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2016年12月15日

自己憐憫の罠

旧約聖書には、エリヤと言う預言者の登場します。エリヤは多くの賞賛されるべき

神の預言者としての特別な働きをしています。祈りと信仰と神の声に従順である事

でヤァーウェの神(天地創造主)が真理の神であることを証しするためには自分の

命が危険にさらされても喜んで一人で臨むことが出来ました。カルメル山では850人

のバアル(偶像)の預言者達に挑戦したのです。この戦いはイスラエルの民にもこの

競争から神に仕えるか、または、バアルに仕えるかを決めるようにとの事でした。この

戦いでバアルの神とその預言者たちが無力であることを証明しました。短い祈りで火を

起こしていけにえを焼き尽くしました。エリヤは3年間の干ばつも祈りで雨を降らせました。

エリヤは創造主が真理の神であることを証明したのです。そんなエリヤにイザベル女王は、

自分の預言者が皆殺しにされたと聞いた時にエリヤにも同じ運命になるようと命じました。

エリヤは、イスラエルの地から荒野へと逃げ去りました。

国の権力者の力強い命令は、エリヤを力強い神のパフォーマンスの頂上から自己憐憫の

祈りの落とし穴へと陥れたのです。エリヤは力強いたくましい行動力の預言者でしたが人格

や態度、また拒絶や迫害には弱い預言者でした。神はエリヤの死への祈りには答えられま

せんでしたがそれどころか神はエリヤの持っている人生におけるチリあくたを焼き尽くされたのです。

聖めの火を強くしたのです。神は、クリスチャンを成功か失敗か、受け入れか拒絶か名誉挽回か、

命か死かと言う極端な状況に置かれる事もあります。クリスチャンが大いなる成功を収めた時でも、

教会での力強いメッセージが称賛されたとしても教会の指導者たちもイザベル女王のように信徒に

対して拒絶だけではなく破壊の脅威を持って振る舞う事もあるのです。その結果、深い落胆を経験

することもあるのです。クリスチャンは選民意識を吹き込まれてノンクリスチャンを蔑視することも

ありますが神はクリスチャンもそうでない人も等しく愛されています。悪人にも太陽と雨の恵みを

注ぎます。ノンクリスチャンでも「九死に一生を得る」事もします。驕る心は、高慢は神に退けられます。

へりくだる者には恵みをたもう神です。自己憐憫も自己卑下も高慢であることをクリスチャンは知るべき

でしょう。ダビデが「私が何者だから」と神の前にへりくだって感謝の祈りを捧げた事を思い起こして下さい。

あなたが今、心が落ちているのなら自己憐憫を持ってくる悪霊をイエスの名によって退けて、悔い改め

て下さい。無から有を生み出す全能の神様があなたを大いに祝福されるでしょう。恵みと祝福をいつも

あなたの上に満たしたいと願っておられる神様を見上げて感謝して下さいますように。お祈りしています。

「あなたがたは、ことさらに自己卑下をしようとしたり、御使い礼拝をしようとする者に、

ほうびをだまし取られてはなりません。~」コロサイ2:18。



Posted by 金城米子 at 07:46│Comments(0)
 
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