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2016年12月18日

知恵あるものとは

あるクリスチャンのB子姉妹がいつも祈りの中で「神様からの知恵をください」と熱心に祈っていました。

彼女は、思慮深い者として生きて行きたいとも話しましたので私は、彼女に聖書を毎日拝読することを

勧めました。彼女の返事は「時間が取れたら聖書をちゃんと拝読しますので祈っていてください。」と言い

「それじゃあね。箴言の8章と9章を何度も拝読してデボーションしてみてはどうかなあ」とアドバイスをしま

した。そして、6年目に彼女が突如電話をかけて来て言いました。「何となく理解できてきたような気がする

けれど、今一度、詳しく教えてくれないですか?」

箴言8章27節に「神が天を固く堅く立て、深淵の面に円を描かれたとき、わたしはそこにいた。」の箇所での

わたしはそこにいた。とは誰がそこにいたのですか?天地創造主の他に誰がいたと言うのですか?」と聞い

たのです。6年間も聖書を本当にデボーションしたのか?と言いたい気持ちを抑えて話をしました。

私「聖書の神は三位一体でしょ?」

B子「はい。知っていますよ。」

私の心の声(知っていたら何で今さら誰がそこにいたのかと聞くかよ)本当に高慢な者です。

私「B子さん。聖書はイエス・キリストを証しているのですからね。それはイエス・キリストですよ。

初めからいたと聖書にはありますからね。創世記の我々に似せて人を造ろうの我々とあるのは、

三位一体の神主・イエス・キリストも創造主と共におられたと言う事ですよ。」

B子さん「なーるほどね。それから新約聖書の友のために命を捨てるという事はどういう事ですか?

私たちにそうしなさいという事ですか?」

私「その箇所は、イエス様が私たちの為に十字架上にかかり私たちの罪を赦される。罪の為に

死ぬべき私たちの為に死なれる事を教えているのであって、私たちは誰のためにも死ぬことは、

出来ませんよ。地上での命は一つですからね。友達はどれだけいるのですか?」

神の知恵を求めた女性んの「エバ」が創世記の中に一人登場します。彼女は、神が食べてはいけない。

と言う禁断の実を蛇にそそのかされて食べました。エバは神様からの直接的な御言葉を聞いたのでは

ありませんでした。ですから蛇の言葉に心が揺れたのですね。彼女の中には、アダムが神様に絶対

服従な事が面白くなかったエバはアダムが創造主の神だはなくて自分を優先することを望んだのですね。

夫が妻の尻にしかれる基がそこで築きあげられたのかもしれませんね(笑)神様に対して嫉妬が生じたエバ。

そして、神様のような知恵を得たい。神様のようになりたい。それがエバの心に芽生えていたのです。

神様は、なぜ、禁断の実を置いたのか?それは、私たち人間が自分の正義を神様の判断で出来るように

と望まれたのです。神様の正義を受け入れられるようにと望まれたのです。しかし、神様はロボットのよう

な心を持たない人間を望んだのでありませんから、私たちに「選択」する心をお与えになったのですね。

エバの罪は「高慢」でした。アダムの罪は「不従順」でした。そして、「自尊心」が芽生えて、自分たちの

無力さを恥じ入りました。(裸であること、神の前には無力である事。)無力である事を認めなたくなくて、

罪の意識から神の前には出られと隠れた。これらの心は私たちの中に継承されているものです。

自尊心・自分はあの人よりも偉いのだと思う心は神様の前には、不必要な事です。生きて行くには重荷です。

真に知恵あるものとは、「神を愛する心」「隣人愛」「謙遜」「柔和」「へりくだり」「謙虚」「誠実」で生きる心です。

人が自分よりも偉いと認める事。人の良いところを見つけて褒めてあげられる心もちましょう。アーメンな心で❤



Posted by 金城米子 at 09:40│Comments(0)
 
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