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2014年01月21日

愛するという事は自分に死ぬこと(9)

息子の心臓手術は4歳の根治手術が目的でした。その日の為に私がした事と言えば「般若心経」の写経でした。きちんと正座しては出来ません。

息子の無呼吸を監視しなければならないので息子を抱っこしながら枕や座布団を利用して足も使いながら片手での写経ですから至難の業でした。

ですからお世辞にも美字ではありません。歪んで汚くてもそれは私の真心であり、息子を思う母親の深い愛情であることを神は受け止めてくれると言う信仰でした。

一万枚を書けば願いはかなう・・・二万枚で悟りを得る・・・三万枚で神を観ることが出来る・・・そう教えられて必死でした。手の腱鞘炎と体中の痛みとの戦いでの写経でした。

後日思わされてことは、神様は人間の事情を考慮する神ではなくてどんな状況下にあっても律法通りにしなければ願いを受け入れてくれない神を信仰していたのです。

3歳半の時にはその写経を病室のベッドの下に置いて、手術の日程が決まった時に私はそれをもって有名な大きな寺院を訪問してお布施と共に治める事にしました。

偶然にもお寺の偉い住職に合うことが出来た時に私は一言聞きました「息子は救われますか?息子を救って下さい」と・・・

私がそういったのは手術が無事に成功して沖縄に帰れますか?の問でした。偉い住職からの答えは「救われたかったら教会へ行って下さい。ここには救いはありませんよ。教会は救いの神様ですから」でした。

意味不明でしたが今にして思えば主イエス・キリストが口を借りてそのように言わせたのかも知れません。でも、その時には多分お布施の金額が少ないからだと私は思いました(笑)。

手術は無事に終了しましたが手術中に大事に至る事が起きた事を説明されました。原因不明の停電が起きて人工心肺が一時中断したらしいのですが不思議な事に息子本人には何事も起こらずに無事に機会は作動し手術は成功したとの事でした。

そして、息子の手術に際しては神経の一つ一つが見えたのでどの神経も傷つけることなく手術が出来たという事でした。「目に見えない力が働いているのを感じました」と仰った先生に

私は「目に見えない力ってなんですか?」と質問したところ「世間一般に言う神というものです」と仰ってから「私は私の神に感謝しますからあなたはあなたの神様に感謝してください。」と仰ったのがずっと心に残っていました。

沖縄の神が世界の神だと教え込まれていたので不思議な気持ちでした。誰それの神ってあるのだろうか?私たちは人に着く霊を守護霊とか背後霊とかの言い現しかたでしたから・・・

神は唯一天地創造主だという事は解かっていたのですが偽の創造主もいる事に気づかなかったのです。偽の創造主も聖書のみことばを語ります。もっともらしい教えもしまnす。

イエス・キリストを告白しない霊はみんな偽物だとは知りませんでした。何故かと言うとイエス・キリストから来る霊を受けている者はまず何があってもブレません。決して騙されません。

御言葉を握っているからです。しかし、偽物はご都合主義でころころ変ります。神様の生も色々と出てきますし人数も違があります。

経験者ですから解かります。相手次第で状況が一変します。御言葉は語りますが微妙な違いがあります。クリスチャンになってからはっきり解かったことです。

主イエス・キリストは決して何事も強制しません。すべて選択の心を与えておられます。ですから私たちは自由なのです。せねばならない事もなく、献金金額も自由でしても良いししなくても良いがイエス様なのです。

苦しみの中にある女性がユタの私に言った言葉が耳に残っています。「神様は上納金を治めなければ願いを聞いてくれないのですか?支払えない私たちを神様はなんと仰っていますか」・・・

この女性の苦しみが私の胸に迫って来ました。父にその事を話しました。それはもういいからと言ってあげなさい。神様に願かけしなくても大丈夫だと言いなさい。すべては運命なんだからと・・・」

正に地獄の沙汰も金次第の世界でした。私の中で疑惑が膨れ上がり神と悪魔の狭間に私たちがいるのではないかと疑惑が湧いてきました。私の中の何かが破裂しかかっていました。   続く・・・










Posted by 金城米子 at 19:37│Comments(0)
 
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