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2014年10月12日

口は災いのもとを聖書はどんなふうに?

私がO君と知り合ったのは彼が芸大生の頃でした。私はクリスチャンになり立てでした。
世界宣教のみことばをメッセージで聞いた後に私は牧師に質問しました。

わたし「世界に行かなければ伝道は出来ないいのですか?」
牧師「今、あなたがいる場所が宣教の場所です。」

という事で私が走ったのは、芸大祭りがあると聞いた場所へ行きました。
一人でお弁当を食べているM君を見つけて私が質問したことはM君に
「あなたの生年月日がなぜ、その日なのかだったのかが解かりますか?」でした。

怪訝な顔をしていましたがM君は「そんなことは誰も解からないでしょう。
自分が日を選んで生まれて来るなんてできないでしょう?」と言い
「おばさんはユタかなんかですか?」と質問してされました(笑)

わたし「そうだよね。自分では何も選んで生まれて来ることが出来ないんだよね。
でも、あなたが生まれる日もあなたがあなたの両親の子供として生まれることを
赦した神様がいるとしたら、どうする?西暦はいつ、だれがどうやって決めたの
だろうかって考えた事はない?」

M君「確かキリストの誕生に関係していると聞いたことがあるけれど・・・」

M君は二時間ほど私の話を熱心に聞いてくれていました。友達は呼びに来ても
友達を振り切って話を聞いてくれました。

みことばと聖書の教えについて質問があったのは、口は災いの元についてでした。
彼の質問で彼が言葉で大きな傷を抱えている事を察知しました。

「軽率に話して人を剣で刺すような者がいる。しかし知恵のある人の舌は人を癒やす」箴言12:18。

「いのちを愛し、幸いな日々を過ごしたいと思う者は、舌を押さえて悪を言わず、
唇を閉ざして偽りを語らず悪から遠ざかって善を行い、
平和を求めてこれを追い求めよ」第一ペテロ3:10~11。

のみことばと「自分の口と舌を守る者は。自分自身を守って苦しみに合わない」箴言21:23。
をMさんに告げました。

そして、私が強調したのは、言葉の失敗をした時でも私たちは「心にもない事を言った」と言い訳をしますが、
それは違いますよ。心の底、腹の底にある事が口から出る事を知るようにしなさい。自分の内側にある悪を
神様の前に出て悔い改めてから失言してしまって傷つけた人に何度でも誤って赦してもらう事ですね。

電話やメールがダメなら手紙を何度でも書いて出しなさい。赦すことが出来ても和解は難しいと思うけれど
和解は二番手だからまず、正直に謝って赦すという言葉を求めてください。謝る事には自己弁護や自己正当
の言葉はいりませんよ。それは誤ったことにはなりませんからね。」

二か月後にM君から赦しと和解を得ました。そして、聖書を拝読しています」と報告を受けました。
きっと聖書は彼の人生の羅針盤となることでしょう。聖書を正しく理解する事をするには教会へ行く事と
注解書や信仰書も併せて読むように勧めました。

「良い人は、その心の良い倉から良い物を出し、悪い人は、悪い倉から悪い物を出します。
なぜなら人の口は、心に満ちているものを話すからです」ルカ6:45。



Posted by 金城米子 at 09:58│Comments(0)
 
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