「お前は遅咲きだね。生まれた時から苦しみを背負って生まれたような人生だったけどまさか、障碍児の母になるなんてね。最後には大きな岩山を担ぐことになったね。だけどお前なら乗り越えられるよ。私には解る。お前はこの子を通して偉くなるよ」と言いました。

意味不明でした。でも、反論する気持ちも気力もありませんでした。
心の中では私は(私の苦労は誰も理解できないし、理解しようとは思ってくれない。そんなことを誰にも期待出来ない事は私が一番よく知っているんだし何をいまさら・・・)とつぶやいていました。

そうは思っても母の言葉は私の心の入り口の隙間から流れ落ちて入るのを感じました。その後は事あるたびにその母の言葉が心の中で起き上がって来るのを覚えました。だから、乗り越えられたのです。

言葉は人の心を生かす事を息子を通して知りました。長い期間の入院生活では長男の言葉「本当に難儀なのはた~け本人だよ。病気がない人は休めば回復するけれど呼吸不全のた~けは24時間辛さと闘っているんだからね。」でした。

耐えられないとつぶく私に気づきを与えたのです。気持ちを立て直すことが出来ました。その言葉で自己憐憫に陥ってはいけない、相手の立場になる事を覚えました。小さな成長でした。

妹の言葉も私を慰めました。「神様は本当に愛のある人の所にしか障碍のある子を送らない」でした。(神様は私が愛を知るために息子を私に任せたんだ。神様は私を覚えていてくれているんだ。)
神はいつも私と共にあると言う確信が生まれました。真理の神にはまだ出会っていない時でした。

母の言葉で慰めがあり、息子の言葉で自己憐憫の罠から解放され、妹の言葉で神の隣在を確信したのです。続く・・・



Posted by 金城米子 at 07:44│Comments(0)
 
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