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2010年12月07日

般若心経と私

息子の命の宣告を受けた日から私がした事は、写経でした。般若心経の最後に「心願と書き、息子の生年月日と延命祈願と書きました。四歳の手術の日までに2万枚を書きました。病院にいても何処にいても必ず半紙と筆記用具を持参して書きました。

手術の際に上阪した病院のベッドの下に置いてありました。おかげさまで腱鞘炎にもなりました(笑い)
写経の半分は奈良と京都のお寺に奉納しました。

亡くなった伯父は教育者でしたが一緒に般若心経の解き明かしをした事もありました。その伯父が病に倒れてから訪問して
キリストの福音を伝えましたが般若心経を知っていた伯父でしたのですぐに理解しました。

その日でイエス様を受け入れましたが日々体調が悪くなっていくのが分かりましたが伯父は「心配しなくて良いよ。人間は病で死ぬか自然死か色々あるが死は誰にも平等だからね。心が平和なのが一番だよ。御国に入れるのは間違いないと信じているからね。後の事は残された人に任せて静かな毎日を過ごすようにしているよ」と言ってくれていました。

生前は福祉事業にボランテイアで社会に貢献していました。母に伯父の話をしたら「お前は、弱っている人には、本当に
親身になるからね。お前の長所だね」と言っていましたが母もすぐに伯父の後を追うように逝ってしまいました。

きっと今頃は、同じ天国で静かにゆっくり休んで大好きだった「慈しみ深き」を聞いていると思います。
般若心経は、ユタ時代に勉強した事もあってクリスチャンになった時に、箴言や伝道の書から般若心経は出来たのではと
気付かされて釈迦の事を調べました。

そして、釈迦はシルクロ~ドを伝わって来た旧約聖書から七万巻のお経を作ったのではないか?と思いました。
仏教の開祖である釈迦は聖書から「覚りの智恵の完成」を求めて修行による覚り、覚せいを勧めたのではないでしょうか?

「生老病死」が人類の最大の苦しみだと説いた釈迦は、イザヤ書から救世主イエスの降誕を知ったのではないでしょうか?
だから、死者を祭ってはならないと弟子達に戒めたのではないでしょうか?

弟子達が釈迦臨終の際に私達はこれからどのようにして生きていけば良いのかと聞きました。
「自らを灯明とし法に依拠せよ。法を灯明とし自らに依拠せよ」と遺言したのではないでしょうか?

聖書のヨハネ9:5に「わたしが世にいる間、わたしは世の光です」とあります。
「あなたがたは世界の光です。」マタイ5:14にあります。

釈迦は、弟子達に「光」である事と「法」を戒律を守って生きる事を示したと思います。自らを律する事は必要ですが
自力ではなかなか出来ないのが人間の弱さです。権威に屈する事も禁じてられいた釈迦の弟子達は釈迦入滅後は
権力者の傘の参加に組しました。ただ一人の迦生だけが一人静かに生涯を仏の道を全うしたという事でした。

私の周りには、創価学会、成長の家、真如苑、ユタ、占い師と色々な人がいますが誰一人として私を自分の宗教に
誘った人はありませんでした。

ただ、その人たちが言った事は「HANNA7さんは、キリストに出会ってよかったね」でした。

私の通過して来た道を知っているが故に本当の救いも赦しも癒しも覚りもキリストにしかない事を彼らは知ってるのです。

「すべて疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。
わたしがあなたがを休ませてあげよう」マタイ11:28




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