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2017年10月06日

クリスチャンは泣き人の一隊ではない。

イザヤ58:5-7。(エレンGホワイトの著書より)

「私たちには感謝すべきあらゆる事があります。クリスチャンは葬式の行列における

泣き人の一隊と同じように行動すべきではないのです。クリスチャンは葬式の行列に

おける泣き人の一隊と同じ行動をすべきではないのです。神はそのような事をご自分

に従う者たちに要求されていません。彼らに荒布を被り、灰をかぶる事をお求めになっ

ておられません。

「このようなものは、わたしの選ぶ断食であろうか」と主は尋ねられる。「人がおのれを苦

しめる日であろうか。その頭を葦のように伏せ、荒布と灰とをその舌に敷く事であろうか。

あなたは、これを断食ととなえ、主に受け入れられる日と、となえるであろうか」。神はどの

ような断食をお選びになるかを、我々に告げておられます。「わたしが選ぶところの断食は、

悪の縄目をほどき、くびきの紐を解き、しえたげられる者を放ち去らせ、すべてのくびきを

折るなどのことではないか」。これが神が我々に守るようにと望んでおられるところの断食

です。これらの言葉の中に、我々の義務が要約されています。神は何処に我々の宝を置く

べきかを示されています。貧しい者や苦しんでいる人を助け、克己と自己犠牲の道をたどる

とき、私たちは神の御座の前に宝を積む事になるのです。

私の証しです。「毎朝のデボーションの集会での事した。ある牧師が『一週間の断食祈祷会に

参加を勧められたのですが僕は今、持病があって定期薬を飲んでいるので不安な事を話した

ら『信仰によって参加しなさい。一週間くらい薬を切らしたからと言って死にませんよ。だいたい、

牧師が病院や薬に頼るのはおかしいですよ。』と言われたんですよね。お祈り下さいね」と言わ

れましたので私は断食祈祷したからなんだって言うの?おかしいんじゃあないですか?だいたい、

医者も薬も病院も神様が『良し』として置かれているのじゃあないですか?」と言いこのイザヤの

58章7節のみことばを示しました。未熟な者で解説は上手くできなかったですが最近になって

エレンGホワイトのこの箇所の解説に出会って感動を覚えています。小さな証しと大きな解説を

主に感謝します。イザヤ58章は私が神学校に行く事を主が良しとするなら、主が私にお望みに

なっている事があるのでしたらみことばを下さい。と祈って与えられた聖句でした。感謝❤



 
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