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2011年05月28日

遠腹巡り(とうはらみぐい)

この言葉はユタが良く使う手段です。問題の原因がわからない場合にはこの言葉で恐怖信仰に導き拝みをさせます。どうしても拝みに誘いたいからです。遠腹巡りの意味は遠い先祖や遠い親戚の因果応報説を話します。あなたがたが拝みをしなければならない事を告げます。

血縁関係の死者の罪の為にまたは、この世で果たせなかった事の為にあなたに降りかかっているとか「あなたが神様から指名された」「選ばれた」といいます。「何々をせねばならない」信仰です。強迫観念信仰と私は言っていますけどね(笑い)ユタや教祖は人の心を追い込むのは上手ですからね。

恐怖信仰と理不尽さだけの教えについて真理の神である主イエス・キリストは、次のように、はっきりと宣言しています。
「しかし、この方を(イエス・キリスト)を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子供とされる特権をお与えになった。この人々は血によってではなく肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである」ヨハネ1:12~13.とあります。

ユタや拝み人、占いが拘束と恐怖信仰なのに対し、唯一神の主イエス・キリストは自由と解放と喜びを、誰がも与えることは出来ない心の平安を与えます。あなたは真理の神様を受け入れますか。それともニセの神様に人生を翻弄させられるのか選ぶのはあなたです。

先祖供養の拝みをする人たちは先祖が死んで後も苦しみの中にあると信じているのですがその罪咎ゆえに子孫が苦しみを受けると本気で信じていますか。それは悪魔の罠ですよ。悪魔はあなた方を仏壇で縛り火の神で縛り自由を奪って喜んでいるのですよ。神様の最上級の作品の人間を騙して多神教に導き惑わし地獄へ陥れるのが悪魔やその弟子の悪霊の目的です。先祖のたたりなどありません。

「見よ。すべてのいのちはわたし(創造主)のもの父のいのちも、子のいのちもわたしのもの。罪を犯した者は、その者が死ぬ」エゼキエル18:32。と天地創造主の神は言っています。

「死」の意味は肉体だけの死ではありません。「死」は永遠からの断絶です。神からの断絶です。死んでから裁きの座につきますがクリスチャン以外は火の池に投げ込まれます。イエス・キリスト以外を主神とした者達は裁かれます。霊は悪魔たちと共に火の池に投げ込まれます。しかし、苦しみと痛みはあると言っています。火の池での苦しみは1000年間続きます。死にたくても死ねませんからね。(苦笑)

聖書には、はっきりと記されています。教会の牧師たちはその真実を語るのに躊躇していますが私はバッシングされてもかまいません。沖縄人は、はっきり言わなければ理解できないからです。宗教と信仰の行いが理解できていない人が多いからです。

主イエス・キリスト以外はすべての信仰が悪魔から来るものを知らないからです。拝んでおけば正解の世界観です。偽りの教えの刷り込み教育が沖縄人には根強いですからね。沖縄人は学ぶよりも口伝民族だからです。悪魔は話術の名人ですからね。歴史を学べば真理の神が主イエスであるとすぐに理解できますが(アダムとエバのエデンの園を創造した神、アブラハム、イサク、ヤコブの神。モーセの神。十戎の神)ですね。

その他はすべて人間の都合で政治的な絡みなどで作り上げた神であり、宗教である事を学習してくださればと望みます。しかし、「わたしの名につまずく」と主イエス・キリストは宣言しているように悪魔にあやつられた世界にいると主イエス・キリストを否定します。

異邦人の間で神の名前が汚されるとありますからね。よの行く末までも見通されている創造主はやがて宇宙を絨毯のようにぐるぐる巻きにして投げ捨てる時がある事を示唆しています。

しかし、憐れみと慈しみ満たされている神様は次の言葉を人類に語られています。

「神は、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。ひとり子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」ヨハネ3:16

お近くの教会を訪問してくださいますようにあなたをこの世に送り出された神様はあなたが真実の親元に帰ってくるのを「我が子よ。よくぞ帰って来た」とあなたの帰りを今日も待っていますよ。


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この記事へのコメント
こんにちは金城米子さん、本日(16/8/13)偶然聞いていたラジオでお聞きして今日初めてブログがある事、キリスト教との出会いも知りました、とても驚きました。私は小学生の頃からでしょうか?米子さんがユタを始めた頃からのお付き合いですから、身も心も先祖崇拝が私にとって身近で空気のような存在となり一切迷いも何もなく、子供たちもよくご先祖の事も理解してくれて素直に育ってくれましたよ、子供たちも今勉学に出て遠旅に出てはいますが教えてもらったとおりの自分の香分を持ち、米子さんのおっしゃった「現代版でやりなさい」というお言葉を心に留め置き充実した日々をおくっています。また、だまされないように「ユタ通いは自分から何も言わず7判事取りなさい」ということも知っていますし、また先祖が今グソーで苦しんでいるとも考えたことはないです。また仮にあったとしても待ってもらったりしてくれる願いや 他なら口返しも教えてくれたではないですか? まあ黒魔術みたいですがw
改めてお聞きしたいんですが今まで親の手を合わす後ろ姿を見て育ってきて各拝所地を歩いたり、各地域のユタの話を聞いてきた自分ですが、親に感謝し愛する先祖崇拝や、ユタがまちがっているよということでしょうか?教えてください。
Posted by しまんちゅ at 2016年08月13日 18:08
 
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