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2014年10月25日

へりくだった時にうつから解放された

教会生活の中では、色々な出来事がありました。「自我に死ぬ」事の意味も分からないまま言葉だけが先行してしまっていました。みことばを蓄える事が勝利なんだと自分勝手に思い込んで熱心に聖書を読み、みことばで相手を裁いていました。

周囲のクリスチャンは10年以上の選手であり、私はまだまだベビークリスチャンだという思いがあって聖句も聖書解説も当然なことながら私より以上に出来ていると思い込んでいました。その勘違いと思い上がりが他者を平気で裁くようになっていました。

☆沖縄では「サー高生まれ」という独特な呼び名があります。霊的過敏症な人のことを言います。人の心のうちにある闇には非常に敏感に反応します。悪霊・人の霊・諸霊に対しての過敏症だと言った方が解かりやすいかも知れません。

☆ノロやユタ・イタコ・口寄せ・占い師には多いです。その家系にも多くいます。雑草の花は咲かすことが出来るが高価な花は咲かす技術も生かす忍耐も細心さもありません。本人のせいではないのに実に気の毒です。(:^^:)

「さー高生まれ」を特別扱いする一般の人とは違うという認識があるのがこれまた厄介で登校拒否・職場放棄・出社拒否などが赦される沖縄社会です(:--:)聖書を知ればそれが間違いで悪魔の罠だと言うことが解かります。

しかし、自分の非は解かっても直せないと思い込んでいるのも事実です(:><)自分の悪い境遇は親のせい、育ちや環境のせい、こういう体質だから遺伝だから・・・「ノンクリスチャンとの交わりは心穏やかにできる。彼らの方がクリスチャン的だから」との思いがいつもあります。

☆教会は確かに性格の軌道修正所でもありますからぶつかったり、削ぎ落しあったりと痛みを覚える部分もあります。「それでも彼らを赦し、わたしがあなたがたを愛したように彼らを愛せますか?」が教会の兄弟姉妹の関係なのです。☆それらのことが教会生活の中でゆっくりと理解でき、「人が自分よりも偉く」思えてくるのです♬それがへりくだりです。

神を畏れる事がへりくだりです。赦すことも裁かない心もへりくだりです。たとえ、不条理、不合理なことがあっても人にぶつけるのではなくてヨブのように神に感謝の祈りをささげる、人の罪を見た時にも誹謗中傷された時にもモーセのように地面にひれ伏して「とりなしの祈り」ができるかが神からの訓練なのです~♬\(^^)/♬~☆~♬~(^^)~♬~☆「赦す」「受け入れる」「愛する」「とりなす」・・・

神が私たちに望まれている事なのです。この訓練は教会を離れては出来ません。赦せない人と否が応でも毎週必ず会わなければならないからです。これらのことが理解でき受け入れることが出来た時に私は三年半のうつ状態から解放されました。\♬(^^)♬/教会でしか実践できない「隣人愛」をあなたは受け入れて下さい。☆愛するY姉妹がこのことを受け入れる事を心からお祈りしています。シャローム♬



Posted by 金城米子 at 04:27│Comments(0)
 
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