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2011年02月28日

心がくじけて祈れない友へ

今朝のサレプタミニスト~リの御言葉から信仰の友へのアドバイスとしてメッセ~ジを送信しました。パソコンがない友、携帯メ~ルを他者に知られたくない友には私のほうで工夫してメッセ~ジを送信したりFAXしたりしております。いつも多くのクリスチャンや未信者の方や他宗教の方々からの質問があるときにはサレプタミニスト~リ~をプレゼントしています。お年寄りには噛み砕いて方言で子供達にも分りやすくお話が出来ますのでとても助けられています。

何よりも自分の信仰の吟味がスム~ズに出来ますからね。感謝しています。祈れないという信仰者にも心にす~っと入って来て祈れるようになったとの報告を頂き主に感謝しています。祈りが聞かれないと言う方には、以前は時があるからと言うだけでしたがエレミヤ書からのサレプタの解き明かしで祈り方の方向転換が理解でき、その事を教えることが出来ました。

以前は、自分の師の教えにだけに従う事を指導されましたが御言葉を深く解き明かして保育園児でも理解できて実践できる方向に導く事の賜物を持った先生に出会うことも大切だと知りました。まず、自分の賜物をイエス・キリストに聖別して頂く事、そして、主の栄光にだけその賜物が用いられるように臨む事を祈るのです。私じゃなくて主のために(他者救済)ですね。

祈れない友よ。かつての大預言者たちも「祈りが聞かれない」と心くじけて祈れない時がありました。思い出して下さい。ヤコブがつがいが外された箇所を・・・ヤコブが戦ったのは神でした。(今朝のサレプタミニストリ~)「祝福を願う一心」の祈りをこれでもかこれでもかとすがりついたのですね。子供のような信仰もそうなんですよね。私は今朝の御言葉の箇所から息子のある出来事を思い出しました。

息子が3歳半の頃でした。おもちゃ屋さんの前に通りかかった時におもちゃをねだられました。泣き叫んで道に寝転がって言う事を聞きません。そのまま放っておいて隠れて様子を見ました。一時間ほどむずかっていましたが泣き止んだ頃に側に行くと息子が抱きついて来たのです。息子にとっておもちゃよりも私が迎えに来てくれた事の方が嬉しかったのです。「お母さん。どこに行っていたの?}でした。思わず息子を強く抱きしめました。

それから次の給料日には、早速、特別だからねと欲しがっていたおもちゃを買ってあげました。おもちゃ屋さんのおばちゃんは言っていましたよ。「子供があんなにぐずったらたいていの親は根負けするのに、よくぞ今日までがまんさせたね」と・・・

私は「息子がお母さん何処に行っていたの?」と言う言葉が先に聞けたから嬉しかったことを話してこの時の母と子の絆の深さをお互いに確かめたかったからおもちゃに心をとらわれないで「なぜ。すぐにはおもちゃを買って上げられなかったかを教えてがまんしようね。でも、約束は忘れないよ」ということをしっかり教えたかったと話しました。
遠い昔の事ですが今、聖書を学んで御言葉を噛み砕いて話すことの働きにつながっていますから感謝です。

心くじけている友よ。目に見えるおもちゃ(世俗的なもの)よりも(約束を忘れない)見えない神がともにいて下さる幸いを思って下さいますように・・・ア~メン

「誰が主の山に登りえようか。誰がその聖なる所に立ちえようか。手が清く心が清らかな者、そのたましいをむなしい事に向けず、欺き誓わなかった人。その人は主から祝福を受け、その救いの神から義を受ける。これこそ、神を求める者の一族、あなたの御顔を慕い求める人々、ヤコブである」詩篇24:3~6


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Posted by 金城米子 at 09:45│Comments(0)祈り
 
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