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2017年07月12日

万物の創造主イエス・キリスト

「初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。この方は、

初めに神とともにおられた。すべてのものは、この方によって造られた。造られたも

ので、この方によらずにできたものは一つもなかった。」ヨハネ1:1-3

旧約聖書は、3500年前に新約聖書は1900年前に書かれものです。

旧約聖書は主イエス・キリストの預言書です。新約聖書は、イエス・キリストの公の生涯を記された

ものです。主イエス・キリストは天地創造の神であられることは聖書が証しています。

天父とともに天地創造をされた神なのです。天父は「万物の上にイエスの御名を置いた」と宣言されて

おられます。私の前にも主イエス様はお姿を現されました。「真理を求める者にわたしは現れる」と

聖書にある通りに私が泣いて「唯一の神、本当の神があるのなら」と泣き叫んだ時に私の前に現れました。

現れた主イエス様は、悔い改めを促されました。海の底から命を救って下さった主が「悔い改め」に導いたのです。

死ぬような場面でずぶぬれになった卑しい女に主が求めたのは「悔い改め」でした。悔い改めが主に近づく最良

の方法であることが私には理解できたのです。どのような祈りをする時にも先ず悔い改めなのです。

バプテスマのヨハネが砂漠で人々に「悔い改めよ」と叫んだ事を聖書で知った時に私は主が最も喜ばれるのは、

「悔い改めの祈り」なのだと納得しました。そして、子供伝道に私はモーセの十戒を教えます。この律法は主が

祝福している律法なのです。守る者は大いに祝福されるのです。守れないと思う心はサタンの惑わしですよ。

主を愛する者は、偶像礼拝はしません。偶像を憎み仕えません。主の御名をふざけて唱えません。

安息日を聖とし安息日礼拝を喜びます。父母を尊敬します。盗みません。偽証しません。姦淫しません。貪りません。

聖書は想像力がなければ理解できません。神と人を愛せなければ聖書は理解できません。自己中心な心や利己心な

者には、イエス・キリスを受け入れることは出来ません。神との交わりも出来ません。創造主の神は想像力がなければ、

主なる神を味わう事が出来ませんよ。十戒の1-4は神様に関する戒めです。5-10までは、人に関する戒めです。

安息日礼拝は驚くべき創造主の恵みでキリスト者だけが味わうことが出来る神との交わりが深くなる礼拝なのです。

聖書の中でイエス様が大いなるみわざを成されたのが安息日の日でしたよ。私も安息日礼拝で重い病が癒された経験を

しました。安息日礼拝は創造主を覚える事と神がクリスチャンを聖別される日なのですよ。感謝します。



Posted by 金城米子 at 23:23│Comments(0)
 
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