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2010年12月13日

因果応報はあるのか

私がユタ時代には、因果応報を持ち出せば殆どの人が納得してくれました。
人は、弱い者です。そして人間の歴史は罪の歴史である事を知っていますから
誰もが神の前には、自分や先祖の罪とがを認めざるを得ません。

そう言う意味合いでは、ユタ時代に人を暗示にかける事は、たやすい事でした。
本当に私は罪人です。悔いても悔やみ足りません。

神様は、人々に誕生する時に良心(魂)を平等に与えられました。
自分が犯した罪や心の中の醜さを恥じる心は良心が生きているからです。

しかし、罪を重ねていくと良心がマヒ状態になってしまいます。
そして、どんどん罪を犯してしまいます。罪は咎となり魂を包囲します。

私は、自分の良心に責められて自分自身の心を自制出来なくなりました。
的外れな生き方をしているのではないかと考えるようになっていました。
でも、自力では何も出来ない変われない自分がありました。

そんな時に、神様は、息子を通して私の人生に介入して来ました。

まず、私は、愛を学習してなかったから自分には「愛」がないと思っていました。
末子の息子が生まれてからは、重い心疾患のために四年間の入院生活でした。

息子は、下に寝かせると無呼吸発作がでました。一日中抱っこしていなければなりません。
トイレにも交代がいなければ抱っこで入るしかない、お風呂も何ヶ月も入れない状態がありました。

三年半後の三度目の手術後には、無呼吸発作がなくなり、私は、自由に手足をのばして
眠る事が出来るようになりました。
そんな時に、主治医が「お母さんの愛情ですね。愛が勝利したんですね」と言われました。

私は、驚きました。私には、「愛」はないと思っていたからです。
その日から、私は「愛」と言う言葉に反応するようになりました。

肉親に対する愛ほど執着が深いことを知るようになりました。
人は愛される事を求めます。たとえ、お付き合いが無い先祖に対してもです。

先祖の事を持ち出されると拝みをせざるを得ない心境には、恐れがあるのです。
私が先祖を敬い、先祖愛がある事を示さなければ先祖の霊は浮かばれないのでは?
と心の根底にあるのですね。

先祖に愛されて守って貰いたい要求もあるのです。

不幸の原因も先祖に対する愛の行為が足りない事を請求
されていると思い込んでしまうのです。(拝み不足)です。

私は、ユタの仕事が神様の領域を侵している事に気付き始め恐れが出ました。
神は霊ですから誰にも見えません。見えるのは神に化けた悪魔だけです。

神は聖そのものですから神に出会ったら人は死んでしまいます。
親子心中から救われた時に出会ったキリストは、多分、私の息子を思う心に反応した
キリストが幻となって現れて下さったのかも知れません。

キリストに出会った時に神様の聖さの前にただひれ伏すばかりでした。

その時に自分の罪が示され恐れで顔を上げられませんでした。
でも、神様の憐れみの霊が流れてきました。

その時に因果応報もたたりも先祖霊も私達人間の領域ではない事を知りました。
キリスト教の教えは因果応報はありません。

何故なら「神は愛」である事を知っていますから罪を犯したらその本人が死んだら
それで終了なのです。罪を犯したらその者が死ぬと教えがあります。

ユタをして来た私が一番に納得した教えです。聖書に「愛はすべての罪を覆う」とあります。
どうぞ、今、ユタ、占いの霊に縛られている方がいますなら気付いて下さい。
恐怖信仰に惑わされないで真理の神様の愛を体験してください。

「神が私達に与えて下さったものは、臆病の霊ではなく、力と愛と慎みの霊です」第二テモテ1:7

悩みがある方は連絡して下さい。自由と解放があります。






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